第3話 呉越同舟

 街道の両側が草の生い茂る湿地になっているところへさしかかると、前方に一本の大きな木が茂っていた。


 そこは神社のようで、小さな祠の前にいかにも人相の悪そうな連中が数名座り込んでいた。


 武士には見えないが、腰にはみな大刀を差している。


《野盗:ステイタス省略》


 脳内モニターに出てくる情報もその程度だった。


「後ろからは三人だ」と、耳に直接吹き込まれるように、背後から心結の声が届いた。


 俺は顔を前に向けたままつぶやいた。


「心結は俺を追い抜いてこのまま行け」


「おまえ一人に何ができる」


「相手もいきなり殺しはしないだろう。出方を見るまでは手出し無用だ」


 返事がないので、敵に悟られぬように目の隅で気配を探したが、いつの間にかどこかへいなくなっていた。


 脇道などはないから、あしの間にでも紛れたらしい。


 忍びなのだから心結の心配はいらないだろう。


 自分自身の身を守らなければならない。


 いくら『信長のアレ』パワーアップキットの能力値編集機能で能力を強化したといっても、剣術や格闘技など、一対一での肉体のぶつかり合いでは勝ち目はない。


 手持ちの武器は腰の刀だけだが、素人が振り回したところで、返り討ちに遭うだけだ。


 俺は平静を装いつつ神社へ近づいていった。


 座り込んでいた連中が立ち上がる。


 どれも毛むくじゃらの太い腕をした熊みたいな男四人だ。


 この時代にしては背が高く、みな俺と同じくらいある。


 頬に傷のある男が俺をにらみつけた。


「ちょっと待ちな」


 やはりすんなり通してくれないらしい。


 俺が立ち止まると、二人ずつ脇によけて、荒くれどもの間から女が一歩前に出てきた。


 小柄だが、メリハリのきいた体の線がくっきりとした美人だ。


 開いた襟の合わせ目からこぼれそうな胸の谷間につい目が行ってしまって、思わず耳が熱くなる。


「どこ見てんだよ」と、いきなり怒鳴られてしまった。


「いや、すまない」と、俺は脇をすり抜けようとした。


「お兄さん、ちょっと顔貸してもらうよ」と、女が俺の前に回り込んできた。


 ふわりといい香りが漂う。


 お兄さんと呼ばれたが、歳は明らかに相手の方が上だ。


「金ならやるぞ」


「あんたに用があるんだよ」


 モテたことのない男ほど、こういうときに美女に呼び止められるものだ。


「俺は織田家の家臣だ」


「知ってるよ。明智とか言う軍師なんだろ」


 どうやら間違いなくご指名のようだ。


「目的は?」と、俺はたずねた。「俺の命か」


 女は答えずに、背伸びしながら俺の来た道を見た。


「くノ一もいたよね?」


「知らん」


「どこかで見張ってるってわけかい?」と、ニヤけながら鼻で笑う。「忍び一人じゃ、期待しても無駄だろうけどね」


 女は男どもに指で合図して、俺を後ろ手に縛り上げさせると、神社の裏から湿地へと続く小道に引っ張っていった。


 腰の刀を取り上げられたが、危害を加えるつもりはないらしい。


 抵抗しても無駄なので俺はおとなしく歩いた。


 葦の茂る湿地をしばらく歩き、沼地に小舟が並んでいるところまで来た。


 女と一緒に舟に乗せられ、部下の男が竹の棒で沼底を突くと、ついっと対岸へ向かって進み出す。


 葦の茂みを揺らしながら北風が吹き抜ける。


 茂みをかき分けるように進むと、小さな小屋が見えてきた。


 そこへ舟が着けられ、小屋から突き出た桟橋に引っ張り上げられた。


「入れ」


 背中を押され、小屋の中に転がされた俺が顔を上げると、そこにいたのは予想もしない人物だった。


「オウ、ミウラさん!」


「お、おまえ……」


 あまりの意外さに思わず声が詰まる。


 青い目の金髪南蛮商人、デイブ・スミッシーだ。


 やつも俺同様縛られている。


「なんでこんなところに?」


 縛られているのに欧米みたいに肩をすくめる。


「美人に手を出したら、コワイお兄さんたちが出てきました。ツツモタセに引っかかりました」


 相変わらずわけの分からない男だ。


 こいつのせいで俺は今川家との内通を疑われたり、散々な目に遭わされたのだが、不気味なほど日本語に堪能で、滑りまくるジョークも親父ギャグなのか本気なのかまるでつかみ所がなくて困る。


