vsノストラダムス 世紀末予言決戦

橋広 高

本文

 未来を自分の目で見たものだけで確定した気になって話すのは、まったくの二流である。一流の予言者は運命を掴みに行くもの。かのノストラダムスも、そうであった。


「ノーストラトラトラ!400年ぶりの現世、あのとき予言した景色どおりトラ……

 ついに実行するときが来たトラね……あの大予言を……」

「そうはさせんぞ……」

「ッ! 誰トラ!?」

「主手 恩吏……」


 これは、1999年、人知れず人類の滅亡に抗うため立ち上がった名もなき予言者の物語である。


☆☆☆


 主手 恩吏(おもておんり)はノストラダムスの大予言を止めたいと思った。この素晴らしい世界を無くしてはならないと本気で思っていた。正義感と行動力の溢れた若者であった。

 餅は餅屋。恩吏はすぐさま予言者に弟子入りをした。近所の廃れた商店街を生活圏にし、無精髭を蓄え皮脂で黄ばんだワイシャツだった布切れを身に纏い、日の高いうちから安酒を呷って空が暗くなる頃にダンボールを羽織って寝る禁欲的な生活を送っていたオーラ溢れる男だった。


「若造……お前に本当の予言を教えてやる」


 恩吏が占いの基礎知識を学び終えたある日、師匠はそう言って山奥に恩吏を連れ出した。


「今日の天気は晴れだと、俺は予言した。そうだろ?」


「はい師匠。でも今日の降水確率は100%飛んで80%。太陽一つ見えませんよ」


「俺が晴れだと言えば、今日は晴れなんだよ。見てろ」


 師匠は急に大きく息を吸い込んだ。それは人間の肺活量を遥か上回っていた。全ての木が彼にこうべを垂れていた。恩吏もその場に立つので精一杯だった。


 そして師は肺に詰め込んだ空気を全て吐き出した。いや、打ち出したという方が正しいだろう。正しい呼吸法は空をも穿つ呼吸砲になるのだ。


 そして空は、予言通り晴れていた。


 その日から恩吏にとって真の意味で占い漬けの日々が始まった。朝は4時に起き10キロのランニング。慣れると亀の甲羅を何十個も数珠繋ぎにしたのを背負って走らされた。もちろん亀甲占いも同時に行う。一つでもヒビが入ってない甲羅があれば、もう一度走り直しである。


 水晶は鋼鉄の特別仕様。念力で浮かすにしろ未来を映すにしろ普通のそれとは比べ物にならないほどの労力を必要とする。恩吏も、5つまでなら自由に独立操作できるようになったが、結局修行中水晶を割ることは叶わなかった。


 師匠から本を渡された。昔の占星術師が書いた書物である。読むことではなく引っ張って真っ二つに破ることを命じられた。簡単に破けるはずの本が、神秘的な力によって破けない。やっとこさ破ると次の本を渡された。そうして破く本は高名さと厚さを増していった。


 食事は師匠が小屋のどこかに隠しており、見つからなければ食事抜きである。占いは悉く外れ、飢えを凌ぐために木の皮を噛んだ。実は占いは全て当たっていて、その箇所を探す直前に師が目にも止まらぬ速さで隠し場所を変えていたことに気づいたのは2週間経った頃だった。


 そうして地獄の修行が続いたある日、恩吏は違和感を感じる。視界が多重にブレている。栄養失調でガタが来たのか。手を伸ばそうとすると先に手が伸びた。しかも何本も!バラバラな方向に!実際には手を動かしてもいないのに!驚いて引っ込めると手も消えた。


「遂に感じるようになったのだな。未来を」


 師匠が突然語りかけてきた。いや、違う。ここに師匠はいない。恩吏はすぐに気づいた。


「師匠!」と恩吏は“言っていない”。だが言った。それは今ではなく、また過去でもない。


「お前も勘付いてるはずだ。今、ここにいる俺は未来の俺だ。お前が第六感をもってして体感した未来の一つだ」


「はい。そして今行われてる会話も、今行なっているわけではありません。未来を見た師匠と、未来を見た私が同じ未来を選択し続けているだけ、そうですよね」


「肝に銘じておけ。予言とは、無限大の可能性をあるがまま受け入れ、そして選ぶこと。奴はその圧倒的な力に驕り、最悪の選択を取ろうとしている。あの未来を見た俺は全てに絶望していた。だがお前のまっすぐな目を見ていると、確定した未来すらも変えられる気がしてくるよ」


