第9話 安永8(1779)年2月21日 家基、最期の鷹狩り ~品川東海寺での攻防~

池原殿いけはらどのぉっ!」


 平蔵へいぞう家基いえもともと駈寄かけよると同時どうじに、おく医師いし池原雲伯良誠いけはらうんぱくよしのぶさけんだ。


 すると平蔵へいぞうのそのさけごえ別間べつまより池原良誠いけはらよしのぶ姿すがたせた。


 鷹狩たかがりに扈従こしょうした医師いし昼餉ひるげさいあるいはいまよう休息きゅうそく場所ばしょにおいてはまんいちそなえ、重役じゅうやく同様どうよう部屋へやなかはいり、そのうえつね別間べつまにて待機たいきする。


 そのまんいち事態じたいこってしまった。


 池原良誠いけはらよしのぶ平蔵へいぞうかかえられた状態じょうたい家基いえもともとへと駈寄かけよると、そこで「選手交代せんしゅこうたい」、良誠よしのぶ意識いしき朦朧もうろう状態じょうたい家基いえもとかかえながら診察しんさつし、平蔵へいぞうにはなにがあったのかをたずねた。本来ほんらいならば患者本人かんじゃほんにんたずねるべきところであったが、いま家基いえもとまさしく人事不省じんじふせい、これでは受答うけこたえもままならない。


 一方いっぽう平蔵へいぞう良誠よしのぶいかけに正直しょうじきこたえた。


 すなわち、家基いえもと茶菓子ちゃがしくちにした途端とたん嘔吐おうと昏倒こんとう人事不省じんじふせいおちいったのだとげた。


 するとその途端とたん今度こんど西之丸にしのまる目附めつけ小野おの次郎右衛門じろえもん忠喜ただよし駆付かけつけ、しかし家基いえもとあんじるでもなし、そのわり家基いえもとたたみ嘔吐おうと、ぶちまけた吐瀉としゃぶつ回収かいしゅう懐紙かいしつつんだのであった。


だれぞに一服いっぷくられたやもれず、さればこれは大事だいじなる証拠品しょうこひんなれば…」


 小野おの次郎右衛門じろえもん吐瀉としゃぶつ回収かいしゅうした理由わけげた。


 その途端とたん本堂ほんどうこおいた。だれもがその可能性かのうせい気付きづきながらも、しかしえてくちにするのをけていたことを、小野おの次郎右衛門じろえもんはサラリとくちにしてのけたからだ。


 いや、その可能性かのうせいがある以上いじょう西之丸にしのまる目附めつけとしては当然とうぜん行動こうどうであった。


 それは池原良誠いけはらよしのぶにしてもそうである。一服いっぷくられた可能性かのうせいがあるのならば、治療ちりょう方針ほうしんまった。


「とりあえずすべてをかせる」


 それにきたので、池原良誠いけはらよしのぶ家基いえもとくちなかんで、かせるだけかせると同時どうじに、そばにいたものおけ大量たいりょうみずんでようめいじたのだ。


 これには平蔵へいぞうぐにこしげ、いそいでおけ並々なみなみみずそそいでもどってた。


 すると池原良誠いけはらよしのぶ家基いえもとくちけると、平蔵へいぞうおけみずそそようめいじた。


 平蔵へいぞう良誠よしのぶ指示しじされたとおり、家基いえもとくちみずそそいだ。


 そうしてみずそそつづけると、家基いえもと意識いしきすこもどったのか、ようや自力じりき嘔吐おうとした。良誠よしのぶ家基いえもとかせるべくつとめたものの、やはりそれにも限界げんかいがあった。


