第10話負けヒロイン仕草
「……よーし、それじゃいよいよ作戦会議と行きますか」
例の顔よりどでかいパフェをつつきながら、三津島クロエがそう切り出した。
三津島クロエは例の必勝ノートを一目憚らずにテーブルの上に広げ、ボールペンを握った。
「とりあえず、今日はアンタの言ったことのおさらいをしたって感じね。……繰り返しになるけど、八百原がたまに言う初恋の人が一葉さん、そして二階堂さんは八百原の義妹、なのは間違いないのよね?」
「その通りだ」
「んむぅ、これは難問だな……八百原のヤツ、優柔不断だからなぁ」
三津島クロエはボールペンでこめかみの辺りをポリポリと掻きながら頬杖をついている。
「なんというか八百原のヤツ、現時点ではほっといたら一葉さんとくっつく可能性が一番高いような気がするんだよね。前に私が白状させたときも初恋の人がどうのこうの言ってたし。二階堂さんが八百原の義妹なら、そう簡単にくっつく決断ができるとは思えないし」
そう、この小説では、最終的に八百原那由太は一葉深雪を選択して終わる。
それが俺の定めたトゥルーエンドだし、ほか二人のヒロインは結果から見ればヒロインレースを盛り上げるためのオマケでしかないのだ。
んむぅ、と三津島クロエが唸り声を上げたところで、俺が口を開いた。
「クロエ、ちょっと厳しい言い方していいか?」
「どうぞ」
「今朝も本人に聞いたんだけどな――現状、八百原那由太はお前とくっつく気はおそらく99%ない」
俺は敢えてストレートにその事実を伝えた。
「あんなアイドルみたいな人と俺がくっつくなんて世間が許さない――そんな風に言ってたからな。アイツがお前に対してハッキリとした態度を示さないのは、単にお前を手ひどくフって傷つけるのが怖いだけなんだと思う」
チッ、と、三津島クロエが悔しそうに舌打ちをした。
「わかってると思うけど、アイツはお前にだけ優しいんじゃない。誰にでも優しい男なんだ。だから現状の力押しでは初恋の相手である一葉深雪には敵わない。アプローチの方針を変えるべきだ」
「それは……まぁ、なんとなくわかってたけどさぁ……」
三津島クロエは育ちすぎた自分の身体を恨めしそうに見つめた。
「だからってどうしろっていうのよ。アイツ、正直言って私を恋愛対象だと思ってないんでしょ? 私に対してそういう感情を持ってもらうためには悩殺するしか思いつかなかったんだもの」
「そりゃわかる。わかるけどお前はやりすぎだ。そもそも悩殺するにしても放課後の保健室で半裸で馬乗りになるのはダメだろ。俺が止めなきゃあの後どうするつもりだったんだ?」
「そ、そりゃあ――! 後は八百原のオトコとしての本能がカタをつけてくれるって……!」
「そのカタをつけられてる最中を誰かに見られたらどうするつもりだったんだ、って言ってんだよ。とにかく、ああいう過激なことはしばらく自重しろ」
まぁそれは俺が考えた展開の通りなので申し訳ないのだが、三津島クロエは流石にやりすぎたことを反省したのか、しゅんと項垂れてしまった。
「ま、まぁ、あのときは止めてくれたことに感謝もしてるわよ。でも私、ああする以外に八百原をオトす方法がないと思ってさ。ならイッパツ童貞でももらっちまえば既成事実ができて一葉さんや二階堂さんへの牽制になると……」
「だから、それがいけないんだよ」
「は?」
「クロエ。状況を整理するために、仮に、仮にだ、これがハーレムラブコメの世界だとするぞ」
まぁ、マジでハーレムラブコメの世界なんだけど――今はそんなことはどうでもいい。
俺はそんな事を考えながら、テーブルの上に身を乗り出し、右手の手刀と共に説明した。
「これが壮大なヒロインレースだとするなら、お前の予想通り、現状勝つのは間違いなく一葉深雪なんだ。……何故だかわかるか?」
「男どもはみんな黒髪毒舌ツンデレヒロインが好きだから?」
「違う。前提が逆だ。このラブコメはあくまで一葉深雪をメインヒロインとして作られてるからだ」
俺は滔々と説明……否、説教した。
「メインヒロインと負けヒロインの差、その差は紙一重に見えて実は京極夏彦より分厚い。何故ならばメインヒロインは原作者という神に愛されて、なおかつ、読者にも愛されているからだ」
「ど、読者……?」
「そう、読者だ。これからお前はこの単語を死ぬほど意識しなければならない」
めちゃくちゃな理屈で怒られるかと思ったが、三津島クロエは意外にもテーブルの上に身を乗り出すようにして、俺の言葉に真剣に耳を傾けていた。
「ハーレムラブコメにおいて神である作者が操作できることは二つ。それは誰とくっつくか、そして、いつくっつくかだ。そして俺が思うに、現状、このハーレムラブコメは間違いなく一葉深雪エンドで走っている。……そもそもそうでなきゃ顔も名前も覚えてない初恋の人と高校で再会、なんて奇跡が有り得ると思うか?」
俺の説教に、三津島クロエの戸惑っていた表情が徐々に真剣になっていった。