「尾張から姿をくらまして何をしていた?」


「くらましてなどいませんヨ。ちょっと散歩してただけデース。ウォーキングは健康にいいですからね。でも命には良くないネ」


 縛られているのにつやつやとした肌の男に言われると納得してしまいそうだ。


「何を企んでいる?」


「それは私たちを捕まえた連中に聞いてくだサーイ。パーティーではなさそうですネ」


 こんなときでもペースを崩さない男だ。


 テキトーなのに筋が通っている。


 地球の反対側からはるばるこんな極東の国まで来たのだ。


 肝が据わっているのだろう。


 一方で、俺もそれほど動揺しているわけではなかった。


 楽市楽座の構想を打ち出した時から、反発を招くことは分かっていたし、今川の内部にも織田と松平の同盟を主導した軍師を目障りだと思うやつは当然いるだろう。


 ようするに敵だらけなのだ。


 ただ、命を狙いに来るのでなければ、それほどあわてることはないと心の準備はしてきたつもりだ。


 だから、こういう状況に陥っても、相手の素性を探る方法を考えようとしているのだった。


「俺たちを捕らえた連中の指導者はあの女なのか?」


「ハーイ。とてもグラマラスなキュートガールですネ」


 おまえの好みなんか聞いてねえよ。


 と、そこへ、手下の男が一人やって来た。


「おい、南蛮人」


「私デスカ?」と、デイブが首を伸ばす。「私はデイブ・スミッシー。イギリス人デス。でも実はサイタマ出身ですケドネ」


「おまえの持っていた袋の中身だが」と、デイブのジョークを無視して男が中身を小屋の床の上に転がす。「こいつは何だ?」


 小さくて丸い……ジャガイモだ。


「これは『大地のリンゴ』と呼ばれるポテイトウです。つい最近、新大陸からもたらされました」


「なんだと、これがリンゴなのか?」


 男が表面を手で拭って土を取り除くと、緑色の皮が現れた。


「なるほど、青リンゴというわけか」


「ハーイ。日持ちがするので、船にたくさん積んでおくと非常食になりマース」


「ほう、そいつはいいな」


 男は緑色のジャガイモに皮ごとかじりついた。


「ペッペッ」と、いきなり吐き出す。「にげえじゃねえかよ。くっそまずいぞ」


「そのままでは食べられまセーン。油で揚げたり、蒸して食べるとホクホクしておいしいですよ」


「そうなのか。南蛮由来のテンプラとかいうやつか」


「ハーイ。衣がなくてもおいしいデース」


「よし、あねさんに教えてこよう」


 手下の男は自分の手柄になると思ったのか、陽気に鼻歌を歌いながら小屋を出て行った。


「あんなもの、どこで手にいれた?」


「航海の途中でジャガタラで仕入れたものですヨ」


 今のインドネシアのジャカルタのことらしい。


「食べたことあるのか?」


 ヒュウと口笛を鳴らすだけで答えない。


「緑色のジャガイモには毒がある。あんたそれを知っててやつらに教えなかったな」


「サスガ、お見通しでしたカ」


 令和の家庭科の授業で先生がそんな話をしていたのを覚えていたのだ。


 ちゃんと話を聞いていて良かったぜ。


 過去の時代から届くわけないが、『先生ありがとうございます』だ。


 と、俺の脳内モニターに戦場の様子が中継された。


 一夜城の攻撃をためらっていた武田軍に対し、松平軍は予定通り側面から迫りつつあった。


 また、それに連携して今川軍は武田の背後に向かっていた。


 遠州屋の工作が間に合ったようだ。


 と、映像が途切れてアラートが表示される。


《敵軍の接近を察知した馬場信房は、武田軍の撤退を指示しました》


 さすがは武田四天王。


 武勇だけでなく、判断力も冴えている。


 伊奈方面への退路があるうちに兵を引けば損失を最小限に抑えられるというわけだ。


 俺は秀吉に追撃はしないように指示してあるし、松平勢も、敵を追い出せば面目が保てるのだから無理はしないだろう。


 今川には恩を売ることができたはずだ。


 義元との和解はないだろうが、漫画で氏真を抱き込んであるから、現状維持の関係性で構わない。


 俺が野盗どもに捕まっていても、作戦は予定通りの展開で決着したようだ。


 ほっと一息ついていると、デイブが口をゆがめるようにわざとらしく笑みを浮かべた。


「何かグッドな知らせでもアリマシタカ?」


「いやべつに何も」


「ミウラさんは不思議な能力を持ってますカラネ」


 まったく、どこまで見抜いているのか、不気味で仕方がない。


 ただ、俺の方からペラペラしゃべることはないから黙っていればいいのだ。


 夜になってどこからか香ばしい油の匂いが漂ってきた。


「どうやらフライドポテイトウを作っているようですね」と、デイブがクンクンと鼻を鳴らす。


「あんたの思惑通りに毒とも知らずに食べてくれるといいな」


 板壁の隙間から星明かりが漏れてくる。


 暗闇に慣れた目にはまぶしいくらいだ。


 俺たちには何も食事は出されないが、ジャガイモの毒味をさせられるよりも空腹の方がマシだった。


 ただ、板一枚の壁から寒さが染みこんでくるせいで、疲労でうとうとしかけても、体が震えて眠ることはできなかった。


「温め合いまショウ、ミウラさん」


 デイブが尻を浮かせて俺に密着してくる。


 背中をくっつけてもたれ合うとお互いのぬくもりを感じる。


「お市様の背中だと思ってくれていいですヨ」


「断る」


「もう、本物を知ってるんですカ」


 ――うるせえよ。


 返事ができない俺を背中でデイブが笑っていた。


 ――ん?


