第2話 安永2(1773)年12月5日、公事方勘定奉行・松平對馬守忠郷の怨嗟

對馬守つしまのかみ


 月番つきばん老中ろうじゅう田沼たぬま主殿頭とのものかみ意次おきつぐこえがここ本丸中奥ほんまるなかおく御座之間ござのまひびいた。


 それは公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう松平まつだいら對馬守つしまのかみ忠郷たださと官職かんしょくめいであり、それにたいしておのれ官職かんしょくめいばれた松平まつだいら忠郷たださとはと言うと、返事へんじはおろか、なん反応はんのうすらもゆるされてはいなかった。


 忠郷たださといま御座之間ござのまうちでも下段げだんめんした入側いりがわにてひかえていた。それも平伏へいふくしてひかえており、下段げだんはさんで上段じょうだんには将軍しょうぐん家治いえはる鎮座ちんざしていた。


 そして忠郷たださと官職かんしょくめい披露ひろうした田沼たぬま意次おきつぐはと言うと、ほか老中ろうじゅうとも忠郷たださと平伏へいふくしている入側いりがわ、それもより下段げだんちかい、さしずめ下段げだん入側いりがわとのしきいにて横一列よこいちれつにてひかえていた。


 意次おきつぐはそのなかでも今月こんげつ―、安永2(1773)年12月が月番つきばんであるため将軍しょうぐん忠郷たださととの「取合とりあい」をにない、官職かんしょくめい披露ひろうもその「取合とりあい」の仕事しごとひとつであった。


 さて、上段じょうだん鎮座ちんざする将軍しょうぐん家治いえはる意次おきつぐによる松平まつだいら忠郷たださと官職かんしょくめい披露ひろうけ、


主水正もんどのかみあと、大目付おおめつけ申付もうしつく…」


 相変あいかわらず平伏へいふくしたままの忠郷たださとかってそうめいじたのであった。


 これはすなわち、いままで大目付おおめつけつとめていた主水正もんどのかみこと萩原はぎわら主水正もんどのかみ雅忠まさただはた奉行ぶぎょうへと転出てんしゅつするにともない、公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう松平まつだいら忠郷たださとがその後任こうにんとして大目付おおめつけ拝命はいめいすることを意味いみしていた。


 勘定かんじょう奉行ぶぎょうから大目付おおめつけへの異動いどう、それは一見いっけん栄転えいてんようにもおもわれる。なにしろ大目付おおめつけ勘定かんじょう奉行ぶぎょうとでは大目付おおめつけほう格上かくうえだからだ。


 だが実際じっさいにはこれはていい「棚上たなあげ」にぎず、そのことは忠郷当人たださととうにん一番いちばん自覚じかくするところであった。


結構けっこうおおけられ、有難ありがとぞんじまする…」


 やはり意次おきつぐが「取合とりあい」をになった。将軍しょうぐん家治いえはるによる任命にんめいたいして、月番つきばん老中ろうじゅう田沼たぬま意次おきつぐ平伏へいふくしたままの松平まつだいら忠郷たださと成代なりかわり、任命にんめいへのれいを、所謂いわゆる、「取合とりあわせ」をくちにしたのであった。


 その瞬間しゅんかん忠郷たださといまにも意次おきつぐりかかりたい衝動しょうどうられた。それと言うのも意次おきつぐこそが忠郷たださと大目付おおめつけへと棚上たなあげした張本人ちょうほんにんだからだ。


 意次おきつぐ忠郷たださと棚上たなあげを画策かくさくしたのはほかでもない、忠郷たださと意次おきつぐ経済財政政策けいざいざいせいせいさくこと通貨つうか政策せいさくとなえたからだ。


 意次おきつぐ通貨つうか統一とういつこころざし、それに忠郷たださと噛付かみついたのだ。


 江戸えどにおいては金銀銭きんぎんせん複本位制ふくほんいせいであり、その時々ときどき相場そうばによって交換こうかん比率ひりつことなり、庶民しょみんにとっては大変たいへん不便ふべんであった。


 そこで意次おきつぐはその不便ふべん是正ぜせいすべく、南鐐なんりょう朱銀しゅぎん鋳造ちゅうぞう踏切ふみきることにした。


 これは意次おきつぐけた勝手かってがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう川井かわい越前守えちぜんのかみ久敬ひさかた発案はつあんによるものであり、これに公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう忠郷たださと猛反対もうはんたいした。


