第2話 生駒勘四郎

 強くなりたい・・・。


 生駒家は徳川の旗本格である、しかし松平忠吉(家康の息子)尾張入府の案内役を申しつかりそのまま尾張国に居着いてしまう。


 その後直に忠吉が急死した為、家康の息子九男の義俊(のち義直に改名)が入国して来てのちに尾張徳川家が誕生する。


 生駒家はそのまま義俊に仕え、尾張藩士になった。


 勘四郎は尾張生駒家の四男坊だから当然家督は継げない。


 しがない部屋住みである自分の身にいつも悶々としていた。


 勘四郎は本格的に剣の道へと進む事に決めた。


 家督を継げない者の大抵が選ぶ道であり、そのことは自分でも良く解って居る。


 尾張藩はのちに柳生新陰流を投与し、藩士たちは皆柳生流を学ぶようになるのだ。


 しかしこの当時の勘四郎は、今流行の小野派一刀流を学び幼き頃より道場に通い励んで居た。


「俺は強くなりたい、伊藤一刀斎や宮本武蔵の様になるのだ、武者修行の旅に出る」


 そう告げると父や母は笑った。


 一年前にもそう告げて家を飛び出したのだが、十日程で戻って来たからだ。


 甘やかされて育った勘四郎に、野宿は耐えがたき辛さだったのだ。


 しかし今度の決心は本気だった。


 目録まであと少し、道場で勘四郎に勝てる者は一人も居ない。


 先日道場の先生からは、そろそろ目録を授けると言う話しまで頂いた。


 自分にはきっと天稟があるのだ、野宿など何ほどの事では無い、この一年で自分は大きくなったはずだ。


 何よりも先ほど笑った両親の鼻を明かしてやりたい。


 その夜、皆が寝静まるのを待って勘四郎は武者修行の旅へと出発した。


 江戸時代も中期に差し掛かると部屋住みの身で武者修行など許される訳など無いのだが、徳川幕府も出来たばかり。


 まだ戦国の世を色濃く残したこの時代は、志を抱えた若者たちを当てのない旅に送り出す様な雰囲気がまだ漂って居たのだ。


 旅を始めて三月が立った。


 野宿には中々馴染めないが独り剣を見つめ、野を掛け滝に打たれ、今までの自分とは明らかに違うものを感じていた。


 兵法者との試合はまだ一度もして居ない。


「俺は強くなった、そしてまだまだ強くなるぞ」


 江戸の「柳生新陰流」は「御くい止め流」などと呼ばれ、他流試合は一切厳禁である。


 それとは別して、小野次郎衛門の「小野派一刀流」にはそれが無く、同じ将軍家兵法指南役の流派としては断然「小野派一刀流」の方に人気が集まった。


 江戸内に幾つも道場を開いて居て、それが他藩にも広がり「小野派一刀流」の道場は拡大していった。


 小野派の道場は庶民も受け入れていたから人気にも拍車がかかった。


 柳生宗矩より小野次郎衛門の方が強いだろうと噂される背景には、この人気が一役買って居るのだ。


「まちな、坊ちゃんよう、有り金すべて置いて行きな」


 いきなり三人の浪人が立塞がって来た、絵に描いた様な食詰め浪人たちだ。


 ついにこの時が来た、人と切り合ってこその武者修行の旅だ。


 斬り合わずしてこの旅は終わらない事は充分承知していたつもりではあるが、勘四郎はいきなりのことで気が動転してしまって居る。


「なんだぁ、この野郎、震えてやがる」


 食詰め浪人たちが笑い始めた。


「坊ちゃんよう、ついでにその腰の物も置いて行きな、坊ちゃんには必要ないわ」


 その言葉で今度は大笑いが始まった、こちらを指さす者までいる。


 気が付くと抜いていた。


 食詰め浪人たちは一瞬何が起ったのか解らないと言った顔をして居る。


「こ、こいつ、抜きやがった」


 次の瞬間浪人たちも刀を抜き、勘四郎は三人の浪人と相対する形になった。


 相手が三人とは分が悪いが、今更引くわけには行かないだろう。


 正面の浪人が斬りかかって来た。


 勘四郎は相手の太刀に合わせる様に真っすぐ斬って行く。


 これは小野派一刀流に伝わる(切り落とし)と言う剣技で、上手く決れば相手の太刀がはじかれ、勘四郎の太刀が相手の正面に来るはずだ。


 しかし勘四郎の太刀は上手く合わさらず、浪人の頭蓋を斬り割る形になる。


 自分自身も左肩から下へと斬り下げられてしまった。


 勘四郎の傷は浅手であったが、浪人の方は頭蓋からの一刀両断である。


 すでに息絶え骸となって居た。


 直に勘四郎は行動をうつした。


 右横に居た浪人目掛けて太刀を滅茶苦茶に振り回し滅多斬りにした、型も何もあったものではない。


 余りにも凄まじいその光景に、最後の浪人は走り逃げて行った。


「た、助かった・・・」


 死を覚悟していた勘四郎は、腰を抜かしその場にへたり込むと暫く動けないで居た。


 野次馬たちが二体の死骸を覗きにやって来たが、勘四郎は起き上がる事も出来ずに居た。


 野次馬の何人かに手伝って貰い、それでやっと立ち上がることが出来たのだ。


「お侍はん、まだ若いのにえろう強うおますな・・・相手は三人やで」


「ほんまや、大したものやで」


 野次馬たちは口々にそう褒め称え始めたが、きっと慰めてくれて居るのだ。


