第3話 安永4(1775)年の「洗脳」 ~大目付の正木志摩守康恒と松平對馬守忠郷は一橋治済に取込まれる~

 一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしき大奥おおおくにおいては二人ふたりおとこかいっていた。


 一人ひとり屋敷やしきあるじ一橋ひとつばし治済はるさだいま一人ひとり西之丸にしのまる目附めつけ岩本いわもと内膳正ないぜんのかみ正利まさとしであった。


 その二人ふたりおとこからのぞめるにわにおいては治済はるさだ一子いっし豊千代とよちよ奥女中おくじょちゅうたわむれていた。


豊千代とよちよぎみにおかせられましては…、もうあと一月程ひとつきほどで、かぞえ三歳さんさいになられましょうなぁ…」


 岩本正利いわもとまさとし奥女中おくじょちゅうたわむれる豊千代とよちよほそめつつ、治済はるさだにそうかたりかけた。


「うむ…」


 たしかに岩本正利いわもとまさとしの言うとおりであった。いまは安永4(1775)年は8月の下旬げじゅん豊千代とよちよまれたのはそれよりも2年前ねんまえの安永2(1773)年10月であるので、あと一月程ひとつきほどもすればかぞえで三つであった。


豊千代とよちよじつ祖父そふ、それも外祖父がいそふともなれば尚更なおさら豊千代とよちよ成長せいちょうたのしみであろうな…」


 治済はるさだからそうられた岩本正利いわもとまさとしとしてはただ叩頭こうとうするよりほかになかった。如何いかにもそのとおりであったからだ。


 豊千代とよちよ治済はるさだ側妾そくしょうとみとのあいだした。そのとみだが、岩本正利いわもとまさとしじつむすめであり、それゆえ豊千代とよちよ外孫そとまごたる。


「されば…、祖父そふとしては可愛かわいまごためにも、ここはなんとしてでも家基いえもとにはえてもらわねばなるまいな…」


 治済はるさだにそうもられた岩本正利いわもとまさとしとしては、「それはあなたさまとでおなじで御座ござりましょう」という返事へんじ呑込のみこんで、ただ「御意ぎょい」とおうじた。


 家基いえもととは西之丸にしのまるにて次期じき将軍しょうぐんとしてひかえる、将軍しょうぐん家治いえはる嫡子ちゃくしであり、岩本正利いわもとまさとしはその家基いえもと目附めつけとしてつかえていた。


 にもかかわらず、岩本正利いわもとまさとし私情しじょう優先ゆうせん家基いえもとものにし、わって外孫そとまご豊千代とよちよ次期じき将軍しょうぐんえることをたくらんでおり、それは治済はるさだにもまる。


 いや治済はるさだにとって豊千代とよちよ大事だいじせがれであり、そうであれば正利以上まさとしいじょう家基いえもとのぞんでいたと言える。


 その治済はるさだにとって岩本正利いわもとまさとし西之丸にしのまる目附めつけであったのは僥倖ぎょうこうと言えた。家基いえもと暗殺あんさつはこやすくなるからだ。


 だがその正利まさとしいま昇進しょうしんばなし浮上ふじょうしていた。


正利まさとしすで在職ざいしょくが11年をえておるによって…」


 岩本正利いわもとまさとし西之丸にしのまる目附めつけ拝命はいめいしたのはいまから11年前ねんまえの明和元(1764)年は2月のことであった。いまは安永4(1775)年は8月も下旬げじゅんであるので、成程なるほど治済はるさだが言うとおり、すでに11ねん以上いじょうものあいだ在職ざいしょくしていることになる。


「さればそろそろ異動いどう…、それも下三奉行しもさんぶぎょうあたりに昇進しょうしんさせようかと…、かるはなしておる…」


 治済はるさだはそんな人事じんじはなし正利まさとしげた。


 治済はるさだ将軍家ファミリー一員いちいんである三卿さんきょう、それゆえ平日登城へいじつとじょうゆるされているであり、それも将軍しょうぐん居所きょしょである中奥なかおく詰所つめしょが、所謂いわゆるひかえ座敷ざしきあたえられていた。


 諸役人しょやくにん人事じんじ、それも従五位下じゅごいのげ諸太夫しょだいぶやく人事じんじともなると政庁せいちょうである表向おもてむきよりも将軍しょうぐん居所きょしょである中奥なかおくにて話合はなしあわれることがおおい。


 治済はるさだはその中奥なかおく詰所つめしょあたえられており、つまりは毎日まいにち中奥なかおくひかえていたので、従五位下じゅごいのげ諸太夫しょだいぶやく人事じんじはなしをほぼリアルタイムでキャッチすることが出来できた。


 そして下三奉行しもさんぶぎょうまさにその従五位下じゅごいのげ諸太夫しょだいぶやくであり、正確せいかくには作事さくじ普請ふしん小普請こぶしん三奉行さんぶぎょう総称そうしょうであった。


 西之丸にしのまる目附めつけ本丸ほんまる目附めつけ同様どうよう従六位じゅろくい布衣ほいやくであり、それゆえ、それよりも官位かんいうえである従五位下じゅごいのげ諸太夫しょだいぶやく下三奉行しもさんぶぎょうへの異動いどうともなると、それはまさしく栄転えいてんほかならない。