「それでは両替商りょうがえしょう干上ひあがってしまう」


 金銀銭きんぎんせん複本位制ふくほんいせい数多あまた庶民しょみんにとっては不便ふべんでも、一部いちぶ両替商りょうがえしょうにとっては「メシたね」である。


 なにしろ両替商りょうがえしょうはその時々ときどき金銀銭きんぎんせん相場そうばしたがって三貨さんか交換こうかん手数料てすうりょう生計せいけいてているからだ。


 それが通貨つうか統一とういつなどと、金銀銭きんぎんせん相場そうば否定ひていされては最早もはや両替商りょうがえしょうまくはなくなる。


 いや両替商りょうがえしょうはそのほかにも金貸かねかしなどを収益源しゅえきげんとしていたものの、それでも通貨つうか統一とういつされては収益しゅうえき落込おちこみはけられまい。


 それゆえ松平まつだいら忠郷たださと両替商りょうがえしょうために、わるく言えば両替商りょうがえしょうの「代弁者だいべんしゃ」として通貨つうか統一とういつ、その手始てはじめとしての南鐐なんりょう朱銀しゅぎん鋳造ちゅうぞう反対はんたいしたのであった。


 だがかんがえてみればこれも可笑おかしなはなしであった。


 それと言うのも、忠郷たださと勘定かんじょう奉行ぶぎょうなかでも公事くじがたになっており、この公事くじがた幕領ばくりょう民政みんせい訴訟そしょうになう。


 そうであれば庶民しょみんため、つまりは民政みんせい寄与きよする通貨つうか統一とういつには諸手もろてげて、とまでは言わないにしても賛成さんせいしてしかるべきであろう。


 だが実際じっさいには忠郷たださと民政みんせい寄与きよする、庶民しょみんためになる通貨つうか統一とういつ賛成さんせいするどころか、一部いちぶ両替商りょうがえしょうの「既得きとく権益けんえき」を優先ゆうせんしてこれに反対はんたいとなえたのだ。


 もっとも、公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうとしては可笑おかしな態度たいども、タネかせば至極しごく単純たんじゅんはなしであり、忠郷たださと意次おきつぐ通貨つうか統一とういつ目論もくろんでいるとるや、そのことをおもだった両替商りょうがえしょう内報リークし、


勘定かんじょう奉行ぶぎょうのこのおれ通貨つうか統一とういつ阻止そししてせようぞ…」


 つまりは、お前達まえたち両替商りょうがえしょう既得きとく権益けんえきまもってやるからと、両替商りょうがえしょうささやき、あまつさえ、その通貨つうか統一とういつ阻止そしための「運動うんどう費用ひよう」として、つまりは通貨つうか統一とういつ阻止そしため見返みかえりにまいない要求ようきゅう両替商りょうがえしょうから多額たがくまいない取込とりこんだのだ。


 松平まつだいら忠郷たださと通貨つうか統一とういつ、その手始てはじめとしての南鐐なんりょう朱銀しゅぎん鋳造ちゅうぞう猛反対もうはんたいしたのはかる事情じじょうによる。


 もっとも、それでどうなるものでもない。もとより貪欲どんよくだが、しかしそれに見合みあうだけの政治力せいじりょく持合もちあわせてなどいない忠郷たださとでは南鐐なんりょう朱銀しゅぎん鋳造ちゅうぞう阻止出来そしでき様筈ようはずもなく、忠郷たださと反対はんたいなどものともせず、鋳造ちゅうぞうされることになった。


 これでおさまらないのはたりまえだが、忠郷たださと多額たがくまいないおくった両替商りょうがえしょう連中れんちゅうである。忠郷たださとにただ、多額たがく金子カネ巻上まきあげられただけだからだ。


 いや両替商りょうがえしょうとて不純ふじゅん動機どうきから忠郷たださと多額たがくまいないおくったという弱味よわみがあったので、おおやけうったることなど出来できなかったが、それでも忠郷たださとおなじく公事くじがたにな勘定かんじょう奉行ぶぎょう安藤あんどう弾正少弼だんじょうしょうひつ惟要これとし愚痴交ぐちまじりにこと次第しだい打明うちあけたのであった。


 これにたいして安藤惟要あんどうこれとし流石さすが仰天ぎょうてんした。なにしろ勘定かんじょう奉行ぶぎょうカネあつか部署ぶしょだけに、とりわけ清廉せいれんさが要求ようきゅうされる役職ポストだからだ。


 いや、だからと言って「付届つけとどけ」と一切いっさい無縁むえん役職ポストと言うわけではない。


 それどころか勘定かんじょう奉行ぶぎょう遠国奉行おんごくぶぎょうなかでもとりわけ旨味うまみのある、よう実入みいりの長崎奉行ながさきぶぎょういで、「付届つけとどけ」にめぐまれている役職ポストであった。


