5話 月下の対峙

「――待ちなよ」


 椅子を引く音とともに立ち上がったリアの鋭い声が、ギルド全体に突き刺さる。冷たく硬質なその一言が響いた瞬間、場の空気は一気に凍りついた。


「ちょっと、これは私からの依頼なんだから、あんたに口出す権利は――」


 カレンが声を上げようとする。しかし、その言葉は最後まで続かなかった。リアが鋭い視線を向け、静かに、しかし容赦なく遮ったからだ。


「――雑魚は黙ってなさい」


 その低く冷たい声には、どんな反論も許さない威圧が込められていた。リアの瞳がギラリと光り、その視線だけでカレンは言葉を詰まらせる。


「――っ! ……ッチ」


 カレンは悔しそうに舌打ちし、そっぽを向いた。その手は拳を握りしめ、微かに震えていた。誰もがその様子を目の端で捉えながらも、口を挟むことはできない。


 そんなカレンを無視して、リアはレナに向き直り、ゆっくりと歩み寄る。


「ちょ、ちょっとリアちゃん!」


 ティナが慌てて制止しようと声を上げるが、リアはその言葉を意にも介さない。そのままレナの前に立つと、鋭い目で睨みつけた。


「私たちは、命を懸けて魔女殲滅の責を負っている。あんたみたいな得体の知れない守銭奴に背中を預けられるほど、ヤワな覚悟で魔女狩りやってるわけじゃないの――遊び半分で近寄らないで」


 その言葉は冷徹そのものであり、同時に彼女の覚悟の重さを感じさせた。


 だが、それでもレナは何食わぬ顔でリアを見上げていた。


「…まー言いたいこと分かるよ。でも、こっちからも一つだけ言わせてよ。――あたし、稼げるなら本気マジで何でもやる。その覚悟はホントだよ」


 強い意志を含んだその一言に、リアの瞳が一瞬だけ細められる。彼女の中で何かが引っかかったのか、それとも単なる苛立ちか。


「……どうしても同行したいというなら、一つだけ方法があるわ」


 リアは冷静さを装いながら、低い声で続けた。


「私と『決闘』して、あんたの価値を証明して見せて」


「はぁ? 決闘ぉ? 何、ケンカでもすんの?」


 レナは呆けたような声を上げたが、その表情には微塵の緊張も見えない。むしろ、どこか楽しそうな雰囲気すら漂わせていた。


「……まあ、そんなものだよ。私に勝ったら同行を認めてあげる」


「分かった。やるよ」


 レナは即答した。そのあまりに軽い返事に、リアの眉がわずかに動く。彼女の目には一瞬の驚きが浮かんだが、すぐにその感情を押し殺した。


 だが、レナは続ける。


「ただ、一つ提案があるんだけど」


「……厚かましいね。まあ、聞くだけ聞いてあげるよ」


 リアが半ば呆れたように言うと、レナは満面の笑みを浮かべて言い放った。


「金賭けてやんね? 金貨一枚からでいいから!」


 その言葉に、リアは一瞬口を閉じ、額に手を当てる。そして、低い声で呟いた。


「……好きにしなよ」


「よっし! じゃ、勝った方に金貨一枚ね! あたし絶対勝つから!」


「…ついてきなさい」


 リアが短く言い放つと、踵を返してギルドを出ていく。その背中を見送りながら、レナは肩をすくめ、楽しげな笑みを浮かべて後を追った。


 静まり返ったテーブルには、カレン、ティナ、ルル、そしてクララの4人が取り残されていた。


 張り詰めたような沈黙が続く中、ティナがぽつりと呟いた。


「……行っちゃったねぇ」


 その言葉に誰もすぐには反応しなかったが、ルルだけは微笑を浮かべたまま静かに口を開いた。


「いいね……こういうの。面白くなってきた」


 不穏な響きを含むその一言に、クララはビクッと肩をすくめた。怯えた様子で小さく呟く。


「お、面白いって……『決闘』するんですよね……?こ、怖いですよ……」


 一方で、カレンは疲れたように額に手を当て、深い溜息をついた。


「ほんと、めんどくさいやつらばっかり……」


 すると、ティナがカレンの肩を軽く叩きながらにやりと笑う。


「でもさ、なんかワクワクしてこない? 絶対楽しいことになりそうじゃん!」


「……バカ」


 ・・・


 月明かりが静かに地面を照らしていた。街外れの丘上、風が草を揺らし、冷たく澄んだ空気が肌を刺す。遠くに見える街の灯りは小さく瞬き、丘の上だけが世界から切り離されたかのような静寂に包まれていた。