 岩本正利いわもとまさとし一個人いちこじんとしては目出度めでたはなしであろうが、しかし家基いえもと暗殺あんさつたくらとしては目出度めでたいものではなかった。


 なにしろそれは西之丸にしのまるから本丸ほんまるへの異動いどう、もっと言えば西之丸にしのまるからとおざかることを意味いみしていたからだ。


 それと言うのも下三奉行しもさんぶぎょう本丸ほんまる表向おもてむき執務室しつむしつあたえられている、つまりは本丸ほんまる表向おもてむき役職ポストだからだ。


 そうなれば岩本正利いわもとまさとしとしては家基いえもと暗殺あんさつもやりにくくなる。いや不可能ふかのうというものであろう。


 だが人事じんじ拒否きょひ出来できないのも事実じじつである。


 そうなればのこされたみちはただひとつ、


岩本正利いわもとまさとし下三奉行しもさんぶぎょうへと栄転えいてんたすまえ決着けっちゃくをつける…」


 つまりは家基いえもと暗殺あんさつするしかないようにおもわれたが、しかし治済はるさだとしては正利まさとしよごさせるつもりは毛頭もうとうなかった。正利まさとしよごさせては、その正利まさとしまごでもある豊千代とよちよまでがよごれるようおもわれたからだ。


「さればここは…、くさびっておく必要ひつようがあるな…」


 くさびつ―、それは正利まさとしにはよごさせないわりに、西之丸にしのまるにおいてこころざしおなじくするものすなわち、家基いえもと暗殺あんさつし、豊千代とよちよ家基いえもとわる次期じき将軍しょうぐんえようとたくら同士どうし扶植ふしょくする必要ひつようがあると、治済はるさだ正利まさとしにそう示唆しさしていたのだ。


 正利まさとしもそうと気付きづくや、しば思案しあんすえ、「適当てきとうものがおりまする」とこたえた。


「ほう…、して、そのものは?」


「されば大目付おおめつけにて…」


大目付おおめつけとな?」


 大目付おおめつけとて本丸ほんまる表向おもてむきやくではあるまいかと、治済はるさだはしかしその言葉ことば呑込のみこんで、正利まさとしさきうながした。


 一方いっぽう正利まさとし治済はるさだ様子ようすからそうとさっするや、


「されば大目付おおめつけには西之丸にしのまる当番とうばん御座ござりまするゆえ…」


 治済はるさだにそう補足ほそくしてみせた。


 それで治済はるさだも「ああ…」と合点がてんがいった。


 如何いかにも大目付おおめつけには毎日交代まいにちこうたい西之丸にしのまる当番とうばんがあった。文字もじどおり、西之丸にしのまるめるのである。


 そうであれば成程なるほど大目付おおめつけかいして西之丸にしのまるに「同士どうし」を扶植ふしょくするという方法ほうほう取得とりえた。たとえば大目付おおめつけかいして、家基いえもと側近そばちかくにつかえる小姓こしょう小納戸こなんどを「一橋派ひとつばしは」へと寝返ねがえらせる、といった方法ほうほう取得とりえた。


「して、大目付おおめつけもうしたが…」


「ははっ…、されば二人ふたりほど…」


だれぞ?」


一人ひとり正木まさき志摩守しまのかみ康恒やすつねにて…」


「まさき…、志摩守しまのかみ、とな?」


御意ぎょい…」


 それから正利まさとし正木まさき志摩守しまのかみ康恒やすつねについて治済はるさだ解説レクチャーした。


 すなわち、正木まさき康恒やすつねには達次郎たつじろう康満やすみつなる次男じなんがおり、彼者かのもの次男じなんであるがゆえ他家たけへと養嗣子ようししされた。


 その養子ようしさきであるが、いま従六位じゅろくい布衣ほいやくである本丸ほんまる小姓こしょう組番ぐみばん、4番組ばんぐみ組頭くみがしらつとめる佐野さの宇右衛門うえもん満存みつありであった。従五位下じゅごいのげ諸太夫しょだいぶやく大目付おおめつけ庶子しょし養子ようしさきとしては妥当だとうなところであろう。


 ところがつい先日せんじつ、その養子ようし縁組えんぐみ解消かいしょうされたとのことであった。


ゆえあって…」


 つまりはなんらかの事情じじょうにより佐野さの宇右衛門うえもん達次郎たつじろうとの縁組えんぐみ解消かいしょうしたわけだが、問題もんだいはその事情じじょうであった。


 どうやらそれは達次郎たつじろう起因きいんするらしい。ようするに達次郎たつじろう身持みもちがわるく、簡単かんたんに言えば素行そこう不良ふりょうで、それゆえ佐野さの宇右衛門うえもん達次郎たつじろうとの縁組えんぐみ解消かいしょうしたらしい。


 養父ようふ佐野さの宇右衛門うえもんとの縁組えんぐみ解消かいしょうされた達次郎たつじろうはと言うと、当然とうぜん養家ようか佐野家さのけから追出おいだされ、いま実家じっかである正木家まさきけせているらしい。


 だが、正木家まさきけには嫡子ちゃくし兵庫ひょうご康納やすのりよめともらしており、そこへいつまでも達次郎たつじろう寄生きせい無為むい徒食としょくをさせておくわけにはゆくまいと、正木まさき康恒やすつね西之丸にしのまる当番とうばんであったおり西之丸にしのまる目附めつけ岩本正利いわもとまさとしにそう愚痴グチじりになやみを打明うちあけたそうな。