 何とも恥ずかしい失態を演じてしまった、しかし生まれて初めて真剣勝負の殺し合いをしてしまった。


 初めて人を殺めてしまった。


 現在よりも人の命が遥かに軽かったこの時代に置いても、殺人は気持ちの良いものでは無い。


 頭蓋を絶った時の感触がまだ手に残って居る。


 二体の死骸は野次馬に来ていた近くの村人たちが、すぐ其処にあるお寺に頼んで葬ってくれると言う。


 勘四郎は素直に頭を下げて行為に甘える事にした、そして幾らかの路銀を渡してこの場を離れる事にした。


 想定はしていたが先延ばしにして来た事が現実になった、伊藤一刀斎や宮本武蔵はこんな事を何度も繰り返して居るのか・・・


 兵法者として生きるとは並大抵な事にあらず、今日の事はきっとこの先一生忘れる事は出来ないであろう。


 勘四郎は今年で十七歳になる。


 生駒家の四男として生まれ、今まで何不自由なく育ててもらった。


 飢える事も無く剣術も学ばせて貰っている、今こうして武者修行の旅に出ているが、その充分な路銀も母がそっと荷物の中に忍ばせてくれたものだ。


 今、父や母に無性に遭いたい、逢って自分が今までして来た親不孝を心の底から詫びたい気持ちでいっぱいだ。


「俺は、こんな事がやりたくて家を飛び出して来たのか・・・」


 あの日から十日程立っただろうか、しかしまだあの時の光景が頭から離れない。


 しかし、これは兵法者たる者が皆通る道なのだ。


 伊藤一刀斎や宮本武蔵もきっと通った道に違い無い、後はそれをどうやって克服して行くかだ・・・兵法とは何と奥深いのか。


 少し手が届きそうな所まで来たと自分なりに思って居たのだが、一瞬で遥か遠くまで行ってしまった。


 もうすぐには手が届かない。


 そんな事を考えながら歩いて居る内に姫路の城下にたどり着いた。


 ここのところずっと野宿が続いて居たので、今日あたり何処かの旅籠に泊まろう。


 風呂にでも入って何か地の旨い物でも食えば気分も少しは変わるだろう。


 勘四郎は一軒の旅籠屋に目を付けた。


 小綺麗で活気があるし客の質も悪くない様だ、店構えも良い、お高く留まってない。


「ごめん、空き部屋はありますか」


「はい、いらっしゃいませ~、お客はん運が良うおまっせ、丁度たった今ひと部屋空いたばかりで御座います」


 勘四郎は小さな運を拾った気がした。


 部屋に入り荷物を開いた。


 一人部屋でなくとも良かったのだが久し振りに贅沢するのも良いだろう、もし断れば小さな運が逃げて行くような気がした。


「よし、風呂に入ろう」


 この旅籠の売りは大風呂らしい、どんな風呂だろうと思いを寄せながら自分の気持ちに少し余裕が生まれて来た事に気付いた。


 やはり少しの運を拾ったみたいだ。


 風呂は岩風呂だった。


 店の店主が自慢するだけあって立派な造りだ。


 何個もの大きな岩で湯船を囲い、洗い場は檜を使って居る、二十人くらいなら一度に入ってもゆっくり出来そうだ。


 一番風呂かと思ったが先客が居た、随分と身体の大きな男だった。


「失礼します、ご一緒させてください」


「うむ、どうぞ」


 この大男も兵法者だろうか、大きな身体で筋肉が鋼の様だ。


 この時代、身体が大きいと言う事はそれだけで他よりも断然有利なのである、勘四郎は羨ましいと思った。


「まだ若い様だが、お主も兵法者かね」


 大男の身体を眺めて居た勘四郎は突然訪ねられて動揺した、お主もと言う事は大男も兵法者と言う事だ。


「は、はい」


「して、流派は何かね」


「あ、は、はい、小野派一刀流です」


「ほう、その様に大事な戦術を、他人の儂に語ってしまったが、もしも拙者が敵なら何とするつもりじゃ」


「えっああ、いや、すみません」


「己の戦術は、その時が来るまで隠しておくことが有利なのじゃ」


「はぁ、なるほど、ご教授どうもありがとうございます」


「うん、素直じゃな」


「はい、自分はまだまだ駆け出しの兵法者ですので、吸収できるものが有難いのです」


 ほう、と一言発した後、大男は勘四郎に言い聞かせる様に語りだした。


「兵法と言うは修羅の道じゃ、油断するは己の死へと繋がるのじゃ、お主はまだ若い、この先幾度も生死を体験するはずじゃ、それは堪え難くとても苦しいものであろう、兵法とはまず己に勝つことじゃ、己にさえ勝てない者がどうして他人に勝てようか、だからまずは己に勝つことから始められよ」


 大男の言葉が瞬時に勘四郎の心を貫いた。


 今、勘四郎が求めていた答えを語ってくれたのだ、なぜだか解らないが涙が溢れて来て止まらない。


「ありがとうございます、本当にありがとうございます、心が楽になりました、是非あなた様の御名前をお聞かせ下さい、お願いします」


 突然泣きながら名を懇願されたのだが、大男は少しも表情を変えることは無かった。


 そして勘四郎の顔を少し眺めた、その後でゆっくりと告げた。


「拙者の名は、宮本武蔵と言う」

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