 外の様子がおかしい。


 どこか近くで、うめき声が聞こえはじめた。


 一人二人ではない。


 おそらく全員で緑のジャガイモを食べて、みな腹を壊したんだろう。


 沼に向かって吐いているのか、ひどく咳き込むやつもいる。


「オーウ、カミヨ、彼らを守りタマエ」


 あんたがだまして食わせたんだろうがよ。


 だが、おかげで、監視の目がなくなった。


 小屋の扉が開く。


 どこかで様子をうかがっていた心結みゆが救出に来たのだ。


「いったいどうしたのだ?」と、拍子抜けの表情で星明かりを背に立っている。「見張りがいなくなったぞ」


「オウ、黒髪ギャル!」と、デイブが弾けるように立ち上がる。「パーフェクト。アナタハ、カンペキデース!」


 縛られたままの体を芋虫のようによじりながら迫っていく。


「ステキなポニーテイルちゃん!」


 ガツンと膝を蹴られてデイブの体は無様に床に転がった。


「なんすか、こいつ」と、心結の声は月も凍るほどに冷え切っている。


「あー、ワタシはデイブ、デイブ・スミッシーです。イギリスの貴族デース」


 心結は真顔で口説くデイブを無視して俺の縄を切った。


「野盗の連中が急に苦しみだしたのはなぜだ?」


「デイブが持っていた南蛮渡来の毒芋を食べたんだ」


「なるほど、それで」と、デイブをチラ見する。「油断のならない男ですね。殺しますか?」


 よほど嫌っているのか、声にためらいがない。


「オーウ、せっかく女神に会えたのに、いきなりお別れデスカ。あなたに殺されなくても、セツナイ恋でワタシのハートは燃え尽きてしまいますケドネ」


「黙れ」と、ついに心結が吐き捨てた。


「オーウ、このピュアな恋心、お市様に恋するミウラさんなら分かってくれますよね」


 ちょ、俺を巻き込むなよ。


 西洋人らしく派手なウィンクが様になるが、心結は渋い表情を俺に向ける。


「やはり殺します」


 ――いや、まあ。


 俺も恨みがあるし、殺してもいいんだが。


「待て」と、俺は手を差し伸べた。「縄を切ってやってくれ」


あるじのご命令ですが、お断りいたします」と、俺に刀を差し出す。


 そんなに嫌かよ。


 仕方がないので俺は自分でデイブの縄を切ってやった。


「ミウラさん、フランクに感謝しますヨ。アリガトゴザイマス」


 心結が先に小屋を出て周囲を警戒する。


「逃げるなら今です」


「いや、やつらと話がしたい」


「なにゆえに?」と、あからさまに心結の眉が上がる。


「まだやつらの目的も、背後の黒幕も分かっていない」


「今は逃げて、追っ手を派遣させれば良いでしょう」


「いや、今聞いておかないと、依頼者に消されるかもしれない」


 心結があからさまにため息をつく。


「自分の身も守れないくせに、どうなっても知りませんよ」


「せっかく助けてもらって済まないな」


 心結はそれ以上抗議の表情は見せず、おとなしく着いてきた。


 俺たちは三人まとまって、やつらが炊事をしていた場所へやって来た。


 葦の囲まれた中州のような土地にやつらのねぐららしい小屋が三軒建っている。


