第8話 武蔵と兵庫助

「勘四郎、お主は裏の方を観てまいれ」


 武蔵にそう言われ、勘四郎は裏口を調べに行った。


 柳生兵庫助程の名のある剣士が、そんな卑怯ひきょうな真似はしないだろと思うのだが、武蔵曰く高名な名を語る輩の可能性を用心するに越したことは無いのだと言う。


 武蔵程の技量を持った剣士であっても、ここまで徹底した用心を欠かさないのだと、勘四郎は感心すると共に自分の未熟みじゅくさを痛感つうかんしてしまう。


 八郎とか言う使いの者には、自分の方から後日尋ごじつたずねると伝えて帰らせた。


 そして八郎が退散たいさんすると直に腰を上げ、勘四郎付いてまいれと言いはなつと、兵庫助が滞在する旅籠はたごへとやって来たのだ。


「武蔵様、裏口には誰も居りません」


「そうか、ではまいるとしよう」


 それで一応安心したのだろう、武蔵は堂々と旅籠屋の扉を開けた。


「ごめん、柳生兵庫助殿やぎゅうひょうごのすけどのに招待預かった宮本武蔵である、武蔵が参ったとお伝えくだされ」


 突然の来客に、店の者は面を食らった様子だったが、返事をすると奥へと駆け走って行った。


 しばらくすると、店の店主が挨拶とともにやって来て立派な大広間へと案内された。


 大広間には十人程の男女がぜんを囲み座って居る、上座に座る男が柳生兵庫助だろう。


 笑顔を見せてはいるが、たたずまいから放たれる気が尋常じんじょうでない。


「お初にお目にかかります、拙者せっしゃが宮本武蔵で、こっちが連れの生駒勘四郎と申す者です」


 いきなり紹介を受け、勘四郎はあわてて頭を下げた。


「面識も無しに招待した無礼をお許し下され、拙者が柳生兵庫助です」


 そう言って上座うわざに座る男が頭を下げた。


 お互いに上座を譲り合い、結局最後は上座を横にして隣り座る形で落ち着いた。


「今、皆で宮本殿が来るか来ぬかで賭けをしておったのじゃ」


 兵庫助は大声で笑った。


「して、その賭けは」


 武蔵が聴いた。


「拙者の1人勝ちじゃ」


 兵庫助はまた大声で笑った。


 その笑いで場が和やかなものに変わった。


 勘四郎は独り興奮コーフンして居た、天下にとどろく剣の達人が、今こうして勘四郎の前に並び居る。


 この瞬間に立ち会えた幸運に感謝した。


 兵庫助は饒舌だった。


 しばらくお互いの剣について談義だんぎしあい、ほう、とか、してそれは、とか質問を繰り返したりしていたが、兵庫助の一言で場は凍り付いたようになった。


「ところで宮本殿、今この日の本で一番剣が強い者は誰だと考えますかの」


 きっと互いが一番だと思って居るはずだ。


 白黒付けるには試合をするしかない、兵庫助は始めからそのつもりだったのであろうかと勘四郎は思った。


 武蔵の返答に周りの皆が注目した。


 武蔵はしばらく思案しあんする様な構えをして、その人物の名を告げた。


「小野次郎衛門殿ではなかろうか」


 小野次郎衛門とは、勘四郎が学ぶ小野派一刀流の流祖である。


 武蔵よりその名が出たことに勘四郎は嬉しくなった。


「ほう、宮本殿もそう観て居ったか、一刀流と言えば伊藤一刀斎殿が始祖ではあるが、小野殿はそれを超えて居ると」


「さよう、今は小野殿が日の本一ではなかろうか」


「なるほど、今はでござるな」


「さよう、今はでござる」


「流石は宮本殿、自分が一番と言わぬところがまた良い」


「拙者はまだ途上とじょうの身でござる、上を観れば霧がのうござる、その思いは柳生殿とて同じ思いではござらぬか」


「よう言うてくださった、この兵庫も途上の身、まだまだ強う成りますぞ」


 兵庫助の高笑いで、その場がまた和やかになった。


 勘四郎は、ほっとした。


 そしてまだ一度も会うたことの無い、自分が学ぶ剣の流祖に思いを寄せた。


「ところで宮本殿、今この地で流行って居る妖怪の話はご存じか」


「小坂部のことでござろうか」


