1章ー⑥

「でも、一条院さんは新庄さんのことなんとも思ってないとしても、彼女の方は違うよね、あれ」

 愛菜が枢を見る目には明らかな好意が見て取れた。

 あれでは誰が見ても愛菜が枢を好きなことが分かる。

「うん、間違いない。あれは絶対に一条院様のこと好きだよね。相手にされてないみたいだけど」

 ざまあとでも言いたげな表情の美玲に、瀬那は苦笑する。

「私に対してもそうだけど、あれだけ無視されてて話しかけ続けられるのってすごい精神力だよね。私なら落ち込むと思うんだけど」

 瀬那はそれとなく発する空気で、迷惑であることを悟ってもらおうと、会話を切り上げようとしたり、つまらなそうな顔をしたりと、瀬那なりに察してもらおうとしているのだが、まったく効果がない。

 瀬那にしろ枢にしろ、返事のない相手に対して、一方的に話せるあの精神力はすごいと普通に感心してしまう。

 普通なら途中で心が折れる。

「一種の才能だよね。その被害がこっちに来るってのが厄介だけど」

 そう言って美玲はうんざりした顔をする。

「激しく同感」

 このまま彼女が瀬那が出す空気に気がつかないのなら、泣かれるのを覚悟ではっきりと拒否した方がいいかもしれない。

 平穏な生活のためにも。

「そうだ、瀬那ちゃん。今日放課後空いてる? かけるなつめとカラオケ行かない?」

「生徒会はいいの?」

「うん、今日は生徒会は休み」

「そうなら、いいよ。予定ないし」

「やった、じゃあ放課後ね」


 そして放課後、帰る準備をしている瀬那の教室へ、二人の男子生徒が顔を出した。

 途端に女子生徒たちのざわめきが湧きあがった。

「会長と棗君よ」

 そこかしこで女子生徒たちがきゃあきゃあと騒いでいる。

 それは枢を始めとした三人に対するのと同じような歓声だ。

「瀬那、美玲、帰るよ」

 瀬那と美玲の名が呼ばれると、女子からうらやましそうな視線が投げかけられる。

「今行くー。行こう瀬那ちゃん」

「うん」

 かばんを持って、二人の所へ行く。

 かみ翔と西さいじよう棗。

 柔和な微笑みがよく似合う翔は、この一条院学園の生徒会長。

 明るく人当たりもよく、運動も勉強もできる彼は、その人気でもって生徒会長に任命された。

 瀬那とは同じ中学校出身で、その時代からの友人だ。

 そして隣にいる棗。

 元々友人だった翔や美玲のつながりで、瀬那も棗と親しくなった。

 大人しく地味な印象のある棗だが、よくよくみればとてもかわいらしい顔をしている。

 それが嫌で眼鏡と髪で顔を隠しているのだが、隠しきれていないのが実状だ。

 書記を務める棗は、会長の翔と副会長の美玲と共に、絶大な人気を集めている。

 その人気は一条院枢をトップとし、和泉瑠衣、神宮寺総司が脇を固めるノワールと二分するほどで、女子生徒のほとんどが生徒会派かノワール派かと言われている。

「お待たせ」

 教室の入口で待つ翔の所へ行くと、翔は微笑みながら瀬那の頭をポンポンと触れる。

 途端に周囲から上がる女の子たちの悲鳴。

「きゃー、私もされたい」

「いいな~」

 そんな悲鳴が上がる中、美玲が瀬那の頭の上にある翔の手をはたき落とした。

「つっ、なにするんだ、美玲」

「セクハラ」

 なんとも冷たい目で翔をにらむ美玲。

「人聞きの悪い。ただ撫でただけだろ」

「大して違わないし」

「ねえ、早く行こうよ」

 待ちきれない様子の棗の声に促され、動き出す。

 ふと教室内に目を向けた瀬那は、こちらを見る漆黒のひとみにわずかに動きを止めた。

 また枢と目が合った。

 決して遠くない彼との距離。

 いつもの気のせいではなく、彼がこちらを見ていたのは確かだ。

 けれど教室の入口で騒いでいたから目を向けただけなのか、それとも……。

 教室という枢と同じ空間にいるようになったものの、瀬那が枢と話したことはこれまで通り一度もない。