「ううう……」


 緑のジャガイモを食って毒にやられた連中が嘔吐したり、痙攣しながら下痢を垂れ流したりして、あたりにはひどい悪臭が漂っている。


「どれくらいあったんだ?」と、俺はデイブにたずねた。


「袋にドッサリ」と、落ちていた大きめの麻袋を拾い上げる。「全部食べたようですネ」


 日本初のフライドポテトがよっぽどうまかったんだろうな。


 毒入りだったのは気の毒だが。


 首領の女も腹を押さえてうめいている。


 心結がさっと駆け寄り、俺とデイブとの間に割って入った。


 嘔吐と下痢でひどい姿なのを隠してやったらしい。


「手当をしてやってくれ」と、俺は背を向けて頼んだ。


「分かってる」


 デイブはのたうち回る手下どもから金目の物を奪い取っている。


「あんた、情け容赦もないな」


「甘いのはミウラさんですヨ」と、俺にも刀を放ってよこす。「弱った者はたたきのめす。世界のジョーシキデース」


『情けは人のためならず』という言葉を教えてやっても無駄だろう。


 人としても男としても変人だが、荒波を越えて日本まで来たんだ。


 俺は連中の小屋の中に入った。


 消えかかったたき火をおこして簡便な松明を作る。


 小屋の中には干した褌やら口の欠けた瓶といった生活用品が並んでいるだけで、特に金目の物や、何か手がかりになりそうな物はない。


 ――お、これは……。


 小さな壺の中に、ろうのように固まった蜂蜜が入っている。


 他にも、令和の物とは品種が違うようだが、ミカンの仲間らしい果物を見つけた。


 俺は別の小屋の中も見て回って、皿とお湯を沸かす土鍋などを集めた。


 うまい具合に塩もあった。


 その時に女物の服も見つけたので、心結に、女盗賊の体を拭いて着替えさせてやるように持っていってやった。


 その間、俺はくみ置きの水を煮沸して消毒し、それに蜂蜜と塩を加え、果汁をしぼってよくかき混ぜた。


 スポーツドリンクの完成だ。


 令和の理科の授業でやった電解質の実験を思い出したのだ。


 成分のバランスは適当だけど、味は悪くない。


 冬の夜の冷気が冷蔵庫代わりにすぐに熱を冷ましてくれる。


 手頃なぬるさのスポーツドリンクを心結のところへ持っていく。


 女盗賊は着替え終わっていたが、まだ腹の調子はおかしいらしい。


「体中の水分が抜けてしまっただろうから、これを飲むといい」


「これ以上まだ毒を盛るつもりか」


「殺すなら、弱っているところを刀で刺せば済む。体に吸収されやすい飲み物だ。飲んでみろ」


 それでも渋っているので、俺は毒見の意味で飲んでやった。


 ようやく疑わしそうな目を向けたまま口をつける。


 ゴクリと喉を通ると、あとは一息だった。


「うまいか?」


 顔を隠すように返事をしないが、もういっぱい注いでやると、うまそうに喉を鳴らして飲み干した。


「苦しい思いをさせて済まなかったな。あの芋は本当は毒はないしうまいんだ。だが、光を浴びて緑色になると毒の成分が増えてしまう。あの南蛮人はそれでおまえたちをだましたんだ」