 もっともそれはあくまで公的こうてきみとめられている役得やくとくであった。


 すなわち、たとえば、お中元ちゅうげんやお歳暮せいぼといった受取うけとることが公的こうてきみとめられている役得やくとくす。


 それゆえ、そうではなく、たとえば不意ふいの「付届つけとどけ」などは絶対ぜったい受取うけとってはならないことになっていた。それはまさしくまいないだからだ。


 松平まつだいら忠郷たださとにしたのはまさにその「まいない」であり、しかもおのれほうからもとめたものであった。


 それゆえ安藤惟要あんどうこれとし仰天ぎょうてんするのも当然とうぜんで、惟要これとしはとりあえずこと次第しだい相役あいやく、それも勝手かってがたにな勘定かんじょう奉行ぶぎょう石谷いしがや淡路守あわじのかみ清昌きよまさつたえた。


 勘定かんじょう奉行ぶぎょうなかでも石谷清昌いしがやきよまさ安藤惟要あんどうこれとし二人ふたり田沼たぬま意次おきつぐの「両翼りょうよく」とられ、また二人ふたり自身じしんもそう自認じにんしており、夫々それぞれ勝手かってがた公事くじがたかれて意次おきつぐささえていた。


 安藤惟要あんどうこれとし石谷清昌いしがやきよまさとはそのよう関係かんけいにあるために、そこでまず、石谷清昌いしがやきよまさ忠郷たださとけん打明うちあけたのであった。


 石谷清昌いしがやきよまさもまた、安藤惟要あんどうこれとし同様どうよう仰天ぎょうてんすると同時どうじに、


松平まつだいら忠郷たださと断固だんこ更迭こうてつすべし…」


 そう意見いけん一致いっち二人ふたりして意次おきつぐ意見具申いけんぐしんおよんだ。


 いやかりにこのけんがなかったとしても、石谷清昌いしがやきよまさ安藤惟要あんどうこれとし二人ふたり忠郷更迭たださとこうてつ意見具申いけんぐしんおよぶつもりであった。


 それと言うのも忠郷たださと完全かんぜんに「抵抗ていこう勢力せいりょく」となりつつあったからだ。


 忠郷たださと意次おきつぐから信頼しんらいされている石谷清昌いしがやきよまさ安藤惟要あんどうこれとし二人ふたりらず、それゆえ石谷清昌いしがやきよまさ提案ていあんする財政政策ざいせいせいさくや、あるいは評定所ひょうじょうしょにおける安藤惟要あんどうこれとし判断はんだんとなえることしきりであったからだ。


 いや、これで建設的けんせつてき反対はんたいならばまだしも、忠郷たださとのそれは所謂いわゆる、「反対はんたいため反対はんたい」にぎず、つまりは「難癖イチャモン」のたぐいであった。


 さて意次おきつぐ忠郷たださとけんにはやはり仰天ぎょうてんさせられ、そのうえ石谷清昌いしがやきよまさ安藤惟要あんどうこれとし二人ふたり意見いけんしたがうことにした。


 つまりは忠郷たださと更迭こうてつ決断けつだんした。


 すると石谷清昌いしがやきよまさ忠郷たださと西之丸にしのまる留守居るすい左遷させんすることを提案ていあんしたのだ。


 西之丸にしのまる留守居るすい本丸ほんまる留守居るすいとはことなり、完全かんぜん閑職かんしょくであった。


 それゆえ懲罰的ちょうばつてき左遷させん落着おちつさきとしては妥当だとうなところであったが、しかし意次おきつぐ石谷清昌いしがやきよまさのこの意見いけんにはくびたてにはらなかった。


忠郷たださとにも同情どうじょうすべきてんはある…」


 意次おきつぐくちにした「同情どうじょうすべきてん」、それは役得やくとく指摘してきするもんであった。


 すなわち、勝手かってがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうとではおな勘定かんじょう奉行ぶぎょうでありながら公的こうてき受取うけとることがみとめられている役得やくとくがあり、勝手かってがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうほう公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうよりもおおくの役得やくとくめぐまれていた。


 かくこそ、評定所ひょうじょうしょ構成こうせいする公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうほう勝手かってがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうよりもたかい。


 だが役得やくとくというてんでは公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう勝手かってがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうにはおよばない。


