第9話二番目のヒロイン

 俺が呻くように言うと、あら、という感じで一葉深雪が俺を見た。




「零宮君、珍しいわね。あなたがあのような知性の欠片もない男、そして恥じらいの気持ちが欠片もない痴女と一緒に登校しているなんて。明日は槍でも降るのかしら?」




 おお、この言い回し――俺が何度も何度も苦労しながら書いちゃ消し書いちゃ消しした言い回しそのものだ。


 俺は少し考え、それ相応の言い回しで応じた。




「槍ぐらい降るかもしれないな、一葉さん。なんてったって今日の日本からはスカイツリーが一夜にして消えたらしいぜ?」

「ああ、そうだった。今日、東京スカイツリーが消えてしまったらしいわね」



 

 くすくす、と一葉深雪は何故なのか楽しそうに笑った。 




「おそらく、あの阿呆な男と一緒の国に存在することが耐えられなくなってしまったんだわ。私だってあんな男とクラスメイトやってるってだけで地面に崩折れて額を叩きつけたくなるぐらいなのに」




 コイツ、幼い頃に八百原那由太と将来を誓い合った幼馴染であるのに、相変わらずその幼馴染に対する言葉が辛辣だ。


 俺が創っておきながらナンなのだが、一葉深雪とはこういうキャラ――容姿も頭脳も家柄も完璧なのに、その口の悪さだけが玉に傷の、異常なレベルのツンデレなのである。


 


 一葉深雪が、メインヒロインが現れた瞬間、場の空気が一変したように感じたのは、俺だけではなかったらしい。


 じゃれあっていた八百原那由太と三津島クロエも騒ぐのをやめ、その場に突如現れた一葉深雪を見た。




「おっ、おう一葉……おはよう」

「おはよう、八百原君。そして、そちら様の方はええっと……おっぱいさん?」

「ちょ――なんで私の名前覚えてないのよ!? おっぱいさんって何!? クロエよ、三津島クロエ!!」

「ああ、確かにそんな名前だったかしらね。そのはしたない部分に付属する人の部分には興味を惹かれないから覚えてなかったの、ごめんなさい」

「付属した部分って何よ! どういう失礼!? 逆よ逆! おっぱいが私の付属物なんでしょうが!!」

「ハァ、胸もデカけりゃ声もデカい。おまけにクラスメイトに対する態度も巨大ね。小さいのは器ぐらいなのかしら」

「ちょ、言い過ぎだぞ一葉! こう見えて三津島にだってもっと小さい部分は……!」




 ギャーギャー騒ぎ立てるキャラクターたちを見ながら、俺はしばし、その熱量に圧倒された。


 これぞまさにラブコメ、まさに青春。単なる草臥れ小説家ワナビだった俺が長らく遠ざかっていたもの。


 俺が半ば呆けたような気分でそれを見ていると、ふと、なんだか無性に泣けてきて、俺は気づかれないように顔を背けて目元を拭った。




 ああ、生きている。


 あんなに必死になって夢想していた俺のキャラクターたちが、こんなにも眩しく、そして仲良く騒いでいる。


 その事実も信じられなかったけど、それ以上に――こいつらが今、全力で青春していることに、俺は感動したのだ。


 


 そう、俺たち人間が、大人になれば忘れてしまうことを、忘れなければならなくなってしまうものを、今のこいつらは全力で楽しんでいる。


 その眩しさに圧倒されて、俺は知らず知らずのうちに、己が変わってしまっていたことを、草臥れてしまっていたことを思い知らされた。


 その事実が切なくて、それ以上に、俺の創った輝きの眩しさに目がしみて――俺はなんだか泣けてきて仕方がなかったのだ。


 俺がどうにか涙を拭うと、一葉深雪が改まる声を発した。




「さぁ、あまりこんなところで騒いでいると登校時間に遅れてしまうわ。甚だ不本意だけど、八百原君、一緒に登校しましょうか」

「おっ、おう……」




 滅多になく一葉深雪が素直に誘ったことで気後れしたしたらしいが、それでも八百原那由太は若干嬉しそうな顔で、一葉深雪と肩を並べて歩き始めた。


 ああ、いいなぁ、青春だなぁとその後ろ姿を微笑ましく眺めていた俺の背中を、三津島クロエがどつき、小声で抗議してきた。




「何をニコニコ眺めてんのよ、アホ! せっかくいい雰囲気になったのに一葉さんが来たせいでぶち壊しじゃない! それになんか正妻オーラぷんぷんで歩いていっちゃうし! なんとかしなさいよ!」

