夜の蜘蛛は縁起が悪い~壊滅屋、落陽を見届けり

よるめく

第1話 陽は死んだ。

 永久とわの夜が訪れた。大地は真鍮色しんちゅういろになり、木々は機械に、命は消えた。


 いや、消えたというのは語弊があるか。だが少なくとも、今ひとつの命が消えかけている。もしこれを読む人がいるならどうか、私の意思を継いでください。


 いや、やっぱり嘘! 私は今死なないために走っています! でももし死んだら後はよろしく! それと私を覚えておいて! モスリンです!


「いやでもやっぱり……死にたくないぃぃぃぃぃっ!」


 ペンを走らせていた少女は夜空に泣き叫ぶ。声はたちまち、金属の軋む音に塗りつぶされた。少女―――モスリンが背後を振り向く。


 機械の樹木でできた森の闇から、非生物的なサラウンド。蒸気が噴き出し、刃がこすれ、爪が鋼の大地を引っかく。闇に浮かんだ八つの赤い光点が、モスリンを捉えて見逃さない。


 待って、八つどころじゃなくない? もっとたくさん……ちょっと待って、群れで襲い掛かって来てる!?


「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 モスリンはペンも手帳も放り投げ、重いジャケットも脱ぎ捨てた。ウェストポーチをいくつもぶら下げたベルトを外し、ほんの少しでも速度を上げる。どれもこれも大事なものだが、命の方がもっと大事だ。


 何より、この森を抜ければ助かる目はある。シャツを汗でびしょ濡れにし、ずれかける眼鏡を支えると、ようやく森を抜け出した。


 目の前に、レンガ造りのビルがある。機械のツルに絡みつかれた古びた建物、には看板がある。屋号は、“壊滅屋”とあった。


 肉が削げ落ち、骨が抜けていくような疲労に苛まれながらも、モスリンは最後の力を振り絞る。両開きの扉に肩から突っ込み、中に転がり込んだ。


「壊滅屋っ! た、助けてください!」

「またですか」


 転がり込んだモスリンに、店主が冷ややかな目を向けた。


 黒い蜘蛛の巣柄のスーツを着こんだ若い男だ。切れ長の青灰色の瞳をしており、肌は病的なほどに白い。彼はチェアから立つこともせず、デスクのポットを手に取った。紅茶がカップに注がれる。


 柔らかな香りが鼻に染み込む。デスクと本棚、ジュークボックスだけの内装は、不思議と落ち着く。こんな状況でなかったのなら。


「まったく、死にたくないならやめておけばいいものを。これも一体何度目でしょうか。森の方からあなたの悲鳴が聞こえてきたとき、今日もこれを言うのかと頭を痛めていたところで……」

「わ、わかってるなら助けてください! あいつら、すぐそこに!」


 モスリンがデスクに両手を叩きつけると同時、店の扉が吹き飛んだ。


 突っ込んで来たのは、巨大な蜘蛛だ。全身が光沢のある金色で、各部に歯車や排気パイプが突き出している。口の部分にはハサミのように開閉するふたつのホイールソー。冷たい牙が、振り返ったモスリンを刻もうとする。


 しかし、モスリンに泣きつかれた青年は、至って冷静。白い手袋を嵌めた左手で、デスクを叩いた。


「軍曹」


 今度は床が弾け飛ぶ。古いフローリングを砕いて飛び出した機械の腕が蜘蛛の頭部を貫いた。操り主は執事服をまとった女性だ。背中に生えた枝のようなマニュピレーター四本に加え、両腕の爪のような装甲で蜘蛛の頭部を引き裂いた。


「ふっ!」


 空中で一回転した女性は蜘蛛の巨体を蹴っ飛ばす。店から叩き出された蜘蛛の死骸は地面を滑って後退し、集った仲間の輪に呑まれる。


 気づけば、壊滅屋のビルは巨大な蜘蛛の群れに囲まれていた。


 モスリンの足から力が抜ける。脳を落っことしてしまったみたいに、何も考えられなくなった。


 直後、彼女は穴の中に放り込まれる。青年だ。女性が開けた大穴に、モスリンを投げ込んだのである。


 ぐへっ、と穴の底から声がするのも構わず、青年は穴を飛び越え、女性と並んだ。


「いつかこんな日が来ると思っていましたが、実際に来るとややショックです。このアジト、私のお気に入りなんですがね。直せますか?」

「問題ない。だが、そのためにはあの虫どもにお帰り願わねばな」

「それは確かに」


 外には、巨大な蜘蛛の群れ。赤い目が闇の中で光り輝き、蒸気の音が呼吸のようにこだまする。そこに、もうひとつ力強い音が重なった。女性と青年が、服を脱ぎ捨てた音だ。


 ランプが照らす黒鉄くろがねの肌。排気口を備えた肩や関節、胸部に赤い光を放つ機構。機械化した体を持つふたりは、蜘蛛の群れを前に身構えた。


「では、手早く片付けましょうか。勘定は後回しです」

「了解だ。殲滅を開始する」


 目にも止まらぬ速度で駆け出すふたりを、蜘蛛の群れが飲み込んだ。


 外から聞こえる破壊の音を聞きながら、モスリンは穴の底でまばたきをする。穴の端には小さな蜘蛛の巣。今時珍しい、本物の生きた蜘蛛が足を縮めてじっとしていた。今日は最高にツイてない日だ。

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