第4話
角を曲がり、その姿が見えなくなると間もなく、悲鳴が聞こえたので、おれは自転車を捨てて、駆けあがった。
ふたりの男がいて、クリスティナがポケットからお金を出して渡すところだった。
「待ちな」
とおれが凄んだ。
なんだと。大きなほうが大股で、おれに近づいてきた。おれは喧嘩には弱くはないけど、こいつは強そうだから、ボコボコにされるかもしれない。それでも、かまわない。
その時、クリスティナが何か言った。さっきまで柔らかい声とは違う。
現地の言葉だから意味はわからないが、とても命令的な響きがあった。すると、大きな男が向きを変えた。
クリスティンが姿勢を正してまっすぐに立ち、頭巾を脱いで、また何か言った。すごく威厳があった。
ふたりの男たちは驚いて跪いた。
クリスティナがさらに何か言うと、ふたりは頭を下げて、駆け去った。
「ごめんなさい。うちの国民が恥ずかしいところを見せてしまって。それほど、生活が苦しいのかしら」
その時、クリスティナは「my people」、うちの国民と言ったのだ。普通、そういう言い方はしないだろう。
「クリスティナ、きみはだれなの?」
「隠していたわけじゃないけど、今日はふつうの人になって、自由でいたかったの。ごめんなさい」
「どういうこと?」
「私はプリンセス・アメディアーナ・クリスティナ。でも、明日には、この国の女王になるのよ」
クリスティナの青すぎる瞳が濡れていた。あまりに悲しそうに見えたから、おれはその肩を抱いて、撫でた。
「私、これまでも自由な時なんかなかったけど、これからはもっと自由がなくなるのよ。こわくてならない」
「今日はまだ残っているじゃないか。まだ好きなことができるよ。何かしたい?泣いていては、時間がもったいないだろ」
そうね、そうだわとクリスティナが頷いた。
「私、川へ行きたい」
「よし、行こう。川はどっちだい」
坂を下り終わると、クリスティナがまた自転車の前に座り、おれ達は川へ向かった。
急に水の流れる音が聞こえてきて、クリスティナは自転車から下りた。
「祖母が長い間女王でしたけれど、昨年亡くなられたのです。それで、父が国王になったのだけれど、ある事情で退位することなり、ひとり娘の私が後を継ぐことになったの。私はなりたくないのだけれど、これは運命だから、仕方がないのよ。明日が正式な戴冠式で、各国からたくさんの大使や外交官が来られるわ」
「こんなことをしていて、いいのかい」
「ここ1か月は毎日、晩餐会が続いていたけれど、今日の午後だけはひとりになりたいからと頼んで、部屋に籠ることにしていたの。そしたら、タロウに出会った」
「あの屋敷は」
「王宮です」
「なんか立派だと思っていたんだ。王宮を出てきて、いいのかい。みんな心配していない?」
「部屋で休んでいることになっているから大丈夫。ドアには中から鍵をかけて、窓から出てきたのよ」
「おてんばだね」
「本当はおてんばなの。おてんばが好き。でも、それも今日までだわ」
クリスティナのため息が揺れた。
「今日はまだ残っているよ」
「タロウのことを教えて」
「おれは18歳で、バッドボーイだよ。ぐれているんだ」
「そんなふうには見えないけど」
「こわくなった?」
「逆。ますます知りたくなっちゃったわ」
それでおれは自分のことを話した。ずっと野球少年で、高校にはいると野球部にはいった。ある時、たばことビールをもってきた先輩がいて、みんなで校庭の裏に行って試したんだ。そしたら、教師がはいってきて、捕まったのだった。
「お酒やたばこはだめなの?」
「20歳にならないとだめなんだ。ここでは?」
「そういうの、ないわ。もちろん、子供は飲まないけど、私はシャンパンが大好きよ。いつ飲み始めたのかは忘れたけれど、シャンパンとキャビアって、最高においしいわ」
「おれ、それ、食べたことない」
「その野球部の話を続けて」
教師がはいってきた時、タロウは教師の前に出て捕まり、みんなは逃げた。校長の前でも仲間の名前を言わなかったから、3か月の停学になった。友達がかばってくれないだけでなく、みんな去っていた。だから腐っていたら、親から「おまえの人徳がないからだ」と言われた。
もともと勉強はできなかったこともあり、それやなんかで学校も部活も何もかもいやになって高校をやめたら、親からは勘当された。
だから家を出て、いろんなアルバイトで生活をしていた。そのうちに誘われて、外国人の客が多いクラブで、年齢を隠して働くことになった。英語はそこで学んだ。
その店ではお金は稼げたけど、いつまでもしている仕事じゃないと思って、貯めたお金を全部もって世界を旅することにした。
「まずは東南アジアに行った。そしたら、食中毒でひどいことになり、2か月も入院することになった。だから、それに凝りて、ヨーロッパに来たんだ」
「いろんな経験しているのね、タロウは。尊敬する」
おれを尊敬?冗談だろ。
「私なんか、何もしていない。でも、今日は飴を食べたし、自転車にも乗れたし、うれしかったわ」
「次は」
「川で泳ぎたい。泳ぎ方、教えてくれる?」
「いいよ。やろう」
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