第2話 モスリンの目が飛び出した。
手が震え、紙がつぶれる。モスリンは手にした請求書を見て戦慄し、それをデスクに叩きつけた。
「なっ、なな……なんですかこの請求金額!? なんでこんなに高いんですか!?」
「不思議なことを聞きますね。明細も読めなくなったのですか?」
ロージアは椅子に深く背中を預け、紅茶を淹れる。その目が周りを見ろと命じた。
「あなたのボディガード料、落とした私物の捜索料。それと我が社の惨状を見てください。扉も床も吹き飛んで、調度がいくつか壊れてしまった。よって慰謝料」
「それにしたって高すぎますよ! 人生何回分ですかこれ!?」
「冷静に」
噛みついてくるモスリンに、紅茶のカップが差し出される。
揺れる赤い水面が花の香りの湯気を立て、波紋が去ると少女の顔を映り込ませた。短くそろえた白髪は煤け、大きく丸い眼鏡はレンズにヒビが入ってしまった。そばかすのついた丸っこい童顔も相まって、随分とみすぼらしい。
まるで顔に万年赤字と書かれたみたいだ。肩を落として、カップを手に取る。香りは良いが、味はしない。色と香りのついたお湯を含むと、少し心が落ち着いた。
「紅茶代も追加しますね」
「ぶ――――――っ! ま、まだお金を取るつもりですか!?」
「これも値上がりしてまして。茶葉はもとより水道代まで……世知辛いものです」
ロージアは顔にかかった紅茶をぬぐう。あまりに淡々とした口調、それに破産すら生ぬるい額を要求されて、モスリンはついに堪忍袋の緒が切れた。
「そんなにカネカネ言わなくたっていいでしょう! あれだけ虫を狩ったんだから、死骸を売れば何杯だって……!」
「金銭ではなくケジメの話をしています。人生何回分だと言いますが、逆に私は何度あなたの死を遠ざけてあげたと? 虫一匹で、あなたを千度は殺せます。それが今日は……えーと、何匹狩ったのでしたか、軍曹?」
「三十匹だ」
後頭部に重い荷物をぶつけられ、モスリンは前につんのめった。
貴重な紅茶がぶちまけられて、請求書を赤黒く染める。だが、そんなことはどうでもよかった。かかとの位置に落ちたポーチの方が重用だ。
「私の荷物! ちゃんと全部そろってますか!? ノートは、機材は、サンプルは!?」
「知らん、自分で確かめろ。だが拾えるものは拾ってきたぞ。失くしたものは……森の養分になったと思って諦めるんだな」
ポーチを漁るモスリンのそばに、すらりとしたシルエットが降り立った。その正体、軍曹と呼ばれた執事服の女性は、ロージアのポットから直接中の湯を呑んだ。
関節部に空いた穴から蒸気が噴き出す。
「で、金の相談は済んだのか、マスター?」
「高すぎるとごねられまして」
「そら見ろ」
肩をすくめるロージアに、軍曹は雑巾を投げ渡す。主人が紅茶まみれのデスクを拭く間、彼女は床に落ちた書籍を拾い上げていた。
「そんな小娘、金にもならん。ツケはどれだけ膨らんだ? 体がいくらあっても返済など無理だろう。まあ、その貧相な体を欲しがる男もいなさそうだが」
好き放題、失礼なことを次々と言う。荷物を確かめ終えたモスリンは、こめかみを
「カネ、カネ、カネって……! 言っておきますけどね、私の研究は短期的利益を得るためのものじゃないんです! もっと長期的な、人類の未来のためのものなんですよ!」
「また始まった。どうしてくれるんです、軍曹?」
「好きに言わせておけばいい。利息がなくなるわけでもないからな」
「こ、この……っ!」
モスリンはポーチのベルトを強く握った。殴りたいのは山々だったが、仮にも命の恩人である。泣きついたのは自分でもあり、その原因も自分にあった。
しかも、彼らは貴重な協力者。売り言葉に買い言葉で決裂したら、損をするのはモスリンだ。行き場のない拳を上下に振って、なんとか怒りを抑え込む。
呻きながら空気を叩き、息を吐く。冷えた頭は、すぐに解決策を打ち出した。
「はあ……。わかった、わかりましたよ! お金についてはなんとかします! 死骸もあれだけたくさんあるので!」
「外の虫のことですか? あれを狩ったのは我々ですが、まさか譲れと?」
「譲れとまでは言いません。ですがもし、もっと高値で売れるとしたら?」
眼鏡を押し上げ、頭の中で電卓を打つ。
ぼろぼろになった壊滅屋社屋の外に転がる、三十体もの巨大な死骸。人はおろか、この壊滅屋の社屋さえも埋め尽くすサイズの、蒸気機械仕掛けの蜘蛛の群れ。
時代遅れに見えてその実、あれはテクノロジーの結晶だ。売ればどんなものより高い値がつく。農業、工業、治安維持に医療まで、買い手の分野は多岐に渡る。
だが、今もっとも高い値段をつけてくれる組織に、コネがある。
「いつも以上の値段で売れたら、その差額分をツケの支払いに充ててください。もちろん、今回限りです。社屋の修繕は……ちょっと難しいかもしれませんが……」
軍曹が、主人に目線で問いかける。一階はほぼ半壊している。家屋に巻き付く金属機械のツルのおかげで、すぐに倒壊はしないだろうが、大穴がむき出しなのはいただけない。何より修繕費用は茶葉より高い。いつも通りの値段で売って、果たしてまかない切れるかどうか。
ロージアは紅茶が染みた雑巾を軍曹に投げ渡し、ひじ掛けに頬杖を突いた。
「正直、納得はしがたいのですが……ま、いいでしょう。お得意様が増えるのは良いことです。吹きさらしでは、紅茶も冷めてしまいますしね。軍曹」
「了解だ、マスター。すぐバラすから待っていろ。モスリン、お前もキリキリ働けよ。肉体労働した分、色を付けてやらんでもない」
一方的にそう言って、軍曹は大穴を飛び越え外に出た。
肉体労働か。モスリンは複雑な気持ちで肩を落とした。苦手な上に、色々あって疲れているが、金が絡むとあっては仕方ない。
「それにしても……」
闇の中、赤熱した刃が煌めくのを見ると、つい自分を重ねたくなる。
機械の腕と爪を用いて、軍曹が巨大な蜘蛛を切り分けている。解体は滑らかで、瞬く間に死体がひとつ、運びやすいサイズになった。
あの鋼の巨体を、あんなにあっさり。一撃で蜘蛛を殺した時といい、まるで流れ作業をしているようだ。何回見ても、無駄のない動きに目が釘付けとなってしまう。
陽は死んだ。それに伴い、大勢死んだ。あの機械の虫が突然現れ、地上の命を奪い去り、
硬い巨体に武器は通じず、兵器の類は分解されて、電波は途切れ、都市の多くは接収された。人では勝てない、巨大な虫たち。しかし“壊滅屋”のふたりは違う。
「二杯目です」
棒立ちしていたモスリンに、再び紅茶が差し出される。ロージアは既に己の分を飲み始めていた。
「軍曹が終わるまで少し時間がかかります。お茶でも飲んで、終わりを待つとしましょうか」
「これ……有料ですか?」
「はい。既に計上したので、安心して飲んでください。そうそう、あなたが汚した服の代金も追加しましておきましたので」
「ぶ――――――っ!」
“壊滅屋”のロージア・クレプス。世界最後の地上の人は、再び紅茶を吹きかけられた。
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