 武蔵は旅籠で聞いた名前を言った。


「そう、その小坂部のことじゃ」


 勘四郎は何の話しをして居るのか解らなかった。


 小坂部だの妖怪だのと話している様だが、勘四郎は昔から妖怪だのお化けだの幽霊だのと、そういった話しは大の苦手なのだ。


 しかしこの場でその様なそぶりを見せる訳には行かない。


 その様なそぶりを見せれば流祖である小野次郎衛門の名に傷が付くのではないか、小野派一刀流の剣士が失態しったいさらす訳には行かない。


 勘四郎は素知らぬ顔を取り繕って、何か違う事を考えようとしたが、話し声は耳に入って来る。


 結局は一部始終を聴く羽目になった。


 いつの頃か姫路城に妖怪が住み着く様になったらしい。


 その妖怪が時々姫路城下に降りて来ると言う。


 ある時は老婆の姿で、ある時は鬼の姿であったりするのだが、ほとんどは美しい女性の姿で若い男を食い殺すのだと言う。


 ここからそう離れてない場所にその昔、赤松氏あかまつしが栄えていた頃の城跡しろあとがある。


 今では廃城はいじょうになって居るのだが、そこにも妖怪たちがくって居るのだ。


 そこは村人やら旅人やら、そこを通る者は見境なく食い荒らされると言う。


「拙者の見解だが、こ奴らめは通じおうて居ると睨んでおるのじゃ」


 兵庫助の見解によると、まず悪さを始めた時期が同じ頃である。


 巣くう場所が城と廃城との違いはあるが城繋がりである。


 場所がそれ程離れて居ないのに、互いに干渉かんしょうが無いのがに落ちないと言う。


 獣であれば、必ず縄張なわばり争いが起るはずである、妖怪ならばなおさらである。


 妖怪の数で言えば廃城に巣くう方が多いのに、姫路城の方が堂々として居るところを観ると、この妖怪が親玉であるのではないか。


 兵庫助はこの様な見解けんかいを、最後にはつばきを飛ばしながら語った。


 武蔵は腕を組み、眼を閉じて聴いて居た。


 辺りは静まり返っている。


 兵庫助はなおも続ける。


「人を食い殺す化物などもってのほかじゃ、誰かが成敗せねばならぬわ」


 自分の言葉に興奮コーフンしたのか、兵庫助は自分の拳を畳に叩き付けた。


 武蔵は腕を組んだまま動かない。


「ちょうどここには柳生の手練れの剣士たちが揃うて居るでな、これは神仏がこの兵庫に成敗せよと言うて居るのではないかと感じて居ったのじゃが……」


 そう言って兵庫助はしばらくの間、武蔵を観ていた。


 武蔵はまだ動かない。


「宮本殿も一緒にどうじゃ、これも神仏のお導きとは思わぬか」


 兵庫助は動かぬ武蔵を覗き込む様にして返答を待った。


 武蔵がゆっくりと眼を開いた。


「拙者は神仏など信じぬ質でな、その証拠に拙者の刀は幾人もの血を吸うて居るが、一度も罰になど当たっては居らぬ、こうしてぴんぴんしておる」


 兵庫助が少し落胆した顔を見せた。


「しかし、化物や妖怪変化なるものを一度は観てみたいと思うておった」


「おお、宮本殿、来てくれるか」


「この武蔵、勘四郎と共にご同行致どうこういたしましょう」


 下を向いていた勘四郎は顔をね上げた。


 今、武蔵は何と言ったのか。


 勘四郎と共にと言った様な気がしたが、聞き間違えで無いか、今すぐ武蔵に問いただしたい。


「柳生殿にお願いがあるのだが」


「何でも申してくれ」


「余り刀が有るならば数本貸して欲しいのじゃが、化物とて血肉は出ようでな、いや、なまくらで構わぬよ、拙者は刀を選ばぬのでどの様な物でも構わぬ」


「おおお、宮本殿はすでにそのいきか」


 勘四郎の意思などお構いなしに、どんどん話しが進んで行く。


 やっぱり自分も行かないといけないのだろうな、と勘四郎は思った。


 勘四郎には、この場で断る勇気など持ち合わせていない。

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