 その中に、二つの影が向かい合う。


 すらっと伸びた流麗な肢体の影、リア・アッシュは黒い髪とロングコートをはためかせ、それに伴い「スペードの2」のバッチが煌めいた。鋭い目つきでレナを見据えている。右手は、腰に下げた長剣の柄をしっかりと掌握しており、背筋をぴんと伸ばし足元にブーツをしっかりと据えるその姿は、まるで戦場の騎士のような威圧感を放っている。


 対する小柄で華奢な影、レナ・カローネは軽い調子で片手を腰に当て、もう片方の手で首を軽く回していた。動く度に、腰に下げた布袋からコインの甲高い音が響く。まるでウォーミングアップをしているかのような仕草だが、その瞳は月光を受け、鋭く光っていた。


「……随分といい場所を選んでくれたね。ここなら思いっきりやれるってわけ?」


 レナが薄い笑みを浮かべながら、軽い口調で言葉を投げる。その態度には余裕すら感じられた。


「ええ、勢い余って殺しちゃっても文句言わないでね」


 リアが冷たく言い放つ。その瞳には一切の迷いも冗談もなく、鋭い光が宿っている。


「……殺されたら文句言えねーじゃん」


 レナは肩をすくめて飄々と返すが、その目は決して笑っていなかった。


「戯言だよ」


 リアは一歩前に踏み出し、地面を力強く踏み締めた。その動作だけで周囲の空気がさらに重くなり、冷たくなる。


「そんなことより、あんた……見たところ『触媒』持ってなさそうだけど」


 リアの視線がレナの全身をじっくりと観察する。特に目立った装備がないのを確認すると、眉をひそめた。


「もしかして手ぶらで魔法撃つつもり?」


 その挑発的な口調に、レナはクスッと笑った。


「触媒? あー、あの道具に頼るやつ? あたし、そういうの持たない主義でね」


「……主義?」


 リアは眉を潜めながら冷ややかに問い返す。


「まあね。魔法ってのは、本当に使いこなせるやつが扱うべきだと思うのよ。道具なしでさ」


 レナはこの状況で冗談を言っている。リアはその確信があった。リアの口元が僅かに歪んだ。


「……いいわ。その減らず口がどこまで続くか、試してあげる」


 リアが抜き放った長剣の刃が月光を受けて鈍く光る。その刃先がレナに向けられた瞬間、空気がさらに張り詰めた。


「準備はいいの?」


「ん、いつでもどぞー。まあ、そんな大きな剣振り回してるうちに、疲れないといいけどね」


「安心しなよ。振り回すほど時間はかからないから」


 冷たい言葉が夜風に乗り、二人の間の緊張が頂点に達した――



 ・・・


 そんな二人を草むらの中からこっそり見守る四つの影。


「あの……私、レプリカの『決闘』って……初めて見るかもです……」


 クララが不安そうな声で呟く。その視線は、月明かりに照らされる丘の上をじっと見つめていた。


「……そういや私もだわ」


 カレンも腕を組みながら同意するように呟いた。


「へぇ~、そうなんだー。そー言えば、二人ってまだ若いんだっけ?」


 ティナがニヤニヤしながら尋ねる。


「あ、そ、そうですね……。私たち二十八期は半年前に造られたので……若い……と言えば若い方なのかもしれません……」


 クララが答えると、ティナは目を輝かせて叫んだ。


「えーっ、わっかー! とれたてピチピチじゃん! かわいいねぇ~、よしよし~」


 そう言いながら、クララの頭を撫で回し始める。


「はうっ! や、やめてください……! ……ふにゅ」


 最初は嫌がっていたクララだったが、ティナの手の動きが心地よかったのか、次第に大人しくなり、目を閉じて受け入れるようになった。


「……クララ、ちょっと簡単に懐きすぎじゃない?」


 カレンが呆れたように溜息をつくが、ティナは満足げに笑いながらクララの髪をなで続ける。


「かわいい子を見るとつい構いたくなるんだよねー」