「されば…、かるなやみを解消かいしょうして差上さしあげれば、正木まさき志摩守しまのかみ取込とりこむことが出来できるものとぞんじまする…」


 正利まさとし提案ていあん治済はるさだも「うむ」と力強ちからづようなずくや、


「されば…、当家とうけにて召抱めしかかえてやろうぞ。その達次郎たつじろうとやらを…」


 達次郎たつじろう採用さいようくちにした。


 旗本はたもと庶子しょし三卿さんきょう召抱めしかかえられることはめずらしいことではない。それどころかくあるはなしであり、これを附切つけきりぶ。


 そして三卿さんきょう家臣かしんとなるからには、三卿さんきょう屋敷やしきにて、邸内ていないにある組屋敷くみやしきにて起居ききょするのがまりであった。


 それゆえ達次郎たつじろう三卿さんきょう一橋家ひとつばしけにて召抱めしかかえてやれば、正木まさき康恒やすつねなやみを解消かいしょうされることになる。


 達次郎たつじろう一橋ひとつばし家臣かしんとなれば畢竟ひっきょう正木家まさきけて、一橋家ひとつばしけ邸内ていないにある組屋敷くみやしきにてらすことになるからだ。


「されば正利まさとしよ、この正木まさき志摩しまつたえるがかろう…、いやもとれてるがかろう…」


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 正木まさき康恒やすつねつぎ西之丸にしのまる当番とうばんであったおり西之丸にしのまる目附めつけ岩本正利いわもとまさとしから、「志摩守しまのかみさま」とこえをかけられた。


「おお、岩本殿いわもとどのか…、如何いかがいたした?」


「ははっ…、されば達次郎たつじろう殿どのがことで…」


 正利まさとし達次郎たつじろうしたことで、正木まさき康恒やすつねかおかげした。


 それでも康恒やすつね取直とりなおして、「達次郎たつじろう如何いかがいたしたかな?」とおうじた。


「ははっ…、大変たいへん差出さしでがましゅうとはぞんじましたが、なれど正木まさきさま子息しそく達次郎たつじろう殿どのがことで大変たいへんこころいためられている様子ようす、そこでこの正利まさとし民部卿みんぶのきょうさま子息しそくのことを…」


民部卿みんぶのきょうさまもうされると、あの?」


 三卿さんきょう一橋ひとつばし治済はるさだのことかと、正木まさき康恒やすつね正利まさとし示唆しさした。


 すると正利まさとしもそうとさっしてうなずくと、


「されば…、民部卿みんぶのきょうさま嫡子ちゃくしさま豊千代とよちよぎみ母堂ぼどうはこの正利まさとし次女じじょにて…」


 正利まさとしがそうこえひそませて補足ほそくしたので、正木まさき康恒やすつねも「ああ…」と合点がてんがいった。


 従六位じゅろくい布衣ほいやくとはもうせ、西之丸にしのまる目附めつけぎない岩本正利いわもとまさとし何故なにゆえ天下てんが三卿さんきょうである一橋ひとつばし治済はるさだじかはなし出来できるのかと、正木まさき康恒やすつね疑問ぎもんおもっていたのだが、しかし正利まさとしいま補足ほそく説明せつめいけてその疑問ぎもん氷解ひょうかいした。


民部卿みんぶのきょうさまにおかせられましては、達次郎たつじろう殿どの召抱めしかかえてもいと、斯様かようおおせられましてな…」


なんと…、愚息ぐそく一橋様ひとつばしさまにて召抱めしかかえてくださるともうされるか?」


 正木まさき康恒やすつねひとみかがやかせてそうたしかめるようたずねた。これで達次郎たつじろう一橋家ひとつばしけ採用さいようされれば、達次郎たつじろう屋敷やしきから追出おいだすことが出来でき正木まさき康恒やすつねなやみも解消かいしょうされる。


「ついてはそのまえに、民部卿みんぶのきょうさまにおかせられましては一度いちど、ゆるりと正木まさき殿どのひざ突合つきあわせてはなしたいとのこと…」


なんと…、おそおおくも一橋様ひとつばしさまがこの康恒やすつねめとはなされたいと?」


左様さよう…、如何いかが御座ござろうか…」


 正利まさとし正木まさき康恒やすつね意向いこうたずねた。


 それにたいして康恒やすつねはと言うと、無論むろん不服ふふくなどあろうはずもなかった。


 なにしろ治済はるさだ天下てんが三卿さんきょう如何いかおのれ従五位下じゅごいのげ諸太夫しょだいぶやく大目付おおめつけとはもうせ、のぞんで簡単かんたんえるわけではない。


 それが治済はるさだほうからいたいと言っているのである。康恒やすつね治済はるさだのそのさそいに即座そくざいた。


「されば…、日時にちじにつきましては後日ごじつ、この正利まさとしめが民部卿みんぶのきょうさま調整ちょうせいうえあらためて正木まさき殿どのつたえまする…」


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 それから一週間後いっしゅうかんご―、9月の初頭しょとう正木まさき康恒やすつね岩本正利いわもとまさとし仲介ちゅうかいにより一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしき大奥おおおくにてあるじ治済はるさだ知遇ちぐう機会きかいめぐまれた。


