第14話妹を捏造した

「お兄様、お兄様、起きてください」




 ――それはまるで、天使のような囁き声だった。


 んむぅ、などと唸って薄目を開けた俺の視界に、何かがぼんやりと像を結び始めた。




「もう、お兄様、そろそろ起きてください。もう六時半ですよ?」




 お兄様――嗚呼、それは人生で一度だけでもいい、俺がそう呼びかけられてみたかった呼び名。


 そう、願わくばそれは、『お隣の天使様』の椎名真昼のような美少女の妹に。




 背中まで伸ばされた色素の薄い髪。


 如何にも妹キャラのそれというような、くりりとしていて茶目っ気のある目つき。


 日本人らしさを感じないような白い肌と、まるで西洋人形のように整った目鼻立ち。


 そして何よりも――兄としての俺の魂をくすぐるような、愛らしくか弱い声――。




「もう、お兄様ってば――」




 いや――これもしかして、妄想じゃあない?


 俺、さっきから思ってたけど、もう目を開けて随分経つよね?


 なのになんでこの妄想は消えないの?


 夢ならなんで醒めないの?


 それよりも何よりも――誰だ、この物凄い美少女は――?




「うえっ――!?」




 一瞬感じた物凄い違和感が寝起きの頭を蹴飛ばし、俺は布団を跳ね除けて後ずさった。


 俺の声と表情に驚いたらしく、その美少女も少し仰け反ってベッドから飛び退った。




「え――!? きっ、君、誰――!?」




 人生で一度も出会ったことのないその美少女に、俺は至極順当な問いを発した。


 だがその天使の如き美少女はキョトンとした表情で小首を傾げた後――俺と同じぐらい至極当然、という声で答えた。




「誰、って……お兄様の妹じゃないですか」




 は――!? と俺は絶句し、目の前の美少女を凝視した。




「いや――いやいやいやいや! 待って! タンマタンマ! 妹!? 誰の!? 俺の!?」

「はい、そうですが」

「いつから!?」

「そりゃあ妹ですから、私が生まれた頃から、になりますかね」

「なんで!?」

「なんで、って、お兄様より後に生まれたからとしか……」

「まっ、待て待て待て待て!! 混乱してきたな! だっ、第一君、名前は!?」

「え、名前――?」




 俺の問いに、少女は少し困った表情になると、視線を落として首を傾げてしまった。




「名前……私の、名前……?」




 はっ、と俺は息を呑んだ。


 記憶喪失でもない限り、普通の人間は自分の名前を聞かれて即答できないなどということは有り得ない。


 けれど、目の前の美少女はその時、明確に困り果てていた。


 その反応を見て、俺はあることに思い至った。




 これは――この子は、自分の名前が思い出せないのではない。


 信じられない事だが、多分――




 瞬間、ある可能性を思いついた俺は、慌てて枕元のスマホを取り上げて画面を点けて――愕然とした。


 そこには昨日、開きっぱなしだったカクヨムのページが表示されていたが、その零宮零二のキャラクター設定案が、いつの間にか以下の文章に変更されていた。




「【零宮零二】……主人公の親友。文武両道の眼鏡イケメンで、主人公のよき理解者。


しいなまひる n のような かわいいい いもうと いrrrる」




 おおおおおおおおおい! 昨日の寝ボケた状態の俺、シレッと何を追加してんだ!?


 しかも自分の妄想を最低限の言葉で最大限盛ってきやがって!!


 それだけはやっちゃいけないって寝る前に決めただろうが! 俺の自制心、紙ッ!!




「名前……私の、名前……」




 その声に俺はハッとして、目の前の美少女を見つめた。


 美少女はほとんど泣きそうな顔になっており、実際にその愛らしい目の縁に涙が溜まっていた。


 俺は大慌てで美少女に叫んだ。




「あ――ごめんごめん! ねっ、寝ぼけてた! 妹、そうだよな! 君は俺と血の繋がった実の妹、だよな!?」




 俺が問うと、美少女は泣きそうな表情のまま頷いた。


 慌てて確認した俺は、慌ててスマホを取り上げて美少女に背を向け、零宮零二のキャラクター設定の編集を始めた。




「えぇーっと、妹だから名字は零宮でいいんだよな……!? 問題は名前だ、この子の名前! もっ、もう、ソックリなんだからいっそ零宮真昼にするか!? ――い、いやダメだ! それだと単なる二次創作になっちゃう――!!」




 ガリガリガリガリと爪を立てて頭皮を掻き毟りながら、俺はものすごい勢いで突如出来た妹の名前を考えた。




「な、なら有希とか……!? 零宮有希! い、いやダメだ! それだとなんかあの人みたいな二面性出てきそうだし! グッモーニンマイブラザーとか言って伸し掛かって来る子になっちゃいそうだし! 小町、佳樹、小鳩、桐乃、美雪、流石ですお兄様……! あああ、もっとダメだ! な、ならなんて名前を――!?」




 ヤバい、早いとここの天使様に名前をつけないと――! 