 だがこうして自力じりき嘔吐おうと出来できるまで意識いしき恢復かいふくさせたということはのぞみがあかしとも言えた。


 このさまたりにしていた西之丸にしのまる目附めつけ小野おの次郎右衛門じろえもん内心ないしん舌打したうちしつつ、


ただちに大納言だいなごんさま西之丸にしのまるへとおはこびせよっ!」


 そう大声おおごえげたのであった。


 これには池原良誠いけはらよしのぶいた。


なにもうされるかっ!いま下手へたうごかし申上もうしあげればたすかるものも、たすかりませぬぞっ!」


 いまはここ、品川東海しながわとうかい本堂ほんどうにて安静あんせいたもつことが重要じゅうようだと、良誠よしのぶ主張しゅちょうした。


 だが小野おの次郎右衛門じろえもんはそれを却下きゃっかした。


西之丸にしのまるにて本格的ほんかくてき療治りょうじほどこすべきっ!」


 小野おの次郎右衛門じろえもんはその一点いってんりであり、きゅうした池原良誠いけはらよしのぶ西之丸にしのまる老中ろうじゅう阿部あべ正允まさちかに「たすぶね」をしてもらうべく、正允まさちかた。


 今日きょう家基いえもと鷹狩たかがりに扈従こしょうしたものなかでは西之丸にしのまる老中ろうじゅう正允まさちか一番いちばんえらいからだ。


 阿部あべ正允まさちかもそんな池原良誠いけはらよしのぶ視線しせん気付きづくや、


いましばらく、ここで療治りょうじたったほういのではあるまいか?」


 小野おの次郎右衛門じろえもんさとようにそう言った。


 だが小野おの次郎右衛門じろえもん相手あいて西之丸にしのまる老中ろうじゅういえども、


一歩いっぽかぬ…」


 そのよう態度たいど前面ぜんめん押出おしだしつつ、


「されば此度こたび鷹狩たかがりのいくさ目附めつけとして大納言だいなごんさま帰城きじょうめいじまする…」


 そう反論はんろんしたのであった。


 鷹狩たかがりは実際じっさいには遊戯レクリエーションだとしても、その建前たてまえはあくまで軍事ぐんじ訓練くんれんである。


 その鷹狩たかがりに目附めつけ軍監ぐんかんいくさ目附めつけとして扈従こしょうしており、それゆえいくさ目附めつけたる目附めつけ、この場合ばあい小野おの次郎右衛門じろえもん意見いけんなによりも優先ゆうせんされ、老中ろうじゅうをもしのぐ。老中ろうじゅう目附めつけ意見いけんにはしたがわざるをない。


 そこで今度こんど阿部あべ正允まさちかが「たすぶね」をしてもらばんであった。


 すなわち、阿部あべ正允まさちかはもう一人ひとり西之丸にしのまる目附めつけいくさ目附めつけ新庄しんじょう與惣右衛門よそえもん直内なおうちた。


 新庄しんじょう與惣右衛門よそえもんさわぎをきつけてこの本堂ほんどうへと駆付かけつけてたのだ。


 鷹狩たかがりにおいてはつね二人ふたり目附めつけ軍監ぐんかんいくさ目附めつけとして扈従こしょうし、それは本丸ほんまる西之丸にしのまるともに、つまりは将軍しょうぐん次期じき将軍しょうぐんともわらない。


 今日きょう新井宿あらいじゅくでの鷹狩たかがりにおいては西之丸にしのまる目附めつけからは小野おの次郎右衛門じろえもんいま一人ひとり新庄しんじょう與惣右衛門よそえもんいくさ目附めつけとして扈従こしょうしていたのだ。


 阿部あべ正允まさちかはその新庄しんじょう與惣右衛門よそえもん視線しせんそそいだのだ。


西之丸にしのまる目附めつけなかでも新庄しんじょう與惣右衛門よそえもんよ、おまえ一番いちばん古株ふるかぶ、しかも日記にっきようがかり兼務けんむしており、西之丸にしのまる目附めつけ筆頭ひっとうなのだから、そのおまえから小野おの次郎右衛門じろえもん説得せっとくしてくれ…」


 阿部あべ正允まさちか視線しせんはそう物語ものがたっており、新庄しんじょう與惣右衛門よそえもんもそうと気付きづくや早速さっそく小野おの次郎右衛門じろえもん説得せっとくにかかった。


小野おの次郎右衛門じろえもんよ…、ここは老中ろうじゅう殿どのや、あるいは池原雲伯いけはらうんぱく主張しゅちょうされるとおり、いましばらくここで療治りょうじ申上もうしあげるが肝要かんようではあるまいか?」


