第4話
授業が全て終わり、今日も家へ帰る。
少し力を加えたら折れそうな細い足を動かして、瑞希は逃げるように教室を出る。そして下へ向かう階段にたどり着いた。
──その時、
「ねぇ上水戸さん!」
「ひっ」
強く責めるような声が響き、まだ生徒達が帰り始めてもいない階段で、瑞希をよくいじめる女子生徒がやってきた。
「ねぇあんたさ、今日間際にさ、呼び出されたんでしょ?そん時さ、なんかチクった?」
「………な、何も言ってません……」
「そ、ならいいんだけどさ」
女子生徒は怯えて縮こまる瑞希の顔を覗き込んでいた。その時間が早く終わらないかと、爆発しそうな心臓な音を聞いていた瑞希。
そしてそれは、不意に終わりを迎える。
「それってさ───絶対、嘘っしょ」
「───ぇ?」
強い衝撃を感じて、予期していなかったそれに対応できず、体は嫌な浮遊感に苛まれながら落ちていく。
離れていく女子生徒の顔が、いやらしく笑っていた。
「──危ないッ!!」
激しい足音と声が聞こえ、瑞希の体は後ろから受け止められた。それでも体を突き抜ける衝撃は凄まじく、肺が押しつぶされるような感覚に思わず咳き込んだ。
「君ッ!!今何をしたッ!!この子を殺す気かッ!!」
次いで響く怒号。その声で、瑞希を今受け止めてくれたのが間際先生であると気がついた。
階段の上からこちらを見下ろす女子生徒の顔がとても怖い。しかし今は自分を受け止めつつ怒っている間際先生がいるから少し安心していた。
「やはり……いじめはあったのか!!」
間際先生はこれ以上ない怒りを見せた。
ようやくまともな大人にこの事実が伝わったのかもしれない。そう思うと、瑞希の心は安堵に満ちていった。
終わるのかもしれない。この地獄の日々が、少なくとも学校では。
そう思ったのに、女子生徒の顔に張り付いて剥がれない卑しい笑顔は、未だ健在であった。
「そんなことより先生、女子生徒に手え出す教師の方が問題じゃなぁい?」
「……何?」
女子生徒は余裕そうにそう言った。その言葉の直後、瑞稀のクラスの男子生徒の数人が、彼女の後ろから現れてスマホの画面をこちらに向けてきた。
「これさ、今日の朝撮れたんだけど、先生どーゆーこと?」
スマホを持つ男子生徒が笑いながら言った。その画面を見て、間際先生と瑞希は目を見開いた。
職員室の応接間で、瑞希の肩を掴む間際先生。その腕の位置が瑞稀の胸にズラされて加工されていた。
「なんだそれは!?」
「あれー?バレて焦った感じ?厳格教師がセクハラとか、ないわー」
「まぁ、所詮男ってこんなもんっしょ。あんたらも私に手ぇ出さないでよー?」
「出さねぇっての。そんなことよりこの画像を教育委員会?とかに出すのが先だろ」
生徒達はその画像を既に拡散していた。少なくともこの学校中に広まったこの画像は、間際先生が瑞希に対してセクハラした証拠として出回っていた。
「これであんたも解雇とかじゃん?面倒な授業と課題だったからさ。ちょうどいいわー」
「君達は……どれだけ他人を踏みにじったら気が済むんだ!!」
「セクハラ教師がなんか言ってら」
間際先生の怒号も虚しく、その画像の前には、社会的な信用を頼りに生きている間際先生は無力すぎた。
やはり逃げられない。道はもう、無かったのだと思い知らされた。
「どんな結果になろうと……私は君達に罰を与える!!」
間際先生が生徒達に連れられ職員室で画像のことをバラされた時に叫んだ言葉だ。
一週間ほどして、間際先生の姿を学校で見ることはなくなった。彼が解雇されたかどうかは知る由もないが、なんと女子生徒達には反省文などの生徒指導が課されたのだ。
間際先生は彼なりに瑞希を救おうとしていたし、こうして有言実行はしてくれた。
でも彼は知らなかった。これが、瑞希を更なる地獄へ誘うことになると。
~~~
「……はぁ………」
生徒指導に捕まって手出しができない状態の女子生徒達。束の間の安寧であるが、瑞希は今の自分が平和であることに喜びを感じていた。
間際先生は不憫な人であった。できれば助けたかった。今どこにいて、どんな状況かも分からない。多分忙しい日々を過ごしているだろう。
加工された画像一つで人生が台無しになる様を見て、そしてそれを平気でしてくるクラスの生徒達に恐怖を覚えた。
なおのこと、彼女らに逆らえなくなってしまった。
「……逃げ出したいな……」
電車を待つ瑞希は、ホームでドアが来るらしい場所の先頭で待ちながらそう呟いた。
逃げるなんて選択肢、ない。逃げるなんて、どこへ?どうやって?逃げたあとは?どうやって生きていく?誰が自分を、守ってくれる?
そんな答えの出ない問いがぐるぐると頭の中を駆け巡り、瑞希は泣きそうになってしまった。
どうにか耐えるしかない。生まれた時から定められた運命だったのかもしれないと、瑞希は半ば人生を諦めてしまっていた。
「……ぁ、来た……」
暗いホームに差し込む人工光。けたたましい音を立てながら走ってくる電車を見つめ、危ないと思って一歩下がった。
───その瞬間、
「死ねよ」
「───え?」
どん、と、嫌な衝撃が背中に直撃した。バランスを崩した瑞希は前に倒れる。
瑞希の体は線路に落ちることは無かった。
その代わり、左腕の肘から先がホームからはみ出してしまった。
「あ」
気づいた時にはもう遅かった。
───やってきた電車と駅のホームに挟まれた左腕がねじ切れる様を、目にしてしまった。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
視界が真っ赤に染った。突き抜ける痛みが、無意識になくなった左腕の断末魔を叫ばせる。
「やば、弱すぎた?」
自分の悲鳴と心臓の音に紛れて、その場から逃げていく誰かの声が聞こえた。それが階段の上から掛けられた声と同じだったのに気がついて、瑞希は絶望した。
そうまでするのか。そうまでして、私を貶めたいのか。どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして──────
「……
「はい、お嬢様」
痛みに支配される思考が疑問を唱えていたその時、どこかで聞いたことのある声が、一筋の光のように差し込んだ。
それを最後に、意識がぷっつりと消え去った。
~~~
「酷い……酷いよ……」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いあぁ思い出した。
『ねぇ、あんた瑞希って言うんでしょ?私も同じ瑞希って名前なんだけどさ、あんたみたいなやつと一緒なの、めっちゃヤなんだよね』
そんな些細な嫌悪感が、全ての始まりだったことを。
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