2話 怠惰なレプリカ

 この世界の通貨は、大きく分けて三種類の硬貨がある。金貨、銀貨、そして銅貨。金貨は大きな取引に使われ、銀貨は日常的な支払いに便利で、銅貨は細かな買い物や庶民の生活を支えるものだ。価値の階層がはっきりしているから、わたしみたいな「稼ぎ屋」にとっては計算しやすい。


 1金貨 = 20銀貨 = 240銅貨


 これが基本のレートだ。もちろん地域や市場によって多少の変動はあるけど、大体こんなもん。金貨一枚は庶民にとってほとんど夢物語みたいな代物で、普通の農夫が一年間汗水流して稼ぐ金額に匹敵する。銀貨はちょっと裕福な商人や職人が扱う額で、銅貨はまさに庶民の生活に密接した通貨だ。


 具体的な硬貨の価値として、


 はじめに銅貨。銅貨は最小単位の硬貨で、主に日用品の買い物や軽食に使われる。銅貨一枚で黒パン一斤が買えるし、野菜や安い干し肉なんかも手に入る。市場で見かける庶民たちが手にしているのは大抵これ。酒場で安いビールを頼むなら銅貨三枚くらいってところ。村の労働者が一日中働いて、稼げるのはだいたい銅貨十枚前後かな。


 次に銀貨。中流階級以上の取引でよく使われる。銀貨一枚で、パン十斤や良質なワイン一本が買えるし、宿屋なら数日泊まれる。馬車で長距離を移動するときの支払いにもちょうどいい額。そこそこ良い剣や防具を買おうと思えば、この銀貨が十~二十枚必要になる。


 最後に金貨。金貨一枚は、庶民にとっては一生に一度見るか見ないかの大金だ。大規模な取引や財産の売買、あるいは貴族や大商人同士の契約の際に使われるのが金貨だ。たった一枚でそこそこの農地を買えるし、上等な馬車付きの馬だって手に入る。


 また、金貨は魔女狩りにとって、通貨以上の特別な価値を持っている。


 魔女討伐の報酬は討魔協会が設定しており、そのレートは最低でも金貨一枚からスタートする。討伐対象の脅威度――つまり、魔女の力や危険性に応じて金貨の枚数が上がっていく仕組みだ。たとえば、小さな村を襲う程度の魔女なら金貨一枚、街全体を壊滅させるほどの魔女になれば金貨五枚以上の報酬が提示される。国家の存亡を脅かすレベルなら十枚は固い。


 金貨の枚数=魔女の強さ。この認識は魔女狩りの間では常識だ。平均的な強さのレプリカの感覚で言えば、金貨三枚の魔女なら、「自分一人でいけるかどうか」を慎重に考え始めるライン。金貨五枚以上の魔女になると、討伐隊を組むか、相応の準備をして挑まないとまず生き残れない。


 このように、金貨一枚には決して軽くない命の重みがあり、だからこそ、わたしはその輝きが死ぬほど愛おしかった。


 ・・・


「さあさあ見ていっておくれ! 今日の目玉は新鮮な野菜に、焼きたてパン! どれもこれも安いよ安いよーー!!」


 フェルガーナ郊外の小さな街、カルネア。

 その中枢にある市場は、石畳の広場にずらりと露店が並んでいた。その中の古臭い小さな商店から、一際元気な声が響き渡った。


 声の主は、小柄な少女。焼けるような陽射しの下、エプロンを身に着け、頬を赤くしながら笑顔を振りまいている。そのテンションの高さは、ほかの店主たちを尻込みさせるほどだった。


「お兄さんそこのお兄さん! 新鮮なトマトはいかがですか! 甘くてジューシー、今なら特価で三つ一銅貨!! ついでにこの大根も持っていけば今日の晩ごはんは完璧間違いなし!!」