 焦る俺は、はっ、と、ある名前を思いついた。




 そうだ、この子は容姿だけならまさしく、いまいま天から足を滑らせて地上に落ちてきた天使のような、凄まじく愛らしい外見をしている。


 そしてなおかつ、天使の名前にはラミエルとかサキエルとかゼルエルとか、とかく名前の最後に「エル」という名前がつく。ならば――。 




「零宮える――」




 口中でその響きを確かめて、これだ、と思った。私、気に入ります。

 

 俺は慌てて、零宮零二のキャラクター設定に以下の文言を付け加え、更新ボタンを押した。




「【零宮零二】……主人公の親友。文武両道の眼鏡イケメンで、主人公のよき理解者。


しいなまひる n のような かわいいい いもうと いrrrる。妹の名前は零宮える」




 俺は美少女に向き直り、おそるおそるその名前を読んでみた。




「え、える……?」




 途端に、美少女はさっきの泣きそうな名前から一転してキョトンとした表情になり、可愛らしく首を傾げた。




「はい、えるですが」




 ほっ――と、俺は安堵のため息を吐いた。


 零宮える。即興ではあるけれど、一応この子の名前は決まった。


 俺はまだドキドキとうるさい心臓を手で押さえた。




「よ、よかった。とっ、ところで、える」

「はい?」

「お兄ちゃんな、寝ボケたらしくてちょっと記憶が混乱してるんだ。ちょっとえるのことを自己紹介してくれるか?」

「えっ、えぇ……!? お、お兄様、寝てる最中に頭でもぶつけたんですか!? 妹に自己紹介させるなんて!」

「ああ、強かに頭をぶつけて今この状況になってるからな。と、とりあえず、まるで初対面の相手にそうするように自己紹介してくれ」

「はぁ……」




 零宮えるは改まった雰囲気になり、ぺこり、と可愛らしく頭を下げた。




「はじめましてお兄様、零宮えると申します。年齢は14歳、中学二年生です。血液型はA型の蠍座、趣味は料理と掃除とお洗濯とお兄様鑑賞です」




 お兄様鑑賞――なんだか少しワクワクするとも嫌な予感がするとも取れる単語が飛び出てきたな。




「好きなものはお兄様、嫌いなものはお兄様にすり寄ってくるメスです。好きな男性のタイプはお兄様のような男性、夢はお兄様のような素敵な男性と結婚することです。えーと、スリーサイズとかは……」

「あ、もういい。そんなのはいい。なるほどね、よくわかった。思い出してきた思い出してきた」




 これはヤバい。想像以上にこの子、お兄様大好きだな。


 まだ何の設定も決めてないのに、あの一文に俺の怨念と情熱籠もりすぎだろ。


 俺は腕を組み、今度は深い感動と共に何度も何度も頷いて零宮えるを見た。




「そうかぁ、妹かぁ。君が俺の妹かぁ……」

「はい――?」

「いや……可愛いなぁ。俺の妹、滅茶苦茶可愛い……」

「なッ――!」




 瞬間、零宮えるの白い顔が激しく紅潮し、零宮えるは口元を手で押さえて俯いてしまった。




「どっ、どうしたんですかお兄様……! いつもは全然そんなこと言ってくれないのに、かっ、可愛いなんてそんな……!」

「いやいや、口に出さないだけでお兄ちゃんはいつもえるのことを可愛いと思ってるぞ。俺の妹が世界で一番可愛い。えるしか勝たん」

「もっ、もうやめてください! 私、恥ずかしいです……!」




 そう言って顔を両手で覆ってしまった零宮えるを見る俺の心に、物凄く深い親愛の念が湧いてきて、俺は感動してしまった。


 なんだか、目の前の女の子は、とても今さっき俺が即興で創り上げた存在とは思えなかった。 


 本当に兄妹としてこの世に生まれ、今までの人生を肩を寄り添わせながら生きてきた気さえする。


 もしかしたらこれは四ノ原ヨンではなく、零宮零二というキャラクターが感じている親愛だったのかも知れない。


 そう思うと目の前の妹が愛しくて堪らず、俺は右手を伸ばして零宮えるの頭を撫でた。




「よーし、自己紹介もしてもらったし、今日から改めて君は俺の妹、そして俺は君のお兄ちゃんだ! よろしくな、える!」

「は、はうぅ……! あ、朝イチでお兄様に頭を撫でてもらってる……! なんという幸せ……! だ、ダメですお兄様、これ以上撫でられたら私、どうにかなっちゃいますから……!」

「なにを言ってんだよ、妹と兄貴の仲じゃないか。もう少し撫でてもいいだろ?」

「は、はいぃ……! あうう、幸せ、零宮える、幸せですぅ……!!」




 恍惚の表情でうっとりとしている零宮えるを見ていると、この子を世界で一番大事にしなければいけないという、兄としての使命感が出てくるから不思議なものである。

 



 よーし、俺は今日から、頑張って兄貴として生きてみよう。


 俺はそう決意しながら、今さっき出来たばかりの妹の頭を撫で続けた。







「面白かった」

「続きが気になる」

「いや面白いと思うよコレ」


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