 そうして恩吏は師匠の元を去った。別れの言葉は、未来に置いてきた。


☆☆☆


 ノストラダムスが降臨するのはフランスの僻地。向かう恩吏の前に立ち塞がる影がひとつ。筋骨隆々な益荒男である。


「どいてくれ。私にはやらねばならぬことがある」

「それは我が師、ノストラダムスのことであろう」

「敵か!」


 一言も発することなく会話の未来を読んだ2人の戦闘が始まった。互いに協力し同じ未来を読む会話と都合のいい未来を押し付け合う戦闘では勝手がかなり異なる。例えるなら、前者が同じ椅子を分け合いピアノの連弾をするようなものに対し、後者は二つのピアノを隔てて向かい合い、同時に違う曲を弾いているようなものだ。


 率直に言うと、これから起こるのは未来視を封じられた者同士の肉弾戦である。


 恩吏は袖から水晶玉を飛ばす。10個もの水晶が手足のように動き敵を追い詰める。さらにその水晶ひとつひとつにビジョンが映る。顔に、腹に、全身至る所に水晶玉が命中する未来がバラバラに現れている。生半可な予言者ではこれだけで未来が確定してしまう。敗北の未来が。


 だが。


「ヌゥッ!!!」


 敵が雄叫びを上げると、水晶の映像が続々と変化していく。変わった映像は全て、恩吏の死に姿であった。


「なにっ」


 水晶の操作権を奪われた。それだけでなく恩吏が死ぬという遠い未来を瞬時に引き寄せた。恐るべき実力である。


「見たなッ! 死ねぇ!!!」


 驚く隙も与えず水晶玉が恩吏を襲う。


「うおおお!!」


 間一髪で避け、バランスを崩し顔から倒れ込むのを瀬戸際で耐えた恩吏。だがその眼前、足元に貼られたあるものを見た。


「これはタロットカード! それも『死神』の『逆位置』!」


「いいや正位置だ。我から見てなぁ!!!」


 敵は隠し持っていたスイッチを押すと、死神のタロットカードが貼ってあった地面が爆発する。爆風をもろに喰らう恩吏だったが、爆風に合わせ後ろに飛ぶことでダメージを抑えることに成功する。

 それを見て敵は不敵な笑みを浮かべた。


「……立ったな」


「何がだ……、ハッ!? この方角は! 『鬼門』!!!!!」


「そう、丑寅、北東の方角。黄泉の門を司る方角。貴様を死に追いやる最善の方角よ!!!」


「まさか貴様、予言する未来を絞って、その分予言の精度を上げているのか」


「ほう、この短期間で我のカラクリを看破るとは。そう!我はただの占い師にあらず!死のみを司る占い師、占い死よ!!! 元々生かして帰すつもりは無いが、秘密を知ったからには死ね!! キエエエエエ!!!」


 占い死は無数のナイフを無数の軌跡を伴って投げる。単純な技だが鬼門に向かう、すなわち死へと向かう攻撃なので全てが回避不能で全てが致命傷の恐ろしい攻撃になっている。


 そんな恐ろしいトドメが近づくなか、恩吏は目を瞑っていた。


「なんだァ!? 諦めて死の運命を受け入れたか!」


 次の瞬間! カッと目を見開いた主手恩吏は何を思ったか向かうナイフに正面から突っ込んでいった。


「なにィ! 狂ったか! 自ら死にに行くというのか!」


「ああ! そうだ! 死にに行くのだ!」


 そしてザクザクとナイフが恩吏の体に無慈悲に突き刺さった。だが恩吏は止まらない。速度を落とさず占い死のもとへ直進していく。占い死はそれを見て気づいた。そう、ヤツの狙いは……!


