不落城の如く

ちゃんマー

第1話 序章

 夜はとうにけていた。


 月も見えない夜だった。


 漆黒しっこくやみだけが広がっている。


 このもの提灯ちょうちんが無ければ一歩いっぽたりとも前にはすすめない。


 あれだけ酒をいただいたのだ、帰りがこんなおそ時刻じこくになることくらい想像出来そうぞうできたはずだ。


 しかし酒を目の前にするとむかしからどうにもしりあがらなくなるのだ、おまけにせきであった。


「こりゃあ、やっぱりめてもろた方が良かったな」


 五助ごすけ後悔こうかいしてた。


 酒の力もあってか暗闇の帰り道など、どれほどのものかとめていたのだ。


 おまけに提灯ちょうちんもある。


 しかし、いざこうして暗闇の中をあるいてみるとおそろしくて仕方しかたがない。


 それにもう少し行くとあのとうげかるはずだ。


 あそこには妖怪ようかいるともっぱらのうわさなのだ。


 とうげめんしてむかし其処そこしろてられてたのだが、今では石垣いしがきがあるだけでてて居る。


 そこがまた気味きみわるいのだ。


 暗闇くらやみから今にも何かが飛び出して来るような気がして、じつおそろしい。


 おねがいで御座ございます、神さま仏さま、どうか何事なにごともなく無事ぶじにおかえくださいませと心の中でねんじながら歩いた。


 ーヒヒヒー


 五助の耳に何かがこえたような気がした、いや、たしかにこえた。


 ーヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!ー


「で、出た⁉︎」


 五助はこしかした、もうてない。


 暗闇から声が聴こえて来て、それが自分の方に近付ちかづいて来る。


「来るな、来るな、来るな!」


 五助はくるわんばかりにさけんだ。


 しかしそのこえはどこにもとどかなかった。




「ええっ、五助はん、まだかえってないんかな」


 心配しんぱいしてたずねて来た五助のつまの顔をのぞんで見たが、どうやらうそってようには見えない。


 しかし五助が帰ったのは、四日よっかまえだ。


「そやから、あれほどまっていけ言うたのに……えろううとったでな」


 もしかしたら、足をすべらせてたにに落ちたのかも知れない、五助はかなりっていた。


 そのことを五助の妻にげると、ここにたずねて来る前にさんざんさがしたのだとこたえがかえって来た。


「それなら五助はん何処どこえたんかな、まさか神隠かみかくししにでもうたんかいな!」


 五助の妻はおもたる場所はすべさがしたのだと言う、あそこをのぞいては。


「う〜む、やっぱりあそこかいな……」


 清吉せいきちつぶやいた。


 あそこには何事なにごとければ近付ちかずきたくない場所ばしょなのだ、近付くだけで本当に何か良くない事がおこりそうな気がするのだ。


 五助の妻もはじめからわかってたはずだ。


 わかっていてあえてあそこはさがさずに清吉をたずねて来るのだ、まったくもっていやおんなだ。


 当然とうぜんのように付いて来てしいと、五助の妻がした。


 出来できことなら清吉は行きたく無い、しかし今回こんかいかざるをないだろう。


「わかった行くわ、ちょっと支度したくして来るさかいに」


 清吉は五助の妻をともなって出発しゅっぱつした、ほかに三人ほどみせ丁稚でっちれてくことにした。


 あんな気味きみわる場所ばしょくのだ、一人でも人数にんずうが多いにしたことはない。


 こうして清吉一行せいきちいっこう峠沿とおげぞいにめんした城跡しろあとにやって来た。


 其処そこはそのむかし中国遠征ちゅうごくえんせいつとめていた羽柴秀吉はしばひでよし姫路ひめじきょうつさい、其処に在った古城こじょう解体かいたいさせて木材もくざいはこばせたという。