 新庄しんじょう與惣右衛門よそえもんもやはり小野おの次郎右衛門じろえもんさとようにそうげた。


 だが小野おの次郎右衛門じろえもんはあくまでかたくなであった。


いや…、療治りょうじ設備せつびととのうてはおらぬてらにてこのまま療治りょうじたらせ、まんいち大納言だいなごんさま容態ようだい急変きゅうへんあそばされたならば、如何いかせめられる所存しょぞんか?」


 小野おの次郎右衛門じろえもん新庄しんじょう直内なおうちともに、阿部あべ正允まさちかたいしてもそう反論はんろんした。


 これには阿部あべ正允まさちか新庄しんじょう直内なおうちだまんだ。


 かりにこのまま、ここ品川東海しながわとうかい本堂ほんどうにて池原良誠いけはらよしのぶ家基いえもと治療ちりょうまかせ、結果けっか家基いえもと治療ちりょう甲斐かいなくいのちとそうものなら、池原良誠いけはらよしのぶ家基いえもと治療ちりょうつづけさせたものが、すなわち、阿部あべ正允まさちか新庄しんじょう直内なおうちせめとなり、そのせめるともなると、はらるだけではまされまい。


 阿部あべ正允まさちかにも、新庄しんじょう直内なおうちにもそれにおもいたったので、小野おの次郎右衛門じろえもん反論はんろん出来できずにだまんだのだ。


 よう阿部あべ正允まさちかにしろ、新庄しんじょう直内なおうちにしろおのれていしてまで、池原良誠いけはらよしのぶ家基いえもと治療ちりょうつづけさせる覚悟かくごはなかったのだ。もっと言えばせめりたくはなかったのだ。


 二人ふたりとも、この「ていたらく」では結果けっかえていた。


 ともあれ新庄しんじょう直内なおうちまでが小野おの次郎右衛門じろえもん同調どうちょうしたために、主治医しゅじいとも言うべき池原良誠いけはらよしのぶ抵抗ていこうもここまででかとおもわれた。


 いくさ目附めつけたる二人ふたりとも家基いえもと西之丸にしのまるへと帰城きじょうさせる決断けつだんくだしたならば、それにしたがわざるをないからだ。


 だがそこで長谷川はせがわ平蔵へいぞうったをかけた。


 平蔵へいぞう池原良誠いけはらよしのぶにこのまま家基いえもと治療ちりょうたらせるべきだとつよ主張しゅちょうしたのだ。無論むろんおのれはら覚悟かくごしめした。


 平蔵へいぞう家基いえもとためならば、いつでもはら覚悟かくごであった。


 平蔵へいぞうがそのむね小野おの次郎右衛門じろえもん啖呵たんかると、さしもの小野おの次郎右衛門じろえもんひるんだ。


 するとやはりそのにいた西之丸にしのまる書院番しょいんばんがしら平蔵へいぞう上司じょうしたる4番組ばんぐみたばねる番頭ばんがしら水谷みずのや伊勢守いせのかみ勝久かつひさ平蔵へいぞう加勢かせいした。


「この勝久かつひさもこれなる長谷川はせがわ平蔵へいぞう同意見どういけんでござる…、それでまんいつ大納言だいなごんさまにもしものことあらば、この勝久かつひさはらってらんようぞ…」


 書院番しょいんばんがしらはらならば異存いぞんはあるまいと、水谷勝久みずのやかつひさ小野おの次郎右衛門じろえもんにそうせまっていたのだ。


 これには多少たしょう効果こうかがあり、こと西之丸にしのまる若年寄わかどしより酒井さかい飛騨守ひだのかみ忠香ただよしを「味方みかた」にけられた。


 それと言うのも水谷勝久みずのやかつひさ酒井さかい忠香ただよし三男さんなん兵庫勝政ひょうごかつまさ養嗣子ようししむかえていたからだ。


 つまり酒井さかい忠香ただよしにとって水谷勝久みずのやかつひさ庶子しょし養父ようふたり、その勝久かつひさ平蔵へいぞう同調どうちょうし、


家基いえもと治療ちりょうだが、このままここ品川東海しながわとうかいにて、池原良誠いけはらよしのぶ治療ちりょうつづけさせるべき…」


 おのれはらけてまでそう主張しゅちょうしている以上いじょう


「このおれ勝久かつひさ加勢かせいしてやらねば…」


 酒井さかい忠香ただよしはそうかんがえて、勝久かつひさ加勢かせいしたのであった。


 酒井さかい忠香ただよしにとって水谷勝久みずのやかつひさはただ庶子しょし養父ようふというだけではない、じつおとうとよう存在そんざいでもあった。


 すなわち、酒井さかい忠香ただよし御齢おんとし65であるのにたいして、水谷勝久みずのやかつひさ御齢おんとし56と、丁度ちょうど兄弟きょうだいよう年齢差としのさであった。