 治済はるさだかい正木まさき康恒やすつね平伏へいふくしようとするのをせいすると、


「そなたが正木まさき康恒やすつねか…、いや、康恒やすつねいみなにてぶこと、ゆるしてくれるかの…」


 じつやさしい音色ねいろひびかせて康恒やすつねにそうこえをかけた。


 それにたいして康恒やすつねはと言うと、勿論もちろんいなやはありず、「ははぁっ」とおうじた。


 それどころか天下てんが三卿さんきょうからいみなにてんでもらえることなど、そうそうあるものではない。


 それゆえいみなんでもらえるとは、康恒やすつね立場たちばからすれば名誉めいよ栄誉えいよほかならない。


 康恒やすつねこころはグッと、治済はるさだかたむいた。


 そしてこれこそが治済はるさだねらいであった。


「お目当めあての人物じんぶつこころ引寄ひきよせるには、そのものいみなわばファーストネームでびかけるのが一番いちばん…」


 治済はるさだはそれを熟知じゅくちしていた。


 もっとも、その手法しゅほうだれもが取得とりえるそれではない。なにしろいみなとは他人たにんくちにするのははばかられる名前なまえだからだ。


 これでおのれよりも格下かくした相手あいてからいみなで、それも呼捨よびすてにされようものならば、


「この慮外者りょがいものめがっ」


 そう激怒げきどするところであろう。


 それゆえ天下てんが三卿さんきょうたる治済はるさだだからこそ取得とりえ手法しゅほう、さしずめ「人心じんしん収攬しゅうらんじゅつ」と言えた。


「この治済はるさだ康恒やすつねよう由緒正ゆいしょただしきものこのましくおもうてな…、それゆえに、由緒正ゆいしょただしき筋目すじめ康恒やすつねがそのいておる達次郎たつじろうを、康満やすみつ召抱めしかかようおもうたのだ…」


おそたてまつりまする…」


「それにしていま西之丸にしのまるにおいては…、康恒やすつねとは真逆まぎゃくの…、いやしき血筋ちすじやから大手おおでって闊歩かっぽしているそうな…」


 治済はるさだ如何いかにもかおしかめさせて康恒やすつねにそうげた。いやしき血筋ちすじやから田沼たぬま大和守やまとのかみ意知おきとも示唆しさしていることはあきらかであり、康恒やすつねもそうとさっすると、「御意ぎょい」とこれまた治済はるさだおもねるかのようかおしかめさせておうじた。


 安永4(1775)年のいま田沼たぬま意知おきともちち主殿頭とのものかみ意次おきつぐ老中ろうじゅうつとめているために、所謂いわゆる


ちちかげにより…」


 雁間がんのまめることがゆるされていた。いま大名家だいみょうけ田沼家たぬまけ嫡子ちゃくし世嗣せいしでありながられきとした大名だいみょう雁間がんのまづめ大名だいみょうじって詰衆つめしゅうとして雁間がんのまめることがゆるされていた。


 この雁間がんのま詰衆つめしゅうともなると、平日へいじつ交代こうたい登城とじょうし、雁間がんのまめることになる。それゆえなか役人やくにんよう存在そんざいであることから、「半役人はんやくにん」ともしょうされていた。


 意知おきとももその「半役人はんやくにん」の一人ひとりとして交代こうたい御城えどじょう本丸ほんまる表向おもてむきにある雁間がんのまめる。


 だが意知おきとも場合ばあいほか雁間がんのま詰衆つめしゅうとはことなり、当番とうばん以外いがいにも登城とじょうすることがゆるされていた。


 と言って本丸ほんまる表向おもてむきにあるその雁間がんのまめるわけではなく、西之丸にしのまるへと登城とじょうし、次期じき将軍しょうぐんたる家基いえもと談笑だんしょうするためであった。


 家基いえもと聡明そうめいであるがゆえに、おのれおなじく聡明そうめいものこのみ、家基いえもとのその「眼鏡めがね」にかなったのが意知おきともであったのだ。


 意知おきとももまた聡明そうめい、それも進取しんしゅ気性きしょうみ、家基いえもとはそれゆえ意知おきともこのみ、そこで意知おきとも西之丸にしのまるへも出仕しゅっしさせてくれるようちちにして将軍しょうぐん家治いえはるたのんだのだ。


 それにたいして家治いえはるはと言うと、家治いえはるもまた意知おきとも将来性しょうらいせいっており、その意知おきともおのれ後継者こうけいしゃとしてこれまた期待きたいする家基いえもとからもわれているのだとるや、わたりにふねとばかり家基いえもとねがいを聞届ききとどけることにした。


 将来しょうらいおのれ跡目あとめいで将軍しょうぐんとなる家基いえもといまうちから意知おきともしたしくすることは家治いえはるには好都合こうつごうおもえたからだ。


 もっともそうは言っても意知おきともは「半役人はんやくにん」であるので、毎日まいにち西之丸にしのまるへと出仕しゅっしさせるわけにはゆかない。


 そこで家治いえはる意知おきともには本丸ほんまる表向おもてむき雁間がんのまめる当番とうばんのぞいて、西之丸にしのまるへと出仕しゅっしさせることにしたのだ。


 かくして意知おきとも将軍しょうぐん家治いえはるゆるしをて、当番とうばんではないには西之丸にしのまるへと出仕しゅっしし、中奥なかおくにて家基いえもと談笑だんしょうすることしきりであり、それは一月ひとつきうち半分はんぶん以上いじょうにもおよぶ。


 だがこれをこころよおもわないものもいる。西之丸にしのまるにて家基いえもと側近そばちかくにつかえる、言うなれば西之丸にしのまるへと登城とじょうし、中奥なかおくにて家基いえもとつかえることが公的こうてきみとめられている西之丸にしのまる中奥役人なかおくやくにんにその傾向けいこうつよかった。


 また西之丸にしのまる当番とうばんとしてやはり公的こうてき西之丸にしのまるめることがみとめられている本丸ほんまる表向おもてむき役人やくにん大目付おおめつけあるいは奏者番そうじゃばんにしてもそうだ。


 意知おきとも本来ほんらいならば西之丸にしのまるへの出仕しゅっし公的こうてきみとめられないはずだが、それが特別とくべつあつかいでみとめられたからで、よう彼等かれら意知おきともへの嫉妬心しっとしんから、意知おきとも西之丸にしのまるへと出仕しゅっしおよぶことに反撥はんぱつしていたのだ。