「ちくしょう、馬鹿にしやがって」


 悪態をつく程度には力が回復したらしい。


「お互い様だろう。なぜ俺たちを捕らえた」


 それにはまた返事をしない。


「名前は?」


「そんなもんないよ」


「言いたくないのか」


「ないんだよ」


 どうやら本当に名前がないらしい。


 心結が口をきつく結んで目を背けている。


 忍びや盗賊など、表に出てこない世界の人間には俺の知らない裏社会特有の事情があるのかもしれない。


「じゃあ、なんて呼べばいい」


「みんなは『姐さん』って呼んでるよ」


「でも、俺はあんたの子分じゃないからな」


「好きにしな。ごみでもくずでもなんでもいいよ」


「そんな呼び名にするわけにはいかないだろ」


 と、雲に陰っていたのか、不意に小屋に月明かりが差し込んできた。


「じゃあ、《美月》にしよう」


「みづき?」と、女盗賊が頬を赤らめる。「気持ち悪い名前をつけるな」


 口調とは裏腹に目が泳いでいる。


 どうやら照れているらしい。


「好きにしろと言ったんだからな。好きにさせてもらう」


 と、そこへデイブもやってきた。


「野郎どもにも『甘い汁』を飲ませてきましたヨ」


「おう、サンキュー」


「ミウラさんはイングリッシュも話せるようですネ」


 学校の成績は悪かったけどな。


「ヤツラも、少し回復してきたようですヨ。死にはしませんネ」


「それは良かった」


 俺は再び尋問に戻った。


「誰に頼まれた?」


「助けてもらったからって言わないよ」


「言え」と、声を押し殺した心結が後ろから美月の首筋に短刀を当てた。


 髪を引っ張られ、白い喉が月明かりに浮かび、美月の顔が歪む。


「わ、分かった」と、態度が軟化する。「今川の殿様だよ」


「義元か?」


 美月が首を振る。


「ということは、氏真か」


 奥歯を噛みしめて返事をしない。


 それが答えということだ。


「そうか、氏真が……」


 サッカー漫画で手懐けておいたつもりが、それほど愚将ではなかったということだ。


 いや、一見友好的で脇の甘さを見せておいて、裏では狡猾に排除しようとしていたのだから、策士、智将と言うべきだろう。


 当たり前と言えば当たり前のことだが、氏真だって一応名門今川家の当主なのだ。


 表面的には手を結ぶように見せかけておいて油断させ、織田家の軍略を提案する俺を消そうとするのは、弱肉強食の戦国の世では至極当然のことだ。


 権謀術数虚々実々、ただの蹴鞠馬鹿と見せかけておいて油断させる。


 織田信長だって、ついこの間まで『尾張のうつけ』と呼ばれていたのと同じだ。


 だが、こうして裏が分かった以上、筋書を変える必要がある。


 うまく利用するつもりだったが、やはり敵は敵だ。


 俺はもう一つたずねた。


「デイブはどうして捕らえた?」


「こいつは本当に突然私に言い寄ってきて気持ち悪かったからだ」


 おいおい、本当にそれなのかよ。


 デイブは口笛を吹いて知らぬふりを決め込んでいる。


 ていうか、複雑な裏があるよりも、むしろその方が納得してしまう。


「なるほど、分かった」


「あたしらを信じるのか」と、美月が俺を見上げる。


「嘘なのか?」


「いや、嘘ではない」と、背後の心結を気にしながら答える。


「おまえたちは今川家の依頼をしくじった。今さらここにいても、消されるだけだろう。生きていたければ俺と一緒に来い」


「はあ?」と、困惑顔で美月が両手を広げる。「本気で言ってるのか」


「もちろんだ」


「自分を捕らえた盗賊を信用するのか」


「いけないか?」


「馬鹿じゃねえの」


「なら、いくらほしい?」


「金なんかいらないよ」


「盗賊は金で動くだろう?」


「だからいらないって」


「おまえこそ、盗賊のくせに金を受け取らないなんて、馬鹿じゃないのか」


「なんだと。口の利き方に気をつけな」


「率直に言って、殺し合いはしたくないし、味方にできるなら、仲間は一人でも多い方がいいんだ。だから、一緒に来てくれ。だめか?」


「べつにだめじゃないけど……」


 急にしおらしい態度になって口調が穏やかになる。


「なんか、信用ならなくてさ」


「盗賊にくらべたら俺たちの方がまともだと思うぞ」


「うっせえよ」と、吐き捨ててから真顔に戻る。「あたしらを裏切ったら、今度はすぐに殺すからね」


「大丈夫だ。約束は守るよ」


 盗賊と奇妙な契約が成立した。


 脳内モニターにイベント情報がポップアップする。


《盗賊団が家臣に加わりました》


《人心掌握により、統率力が+1上昇しました》


 俺は心結に指示を出した。


「浜松の遠州屋に、買い付けた塩を岡崎へ納入するように伝えてくれ。俺はこいつらを連れて清洲に戻る」


「かしこまりました」


 心結はつかんでいた美月の髪を突き放すと、すぐに葦の原へと姿を消した。


