第4話 カナデの決意
4 カナデの決意
カナデがその人物と遭遇したのは、ビジャの執務室を出てから一分ほど経った頃だ。
黒いくせ毛を背中に流す、勝気な目をした少女。
豪奢な衣装を纏ったメティ・セイレインは――常の様に堂々とかの侍女と向き合う。
「あら、カナデじゃない。
どうしたの、こんな所で?
もしや、兄様の部屋に顔でも出した?
カナデは、心変わりでもしたと言うのかしら?」
メティは当人達以外では、例の求婚話を知る唯一の人物だ。
いや、齢十六になる彼女は、それ以前からカナデを意識してきた。
何せ十三の時にカナデを初めて見た時から〝アレ? 私、もしかして負けている?〟と感じてしまったのだから。
容姿でも能力でも、自分はカナデには敵わない。
被害妄想に近いその思いは、メティに確かな劣等感を与えていた。
だが、王族の中でカナデを最も正しく評価しているのは、ビジャとメティである。
侍女と見くびらず、ある意味対等の人物だと捉えているメティはここでも遠慮がない。
「でも、悪い事は言わないから、それだけはよしなさい。
貴女は廊下の隅で代筆作業をしているのが、とってもお似合いよ。
たったそれだけの事で、セイレインの行政能力は五割ほど上昇するのだから、誰が見てもお得でしょう?
ええ。断言するわ。
カナデ・プラームほど王族に相応しくない人物は、他に居ない」
当然の様に指をつきつけながら、メティは語る。
一方的にまくしたてられ、ポカーンとしていたカナデは直ぐに我に返って、微笑んだ。
「相変わらず、メティ様は褒め上手ですね。
ただ褒めるのではなく、その理由もしっかり説明して下さるのだから、律儀としか言い様がありません。
今日も過分な評価を頂き、ありがとうございます。
私としては、これに勝る名誉はございません」
「………」
常の様に、暖簾に腕押しの様な切り返しである。
ここで素にかえってしまうのが、メティの未熟な所であり、愛らしい部分でもあった。
「……べ、別に褒めてなんてないし。
ただ本当の事を……言っただけだし」
お蔭でカナデは苦笑するしかないのだが、それを見たメティは益々鼻息を荒くする。
「と、とにかく、立場がどう変わろうと、貴女は私の宿敵なの!
どちらがより多くの殿方を魅了するか、何れ決着をつけてやるわ!
その時、カナデは初めて、私の偉大さを思い知るのよ!」
「ええ。本当に、それはとても楽しそうです。
……どこの国の王族も、皆メティ様のような方だったらよかったのに」
「は? 何か言って?」
呟く様に発せられた、カナデの本音。
それを聞き逃したメティは、眉を顰めるしかない。
しかしメティ・セイレインは確かに律儀で、無駄話は早々に切り上げる。
「そうね。アナタ達侍女は、忙しいのよね。
何時までも私が拘束しては、国に損害を与える事になる。
さっさと行って良いわよ、カナデ。
積もる話は、互いに暇がある時にしましょう」
「………」
カナデの異常な所は、この時点でメティの決意に気付いた点だ。
だとすれば、カナデとしても内心眉を曇らせるしかない。
「はい。何れお酒を嗜める歳になったら、大いに語り明かしましょう。
私としてもその時を、心待ちにしております」
依然、カナデは笑顔を崩さない。
ただ心にもない事を言いながら、カナデ・プラームはメティ・セイレインに別れを告げた。
◇
その晩、例の仕事場で、カナデ・プラームは多くの衛兵に目撃される事になる。
彼女は椅子に座りながら中空を見つめ、何かを呟いていた。
一体何をしているのかと、城を巡回していた衛兵達は不思議に思うばかりだ。
しかし――これがこの城でカナデ・プラームが目撃された最後の瞬間となる。
「――やはり、これしかないです、ね」
翌朝になってみるとその場には誰も居らず、ただ一通の封筒だけが置かれていた。
〝辞表〟と記してあるそれを見つけた執事の一人は――大急ぎでビジャのもとに向かった。
◇
早朝、執事に叩き起こされたというのに、ビジャの機嫌は良くも悪くもない。
彼は執事の報告を受け、その辞表を受け取る。
辞意を表明したのはやはりカナデ・プラームで、ビシャはこの時になって顔をしかめた。
「……やはり、こうなった、か」
「……は?」
意味不明と言った顔で、執事が首を傾げる。
いや、彼はまず実務的な弊害を口にした。
「というより、今カナデに仕事を辞められたら、この城の行政能力は五十%以上落ちます。
彼女はこの城の業務を、一人で半分以上担ってきたのです。
今ならまだ、間に合うでしょう。
カナデを見つけ出して、連れ戻す事をどうぞお許しください」
「………」
執事が言っている事は、事実だ。
カナデを損失すれば、セイレイン王国は実害を被る。
だが、それでも、ビジャ・セイレインは終に首を縦には振らなかった。
「……は? それはどういう意味、兄様?」
「メティ」
早朝にこの妹が兄の部屋に居る訳がないので、ビジャは大いに驚く。
メティ・セイレインは、平然と言い捨てた。
「カナデが何かしでかしたら、私の方にも報告が来る様に仕組んでいたというだけの話よ。
でも、その時が今日だとは思わなかった。
いえ、兄様は何でカナデを捜そうとしないの?