 さて、そこで正木まさき康恒やすつねはと言うと、いまいままではとく意知おきとも西之丸にしのまるへと出仕しゅっしおよぶことについてはなんともおもっていなかった。


 意知おきとも西之丸にしのまる中奥役人やくにんや、あるいは西之丸にしのまる当番とうばんのある本丸ほんまる表向おもてむき役人やくにんである奏者番そうじゃばんや、それに相役あいやく同僚どうりょう大目付おおめつけといった連中れんちゅうから嫉妬しっと対象ターゲットさらされていることは康恒やすつね薄々うすうすかんってはいたものの、しかし康恒やすつね個人こじん意知おきともたいしてはとくにこれといった感慨かんがいはなく無頓着むとんちゃくであった。


 だがそれがいま、こうして治済はるさだから意知おきともへの不快感ふかいかん表明ひょうめいされるにいたって、康恒やすつねついに、意知おきともたいしてはじめて不快ふかいねんようになった。


いや…、大納言だいなごんさまにもこまったものよ…、いやしき田沼たぬませがれめにねつげるとはな…」


 治済はるさだはやはりこころそこから意知おきとも寵愛ちょうあいする家基いえもと失望しつぼうしてせ、またしても康恒やすつねを「御意ぎょい」と心底しんそこ同調どうちょうさせてみた。


 これは治済はるさだによる「洗脳せんのう」の第一段階だいいちだんかいと言えた。


 当然とうぜん第二だいに段階だんかいがあり、それはさら翌月よくげつの10月、豊千代とよちよかぞえで3つになったおりのことであった。


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 治済はるさだ豊千代とよちよかぞえで3つになるや、それを正木まさき達次郎たつじろう康満やすみつヒラ大番おおばんから一気いっき奥詰おくづめへと取立とりたてた。


 治済はるさだ正木まさき康恒やすつね次男じなん達次郎たつじろう採用後さいようご、まずはさしずめ警備員けいびいんとも言うべきヒラ大番おおばん配属はいぞくした。


 だがそれから一月ひとつきもしないうち奥詰おくづめへと取立とりたてたのであった。


 奥詰おくづめと言えば、三卿さんきょう側近そばちかくにつかえる近習番きんじゅうばん小姓こしょうたばねる役職ポストであり、従六位じゅろくい布衣ほいやく重職じゅうしょくであり、一介いっかい警備員けいびいんから一気いっき部長ぶちょうクラスに昇進しょうしんするようなものである。


 当然とうぜん達次郎たつじろう当人とうにん大喜おおよろこびし、ちち正木まさき康恒やすつねはそれ以上いじょうよろこんだ。


愚息ぐそく達次郎たつじろうめを奥詰おくづめ取立とりたくださりるとは…、なんれい申上もうしあげていのやら…」


 康恒やすつね達次郎たつじろう奥詰おくづめ取立とりたてられてからもなく、やはり一橋ひとつばし大奥おおおくまねかれ、治済はるさだかいうや、治済はるさだれいべた。


「いやいや…、康満やすみついまではすっかり素行そこうあらたまり無事ぶじつとめをたしておる…」


 これは事実じじつであった。素行そこうわる達次郎たつじろうであったが、ここ一橋家ひとつばしけにて召抱めしかかえられるや、素行そこうわるさもかげひそめた。


 それと言うのも日頃ひごろより治済当人はるさだとうにんみずから、一介いっかい大番おおばんぎない達次郎たつじろうたいしてこえをかけることで、をかけていることをアピールしていたからだ。


 これでは如何いか素行そこうわる達次郎たつじろうとて姿勢しせいあらためざるをない。なにしろ相手あいて天下てんが三卿さんきょう、その治済はるさだからをかけられては姿勢しせいあらためざるをまい。


 さてそこで治済はるさだ愈愈いよいよ、「洗脳せんのう」の第二だいに段階だんかい突入とつにゅうした。


「ときに康恒やすつねよ…、この治済はるさだ感謝かんしゃしておるか?」


「ははっ」


「さればそのいのち、この治済はるさだあずけてくれともうさば、あずけてくれるか?」


「ははっ」


左様さようか…、さればその言葉ことばしんじてたずねるが、大納言だいなごんさま…、西之丸にしのまるにおわす家基公いえもとこうとこの治済はるさだきし豊千代とよちよ、どちらが次期じき将軍しょうぐん相応ふさわしいとおもうか?」


 治済はるさだ康恒やすつねにそうせまった。わば踏絵ふみえませようとしていたのだ。


 康恒やすつねたしてその踏絵ふみえむか、それは流石さすが治済はるさだにもからなかった。それにかり踏絵ふみえんだとしても、それまでのあいだ逡巡しゅんじゅんするようでは「洗脳せんのう」の第二だいに段階だんかい失敗しっぱいと言えた。


 だが康恒やすつねはそんな治済はるさだ心配しんぱい余所よそ躊躇ちゅうちょなく、


「それは豊千代とよちよぎみにてそうろう…」


 そう即答そくとうしたものである。


 これで治済はるさだも「洗脳せんのう」の第二だいに段階だんかい成功せいこうしたと確信かくしんするにいたり、そこで愈愈いよいよ康恒やすつね秘事ひじ打明うちあけた。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 松平まつだいら對馬守つしまのかみ忠郷たださと今日きょうもイラついていた。その原因げんいんあきらかである。意知おきともであった。忠郷たださとのイライラの原因げんいん意知おきともにあった。


 昨日きのう大目付おおめつけにおいては松平まつだいら忠郷たださと西之丸にしのまる当番とうばんであり、一方いっぽう、「半役人はんやくにん」である意知おきとも非番ひばんであり、それゆえ忠郷たださとめる西之丸にしのまるへと登城とじょうし、いつものごと中奥なかおくにて家基いえもと談笑だんしょうきょうじたのだ。