 震え声で美月がつぶやく。


「あいつ、何者?」


「伊賀の忍びらしいが、なぜ?」


「あたし、いろんな修羅場をくぐり抜けてきたけどさ、あんな殺気を漂わせたやつに会ったことないよ」


 美月が俺に手を差し出す。


 握手でもするのかと思ったら、手が震えているのだった。


「あんた、あの女、よく使いこなしてるね」


「そうかな。率直で口の悪いところはあるけど、仕事はできる忍びだと思うぞ」


「あの女の内にある規律から外れるようなことがあれば、たとえ主人でもあんたのことを殺すだろうね。そういう女だよ、あいつは」


 それはお市様への忠誠心が試されているということなのだろうか。


 だとしたら、その心配はないだろう。


 それに関して道に外れるようなことはしないし、俺の心にはつねに本能寺がある。


 俺はお市様のために生きているんだからな。


 美月の手下たちが集まってきた。


 まだ腹の調子は良くないらしく、顔色が悪くふらついている。


「おまえたち、今日からこの御方があたしたちのかしらだ。いいね」


 手下どもは納得したわけではなさそうだったが、不平を漏らす者はいなかった。


 みな、美月に心酔しているらしい。


 今までよほど面倒見が良かったんだろう。


「何ニヤけてんのよ」と、美月が俺をにらみつける。「あんたもあの南蛮人と同じかい?」


「あれと一緒にされるのは迷惑だ」


 はっきり答えると、聞こえたのか、デイブが駆け寄ってきた。


「オーウ、ミウラさーん,それはナイネ。我々は仲間でしょう。オトモダチね」


 盗賊連中よりも、どう考えてもこいつの方が信用ならない。


「なあ」と、美月が俺に耳打ちする。「あんた、明智光秀って言うんだよな。なんであの南蛮人は『ミウラさん』って呼んでるんだ?」


 俺が知りたいよ。


「南蛮人だから、何か勘違いしたらしい。意味なんかないよ」


「そうなのか」と、納得いかない表情で美月が肩をすくめる。


「よし、明るくなる前にここを離れて三河へ入ろう」


「おまえたち、お頭についていくよ」


 ういっすと、力ない返事が闇に溶け込んでいく。


 美月の先導で俺たちは葦の原を抜けて街道に出た。


 三河に入ると、街道に明かりが灯っていた。


 俺自身が整備した街灯が役に立っているのはうれしかった。


「なんだい、夜だっていうのにずいぶん明るいね」と、美月が目を丸くしている。


「夜でも移動できれば商売が活発になる。まっとうに働いて稼いだ方が儲かれば、盗賊なんかやってるのが馬鹿らしくなるだろう」


 手下どもは明かりから顔を隠すようにしながら歩いている。


 明るい光の下で堂々と歩けるようにしてやれば、いろいろと使える連中になるんだろうか。


 人の性根がすぐに入れ替わるとは思えないが、そういう道を作ってやるのも俺の仕事なんだろう。


 冬至の季節で日の出は遅い。


 東の空が明るくなった頃、俺たちは三河の岡崎城に到着した。


 出陣していた酒井忠次たちも城に戻ってきたところだった。


「おお、これは明智殿。武田どもを追っ払ってやりましたぞ」


「お見事でございました。甲斐の虎を追い払ったとなれば、信康殿の名も上がりましょう」


 まんざらでもない様子で作兵衛信康が鼻の頭をかいている。


「たいしたことねえよ。俺たちの旗印を見て尻尾を巻いて逃げていったぜ」


 実際は何もしてないわけだが、勝ちは勝ちだ。


 ここはおだてておけばいいだろう。


「松平の威光もこれで本物になったということでしょう。これからは今川とも張り合えるでしょう」


「ま、やってやるさ。なあ、おまえら」


 調子のいい作兵衛に声をかけられた久作康政も六太郎忠勝も苦笑しつつもまんざらではない様子だ。


 俺は酒井忠次と本多忠真に、美月から聞いた今川の情勢と、浜松から送られてくる塩について話をしておいた。


「では、その塩を我々が清洲へと回送すればよろしいのですな」


「いえ、岡崎にとどめておいてください」


「ほう、それでよろしいのですか」


「塩の使い道については清洲でお館様に申し上げることがありますので」


「さようでございますか。かしこまりました。この酒井、責任を持ってお預かりいたしまする」


 手配を済ませて岡崎城を出たところで、俺はようやく気がついた。


 いつの間にかデイブがいなくなっていたのだ。


 美月も腕組みをしながら記憶をたどる。


「そういえば、城に着いたときにはもう姿が消えていたような」


 神出鬼没のあいつのことだ。


 またどこかで出会うんだろう。


 敵か味方か、その時の強い方につくんだろう。


 ある意味分かりやすいと言えば分かりやすい行動原理だ。


 ならば、められないように強くなるしかない。


 そのためには、今回の勝利になど満足せずに、次の作戦に取りかからなければならない。