「なんとかすべきなのはお前だろ、何言ってんだ。いつもみたいに色仕掛けで邪魔しに行けよ」

「アンタどっちの味方なのよ!?」

「俺はお前ら全員の味方だよ。少しお前に肩入れしてるだけだ。……ほら、まごまごしてると一葉深雪が八百原那由太の正妻になっちゃうぞ?」




 俺がへらへらと笑うと、俺は役に立たないと悟ったのか、三津島クロエが八百原那由太に駆け寄り、その右腕を取った。




「うわっ!? みっ、三津島! ちょ、離れろよ! くっつかれると歩きにくいんだよ――!」

「うるさいうるさい! 目の前にこんないい女がいるのに一葉さんが来た途端落ち着きやがって! その三分の一でいいから私を意識しなさいよ!」

「ああ、本当にうるさいわね……朝は静かであるべき時間よ、地域住民の皆様のためにも静かになさい」




 ギャーギャーと喚き散らすキャラクターたちを微笑ましく見つめながら、俺たちは俺たちの学園ラブコメの舞台――私立青藍学園へと向かっていった。







「お、おはよう八百原君。……あれ? 今日は一葉さんだけじゃなく、三津島さん、零宮君とも一緒なの?」




 肩まで伸ばされた栗色の髪。


 如何にも引っ込み思案で、おっとりとした目つきと雰囲気。


 作中唯一、三津島クロエのそれと張り合えそうな、よく見ればかなりメリハリある身体つき。


 これもまた、俺が夢想していたその人の姿そのままで、俺は感動してしまった。




 二階堂奏――このラブコメにおける二番手ヒロインにして、八百原那由太の義妹。


 一葉深雪が氷の美貌、三津島クロエが太陽の輝きを持つ美少女であるならば、二階堂奏はまるで小鳥の雛のような愛らしさと、猛烈に庇護欲を掻き立てる見た目と雰囲気を持っていた。


 


「おっ、おう、二階堂さん。そうなんだよ、たまたま登校途中に一緒になってさ――」

「たまたま、って何よ。わざわざ一緒に登校してあげたんじゃないの」

「私は完全にたまたまね。こんな騒々しい人たちと一緒に登校してしまったのは一生の不覚だわ」 



 

 そう言って口を尖らせた三津島クロエと、涼しく主人公たちを罵倒した一葉深雪を見て、二階堂奏は控えめに微笑んだ。




「相変わらず、八百原君はみんなと仲が良いんだね。凄いなぁ、羨ましいぐらいに……」




 私なんてまだまだだなぁ、という感じの儚さで二階堂奏は笑ったが、俺は警戒を解かなかったし、二階堂奏を見つめる一葉深雪も三津島クロエも、内心この人を前に緊張しているのがわかる。




 いいや、この控えめな微笑みは、いわば擬態だ。


 この人は見た目通りの人では、決してない。


 二階堂奏は三人のヒロインの中では一番マイルドでおっとりとした性格をしているが、コイツの本性は虎だ。


 作中では義妹という身分をいいことに、ゆくゆくは八百原那由太と一緒に全裸で風呂に入ったり、ひとつのベッドで寝ようとしたりするキャラなのだ。


 一葉深雪も三津島クロエもこの人が時たま見せる爆発力とヒロインとしてのしたたかさをこの時点ぐらいから朧げに理解し初めていて、ともすれば一番先に主人公と深い仲になりそうなのを警戒している感じなのである。