 わるいとはまさにこのことであった。


 これで意知おきとも以外いがいものであったならば、忠郷たださともイラつくことはなかったであろう。


 だが意知おきともおのれ公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうから大目付おおめつけへと棚上たなあげ、いやった張本人ちょうほんにんたる意次おきつぐせがれなのである。


 その意知おきとも何食なにくわぬかお西之丸にしのまる表向おもてむきめる忠郷たださとまえ素通すどおりして中奥なかおくへとえ、家基いえもと談笑だんしょうきょうじるのである。忠郷たださとはそのたのしげな様子ようす想像そうぞうしただけで、何度なんど意知おきともろうかとおもったことか。


まった忌々いまいましい…」


 忠郷たださと昨日きのうのことをおもすとつい、本音ほんねくちをついててしまった。


 すると「なに忌々いまいましいので?」とたずねるものがあった。それは相役あいやく正木まさき康恒やすつねであった。


 いまはちょうどもなく老中ろうじゅうによるひるの「まわり」がおこなわれようとしている昼前ひるまえであり、それゆえ芙蓉之間ふようのま殿中でんちゅうせきとする留守居るすい大目付おおめつけ町奉行まちぶぎょう勘定かんじょう奉行ぶぎょうらは奏者番そうじゃばんとその筆頭ひっとう寺社じしゃ奉行ぶぎょう芙蓉之間ふようのまのこしてここ中之間なかのまへとうつり、老中ろうじゅう見廻みまわりにおとずれるのをつ。


 中之間なかのまとも芙蓉之間ふようのまも「まわり」のコースじょうであったが、しかし芙蓉之間ふようのまにて老中ろうじゅう出迎でむかえられるのは奏者番そうじゃばんとその筆頭ひっとう寺社じしゃ奉行ぶぎょうだけである。


 さて、この中之間なかのまにはいま大目付おおめつけにおいては小野おの日向守ひゅうがのかみ一吉くによしのぞいた3人、すなわ松平まつだいら忠郷たださと正木まさき康恒やすつねに、そして大屋おおや遠江守とおとうみのかみ明薫みつしげの3人がかおそろえており、一方いっぽう小野おの一吉くによし今日きょう西之丸にしのまる当番とうばんであるためにここ中之間なかのまにはいなかった。西之丸にしのまる当番とうばんにはそもそも本丸ほんまる登城とじょうしないので畢竟ひっきょうひるの「まわり」に参加さんかすることもなかった。


 さて、松平まつだいら忠郷たださとおのれ愚痴グチみみれた相手あいて正木まさき康恒やすつねであったので心底しんそこ、ホッとした。


 それと言うのも忠郷たださと相役あいやくなかでも大屋おおや明薫みつしげきらっていたからだ。いや明薫みつしげほうとく忠郷たださとのことをなんともおもってはおらず、忠郷たださと一方的いっぽうてき嫌悪けんおしているだけであった。


 その理由わけもまた嫉妬しっと起因きいんし、大屋おおや明薫みつしげ忠郷たださとよりもおそく、今年ことしのそれも二月程前ふたつきほどまえの8月に大目付おおめつけ着任ちゃくにんしたばかりで、忠郷たださと後輩こうはいたるにもかかわらず、いきなり道中どうちゅう奉行ぶぎょう兼帯けんたいさせられたからだ。


 大目付おおめつけにも色々いろいろかかりがあり、松平まつだいら忠郷たださと分限帳ぶげんちょう服忌令ぶっきりょうあらためかかり兼務けんむしていた。これは旗本はたもと御家人ごけにんから名簿めいぼ提出ていしゅつけてそれをおもて右筆ゆうひつわたして管理かんりめいじたり、あるいは大名だいみょう旗本はたもとなどからの服喪期間ふくもきかん問合といあわせなどにこたえるものであった。


 一方いっぽう大屋おおや明薫みつしげねている道中どうちゅう奉行ぶぎょう五街道ごかいどう管轄かんかつし、大目付おおめつけ筆頭格ひっとうかくとされた。


 それまでこの道中どうちゅう奉行ぶぎょう兼務けんむしていたのは池田いけだ筑後守ちくごのかみ政倫まさともであり、その池田いけだ政倫まさとも二月程前ふたつきほどまえの8月にしゅっしたためにその後任こうにんとして、それまで田安家老たやすかろうであった大屋おおや明薫みつしげ着任ちゃくにんしたわけだが、松平まつだいら忠郷たださと道中どうちゅう奉行ぶぎょうねていた池田いけだ政倫まさともにより、


「これで、道中どうちゅう奉行ぶぎょうはこのおれ兼帯けんたい出来できる…」


 つまりは大目付おおめつけ筆頭ひっとうになれるものと確信かくしんしたものだが、ふたけてみれば新任しんにん大屋おおや明薫みつしげ筆頭ひっとうさらわれた格好かっこうであった。


 大屋おおや明薫みつしげ大目付おおめつけ着任ちゃくにん早々はやばや道中どうちゅう奉行ぶぎょう兼帯けんたいさせられ、これには松平まつだいら忠郷たださともまずはみみうたがい、いでおおいに憤慨ふんがいしたものであった。