 それゆえ忠香ただよしおの庶子しょし兵庫勝政ひょうごかつまさ勝久かつひさ養嗣子ようししとして差出さしだしてからというもの、勝久かつひさとは兄弟きょうだいちぎりわしたものである。


 そうであるからには忠香ただよしとしては、弟分おとうとぶん勝久かつひさはらけると啖呵たんかったからには、兄貴分あにきぶんたるおのれはらけてやらずばなるまい。


 これで平蔵へいぞう味方みかたするものがまた一人ひとりえた格好かっこうであり、西之丸にしのまる当番とうばん奏者番そうじゃばんのの井伊いい兵部少輔ひょうぶのしょうゆう直朗なおあきらおなじく西之丸にしのまる当番とうばん大目付おおめつけ大屋おおや遠江守とおとうみのかみ明薫みつしげもこれにつづいた。


 こと大屋おおや明薫みつしげ大目付おおめつけとしてのおのれ立場たちば前面ぜんめん押出おしだした。すなわち、


大目付おおめつけたるこのおれいくさ目附めつけ一人ひとり…、それも目附めつけ上位じょうい位置いちする…」


 明薫みつしげおのれのその立場たちばけて、平蔵へいぞう同調どうちょうしたのであった。


 事実じじつ鷹狩たかがりにおいては大目付おおめつけもまた目附めつけ同様どうよう軍監ぐんかんいくさ目附めつけ役目やくめになう。


 ましてや大屋おおや明薫みつしげはただの大目付おおめつけではない。道中どうちゅう奉行ぶぎょう兼務けんむする、大目付おおめつけ筆頭ひっとう位置いちするのだ。


 そうであれば如何いか小野おの次郎右衛門じろえもんいえども、その明薫みつしげ意見いけん無視むしするわけにはまいらなかった。


 小野おの次郎右衛門じろえもん観念かんねんしたところで、まるでそれを見計みはからっていたかのように、家基いえもとこえを、と言ってもかぎりなくうめごえちかいそのこえげたのであった。


「この家基いえもと…、このまま…、ここで…、池原いけはら…、良誠よしのぶ療治りょうじ…、受続うけつづけたい…」


 とう家基いえもとにそう言われては小野おの次郎右衛門じろえもんとしても家基いえもと西之丸にしのまるへと移送いそうすることは断念だんねんせざるをない。


 そこで小野おの次郎右衛門じろえもん不本意ふほんいながらも池原良誠いけはらよしのぶ家基いえもと治療ちりょうまかせることにした。


 だがそのわり、と言うわけでもあるまいが、おのれさき西之丸にしのまるへといそぎ、もどり、西之丸にしのまる留守るすあずかる西之丸にしのまる当番とうばん奏者番そうじゃばん井上いのうえ河内守かわちのかみ正定まささだおなじく西之丸にしのまる当番とうばん大目付おおめつけ松平まつだいら對馬守つしまのかみ忠郷たださと、そして西之丸にしのまる目附めつけ松平まつだいら田宮たみや恒隆つねたかこと次第しだいしらせたうえで、西之丸にしのまるおく医師いしれてむね小野おの次郎右衛門じろえもんはそう主張しゅちょうしたのだ。


 いささか、悪足掻わるあがきのにおいもしないではなかったが、しかしその主張しゅちょうそれ自体じたい至極しごくもっともなものであった。


 家基いえもと治療ちりょうたる医師いしおおければおおほどいからだ。


 こうして小野おの次郎右衛門じろえもん西之丸にしのまるへといそぎ、すると新庄しんじょう與惣右衛門よそえもんもそのあとつづいたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る