「見えないだろう!死に向かうのではなく、死の淵にありながら生に向かおうとする私の未来が!!!」


「しまったアアアアアア」


「己の都合の良い未来しか見ぬ者に、私が負けるはずがない!!! フンッッッッッ!!!」


 恩吏の拳が占い死の顔面を捉え、遥か彼方に殴り飛ばした。恩吏は戦闘に勝利した。だが、占い死に付けられた傷は浅くは無い。荒い息を吐きながら応急処置を済ませる。ここで立ち止まってはならない。歯を食いしばりながら目的地に歩を進める。


☆☆☆


 恩吏と向かい合うノストラダムスは20代前半の青年の風貌をしていた。最盛期の肉体の中に成熟しきった魂が入った状態で復活しており、それだけでノストラダムスの異次元の技量を感じさせられる。


「主手恩吏……?」


 だがノストラダムスと対峙した時、恩吏は違和感を感じた。

 会話が成立している。いや、それだけでない。ノストラダムスは背後から近づく自分に気づかなかった。


「ノストラダムス貴様……見えていないのか……?」


「だとしたら、どうするトラ?」


 やはり人類滅亡の未来を引き寄せるだけあって流石のノストラダムスも余裕がないのであろう。しかし流石にノストラダムス、袖から取り出し浮かぶ水晶その数50。操作精度も一級品。

 ただし、そこまでである。恩吏が飛ばした水晶はノストラダムスの弾幕をすり抜けて本陣に深く切り込んでいく。未来が見えぬノストラダムスはどれだけ巧妙に行き先を塞ごうとしても敵わない。


「グオオオオオ!」


 ノストラダムスは破れかぶれ、水晶玉を近くに集め、鎧にしながら恩吏に突っ込んでいく。生半可な攻撃を弾きながら接近戦に持ち込む得策である。

 だが、未来が見える者を相手取れば一挙一動全てが悪手。恩吏は自身が操る玉の一つに命令を下す。ノストラダムスが鎧を作る際潜ませておいた水晶が致命的な一撃を浴びせる。


「グフッ」


 ダメージを負ってノストラダムスのガードが完全に下がる。刹那、恩吏は駆け出していた。またとない好機。全身全霊の最大火力、再接近でぶっ放す。拳に力を込める。かつてないほどの精神の高まりを感じる。


「ウオオオオオオオ!!!!!!!!」


 次の瞬間、主手恩吏は倒されていた。それを、無傷のノストラダムスが見下ろしていた。


「ノーストラトラトラ!無様トラねぇ!!」


「なっ……ガハッ」


 気づかないうちに食らったダメージの大きさに体が動かない。ノストラダムスは恩吏の背中を踏みつけ高笑いをしている。


「どうやら口も聞けないほど瀕死トラから、冥土の土産に教えてやるダムス。

 お前が見てたのはノス(補足:ノストラダムスの一人称)が見せていた未来ダムス。あまりに現実味あふれた未来すぎて現実と錯覚してしまうほどのトラねぇ!」


 未来を見る者同士の戦いは、いかに未来を読ませないかが肝心である。しかしそれは、互いの実力が拮抗している時のみ。恩吏は今、圧倒的な力量の差を感じていた。敵の未来視を捻じ曲げてしまうほど驚異的な未来視。そこまで力の差があれば、未来など溺れるだけ見せてやる、そういうわけか。しかし心はまだ折れていない。

 懐から取り出すのはお守り代わり、修行に使っていたあの鉄製水晶。操作の精密性は純正のものに劣るが、単純な質量から繰り出される火力はバカに出来ない。ありったけの念力を込めて、顔を狙って反応できないほどの高速で弾く。

 しかし。水晶は命中直前、空中でピタリと静止した。


「ノーストラトラトラ! こんな苦し紛れの攻撃でノスを倒せるなんて片腹が痛いでダムス! こんなものプンプン飛び回るハエよりも気にならないトラよォ」


 そう言うとノストラダムスは水晶玉にデコピンを入れた。水晶玉はまるでクラッカーのように粉々に割れて崩れた。そして恩吏に乗せている足に徐々に力をこめていく。ズブズブと背中の肉に食い込み、骨が強い力で曲げられていく。