 これこそが忠郷たださと明薫みつしげ一方的いっぽうてききら所以ゆえんであり、そればかりか、


「これもまた意次おきつぐめが仕業しわざ相違そういあるまい…」


 忠郷たださとはそう邪推じゃすいしたものであった。もっともこれは治済はるさだにとっては好都合こうつごうと言えた。


 ともあれかる次第しだいで、忠郷たださととしてはおのれ愚痴グチいたのが、ほかならぬ、おのれきらってまない明薫みつしげでなくてかったとむねろしたのだ。


 一方いっぽう正木まさき康恒やすつねたいしては忠郷たださとなんわだかまりもなければ苦手意識にがていしきもなかったので、愚痴グチかれたところで、なんでもなかった。


「ああ…、正木まさき殿どのか…」


機嫌きげんななめのようでござるな…」


「うむ…、まぁな…」


ててらんれようか?」


「うむ?」


意知おきともめでござろう?貴殿きでん機嫌きげんななめの理由わけは…」


 康恒やすつねにズバリ指摘してきされ、忠郷たださと流石さすがまるくした。


「いや、この康恒やすつねとて、意知おきともめには…、いや田沼たぬま父子ふし専横せんおうにはゆるがたいものがあってな…」


 康恒やすつね勿論もちろん小声こごえではあったが、忠郷たださとにそうささやいた。


 すると忠郷たださとはまるで同士どうし仲間なかまでもつけたかのよう表情ひょうじょうほころばせた。


左様さようか…、いや、正木まさき殿どのもそうおもうか」


「うむ…、いや、身共みどもだけではない…、ここだけのはなしだが、三卿さんきょう一橋ひとつばし民部卿みんぶのきょうさまもまた…」


なんと…、民部卿みんぶのきょうさままでが?」


左様さよう…、この康恒やすつね次男じなん一橋様ひとつばしさま附切つけきりとして召抱めしかかえられたことで、おそおおくも民部卿みんぶのきょうさま知遇ちぐう機会きかいめぐまれての、そのおりに…」


民部卿みんぶのきょうさまより田沼たぬま父子ふしへの不満ふまんかれたか?」


左様さよう…、いや、不満ふまんなどと左様さよう生易なまやさしいものではなく、大分だいぶ憤慨ふんがいしておられたわ…」


左様さようか…」


 忠郷たださと三卿さんきょう一橋ひとつばし治済はるさだまでがおのれおなおもいでいることに、強力きょうりょくなる援軍えんぐんおもいで、愈々いよいよ表情ひょうじょうほころばせた。


「ついては松平まつだいら殿どの民部卿みんぶのきょうさまうてはみぬか?」


「えっ…、この忠郷たださとめが民部卿みんぶのきょうさまに?」


左様さよう…、民部卿みんぶのきょうさまにおかせられては、貴殿きでんよう由緒正ゆいしょただしき筋目すじめものこのまれるゆえにな…、如何いかがであろう?」


 天下てんが三卿さんきょうたる一橋ひとつばし治済はるさだえるとは、こちらからたのみたいほどであった。


 それが正木まさき康恒やすつね仲介ちゅうかいえるとなれば、忠郷たださとことわ理由りゆうはどこにもなく、「何卒なにとぞ、よしなに…」と仲介ちゅうかいたのんだのであった。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 それから一週間後いっしゅうかんご、10月の中旬ちゅうじゅん松平まつだいら忠郷たださと正木まさき康恒やすつね仲介ちゅうかいにより、やはり一橋ひとつばし大奥おおおくにて治済はるさだうことが出来できた。


「そなたが…、松平まつだいら對馬守つしまのかみ忠郷たださとか…」


「ははっ」


忠郷たださと、といみなにてんでもいかの…」


 治済はるさだはいつもの「手口てぐち」でって忠郷たださとこころをグッと引寄ひきよせ、それからさら田沼たぬま父子ふし―、意次おきつぐ意知おきとも親子おやこ悪口わるぐちきょうじて愈々いよいよ忠郷たださとこころとらえた。それが忠郷たださとたいする「洗脳せんのう」の第一段階だいいちだんかいであり、つづいて第二だいに段階だんかいへと移行いこうした。


「いや…、こうしてわらってばかりもいられぬわ…、かりにだが、家基公いえもとこうれて上様うえさまに…、征夷せいい大将軍たいしょうぐん御成おなりあそばされれば、意知おきともめを老中ろうじゅうに…、仮令たとえ部屋へやずみのままでも老中ろうじゅう取立とりたてる所存しょぞんらしい…」


なんと…、部屋へやずみ老中ろうじゅうと?」


 忠郷たださとまるくして聞返ききかえした。


左様さよう…、これで意次おきつぐめも家基公いえもとこうもとでも引続ひきつづ老中ろうじゅうしょくつとめることと相成あいならば、親子おやこして老中ろうじゅうしょく独占どくせんすることになる…、いや、いまでは中奥なかおくにおいてはそのうわさ持切もちきりぞ…」


 無論むろん、そんなうわさはどこにもなく、あくまで治済はるさだ虚言きょげんぎなかったが、しかしいまやすっかり治済はるさだ術中じゅっちゅうまっていた忠郷たださと治済はるさだ虚言きょげんうたがいもせずにけた。


「いや、これで家基公いえもとこう将軍しょうぐんとなり…、田沼たぬま父子ふし老中ろうじゅうしょく独占どくせんするよう事態じたいとも相成あいならば、我等われらよう由緒正ゆいしょただしき筋目すじめもの愈々いよいよもっ排斥はいせきされようぞ…」


なんと…」


「されば田沼たぬま父子ふしは…、こと意次おきつぐめはおのれいやしき血筋ちすじじており、あまつさえ、それとは正反対せいはんたい我等われらごと由緒正ゆいしょただしき筋目すじめもの嫉妬心しっとしんから嫌悪けんおし…」


「それで排斥はいせきたくらむと?」


左様さよう…、いや、公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうとしてじつ見事みごとなるはたらきぶりをしめしていた忠郷たださとを、なん落度おちどもないにもかかわらずいま大目付おおめつけへといやりしも、もとただせば嫉妬心しっとしんからにて…」


