第5話 取り敢えず十時間歩きました

     5 取り敢えず十時間歩きました


 実の所カナデ・プラームは――七年ほど城の外に出た事がない。

 城勤めとなったあの日から、カナデは仕事に追われてきたから。


 彼女にとって〝世界〟とはセイレイン城であり、それ以上でも以下でもない。

 引きこもり同然であるそのカナデ・プラームは、七年ぶりに外に出た。


 広い城の中とは言え七年間の引きこもりは余りにも窮屈に思える。

 並みの人間では、恐らく耐えきれまい。


 だが、その特殊な環境にも普通に適応してしまうのが、カナデ・プラームという少女だ。

 そのため彼女は、今も和服姿で風呂敷を背負いながら普通に道を歩いている。


 城下町を出る際、検問を受けたが、まだその時は彼女の身分は明確だった。

 セイレイン城の侍女だと言う身分証明書を見せただけで、検問はクリア出来たのだ。


 いや、問題はその後だった。

 彼女は城からくすねてきた地図を頼りに、北へと向かう。

 

 その道のりが余りに遠い物だと、彼女は十時間ほど歩いてから漸く気づく。


「そうでした。

 考えてみれば、当然です。

 他国が徒歩十時間以内の距離にあるなら、他国は容易にセイレインの首都を攻撃できる」


 互いにそれを避ける為、セイレインと三国の首都はそれなりに離れている。

 七百キロは離れていて、とても徒歩で移動できる距離ではない。


 世間知らずな為、そんな事にも気付かなかったカナデは、自らの迂闊さを自嘲する。

 どこかの街で馬車でも買うべきかと思った時、その馬車が彼女の傍らを通った。


「おー、お嬢ちゃん、大分お疲れの様だなー。

 北に向かうつもりなら、乗っけていってもいいがどうするね?」


 親切な農夫が、そう尋ねてくれる。

 カナデは微笑みながらこの申し出を受け入れ、馬車に乗る事になった。


 齢六十を超える農夫は、はてと首を傾げる。


「随分身なりがいいが、お嬢ちゃんはもしかして都会の人かね?

 都会の人がこんな田舎まで歩いて来たのかい?」


「ええ。

 今朝までは、城勤めの侍女をしておりました。

 でも、余りに過酷な毎日だったので、遂に逃げ出してきたのです。

 と言う訳でおじい様も、私と会った事は内緒にしておいてください」


「ハハハ。

 そうか。

 やはり都会の人間は、細々として忙しい物なんだなー」


 のんびりとした様子で、農夫は語る。

 カナデは目を細めながら、こう判断した。


(やはり、追手は来ない。

 恐らくビジャ様は昨日の時点で、私が何かをするつもりだと見抜かれている。

 その私を放置するという事は、ゴーサインとみていい?

 それとも、私だけでもセイレインから逃すつもり?)


 ビジャの立場からすれば、どちらもありえそうな話だ。

 何せビジャは、カナデに求婚までした男なのだから。


 ならばカナデだけでも、滅びそうなセイレインから逃がしたいと思うのは当然だろう。

 だがビジャはどうも、カナデを過大評価している節がある。


 そんな彼であるなら、カナデに何らかの期待を寄せていてもおかしくはない。


(どちらにせよ、追手がこないのは、助かります。

 仮にそうなっていたら、私に打つ手はありませんでした)


 十中八九、追手は無いとカナデは確信していた。

 逆を言えば、追手に対する対策などカナデには無かったという事だ。


 彼女が最も恐れていたのは城から追手が来て、自分が城に連れ戻される事にあった。


(その条件も、クリア。

 なら後は、私が私に課した仕事を果たすだけです)


 七年ぶりの外界は、少なからずカナデの好奇心を刺激した。

 だが今は、それを無視してでもやらなければならない事がある。


 自分にそう言い聞かせながらも、カナデは青く広がる空を物珍しそうに眺めた。


「そうでした、ね。

 空はこんなにも、綺麗なんでした」


「あー?

 面白い事を言うな、お嬢ちゃんは。

 空が綺麗なのは、当然だろう。

 俺達はこの大空のもとで、思う存分働き、遊んで、生きていくのだから」


「ハハハ」


 中々哲学的な事を言う、農夫だ。

 失笑したカナデは、尤もだと頷く。


「ただ私って、半ばお城に幽閉されていたかの様な生活を送っていたんです。

 その所為で、空さえまともに見る機会がなかった。

 いえ、きっとおじい様の言う通りですね。

 人間らしく生きると言うのは、きっとこういう事です」


 五感全てで自然と言う物を感じながら、カナデはもう一度空を仰ぐ。

 空気がおいしいと、カナデは七年ぶりに思い出す。


 そう語るカナデは、農夫にとって異世界の住人の様だ。


「はー、城に幽閉ねー。

 もしやお嬢ちゃんは、お尋ね者か何かなの?」


「どうでしょう? 