「そこのおばあちゃん! 今ならパンをニ個買えば三個目が半額ですよ! このパンで元気をつけて、またお孫さんに笑顔を見せてやりましょう!」


 通りすがる人々に容赦なく声をかける姿は、もはや無敵の商売人だった。

 広場の空気はどんどん活気づいていき、行商人や常連の主婦たちもつられて賑やかになる。


 軽快な呼び声と巧みな言葉遣いに、客たちの財布の紐はどんどん緩んでいく。次々と取引が成立し、商店の品物はあっという間に減っていった。


 やがて日が傾き始め、広場を染める夕陽が赤く輝く頃には、古臭い小さな店先には何も残っていなかった。


「ふぅ……完売!」


 少女は腰に手を当て、大きく伸びをした。頬に浮かんだ汗を軽く拭いながら、肩の力を抜く。その表情には、満足感が滲み出ていた。


「ありがとうねぇ、お嬢ちゃん。おかげで助かったよ。はい、これ今日の分ね」


 老婆が差し出したのは銀貨一枚。少女はその額に一瞬驚き、目を丸くした。


「え、こんなに! ありがとおばあさん!」


「いいんだよ。あんたが元気に声を張ってくれるおかげで、お客さんもたくさん来たしね。また来てくれたら嬉しいわぁ」


「もちろん! また近いうちにお世話になります!では店仕舞いまでやっておきますよ!」


 少女は礼を言いながら銀貨をしっかりと受け取ると、満面の笑みで老婆を見送った。その後、手際よく片付けを始める。荷台の残りを確認し、店仕舞いを進めながら、どこか浮かれた足取りだった。


 だが、その瞬間――。


「ねえ」


 不意にかかる声に、少女の背中がピクリと反応する。


「あっ、今日はもうおしまいでーす!」


 少女は反射的に答えながら店先を振り返ると、そこには黒いロングコートを纏った茶髪の少女が立っていた。コートの胸元には協会の紋章が刻まれたバッチが光る。その姿を見た瞬間、少女の眉間にしわが寄る。


「こんなとこで何してんの? レナ」


「げ……あんたは……」


 視線の先にいた声の主は、少女――レナの顔見知りの魔女狩り。討魔協会所属のレプリカだった。


「――カレン、なんでこんなとこいんの?」


 思わず問い返すレナ。だが、カレンと呼ばれた少女は気怠そうな表情のまま、肩をすくめて答えた。


「それこっちのセリフだわ。あんた魔女狩り辞めたん?」


 どこか呆れたような声色に、レナは慌てて首を振る。


「いやいや、これは違くてー! 暇つぶしっていうかー、その……」


 必死に言い訳を並べるレナを見て、カレンは半目になりながら吐き捨てるように言った。


「狩りの合間に市場で小銭稼いでるレプリカなんて見たことないよ……」


「だ、だってほら! 手が空いてたし、目の前に稼げる案件が転がってたら拾うでしょ! ね?」


 それは言葉の通りだった。確かに、この世界は魔女の脅威に満ちている。だが、それに関する依頼や情報が絶える時期もある。そういう時、ただじっとして待つなんてことはレナにはできなかった。お金を稼いでいない時間が、無駄に思えて仕方がないのだ。


「いや、あんただけだよ、そんなの…」


 カレンは面倒くさそうにため息をつきながら、コートのポケットに手を突っ込んだ。


「てか、金に困ってんならあげようか? 私にとってはこんなん、なんの価値もないし」


 軽く金貨を数枚手にして、からかうようにレナの前でジャラジャラと音を鳴らした。


「…いや、そーいうんじゃないんだよな」


 レナは少し顔をしかめながら答えた。その表情は、言い知れぬ居心地の悪さを感じているようにも見える。


「なんかこう……稼いでないと落ち着かないっていうかさ」


 その言葉に、カレンは一瞬黙った。そして、視線を少しだけ逸らしながら、ぽつりと呟く。


「……あんたさ、このまま魔女狩り辞めたら?」


 カレンのその一言は軽く冗談めいていたが、その声色にはどこか真剣な響きが含まれていた。


「見てた感じ、商売の才能あるみたいだし。金稼ぐんだったら魔女狩りに固執しなくてもよくね?それでも金足りないんだったらいくらでも私が――」


「いや、それはない」


 レナの言葉は、いつもの飄々とした態度とは一線を画すものだった。そこには揺るぎない意思が込められている。


「あたしは、魔女を狩って金を稼ぐ。それだけは譲らない」


 短い言葉に宿る決意に、カレンはわずかに目を細めた。そして小さく肩をすくめ、そっけなく答える。


「………あっそ」


 その口調に深く追及する気配はない。


 レプリカ――その存在には、多くの場合、当人にしか理解しえない覚悟や事情が隠されている。カレンにもそれがあった。だからこそ、それ以上詮索する気にはなれなかったのだ。