「……あっそ」


 カレンは短く言い放つと、再び視線を丘の上に戻した。


「……『決闘』って、協会のレプリカ同士が縄張り争いとか暇つぶしとかでやる、命さえ取らなければなんでもアリっていうアレでしょ? あいつ、大丈夫かな」


 カレンが小さく呟きながら、一人の少女を見つめる。その目には不安と哀れみが入り混じっていた。


 ルルが微笑を浮かべたまま、軽い口調で言う。


「大丈夫じゃないかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、それがまた楽しいと思わない?」


「そう…か?私には理解できない感覚だよ…」


 カレンは呆れたように小さく溜息をつき、頭を振る。その様子を気にするそぶりもなく、ルルは静かに視線を丘に向けた。


 月明かりに照らされた戦いの舞台を見つめるその目は、どこか冷たく、それでいて期待に満ちているようにも見えた。やがて、まるで子供が面白いおもちゃを見つけたかのように、瞳がきらりと光る。


「……あの子、触媒持ってないね」


「え?」


 ティナがクララを撫で回していた手を止めた。


「……いやありえんしょ。どっかに仕込んでるんじゃね?」


「仮にそうだとしても、私達レプリカが触媒をわざわざ隠し持つメリットなんてあまりないと思うけど。あの子が体術メインの戦闘スタイルなら話は別だけど、あの体格じゃそれはあまり考えられないね」


 ルルは、もう一度定義を思い出していた。


『触媒』――それは、レプリカにとって欠かせない「命綱」であり、同時に「武器」としての役割を兼ね備えた特殊な道具だ。


 レプリカが魔法を使用する際、体内を流れる魔力は少なからず彼女たち自身を蝕む。これを『魔力汚染』と呼ぶ。魔力汚染は、固有魔法の使用回数や魔法の強度に応じて蓄積されていき、汚染がピークに達したとき、魔力は制御を失い暴走を引き起こす。暴走した魔力は本人の肉体を引き裂くだけでなく、周囲を巻き込む甚大な被害をもたらすため、魔力汚染の管理はレプリカの生命線とも言える問題だ。


 そこで、触媒の存在が必要となる。触媒は、魔法の使用時に発生する魔力汚染を肩代わりし、レプリカの肉体への負担を軽減する。これにより、レプリカはより安定した状態で魔法を使うことが可能となり、命の危険を最小限に抑えることができるのだ。触媒の性能が高ければ高いほど、魔力汚染の軽減効果も大きくなるため、協会は触媒の設計と製造に注力しているという話だ。


 さらに触媒は、単なる補助具ではない。レプリカにとっては、戦闘の際に不可欠な「武器」としても機能するのだ。触媒は各レプリカの戦闘スタイルや固有魔法に合わせて特注で作成され、剣や槍、杖など、あらゆる形状が存在する。これにより、触媒は魔法汚染を防ぐだけでなく、近接戦闘や魔法攻撃の精度向上にも寄与する万能のツールとして扱われている。


 つまり触媒とは、魔力汚染というリスクを引き受けながら、攻撃・防御の役割も果たす、レプリカの戦闘能力を最大限に引き出すための「命の砦」とも言える存在なのだ。



「――本当に面白いね、これは」


 ルルが微笑を浮かべながら呟く。その声に緊張感を漂わせる沈黙が広がる。


 丘の上、月明かりの下で対峙する二つの影。そのうちの一つが静かに剣を抜いた。刃が月光を反射し、冷たい輝きを放つ。その光景に、四人の視線が釘付けになった。


 ――始まる。


 誰もが無言のまま息を呑んだ。ルルの瞳が楽しげに輝き、ティナが思わず身を乗り出す。クララは怯えるように唇を噛み、カレンは険しい表情のまま黙って見守っている。


 月明かりに照らされるその舞台に、四人の思いが交錯していた。



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