 今となっては、微妙な立場なのかも」


 クスクスと笑う、カナデ。

 事情を知らぬ城の人達は今何を思っているのだろうと、彼女は少しだけ疑問に思った。


(いえ、私が居なくなった程度で、どうにかなる訳がありませんね。

 マルン達なら、きっとうまくやっていく筈です)


 ビジャがカナデを過大評価しているとしたら、カナデは自分を過小評価している。

 彼女は城の官僚達が絶望的な気分になっている事を、まるで知らない。


 カナデの穴を埋める為には、各々十倍以上の労力が必要だ。

 しかし、それは官僚達の過労死を意味している。


 お蔭で彼等は早々に、行政能力の低下を覚悟する事にした。

 その弊害についても、カナデは全く気付いていない。


 迷惑な話と言えば、迷惑な話だろう。

 しかも当の本人は自覚さえしていないのだから、最悪だ。


 当然の様に気にした様子も見せずに、カナデは馬車に揺られながら前進する。

 その時、農夫は話の核心に入った。


「で、お嬢ちゃんは、どこで何をする気?

 再就職のあてでも、あるのかね? 

 もしないならウチの村で農作業に従事するというのも、面白いかもしれんぞ?」

 

 腹芸でも何でもなく、完全な善意で農夫は提案する。

 カナデは、初めて苦笑した。


「いえ、仕事のあてはあるのです。

 ただそこまでの道のりが、遠いというか。

 実は私、セイレインを出ようと思っているんです」


「ほ、う?

 外国に向かうつもりかー? 

 それは随分、思い切った話だ。

 やっぱりお嬢ちゃんは、お尋ね者か何かなのでは?」


 ケラケラ笑いながら、農夫は首を傾げる。

 カナデは、やはり苦笑するだけだ。


「そうですね。

 もしかしたら、将来的には、そうなるかも」


「は?

 何か言ったかね?」


 農夫がもう一度首を傾げると、カナデは首を横に振る。


「いえ、何も。

 と、これはお礼です。

 少ないですが、お納めください」


 あろう事か、カナデは金貨を一枚農夫に渡そうとする。

 それは、半月は遊んで暮らせるだけのお金だ。

 農夫は当然、驚いた。


「……はー、こんな金はもらえねえよ。

 金は、人を狂わせるからな。

 金がないから、働き者は働き者でいられるんだ。

 こんな大金を貰ったら、俺達の金銭感覚は麻痺しちまう」


「成る程。

 確かにそれは、道理ですね」


 やはりこの農夫は哲学的だと、カナデは感心する。

 仕事が出来るともてはやされてきたカナデだが、やはり世界は広いと改めて感じた。


「では、銀貨ならどうでしょう? 

 村の皆様と分かち合えば、程々に御身の労を労えると思うのですが?」


「あー、確かにそれ位なら、かまわねえかな? 

 いや、それでもやはりお嬢ちゃんは、気前がよすぎる。

 ……ただ、そうだな。

 小事をなすなら、財布の紐はきつい方がうまくいく。

 逆に大事をなすつもりなら、金銭は惜しむな。

 恐らくその方が、何事も成功する」


「そのご忠告、胸に刻ませて頂きます。

 と、あそこがおじい様の村では?」


 百メートルほど先に、小さな村がある。

 農夫は、首肯した。


「うん。

 俺がお嬢ちゃんを乗せてやれるのは、ここまでだ。

 あ、いや、ではこういうのはどうだろう? 

 この馬車をお嬢ちゃんに、さっきの金貨で買い取ってもらうというのは? 

 それなら俺も喜んで、あの金貨を貰える」


「成る程。

 本当におじい様は、聡明でいらっしゃいます。

 ……ただ、私って馬を操った事さえないんですよね」


「なら、俺が教えてやる。

 例の金貨はその授業料も含む、という事でいいだろう?」


 カナデは二つ返事で頷き、一日ほどその村に滞在する事になった。

 一日かけて、農夫から馬車の扱い方を手ほどきされたのだ。


 その村の若者は、後にこう証言している。


「ああ。

 本当にめんこい娘だった。

 村の若い者は、だれもがあの子に熱を上げた物だ。

 ただあの子は若いくせに、そういう誘いを断るのがうまくてな。

 結局誰もあの子を、引き止める事は出来なかった。

 今になってみれば、それが大いに悔やまれる」


 と、更にカナデを家に泊めた件の農夫は、翌日こう尋ねた。


「で、お嬢ちゃんは、何をしに?

 やはり、込み入った事なのかね?」


 カナデ・プラームは、視線を逸らしながら困った様に笑う。


「そうですね。

 私のお仕事は酷く簡単で――けれど残酷な物です。

 込み入っていると言えば、そうなのでしょう」


「はぁ。

 それは、大変だ」


 農夫は本当に心配したが、カナデは微笑みながらただ挨拶をする。

 それから彼女は馬車を操り、村を後にした。


 やがて彼女の馬車は、カナデを目的地まで送り届ける。


 カナデ・プラームは――遂にヴァリジア王国の首都に足を踏み入れたのだ。

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