第6話

内田瑞希が珍しく学校を休んだ。


 昨日はあんなに元気だったのだが風邪だろうか?


「にしてもいい出来だなこれ、俺の仕事決まったわ」


 頭を過ぎった考えを捨て、少し前に加工して作った画像を映し出すスマホに釘付けな男子生徒は帰路に着いていた。


 あと五分ほどあるけば家に着く。帰ったらゲームして、飯食って、また友達とゲームして、それから──


「──えっ」


 突然、視界が何かに包まれた。


~~~


「ん、んん……?」


 尻に硬い感覚があって、男子生徒は身を捩った。しかし体は動かず、麻縄が不細工な音を奏でるだけ。


「え、ここ、どこ……?」


 真っ暗なコンクリートの部屋。しかし鼻を突き抜ける悪臭がして、思わず渋い顔をする。


 こんな場所知らない。そういえば家に着く直前で目を塞がれたことを覚えている。もしかするとこれは、誘拐という類の──


「ほら、連れてきたわよ」


 考えているところに女子の声が響き、男子生徒は顔を上げた。暗闇の中で、二人の人間が立ってこちらを見つめている。


 片方は壁に寄りかかってこちらを見ているだけ。そして、もう片方は正面にたって、右腕に握りしめたナイフを光らせていた。


「好きになさい」


~~~


 そうして約一ヶ月、とある中学校の二年生のクラスメイトが、まとめて行方不明になった。


 ゆっくりと一人ずつ姿を消していく様は、最初は遊びだと考えられていたが、いつまで経っても見つからないのに加え、毎日増える行方不明者に大人達は事態が半分以上進行してから対処を始めた。


 学級閉鎖をして、外出を控えるよう呼びかけ、生徒達は本当に家に待機した状態でいた。


 なのに、行方不明者は毎日一人ずつ増えていた。


~~~


「はぁ……はぁ……」


 部屋の中で怯える生徒。彼女にも名前があって、ここで書くほどではないが、八木優菜というそこら辺で見かけるようなものだということだけ述べておこう。


 彼女が今肩で息をしながら布団にくるまっているのは、着々と進む行方不明の事件、その最後の被害者になり得るのが自分だったからだ。


 もう誰もメールを返してくれない。グループに呼びかけても、既読すらつかなかった。もちろんそこに参加していない人達は分からないが、少なくとも25人以上のクラスメイトは既に音信不通だ。


「次は、私なんだ……私なんだ……!」


 事の発端を、彼女はこう考える。


 上水戸瑞希の反逆であると。


 日常的にいじめが繰り返され、されど誰も手を差し伸べなかった哀れな少女。かく言う優菜も、彼女には手を差し伸べなかった者の一人だ。


 助けたい気持ちはあった。しかし同調圧力に負けて、瑞希の悪口で繋がって仲良くなった人もたくさんいた。これは平穏な学生生活によくあるいじめで、これのおかげで学校が平和なんだと、いつしか本気で信じていた。


 そしてそれが間違いだと気づいたのは、大人達と同じタイミングだった。


 謝って今からでも友達になれないだろうか。いつ襲ってくるか分からない瑞希の反逆を恐れ、優菜は謝罪をうわ言のように呟いていた。


 しかしその謝罪が瑞希の心に届くはずもない。


───そもそも、『反逆』と考えている時点で終わってんだから。


 警察や親には自分も襲われるかもしれないと必死に訴えたが、家に入れば安心なはずだと誰も付きっきりでは守ってくれない。


 大人達の言っていることは正しい。正しいはずだが、そう言って安心して居なくなったクラスメイトがいるのだ。


 これはただの事件じゃない。もっと不思議な、大人や優菜達が考えつくような、物理や化学とかのつまらない現実の話じゃなくて──


「………え?」


 突如として、優菜の目の前の壁が消えた。二階の角部屋の壁が無くなると、月明かりと夜風が堰を切ったように入り込んでくる。


 そして、破壊音も何も無く壁を突破した誰かがそこに立っていた。


 大きな月を背景に、薄笑いをし続ける長身の男。現代の学問では説明できないそれを、人はファンタジーと呼ぶ。


「八木優菜さんですね。あなたが最後の人です。ご同行願えますか」


 優しげでゆっくりな口調なのに、得体の知れない恐怖があって、体を震え上がらせる優菜は声が出せない。


「さて」


 男は革靴のまま部屋を歩き、優菜の口元へ布を押し当てた。


「ま、待って──」


「待てません。申し訳ないですが、お嬢様の指示ですので」


 その後、大人達が壁に不自然で大きな穴が空いて誰もいなくなった部屋の様子に気づくのは、次の日の話だった。


~~~


 何度も手を赤く染めた。


 悲鳴を聴きながら決して穏やかでない死を与え続けて、恐怖に歪む顔を踏みつけた。


 報復だ。今までの全部を、世の中から享受していた理不尽をそっくりそのまま返してやった。


 なのに、気分はどこか陰鬱で、何かから目を背け続けている違和感が常にあって、それが結局、人を殺したことに対する罪悪感だと知った時、心底自分に失望したものだ。


「やだぁ!!やぁ!!」


 最後の一人を死に追いやる瞬間は、笑いも泣きもせず真顔だった気がする。何も思わず、ここまで来たならやり遂げるしかないという安っぽい使命感から生まれた殺意に身を任せた。


 これでちょうど30人目。瑞希が殺した人間の数だ。


 夢で描いていた光景が、ずっと汚い要素を纏って現実となった。残ったのはただの安堵と罪悪感だけ。


 これじゃあ、毎晩明日を恐怖していたあの時とあまり変わらない。


「私は……結局……」


 血の池に沈む死体。その近くに蹲り、自分が来ている服に血がしみていくのを感じながら、瑞希は涙を落とした。


 どうやっても変われない。最悪な自分のまま、たった一つの障壁を乗り越えただけ。これからはまた一人で、誰にも受け入れられず、暗い暗い人生を──


「………ぇ?」


 ふと頬に何かが触れた。人肌でもない温もりのあるそれは、瑞希の頬をまるで手で撫でているようだった。


 理解するのに、時間を要した。


 血の池から生えのびた、血でできた手が、瑞希を慰めるように頬を撫でていた。


「………ようやくね。あんたも」


「これは……?」


 その様子を見下ろしていて、全く驚いた様子のない白亜が微笑んだ。



「おめでとう、これでやっと、私はあなたと一緒にいられる」



 その微笑みが、いつも以上に嬉しそうだったことだけが、この時瑞希の記憶に残ったのだった。

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