 距離が近くなった分、あまり見るのもなんだと思った瀬那は、枢の方を見なくなった。

 そのせいか、目が合ったと感じることも少なくなった。

 だが、これが彼との正しい距離感。

 それが、覆されたのは翌日のことだった。


 昼休みを知らせるチャイムの音が鳴り、それと同時に授業が終わる。

 先生が教室を出て行くと、生徒たちが一斉に動き出した。

 瀬那もお弁当が入った小さなバッグと水筒を持ち、教室の後ろのロッカーから一冊の本とハーフケットを取り出すと、教室を出ていつもの場所へ向かった。

 ひとのない非常階段。

 そこがいつも瀬那が昼休みを過ごしている所だ。

 この人の来ない寂しい非常階段で昼食を取り、あまった時間で本を読むのが瀬那の日課。

 時々美玲や翔や棗と生徒会室で会話を楽しみながら食べたりすることもあるのだが、この誰にも邪魔されない静かな非常階段でゆっくりと食べるのが好きだった。

 階段の段差に腰を下ろす。

 踊り場からは裏庭が見え、そこから入ってくる外の風はもう春だというのにまだ肌寒い。

 用意していたハーフケットをひざにかけ、寒さをしのぐ。

「いただきます」

 お弁当箱を開け、静かな食事を始める。

 本を読みながらお弁当を口に運ぶ。

 少し行儀が悪いが、他に誰もいないので文句を言われることもない。

 そう思っていたが、瀬那がいるより階下からギィッと扉の開く音が聞こえてきた。

 この非常階段には昼休みに近付かないようにと親衛隊が周知している。

 きっとまだおきてのことを知らない新入生でも入ってきたのだろう。

 親衛隊が立ち入り禁止と言っているが、瀬那自身は別にこの非常階段を私物化している気はない。

 周りが気をきかせてくれているだけで、通るなら自由に通ればいいと思っていた。

 読書の邪魔さえされなければそれで文句はないのだ。

 なので、特に気にすることなく視線を本に戻すと、コツコツと誰かが上がってくる音がする。

 瀬那は荷物を置き、階段を占領するように座っている。

 こちらに上がってきて横を通るのなら、邪魔になるので場所を空けないといけない。

 そう思って荷物を端に寄せた瀬那は、下から上がってきたその人物が姿を見せた瞬間、思わず手に持っていた本を落としかけた。

 作られたような美しい容姿と、人を魅了してやまないオーラを発し、なににも無関心のような漆黒の瞳。

 一条院枢がそこにいた。

 予想外の人物の登場に、息をむ。

 なぜ彼がこんなところにいるのか。

 ぼうぜんと枢を見ていると、枢と視線が重なった。

 これまでのような気のせいかもなどではなく、間違いなく瀬那を見ている。

 今までにないほど近い、彼との距離。

 瀬那が目をそらせないでいると、先に枢が視線をそらす。

 金縛りから解けたようにはっと我に返った瀬那は、枢が通れるように階段の端に寄る。

 しかし、枢は足を止めてそれ以上上がっては来ず、踊り場の壁に寄りかかってしまった。

(えっ、ここにいる気!?)

 しばらく様子を見ても動く気がないようなのでそうなのだろう。

 互いになにかを話すわけではない。

 枢は壁に寄りかかりながら外を見たりスマホを確認したりするだけで、ここになにをしに来たのかも分からない。

 瀬那は本に視線を落としながらお弁当を食べ始めたが、正直お弁当の味も本の内容も入ってこなかった。

 気まずい……。

 いや、そう感じているのは瀬那だけかもしれない。

 ちらちらと観察した枢の表情にそんな気まずさはじんも感じられなかった。

 それからしばらく居続けた枢は、授業の始まる数分前になり、ようやく瀬那の横を通りすぎ非常階段から去って行った。

 一言も声を発することなく。

 なにをしに来たのかと首をひねりながら、瀬那も荷物を持って教室へと戻った。

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