「主手恩吏、覚えておくトラね。都合の良い未来しか見れないような愚か者にノスが負けるはずないダムス。キョアァァァ!!!」


 そして遂にノストラダムスの足裏は皮膚を破り骨を折り、心臓を胸骨共々潰した。血が水風船のように飛び散り、闇に染まったノストラダムスの顔をさらに赤黒く染め上げ、その表情を隠した。


☆☆☆


 主手恩吏の両親はスピリチュアルなものに少々傾倒しがちであった。ノストラダムスの大予言が流行り始めたとき、両親は真っ先に田舎への引っ越しを決めた。

 仲の良かった親友と引き離される形になった恩吏は、両親の妄言を信じ、ノストラダムスの大予言を恨むようになった。

 恩吏は高校を卒業するとその足で東京へと向かった。人類滅亡の予言に立ち向かえる予言者を探すためだ。そして師匠に出会った。

 師匠は恩吏の顔を見て言った。


「おい、お前が見るべきはこっちじゃないだろ」


 ……いや、これは師匠があの時言った言葉ではない。彼ははじめ「あぁ? こっちは酒飲んでて忙しいんだ。ガキは早く実家に帰って寝ろ」と言った。


「過去ばかりを見るな。ここにお前の求めるものはない」


 分かっている。ここは私の走馬灯だ。過去の幻影だ。こんなもの見ても死の未来は何も変えられない。だがどうすれば良いのだ。


「お前は誰だ」


 私は主手恩吏。予言者だ。


「予言者はどんな存在だ」


 未来をその手に掴む存在。


「ならば、お前が見るべきは過去ではなく」


「未来……」


 気づけば、恩吏の周囲にあったものは全て消え、ただの暗闇だけが残っていた。これが、今の未来だ。ノストラダムスが恩吏を惨たらしく殺し、そして人類を滅亡させる恐怖の大王になる未来。

 だが、恩吏はその暗闇の中に、小さな光を見た。それは次のまばたきの末に消えてしまいそうなほどかすかな光で、恩吏は反射的にその光の中に手を入れていた。すると光はだんだんとその輝きを増し、大きくなっていく。

 光の中に景色が見える。最初は輪郭のぼやけた映像だったが、光が空間を完全に満たした瞬間、それは明確なビジョンとして恩吏の脳内に流れ込んだ。それはただの日常の風景であった。しかし恩吏はその意味に気づいていた。これこそが、ノストラダムスの大予言を退けた向こう側にある未来であると。

 そしてその映像はさっきの一瞬地上の全ての人類の脳裏をよぎった。一般人はそれを夢として、デジャヴとして、またはただの思いつきとして処理したが、世界中の予言者は一瞬にして、起こった事の重大性を察した。

 勿論ノストラダムスも……いや、彼は今、それどころではないはずだ。


「な……どうして無傷で立っているトラ!?」


 彼の目の前には、復活した恩吏がいるからだ。


☆☆☆


「未来を……変えたトラね」


 ノストラダムスは冷静さを取り戻すとすぐに恩吏の不可解な復活のカラクリを見抜いた。


「現在の状況では絶対に辿り着けない未来を意地で確定させることで、世界はその未来に向かうために今そのものを改変する。だがその分消耗も激しいはずダムス。万全のノスには勝てるはずがない!」


「いや。貴方も気がついているはずだ。私が未来を変えた。これが何を意味しているのか」


 恩吏は黄金の光に包まれ、その立ち姿からは疲労も消耗も感じ取ることができなかった。有り余る力が恩吏を宙に浮かべているほどである。


「貴方はまず強力な大予言を残し人類滅亡の未来を確定させた。今生きてるはずのない貴方が蘇生しているのもその予言の力によるもの。そしてその強烈な絶望によって世界中の予言者の反乱を防いだ。

 だがしかし、私が見せた希望の未来により彼らは再び立ち上がった!私のこの力は全ての予言者の力だ!」


「ほざけぇぇ!」


 ノストラダムスはプラニスフィア(補足:星座早見盤の英語 響きがかっこいい)を取り出す。ノストラダムスは占星術師。水晶玉は恩吏が最もイメージしやすいイメージであり、ノストラダムスのメインウェポンは“星”である。