 時間はない。


 商売の隙を突かなければ金は稼げない。


 戦国の世を出し抜くための最大の武器は経済力だ。


 よその大名に気づかれる前に、圧倒的な差をつけてしまわなければならないのだ。


 俺は美月たちを引き連れて東海道を西へ急いだ。


   ◇


 夕方になって清洲城下の自宅へ到着した俺は、美月たちを招き入れて盗賊団全員に金を渡そうとした。


「これは何だよ」と、美月が受け取らないせいで誰も手を出さない。


「謝礼ってことではだめか」


「あたしらはあんたを捕まえたんだよ。お礼を言われることなんかしてないだろ」


「殺さずにいてくれたじゃないか」


「なら、今ここで殺すよ」


 頑なに態度を変えようとしない美月に俺は言い方を変えて提案した。


「美月たちにも考えがあるだろうから、家来になれとは言わない。だが、金をやるから、依頼を引き受けてくれ。それならこの金を受け取る理由になるだろ」


 固く腕組みをしながらあからさまにため息をつく。


「まあ、そういうことなら、受けてやってもいいよ」


 首領の言葉に手下どもがさっさと金に手をつけて懐へしまう。


 そんな様子を美月が苦虫を潰すような表情で眺めている。


 あくまでも自分の金には手をつける気はないようだ。


「で、用件は何だい?」


「とりあえず、俺と行動を共にしてくれればいい」


「家来と同じじゃんか」


「用心棒ってやつだ」


「敵は?」


「分からん。ただ、おまえたちみたいに俺を狙うやつがいたら今度は俺を守ってくれ」


「あたしらは忍びじゃないよ」


 話がうまくまとまらないところへ、秀吉がやってきた。


「よ、光秀よ、わしもちょうど帰ってきたところじゃ」


「お疲れ様です。このたびはお手柄でしたね」


「うほう」っと叫ぶと、俺には目もくれず美月に駆け寄る。「これはまたどこで見つけてきた。いい女子おなごじゃのう」


「なんだよ、こいつは」と、襟を合わせて美月が胸元を隠した。


「わしは羽柴秀吉。織田家の出世頭の足軽大将じゃ。のう、そなた、わしの側室にならんか」


 ちょ、え、いきなり何言ってんだよ、こいつ。


「困りますよ。私の仲間として呼んだんですから」


「それはそこの野郎どもで充分であろう」と、秀吉が股間を膨らませながら美月に迫る。「それともおぬしがこの女をものにするのか」


「そういうんじゃないですよ」


「もったいないではないか。ならば、わしがもらっても良かろう」


「断る!」と、美月の拳が秀吉の股間に突き刺さる。


「おうっ!」っと、急所を押さえながら土間に転がり落ちた秀吉のかたわらに寧々さんが姿を現した。


「ちょっと、サル、何を騒いでいるのよ」


「いや、べつにわしは何も」と、秀吉は飛び跳ねるように起きて直立不動で視線をそらす。


 寧々さんは屋敷の中を見てすべてを悟ったらしく、秀吉の耳をつまんで引きずっていく。


「戦に出ている間にどれだけ浮気してたのよ」


「しておらん。毎晩寧々殿のことを思って一人寂しさを紛らわせておったわい」


「嘘ばっかり。そんなんで我慢できるあんたじゃないでしょ」


 見抜かれて万事休すの秀吉は人目もはばからず寧々さんに下半身を押しつけた。


「本当じゃ。ほれ、今もこの通り」


「やだ、もう……」と、頬を染めながら寧々さんが秀吉の頬をはたく。「明るいうちから元気なんだから」


「たまっておるのじゃ。今夜は寝かせぬぞ。むふふ」


 急に俺の家の前でイチャイチャを始めた二人を美月が呆然とした表情で見つめている。


「なんだ、この茶番は」


「いつものことだ。気にしないでくれ」


 塩でも投げつけそうな美月をなだめながら、俺は玄関先で秀吉を追い払った。


「明日、登城するぞ」


「おう、そうじゃな。邪魔したな」と、ようやく秀吉が去ってくれた。


 まったく、何をしに来たんだ、あいつ。


 だが、まったく関係のない混乱のおかげで、いつの間にか俺と美月たちとの間の契約が成立してしまったらしく、それ以上渋ることなく盗賊団は俺の用心棒となった。


 その夜は、手下どもは金を握りしめて酒を飲みに出かけ、俺と美月は二人で屋敷に残った。


 隣からは一晩中仲睦まじい声が漏れてきて、女盗賊と二人でいるのは気まずかった。


「あんたはあたしに手を出さないのかい?」


 部屋には布団が二つ敷いてある。


「そういうつもりで雇ったわけじゃないからな」


「あたしに魅力がないからか」


「いや、そうじゃない」


「じゃあ、なぜ抱かない?」


 俺は返事に困ってしまった。


 令和の非モテボッチ陰キャ男子だからと説明してもかえって理解されないだろう。


「男しか抱けぬのか」


「いや、それも違う」


「あたしはべつにいいんだよ。どうせ男なんて、みんなそれしか頭にないんだし。あのサルみたいにさ」


 その秀吉はまさに隣で寧々さんへのご奉仕に励んでいる。