「要するにお前はハーレムラブコメのヒロインの一人ではあるけれど、悲しいかな、現状では既に確定している一葉深雪と八百原那由太の仲をラストまで精一杯掻き回すお邪魔虫要員、というポジションになってしまっているんだ」
俺は核心部分を口にした。
「それにだ、お前は一葉深雪と二階堂奏が自分よりも恵まれていると感じている。だが読者から見れば逆だ。お前はハーフで銀髪の大人気現役グラドルJKなんだぞ? そんなお前が初恋相手である一葉深雪を差し置いて八百原那由太とくっついたら、読者の目にはどう映ると思う?」
「……ポッと出の女がエロさを武器に初恋の人を奪ったように見える?」
「その通りだ」
俺はなるべく厳しい表情を意識しながら重々しく頷いた。
「つまり、読者から見ればお前は主人公とくっついても納得できるヒロインにまで昇格できてないんだよ。一葉深雪が言うように、現状、お前は単なるお色気担当のお邪魔おっぱいでしかない」
「お、お邪魔おっぱい……!?」
「そう、お邪魔おっぱいだ。それに、揉めるCカップよりも揉めないEカップの方が強いと時々ボソッとデレる文献にも記されている。……お前はいつでも揉めるHカップに価値があると思うか?」
びしっ、と人差し指を突きつけると、三津島クロエは神妙な表情でぺたぺたと自分の胸を触った。
俺たちの話が聞こえたらしく、お冷を追加しに来たウェイトレスが物凄い表情で俺たちを見ていたが、こっちはあくまで真剣な話をしているのである。邪魔はしないでもらいたい。
「でっ、でも……! ならどうしろって言うのよ! 私、これでも真剣に考えてんのよ!? 真剣に考えた結果、私的には色仕掛けが一番効果的だって……!!」
「それも逆だ。いいか三津島クロエ、お前はただでさえハーレムラブコメにおいては鬼門である――三番目のヒロインなんだぞ?」
三番目。その一言に、三津島クロエが虚を突かれた表情になった。
俺は原作者として、そして三番目のお色気担当ヒロインである女に向かって、よくよく言い聞かせた。
「現状、お前は一葉深雪、二階堂奏に続く、八百原那由太にとって三番目に出会ったヒロインだ。お前にはわからないだろうがな、古今東西のラブコメにおいて三番目のヒロインはお色気担当であると歴史的に決まってるんだ」
「あ、アンタ、さっきからなんか物凄くメタくさいこと言ってない? 真剣に聞いてもいいのその話?」
「もちろんだ。いいかクロエ。三番目にはお色気担当ヒロインを据える、これはモノが下に落ちるのと同じ、ラブコメにおいて世の中の鉄則、摂理、法則に等しいものだ。……そして悲しいかな、その三番目のお色気担当ヒロインが勝ちヒロインになった例は――ほぼ前例がないだろう」
俺のその言葉に、しゅん、と三津島クロエが項垂れて視線を落とした。
「三番目のお色気担当ヒロイン……それはハーレムラブコメにおいては悲しき
そう、それは世の中の三番目のお色気担当ヒロインと全く同じ――。
俺は哀愁漂う口調で説明を続ける。
「三番目のヒロインも一緒だ。ただでさえ主人公と出会う順番が大切なラブコメにおいてファーストコンタクトに大きく出遅れた三番目ヒロインなんて、登場した瞬間から負けが確定しているとしか言いようがない。二番目以降のヒロイン、特にお色気担当の三番目は確定的に負ける。これを専門用語で『北大路さつきの呪い』と呼ぶ」
「な、名前まである現象なん――!? 誰よ北大路さつきって!?」
「かの名作ラブコメ、『いちご100%』の三番目のヒロインだ。彼女が負け際に振りまいた『三番目ヒロインは負ける』という呪いは連載終了から二十年近く経った今でも地上を呪い続けている――恐ろしいことだがな」
俺は三津島クロエから視線を外し、ファミレスの外の風景を意味もなく眺めた。いっちょ燃えるような夕焼け空でもあれば様になったのだろうが、窓の外に見えたのはおばさんが買い物袋を手に道をうろうろする、気の抜けた曇り空の夕暮れ時である。
そう、俺はあの漫画においては西野つかさ派でもなく東城綾派でもなく、終始一貫して北大路さつき派だった。
既に負けが確定しているヒロインを推し続ける苦しみ――その苦しみには独特の哀愁と絶望感があって個人的には嫌いではないのだが、大抵そういうヒロインは全ヒロインの中で一番先に主人公に告白し、一番最初に主人公にフられる。つまり最下位で負ける。それが悔しいし、推してる側としてはたまらないぐらい堪えるのだ。
可愛くてエロかったのになぁ、北大路さつき――俺は一抹の悲しみを振り切って前を見た。
「だから三津島クロエ、お前は進化せねばならない。この三番目の呪い、否、運命を振り切るために」
俺の決然とした声に、三津島クロエが伏せていた目を上げた。
◆
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