 民政みんせい訴訟そしょうにな公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうよりも財政ざいせいにな勝手かってがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうほう役得やくとく集中しゅうちゅうする傾向けいこうがあり、


「それゆえ公事くじがたにな忠郷たださともそれが不満ふまんで…、勝手かってがたよりも役得やくとくすくないことをかねてより不満ふまんおもい、そこでおきてやぶりとも言える、まいない取込とりこみなる愚挙ぐきょおよんだのであろうぞ…」


 意次おきつぐ忠郷たださと同情どうじょうせたのはまさにそのてんにあった。


 もっとも、それならば安藤惟要あんどうこれとしとて松平まつだいら忠郷たださとおなじく公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうではあるが、しかしだからと言って勝手かってがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうくらべて役得やくとくすくないことを不満ふまんおもったことなど一度いちどとしてなく、到底とうてい同情どうじょうするにあたいしない。


 安藤惟要あんどうこれとしがそのてん意次おきつぐ指摘してきするや、意次おきつぐ惟要これとし意見いけんみとめたうえで、


「さりながら、忠郷たださとはこれまではがりなりにも大過たいかなく勘定かんじょう奉行ぶぎょうつとめをたしていたのだ…、さればここは穏便おんびん勘定かんじょう奉行ぶぎょうより異動いどうたさせてやろうではあるまいか…」


 そこで提示ていじしたのが大目付おおめつけ役職ポストであった。


 大目付おおめつけと言えば、勘定かんじょう奉行ぶぎょうよりも一階級ワンランクうえ町奉行まちぶぎょうの、そのまた一階級ワンランクうえ役職ポストであり、これでは二階級にかいきゅう特進とくしん可笑おかしな人事じんじであり、石谷清昌いしがやきよまさ安藤惟要あんどうこれとし当然とうぜん猛反対もうはんたいした。


 なにより大目付おおめつけと言えば町奉行まちぶぎょうしょく無事ぶじつとげたものあたえられる「ご褒美ほうびてき役職ポストであり、おきてやぶりのまいない取込とりこんだがため勘定かんじょう奉行ぶぎょうしょくわれることになる松平まつだいら忠郷たださとにはもとより大目付おおめつけになる資格しかくなどない。


 石谷清昌いしがやきよまさ安藤惟要あんどうこれとし二人ふたりのその意見いけん正論せいろんであったが、しかし意次おきつぐはそれでも正論せいろんよりもじょう優先ゆうせんさせ、忠郷たださと大目付おおめつけへと「二階級にかいきゅう特進とくしん」させてやることにしたのだ。


 おのれ大目付おおめつけへと棚上たなあげされるのも意次おきつぐ仕業しわざ相違そういあるまいと、忠郷たださとがそう意次おきつぐうらみにおもうのも半分はんぶん正解せいかいだが、しかし半分はんぶん不正解ふせいかいと言えた。


 かり意次おきつぐ正論せいろん優先ゆうせんさせていたならば、忠郷たださと大目付おおめつけへの「二階級にかいきゅう特進とくしん」どころか、今頃いまごろ西之丸にしのまる留守居るすいへの降格こうかく人事じんじける羽目はめになっていたことであろう。


 それゆえ大目付おおめつけへの棚上たなあげもじつ意次おきつぐ温情おんじょうによるものであり、棚上たなあげどころか「二階級にかいきゅう特進とくしん」であったのだ。


 そうであれば忠郷たださとがそのよう意次おきつぐうらむなど逆恨さかうらみもはなはだしいが、かる事情じじょうなどよしもない忠郷たださと意次おきつぐ逆恨さかうらみするよりほかのうがなかった。


 そんななか将軍しょうぐん家治いえはるもまた忠郷たださとむねうちなどもとよりよしもなくで、


言談いいだんじてつとめぃ…」


 これからは大目付おおめつけとして、先任せんにん大目付おおめつけとも相談そうだんうえつとめをたすようにと、忠郷たださとにそうこえをかけたのであった。


 するとここでもやはり、月番つきばん老中ろうじゅう田沼たぬま意次おきつぐ平伏へいふくしたままの松平まつだいら忠郷たださと成代なりかわり、


かしこまり、たてまつりました…」


 そう「お取合とりあわせ」をくちにしたのだ。


 そのかん忠郷たださとたたみにらめっこをしつつ、必死ひっし意次おきつぐへの殺意さつい格闘かくとうしていた。


なに有難ありがとうぞんじまする、だ…、なにかしこまり、たてまつりまする、だ…」


 このとしまえはいつかかならずつけてやる…、忠郷たださとむねにそうちかった。

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