「出でよ!八十八星座!」


 ノストラダムスという獅子は兎を狩るのに全力どころじゃ済ませないのか。獅子座だけでなく全てを出し切ろうとしている。

 しかし相手は兎ではない。恩吏が手を軽く振ると、ノストラダムスのプラニスフィアに描かれた星の位置が飛び回る。星座が星座でなくなるため、当然星座の呼び出しができるはずがない。さらにプラニスフィアの星座線が盤を飛び出し、ノストラダムスの肉体を強く縛り付けた。

 ノストラダムスはバランスを崩し地面に倒れる。


「クソがァ!」


「そして、貴方がなぜ人類滅亡という大それたことをしでかそうとしたのか、私たちはすでに視ている」


 そう、恩吏が死の淵を彷徨ってたあの時、闇が光に染まる直前に闇の中に映ったものがあった。それはSFじみたメチャクチャな景色。しかしそれは起こる未来と言い切れる景色。


「恐怖の大王は貴方自身ではなく、宇宙人——それもセイタイジッケンガイキガイ星人のことだった。死ぬよりも苦しいことが起こるのなら、いっそ死んでしまった方がマシ……貴方はそう思ったのだろう」


「何度も覆そうと頑張ったさ!」


 突然語調が変わったノストラダムスに、恩吏は面食らった。


「近くの小惑星をセイタイジッケンガイキガイ星に落として文明を崩壊させようとしたり、太陽系そのものを大きくずらして距離を稼いだり……でも未来は変わらなかった! 地球人総出で戦ったとしても力に差がありすぎる……だから僕はもう……」


「貴方の想いはわかる。本音が聞けて嬉しい。だからって人類を滅ぼす、それだけは違う! 未来とは視たままを受け入れるものではなく、より良いものにするために足掻くものだ! だから……?!」


 突然、恩吏の口から血が漏れる。心臓が押し潰されるような痛みが全身に走った。


「君がそんな甘いことを言う奴だって、未来を見ずともわかっていたさ。だから僕は君の話を聞かないことにした」


 いつのまにか拘束が解けたノストラダムスは、服に付いた砂を払いながら立ち上がる。


「月がじき地球に激突する。それで未来が変わって、君も、地球も……全部、全部……」


 対照的に恩吏は膝から崩れ落ちた。拍動が不規則になるのを感じる。裂けた血管から漏れ出した熱い血が筋肉に染みていく。


「ノーストラトラトラ! 月の衝突まであと4分! さあ! 主手恩吏! ノス(補足:ノストラダムスの一人称)を止めてみるならやってみるダムス!」


 痛みは止まることはない。むしろ月が地球に近づくほど本来の破滅の運命が恩吏の体を蝕んでいく。だがそれが、恩吏を諦めさせる理由にはならない。

 恩吏はゆっくりと立ち上がると両手を天に掲げた。手のひらから出るのは当然神通力。


「月を止める気ダムか!? その死にかけの体で!? 無駄ダムスよ!!!」


 そう、ノストラダムスから見ればそれはまさに足掻き。運命の修正力で今にも死に瀕死つつある者が月を止められるはずが無い、と。皮膚から肉が漏れ血が吹き出している箇所まである。


「ウオオオオオオオ!!!」


 雄叫びを上げようとも月は一向に止まる気配は無い。遂に月が大気圏に突入し、赤い炎を纏い始めた。

 

「!!」瞬間、ノストラダムスが気づいた。月の表面にヒビが入っているのを。


「まさか……ハナから月を止める気がない……? 止めるんじゃなくて、激突する前に破壊する……」


 違う。恩吏は最初、地球に引っ張られる月を食い止めようとした。だが月の質量によって跳ね返された自身の神通力が恩吏に大きなダメージを与えたため、それは不可能だとし、別の策を選択した。

