1章ー⑦
きっと今日はたまたまだろう。
非常階段に来たい気分だったのだ。
瀬那がそう思っていた翌日。
昨日と同じ非常階段の同じ場所でお弁当を広げていると、また階下の扉が開く音がし、コツコツと誰かが上がってきた。
(いやいや、まさか……)
そんなはずないと瀬那が心の中で否定する中、現れたのは、鉄の掟を知らない一年生などではなく、枢だった。彼は昨日と同じ踊り場の壁によりかかり、なにをするでもなくその場に
そうして今日も授業が始まる前になると去っていった。
本当になにがしたいのかさっぱり分からない。
せめて表情からなにか
枢が瀬那に用があるとも思えないので、ますます謎は深まる。
そして枢が非常階段に来るようになって五日目。
最初は気まずさを感じていたものの、特に会話もなく静かな時間が流れるその空間に瀬那は慣れ始めていた。
そうすると、今度は物事を考える余裕が出てくるというもので、瀬那はこの日初めて枢に話しかけてみることにした。
そう決意したものの、どきどきと心臓が激しく鼓動する。
枢を見ては口を開こうとして、口を閉じ視線を本に落とす。
それを何度か繰り返していると、瀬那の耳に低く落ち着いた声が聞こえてきた。
「なんだ」
はっと顔を上げると、枢がじっとこちらを見ていた。
「えっ?」
「なにか言いたいことがあるんじゃないのか」
まさか先に声をかけてくるとは思わなかった瀬那は激しく動揺した。
「あ……えっと……」
話し出すのを待つ枢に、瀬那は小さく問いかける。
「あの、お昼ご飯……食べないの?」
ここに来るようになってからというもの、昼休みの間ずっとこの非常階段にいる枢。
その間、お昼ご飯を食べている様子はない。
お腹は
問いかけてみたものの、答えは返ってこない。
余計なことを聞いてしまったと後悔していると、枢がこちらへと近付いてきて、瀬那の隣の一段上の階段に腰を下ろした。
手を伸ばせば触れてしまうほど近いその距離感に瀬那は戸惑う。
どういうつもりかと見ていると、枢が手を伸ばしてくる。
その先には瀬那のお弁当箱。
半分ほど減ったお弁当箱から卵焼きを指でつまむと、枢はそのまま口へと運んだ。
食べる姿すら絵になる彼の姿を呆然と見つめる。
食べ終わったらしい枢は、再び手を伸ばしてくる。
そこで瀬那は我に返る。
(え? なんで私のを食べる!? あげるとは言ってないんだけど)
そんな動揺もありつつ、それ以上に気になったのが……。
「あ、あの、これ私が作ったの。だから一条院さんの口には合わないと思うから……」
一条院家の御曹司。
普段から高級な物に慣れているだろう彼の舌に、瀬那が作った庶民の食べ物が合うとは思えない。
しかし。
「問題ない」
そう言って再びお弁当箱に手を伸ばす。
(いや、だからそれ私の……。言える勇気ないけど)
それ程大きくもない一人分のお弁当は、二人で食べればあっという間になくなった。
時間になり立ち上がった枢は……。
「
そう言って、去って行った。
一拍の後、去り際の言葉を思い出し困惑する。
「えっ、明日も食べるの? しかも私が作るの?」
当然瀬那しかいないこの場で、答えが返ってくることはない。
翌日の早朝、瀬那はキッチンで頭を抱えていた。
「うーん、言われた通り作るべき? それとも……」
作ってこいと言われたが、本当に作っていくべきか瀬那は悩んでいた。
あの一条院枢が瀬那の作った物なんかを好き好んで食べるとは思えない。
かと言って、作ってこいと言われたのに作っていかなかった時の方が怖い気がする。
やはりここは作っていくべきか。
「よし、やるか」
枢が食べなかったら二人分食べればいい。
そう考え、瀬那は作業に取りかかった。
そうしてできあがった料理をお弁当箱に詰めていく。
お弁当箱を二つ用意するか、大きいのを一つ用意するか迷ったが、なにを食べるか分からないので、好きにつまめるように大きいお弁当箱に詰めていく。
そうして完成したお弁当を持って、学校へと向かった。
「瀬那ちゃん、おはよう」
教室に入ると、早速美玲が声をかけてきた。
「おはよう、美玲」
「瀬那ちゃん、あれ見て」
美玲がちらっと見た方向を釣られて見ると、そこには愛菜がいる。
普段そばにはいない女子生徒と共に楽しそうにおしゃべりをしているようだ。
別に普通の女子高生ならばそんな光景はなんらおかしいことではない。
けれど、愛菜は枢たちと行動を共にしているせいで、女子生徒からは嫌われて……あるいは遠巻きにされており、彼女と仲良く会話する女子生徒はいない。
それが、今日は一人の女子生徒と一緒にいる。
「瀬那ちゃんをあきらめて次の子を見つけたみたい」
「私的には助かるけど、相手は
小林さんはクラスでも大人しくて目立たない子だ。
以前は
元々見た目も派手な花巻グループに、大人しい小林さんがいるのは違和感があったので、小林さん的にはほっとしているのかもしれない。
だが、今度は愛菜に目を付けられる結果となったのだから、彼女も災難だとしか言えない。
「まあ、小林さん自身が問題ないならいいと思うけど」
「そうだね。楽しそうに話してるようだし、新庄さんの方が花巻さんたちよりはまだ話しやすいんじゃない?」
派手で少し言動がきつい印象の花巻よりは、空気が読めない天然な愛菜の方が、まだ大人しい人には話がしやすいかもしれない。
小林さんの様子を見ている限り、嫌がってはいなそうだ。少々愛菜の勢いに困惑しているようには見えるが、時折笑みを浮かべている。
「でもさ、相手はあの新庄さんだよ。なに事もなければいいけどね」
などと、美玲が不穏なことを言う。
心配ではあるが、これで愛菜が近付いてこなくなるなら万々歳だ。
ようやく静かな生活に戻れると、瀬那は
「そうだ、瀬那ちゃん。今日は久しぶりにお昼一緒に食べる?」
「ああ、えっと」
確かにここ最近、美玲とお昼を食べていなかった。
けれどいつもより多めに作ってきたお弁当を思い出す。
「ごめんね。本が丁度いいところなの。また今度誘って」
「そうなの、残念」
瀬那は残念そうにする美玲に心の中で謝った。
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