カナデが侍女を辞めたら困るのは、兄様だってよく分かっているでしょう?」
半ば怒りさえ込めて、メティは兄を詰問する。
ビジャは、ただこう語るだけだ。
「メティ、多分カナデはオマエの決意に気付いている」
「は、い?」
「いや、昨日この国が置かれている状況を、包み隠さず彼女に話した。
そこまで言えば、大体察しはつくだろう?」
「……なっ――はッ?」
と、メティは一瞬狼狽してから、直ぐに冷静であろうとする。
「つまり、カナデは私が敵国の人質になってでも戦争を止めるつもりだと、理解している?
彼女は全てが分かった上で、行動しているとでも言うんですか――?」
いや、人質には違いないが正確には、敵国の王族との婚姻である。
三国の内の一つの国とメティが婚姻を結べば、エギン同盟は崩せるかもしれない。
そう考えたメティ・セイレインは、自らその役を志願した。
だが、自分はまたカナデ・プラームに先を越されたと言うのか――?
「そういう事だ。
いや、嗤える話さ。
何しろ俺は――半ばこうなる様にする為全てをカナデに打ち明けたのだから」
「……な、に?」
兄の吐露を聴き、メティはもう一度愕然とする。
彼女はおぼろげに感じていた事を、今ハッキリと言語化した。
「……つ、つまり、兄様は、只の侍女にこの状況を打開させるつもり?
そこまでカナデに、期待していると言うの――?」
それは、余りにバカゲタ話だ。
只の侍女に信頼を寄せ、ビジャは故国を取り巻く環境を何とかしようとしているのだから。
いや、その読みさえ正確ではない。
もしかすると、カナデ・プラームはセイレインに見切りをつけただけなのかも。
滅亡が近い祖国を捨て、件の三国に寝返る。その可能性だって、大いにあるだろう。
「いや、寧ろ、そうあって欲しい物だ。
でなければ――」
――自分は祖国の為に、求婚さえした少女を死地に追いやった事になる。
それ程の不名誉が、果たして他にある?
そう自嘲しながら、ビジャは昨日の様に嘆息した。
メティはそんな兄に、鋭い視線を向ける。
「兄様がカナデを連れ戻さないと言うなら、私の手の者にさせます。
……本当に見損なったわ、兄様。
いくらカナデでも、そんな事が出来る訳がないじゃない!」
明確に怒りながら、メティは語る。
だが、それで怯む程、ビジャも生易しくはない。
「本当にそう思うか、メティ?
俺達が見てきたカナデ・プラームは、本当に本気を出していた?
或いは――彼女は俺達が思っている以上の怪物かもしれんぞ」
「は、い? その根拠は?
一体何を証拠にして、そんな戯言を仰るの?」
しかし、ビジャは答えない。
ただ、彼は別の事を口にした。
「メティ、カナデの気持ちを無駄にするな。
オマエが祖国を想っている様に、カナデもきっと同じ気持ちだ。
いや、俺はただ、こう頭を下げるしかない。
どうかカナデ・プラームを――信じて欲しい、と」
実際、ビジャは土下座に近い形で、腹違いの妹に頭を下げる。
あの誇り高い兄が土下座する様を見て、メティは震撼する思いで息を呑む。
「……一つだけ、訊かせて」
「何だ?」
「兄様の試算では、カナデは生きて帰ってこられる……?」
今も頭を下げているビジャは、ただホラを吹くだけだ。
「――当然だ。
あのカナデ・プラームであるなら、必ずこの城に戻ってくる。
俺がそう保証するから――メティもカナデを信じてやってくれ」
「………」
もう一度、そう訴える、ビジャ。
或いは、この兄も、この訴えに命を懸けている。
そう悟ったメティは、眉根を歪ませながら、その場にへたり込む。
「……これで私も、兄様と、同罪ね。
私は結局、兄様に誑かされたのだから。
けど、私も心のどこかでは彼女を信じているの。
だってこの私こそが――カナデ・プラームを最も目映く見ていた人間なのだから」
それで、この兄妹の会話は、終わった。
正直、ビジャでもカナデが何をする気なのかは、把握しきれていない。
ただこの日――セイレイン王国は確かに一人の有能な侍女を失った。
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