 そして今、その策は快音を響かせながら成功した。だがそれは地球を救ったことと同義ではない。


「っ、だが手遅れトラ! 見ろ! 割れた破片が次々と地上に降り注ぐ! 運命は変えられなかったトラ!!」


 先ほどまで月だった礫が幾万もの炎の帯を纏いながら落ちていく。


「いや、違う」


 主手恩吏が月を破壊するのに専念したのは月を止められなかったからだけではない。あの時、声を聞いたからだ。


  恩吏、月を破壊しろ。後は俺たちでなんとかする。

  私たち世界各地の予言者が、落ちてくる破片を受け止めるわ。

  希望に満ちた未来を、そして我々が見失っていた在り方を見せてくれてありがとう。


 恩吏はその声を信じた。未来を託した。

 そして見よ。この未来を。地上を襲った月の破片たちは予言者たちによって防がれる数秒先の未来を。地球は守られたのだ。

 だが恩吏は死ぬ。恩吏には見えていた。まるでねじれた因果を解くように割れた月の一つが恩吏に向かって落ちる未来が。そしてそれに抗う力はその時残っていないことが。


「これでいいんだ……」


 恩吏は逆流する血で荒れた喉から震えるようにそう呟いた。視界が霞んで見える。何かが近づく音が、遠い遠いところで聞こえる。

 未来は、分かっていた。私はどうあっても死ぬのだと。だが、いや、だからこそ覚悟ができた。


「覚悟ができれば、幸せだ……」


「そんなわけないでしょ」


 突然、恩吏は体が軽くなる感覚に陥る。次に痛みが引いていくのに気づく。ぼやけた視界がピントを取り戻し、見ると、ノストラダムスが欠片の直撃を止めていた。


「ノストラダムス……」


「はぁ、何やってんだ僕。こんなことしなけりゃ、人類を滅ぼすチャンスなんていくらでもあったのになぁ」


 ノストラダムスの体が足元から透けていく。それは完全回復しつつある恩吏にノストラダムスが勝てないことを示唆しており、彼が自身にかけていた現実改変が切れることを表していた。


「大体さ、君も僕ほどとはいかなくても、一応は未来を掴む予言者の端くれなんだから、この程度の未来で勝手に満足して諦めるのは違うんじゃないかな」


 ノストラダムスが腕を振ると静止していた月の破片が空高く上っていく。そこには世界中に散らばった破片が一ヶ所に集まって塊と化していて、やがて元通りの月の形になると、ゆっくりと元いた場所に戻って行った。後の記憶処理で、一般人にとってこの出来事は無かったことになるのだろう。

 傷が完全に癒えたことを確かめ、恩吏は立ち上がって聞いた。


「どうして私を助けたんだ?」


「無粋な質問だね。僕がこれから何をするのか、視てみたら分かるはずなのに」


 恩吏は目を瞑り未来を視て、そして失笑した。


「確かに、無粋な質問だったな」


 恩吏はノストラダムスに向かって手を伸ばした。ノストラダムスはその手を強く握ると、己の神通力を恩吏の体に流し込んでいく。自分の存在を保つための力すらも。

 ノストラダムスの体は加速度的に透けていき、遂に


「地球を、頼んだよ」


 と言い残して消えた。


「分かっているさ」


 恩吏はそう言った。過去のノストラダムスが、この未来(いま)を視ていることを信じて。


☆☆☆


 その後の主手恩吏の軌跡は誰も知らない。だが、今こうして我々がこの物語を読めていることが、この戦いの顛末を示しているのではないだろうか。まあ、ここまで話しておいてなんだが、この物語は事実であると信じている者は一人もいないはずだ。

 私も事実この資料に信憑性はないと思っている。そのためこの話をする際、かなり脚色を加えた。私はこれを一種のエンタメとして、与太として消費することにしたのだ。

 最後に突然だが、最近知人が一人で飲んでいたときに厄介な客に絡まれた話をしよう。彼が言うにはその風貌はホームレスの老人そのものであり、ベロンベロンに酔っていてしきりに自分の弟子の自慢をしていたとのことである。

 令和のこの時代において弟子という言い回しを使っていることがただでさえ怪しいのに、その内容も荒唐無稽で、なんとその弟子は念力で月を破壊したのだと言う。

 このエピソードが資料の決定的な裏付けになるわけではないが、この物語の補足としては不可欠であると感じたため、紹介することにした。

 これの真贋の判断は、この物語を目の前にした貴方たちに委ねることにする。

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