 これもまた治済はるさだ真赤まっかいつわり、虚言きょげんぎなかったが、しかしいまやすっかり治済はるさだに「洗脳せんのう」、取込とりこまれていた忠郷たださと治済はるさだのその虚言きょげんをもまたけた。


 いや、これでかりに「洗脳せんのう」されておらずとも、けたに相違そういない。治済はるさだのその虚言きょげん忠郷たださとにはじつ耳心地みみごこちいものであったからだ。


 ともあれ家基政権いえもとせいけんともなれば、愈々いよいよもっさらなる閑職かんしょくへといやられるやもれぬと、忠郷たださとはそんな恐怖心きょうふしんおそわれた。


「この治済はるさだ将軍しょうぐんであったならば…、いや、この治済はるさだきし豊千代とよちよ次期じき将軍しょうぐんであらば、斯様かような…、いやしき血筋ちすじ田沼たぬま父子ふしおももちいるよう馬鹿ばか真似まねはさせまいものを…、なれどいま上様うえさま大納言だいなごんさまではのう…」


 治済はるさだ如何いかにも無念むねんそうにつぶやいた。


 すると忠郷たださとはそれをけて、治済はるさだ期待きたいしてまなかった決定的一言けっていてきひとことくちにした。


まったく…、いや、豊千代とよちよぎみこそが次期じき将軍しょうぐんであればかったのに…」


 忠郷たださとはそんな本音ほんねらしたのだ。


 そしてこれこそが治済はるさだきたかった言葉ことばであった。それは「洗脳せんのう」の第二だいに段階だんかい成功せいこうしたことをしめすものであったからだ。


 そこで治済はるさだ間髪かんぱつれずに畳掛たたみかけた。


「されば忠郷たださとよ、この治済はるさだしてはくれまいか?」


「とおおせられますると?」


政道せいどう本来ほんらい、あるべき姿すがたもどしたい…」


本来ほんらい…、あるべき姿すがた、と?」


左様さよう…、いまよういやしき血筋ちすじもの千代田ちよだ御城おしろ闊歩かっぽするのではのうて、我等われらよう由緒正ゆいしょただしき筋目すじめものまつりごとになう…」


成程なるほど如何いかにも、それこそが本来ほんらい、あるべき政道せいどうでござりまするな」


「うむ…、そのためにはいま家基公いえもとこうではのうて、豊千代とよちよ将軍しょうぐんしょくがせたいのだが、そのためには忠郷たださとよ、そなたのよう由緒正ゆいしょただしき筋目すじめもの助力じょりょく必要ひつようなのだ。何卒なにとぞしてはくれぬか?」


 治済はるさだ忠郷たださとたいして懇々こんこんとした口調くちょうでそうさとすと、なんいてみせたのだ。


 これには忠郷たださとおおいにあわてさせられた。天下てんが三卿さんきょうかせるなど、あってはならないことであったからだ。


 だがそのかげ忠郷たださとはらかためさせることにつながった。


「この忠郷たださとめに出来できることであらば、なんなりと…」


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「いや…、上様うえさま芝居しばい見事みごとなもので御座ござりましたな…」


 岩本正利いわもとまさとし治済はるさだにそうげた。


 治済はるさだ忠郷たださととの面談めんだんちゅう岩本正利いわもとまさとし別間べつまにてひかえており、治済はるさだ忠郷たださととのやりりの一部いちぶ始終しじゅうぬすきしていたのだ。


 そして忠郷たださと治済はるさだもとより辞去じきょするや、岩本正利いわもとまさとしふすまけて治済はるさだまえ姿すがたせ、そして開口一番かいこういちばんがそれであった。


 岩本正利いわもとまさとしのその言葉ことばようによっては厭味いやみとも受取うけとられ、治済はるさだおもわず苦笑くしょうさせられた。


「いや…、正利まさとしには感謝かんしゃせねばならぬな…、松平まつだいら忠郷たださとしてくれたことに…」


 家基暗殺計画いえもとあんさつけいかく協力きょうりょくしてくれる同士どうしとして期待きたいてるものとして岩本正利いわもとまさとし治済はるさだにそのげた二人目ふたりめ大目付おおめつけこそがほかならぬ松平まつだいら忠郷たださとであった。


 忠郷たださともまた、西之丸にしのまる当番とうばんおりには目附めつけ岩本正利いわもとまさとし愚痴グチこぼすことしきりであったからだ。


 すなわち、おのれ大目付おおめつけへと棚上たなあげされたのもひとえ田沼たぬま意次おきつぐ仕業しわざ相違そういあるまいと、意次おきつぐへのうらみをぶちまけることがしばしばであった。


 そこで岩本正利いわもとまさとしはそんな忠郷たださとならば、家基いえもとものにし、わって豊千代とよちよ次期じき将軍しょうぐんえる計画けいかく協力きょうりょくしてくれるにちがいないと、そうんで治済はるさだ忠郷たださとげたのだ。


 家基いえもと意次おきつぐせがれ意知おきとも寵愛ちょうあいしており、一方いっぽう忠郷たださと意次おきつぐふかうらみをいている―、そうであれば忠郷たださともそのよう家基いえもと暗殺あんさつする計画けいかくることに躊躇ちゅうちょないだろうと、正利まさとしはそうんで、治済はるさだたいして正木まさき康恒やすつねつづいて松平まつだいら忠郷たださとをも「推挙すいきょ」したのであった。


 そして結果けっか的中てきちゅう正利まさとしの「み」が見事みごとたった格好かっこうであり、治済はるさだ正利まさとしおおいに感謝かんしゃした。

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