 城跡しろあとにはまだ形跡けいせきが残っており、草木くさきも生え放題ほうだいかれている。


 そしてそのまわりは深い森にかこまれている。


 太陽の光も奥まで届かず、昼間に来ても薄気味うすきみの悪い場所だ。


「あっ、うちの提灯ちょうちんが!」


 丁稚でっちが指さす方を見ると、たしかに清ノせいのやの提灯がちていた。


 先程さきほどから清吉はいや予感よかんがしていた。


「やっぱり五助はんここに来とったんやな、おい、もっとおくさがしてみろ」


 連れて来た丁稚たちに言い聞かせた。


 そして五助の妻の方を見ると、顔をさおにしてかたまっていた。


 五助の妻もとうぜんいや予感よかんを感じてるのだろう。


「あああ、旦那だんなはん大変たいへんや! こっちとくんなはれ、五助はんがおりまいた、おりまいたけど……」


 やはり嫌な予感が当たった。


 五助の妻はその場でくずちていた。


 清吉は手招てまねきする丁稚でっちほうへとけよった。


 五助の死体したい壮絶そうぜつなものだった、ある程度想像ていどそうぞうしてはいたが清吉の想像をはるかにえたものであった。


 数匹すうひき野犬やけんおおかみに食いらかされたのだろう、着物もボロボロにかれて、身体のいたるところをかじり取られている。


 もちろん辺りは血の海になっている。


 まず清吉がしたのは、五助の妻を近付ちかずけないようにしたことだ。


 それから五助の遺体いたいわせた。


「野犬か狼やな、こんな死に方をして五助はんくやしかろうに」


旦那だんなはん、野犬や狼やありまへんで」


「なんやて」


のうみその所もかじられておます、野犬や狼はそんな事しまへんで、もっと大きなやつですわ」


「なんや大きなっ奴て、くまかいな」


旦那だんなはん、もうおかりでっしゃろ」


 たしかに分かる、ここまでくると清吉もうたがいようがない、だが自分の口から言うのは嫌だ。


 言葉にするだけでも恐ろしい。


「よ、妖怪」


 ついに丁稚が口にした。


 清吉だって始めから分かって居たが、そのようなものが本当に実在そんざいすのかと現実的げんじつてきかんがえようとしてただけなのだ。


 しかもここら辺に熊は居ない。


 清吉は急に恐ろしくなって来た、しかしこのまま五助の遺体いたいくわけに行くまい。


「もっと人をばなあかんな。 とどけも出さなあかんし、とりあえず一旦いったん引き帰そう」


 誰も何も言わない、とにかく皆この場所をはなれたいのだ。


「五助はん、また来るよってにな。 もうしばらくそこで辛抱しんぼうしといてや」


 五助の遺体にもう一度手を合わせてその場を後にした。


 始めはゆっくりと歩いていたのだが、そのうち我先われさきにと段々早だんだんはやくなり、最後にはさかころがるようにして走り逃げた。


 五助の妻も物凄ものすごい顔で走り付いて来て居た。


 帰り着くとすぐに丁稚を藩所ばんしょへ行かせた。


 届けを、出す為だ。


 江戸時代初期、この時代の幕府ばくふはまだそれほど機能きのうしてはない。


 幕府がそうなのだから、各藩かくはんともなるともっとゆるいものだ。


 死体検分したいけんぶんなどすることもなく、ただ庶民しょみんからのとどけを受理じゅりするだけだ。


 この一連いちれん事件じけんは、またた姫路城下ひめじじょうかひろがった。


 広がると同時に話に尾ひれが付き、実際じっさいに見たと言う者まであらわれた。


 おにだ言う者もおれば、若い女の妖怪ようかいだと言う者も居る、百年以上生きている狐だと言う者まで居た。


 昔からあの場所は良くないうわさが流れていたのだが、こうして本当に死者ししゃが出た後なので噂にも信憑性しんぴょうせいがでると言うものだ。


 五助の事件を皮切かわきりに、あの場所からはよく死体が発見はっけんされるようになった。


 中には誰かが自分で殺した死体をあの場所に捨て置き、妖怪の仕業しわざ仕立したてる者まで出てきた。


 そしてたちの悪い浪人集団ろうにんしゅうだんが住み着き始めた。


 峠を通る旅人をおそうのだ。


 しかしその浪人集団もいつしか居なくなった。


 妖怪に皆殺しにされたのだと噂になった。


 その頃を同じくして、姫路の城にも妖怪が出るのようになったとの噂が流れた。


 時には老婆の妖怪であったり、若い女の妖怪であったりと、数々の目撃談があるのだ。


 その噂は、お城務めの武士から庶民へと噂が広がって行った。


 姫路のお城には、妖怪が出るそうな




 こんな噂話がある。


 当時の城主じょうしゅ池田輝政いけだてるまさやまいに倒れた。


 全国から名のある医師を集め治療にあたらせたが、どうにも治らない。


 最後は神仏にすがる思いで、比叡山ひえいざんより阿闍梨あじゃり僧を呼び寄せ病平癒やまいへいゆ加持祈禱かじきとうをおこなったところ、あやしい女の霊が現れたと言う。


 僧が叱咤しった退散たいさんを命じると、女の霊は怒り出し、二丈にじょう程もある鬼の姿に形を変えて阿闍梨僧をり殺してしまったと言う。


 鬼はまた妖しい女の姿に形を変え、自分は長壁姫(おさかべひめ)だと名乗り、この城に住んで居ると告げて消えたと言う。


 池田輝政は、病に倒れ亡くなって居るのだが、この噂話に出てくる輝政の病がそうなのかどうかは伝わっていない。


 長壁姫は、姫路城に隠れ住むと言われる女妖怪である。


 小刑部姫、刑部姫、小坂部姫とも言う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る