 夕陽に染まる市場は、次第にその賑わいを失い、広場に冷たい風が吹き抜けていく。沈黙が流れる中、カレンは軽く頭をかいた。


「あー、まあその……さっきのは冗談。だけどさ、あんた本当に気をつけたほうがいいよ」


「協会があたしのこと目ぇつけてんだろ?」


 レナは肩をすくめ、あっさりと答えた。その反応に、カレンの目が少し見開かれる。


「なんだ、知ってんの?」


「うん、最近なんかちょくちょく様子見に来るんだよなー」


 レナの軽い口調に、カレンの顔には警戒心が色濃く浮かんだ。


「へー……どんなやつ?」


「フィーナってやつだよ」


 その瞬間、カレンの表情が凍りついた。


「はぁ!?」


 思わず声を上げ、勢いよく一歩踏み出す。


「フィーナって、あの……フィーナ・テンディスのこと!?」


 カレンの声は明らかに動揺を含んでいた。その反応に、レナは肩をすくめる。


「そのフィーナだよ。あ、やっぱ協会の中でも有名な感じ?」


「有名も何も、あいつは今の世代の序列一位最強、『スペードのA』だよ? 知らない奴なんていないっての……」


「へー、序列なんてあったんだ。知らんかった」


 適当に相槌を打ちながら、レナはふとフィーナのコートについていたバッチを思い出す。確かに胸元には『スペードのA』のマークが描かれていた。それが序列を示すものだと今さらながら気づく。


 ふとした興味から、レナは目の前のエレンの胸元をじっと見た。黒いロングコートに付けられたバッチには、赤い『ハートの7』が描かれている。


「カレンのそれってどれくらい強いん?」


 レナは首を傾げながら問いかけた。その何気ない一言に、カレンの眉が一瞬動く。


「……言いたくない」


 答えを濁すカレンを見て、レナの口元がニヤリと歪んだ。


「あ、弱いんだ〜」


 ププッ、とからかうように笑うレナ。その態度に、カレンの顔が赤く染まる。


「うっさい!」


 ムキになって怒鳴り返すカレン。その様子を見て、レナはさらに楽しげに笑った。


「サボってばっかいるからだぞー」


「はぁ!? サボってないし! 訓練も真面目にやってるし!」


 声を荒げるカレンに、レナは肩をすくめながら軽く手を振る。


「はいはい、そういうことにしときまーす」


「だから、うっさいってば!」


 赤面しながら必死に否定するカレンと、それを面白がるレナ。そのやり取りは、まるで長年の友人同士のようだった。


「…ったく、相変わらずウザいな、ほんと」


 カレンは赤くなった顔を隠すように視線を逸らし、ため息交じりにぼやいた。


「…?どーもありがと!」


 そう飄々と答えたレナは軽く肩をすくめながら、ふと思いついたように問いかける。


「つーかさ、カレンはなんでこんなとこにいるん?」


 その質問に、カレンは眉間にしわを寄せながら面倒くさそうに答えた。


「魔女が出たからに決まってんじゃん。はぁ、マジでダル」


 言いながら、カレンはまた一つ大きなため息をつく。その怠そうな様子に、レナは半眼で彼女を見た。


「おいおい、そんな態度で魔女狩れんのかー?」


「……狩れるし、余裕で」


 そう言い返しながら、カレンは何かを思いついたように、ふとレナの顔をじっと見た。そして、口元に小さな笑みを浮かべながら言う。


「あ、そだ。レナ、あんたちょっとツラ貸してよ」


「……え?」


 突然の言葉に、レナは思わず眉をひそめた。その表情を楽しむように、カレンはニヤリと笑ったままだった。

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