 美月がこれまでどういう人生を送ってきたのか、俺はたずねることができなかった。


 戦国の世の盗賊なんて、人として扱われたことがなくても不思議ではないだろうし、まして女なら、男に都合良く利用されるだけの境遇だったんだろう。


「あたしはさ、盗賊団の首領の娘として生まれたんだよ。物心ついたときから男として育てられたけど、やっぱり年頃の娘になったら体つきがこうなるだろ」


 いきなり胸元をはだけて俺に迫ってくる。


 たわわに実った果実が揺れている。


 街角で行水をしている女性が人前でも肌をさらす光景には見慣れていたが、女性として意識した相手に本物を目の前で見せつけられたのは俺も初めてだった。


 ものすごい迫力で、思わず体が熱くなる。


 だが、ヘタレな俺は手を出すどころか、すぐに目をそらしてしまった。


「なんだよ、気に入らないのかい?」


「いや、その、見慣れていないから」


「ふん、意気地なし」と、鼻で笑いながら胸を隠す。「男たちはみんなそういう目で見るもんだよ」


 俺も思春期男子だから、体が勝手に反応するが、相手が誰でもいいというわけではない。


 チャラ男ならとりあえずやっておけと思うのかもしれないが、ヘタレ根性は時代が変わっても直らない。


「あたしはさ、親父の女だったんだよ。だから手下どもはあたしには手を出さなかった」


 その言葉が俺の胸を貫き、重い鉛のように下半身へと沈んでいく。


「親父はあたしが殺した」


 俺は何も言えなかった。


 胃の奥からこみ上げてくる苦みを抑えながら息を吐くのが精一杯だった。


「あんた、あのくノ一とはやったのかい?」


 俺は首も手もちぎれるくらいに振った。


「なんだよ、じゃあ、やっぱり男が好きなのかい?」


「いや」と、俺は深く息を吸い込んだ。「心に決めた御方がいるのだ」


「ふうん」と、美月は口をとがらせながら俺をじろじろと眺める。「変わった男だね、あんた」


 ただ単にモテたことがないからどうしていいのか分からないだけだ。


「やっぱりさ、あたしを抱きなよ」


 はあ?


 なんでよ。


「いざという時に怖じ気づいて失敗してもいいのか。そんなみっともないことになったら男の恥だろう」


「いざという時って……」


「だから、その意中の女を抱くときだ。おまえ、女を抱いたことがないだろう?」


 ええ、そうですよ、ありませんよ、ありませんけど何か?


「どこぞのお姫様だかに義理立てしてるんだろうが、あたしみたいな女は数に入らないから、練習しておけ」


 女の勘はどうしてこうも鋭いのか。


 お市様のことなど、話してもいないのに見抜かれている。


「抱けと言っておるのに」と、いい匂いを漂わせながら美月が俺にしなだれかかってくる。


 頑なな俺をからかっているのだが、楽しんでいる様子ではなく、どこか目つきに鋭さがこもっている。


「お心遣いはありがたいけど、気持ちだけ受け取っておきます」


 俺は誘いを固辞して美月の体を離した。


「どうしてもだめなのかい?」


「すみません」と、俺は頭を下げた。


「あやまることじゃないよ」と、美月が俺に背を向けた。


 肩を落とした丸い背中が月の光を浴びて闇に浮かび上がる。


 冬の冷気が俺たちの間を吹き抜けていく。


 俺は震える美月の肩に布団を掛けてやった。


「こんなふかふかな寝床、生まれて初めてだよ」


「これからはそういう生活をするんだ。人の物を奪わなくてもうまいものも腹一杯食えるし、明るいお日様の下を歩ける」


「べつにあたしらがそれを望んでいるわけじゃないけどね」


 今すぐ変われというわけじゃない。


 だが、まっとうな道を歩いていってほしい。


 若造の俺がそう願ったって、よけいなお節介ということはないだろう。


 二人並んで別々の布団に入る。


 月が雲に隠れて部屋の中が真っ暗になる。


 闇の中から声が聞こえた。


「なあ、あんた」


「ん?」


「やっぱり、あたしを抱かないのかい?」


「すまない」


「抱かないと惚れちまうよ。いいのかい?」


 ヘタレな俺は返事ができなかった。


 男として最低だってことは、自分でも分かっていた。


 雲の切れ間から月が顔を出したのか、壁の隙間から光が差し込んでくる。


「こんなにきれいな月を一人で見て寝るなんて、悪い男に引っかかっちゃったよ」


 涙声と洟をすする音が闇の中から俺を責めてくる。


 お隣さんからの妖艶な声もまだ聞こえてくる。


 俺はぎゅっと目をつむって布団をかぶった。


 それからどれくらい時間が過ぎたのかは覚えていない。


 いつの間にか眠りに落ちていたらしい。


 お互いに背中を向け合ったまま俺たちは朝を迎えていた。


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