 時たま見せる勇姿の、その豪胆なること、まさに叢中に身を潜ませた虎の如し、か。ゴクリ……。


 そのおっとりとした横顔を眺めていた俺を三津島クロエがつつき、そっと耳打ちしてきた。




「ねぇ、本当に二階堂さんと八百原って義理の兄妹なの? 嘘じゃないでしょうね?」

「この情報に間違いがあるなら腹切ったっていいぞ」

「でも学校ではそんな素振り全く見せないじゃないの。にわかには信じられないっていうか……」

「信じられないってんなら、二階堂奏の髪の匂いを嗅いでみろ」

「に、匂い……?」

「あいつらは二階堂奏の希望で、家では同じシャンプーで頭を洗ってるんだ。同じ匂いがするはずだ」




 俺の説明に、三津島クロエが半信半疑の表情でススス、と移動し、二階堂奏に接近し、スン、と鼻を動かした。


 途端に、マジか、という表情になって、三津島クロエが俺の隣に戻ってきた。




「どうだった?」

「マジだった……八百原の髪と同じ匂いがした……! あ、アンタ、なんでそんなことまで知ってんの? 若干ヒくっていうか……!」

「今更なこと言うなよ」

「ま、まぁそれはそうだけど……」

「あれ? なんだか三津島さんと零宮君、今日はいつもより仲良い感じなんだね?」




 おっとり、と効果音が聞こえてきそうな声で、二階堂奏が目ざとく指摘してきた。




「え? あ、ああ、最近友達になったんだよ。元々三津島は那由太とも友達だしな。なぁ三津島?」

「う、うん。今まであんまり話したことなかったんだけど、話してみたら意外に意気投合してね」

「そうなんだ、凄いなぁ三津島さんは。誰とでも仲良くなっちゃうんだね。引っ込み思案な私とはホント大違いだなぁ……」




 二階堂奏はそんな事を言って、少し目を伏せた。


 あれ、なんだか落ち込ませちゃった?


 俺と三津島クロエが目配せした途端、八百原那由太が口を開いた。




「何言ってんだよ二階堂さん、俺たちだって友達だろ? こんなにいつも一緒にいるんだからさ!」




 八百原那由太の声に、二階堂奏が少し驚いたように顔を上げた。


 ニコッ、と、八百原那由太は二階堂奏に向かって微笑んだ。




「どうすれば友達ってことになるかなんて面倒くさいこと、俺は馬鹿だからわかんないけどさ。少なくとも、俺は二階堂さんと友達だと思ってるよ。それに一葉も三津島も零二も、二階堂さんのことは大切な仲間だと思ってる。なぁ一葉?」

「えぇ、こんな男に指摘されるのは悔しいけれど、私は少なくともあなたのことを一緒にいて不愉快ではない貴重なクラスメイトの一人だと認識しているわよ、二階堂さん」




 言動がいちいち辛辣な一葉深雪にとって、それは最大限の評価と言えた。


 お前らもそうだよな? と八百原那由太に視線で尋ねられて、俺はぶんぶんと首を縦に振った。




「そ、そうだよ二階堂さん! そんなにネガティブに思うことないよ! 友達の友達は友達ってことじゃん! ねぇ零宮?」

「そ、そうだな! だから二階堂さんも落ち込むことはないよ! なんかあったら友達としていつでも相談してくれ、な!?」




 俺たちの必死の説得に、二階堂奏は白い肌を少し赤くし、泣きそうな表情で頷いた。




「ありがとう、みんな……。私、この学校に来られてよかった。八百原君たちと仲良くなれて、凄く嬉しい……!」




 二階堂奏は本当に感動している様子で目を伏せてしまった。


 それを見て満足そうにしている八百原那由太を、俺は少し尊敬の眼差しで見た。




 ああ、コイツはやっぱりラブコメの主人公なのだ。


 コイツの何気ない言動、やや無遠慮な感さえある言葉のひとつひとつが、ヒロインたちを励まし、慰め、勇気を与えるのである。


 俺が創ったキャラだというのに、やっぱりコイツらは生きているんだなぁ……俺がその事実に感動していると、担任がクラスに入ってきた。朝のHRが始まるのだ。


 それを期に俺たちが三々五々席に戻っていこうとした直前、素早く三津島クロエが俺の肩に手を伸ばし、ぐいっと顔を近づけて耳打ちしてきた。




「零宮、今日放課後、時間ある?」

「何だ?」

「作戦会議よ、作戦会議! とりあえず今後の方針を決めるの!」




 俺の肩を掴んだ手の力を強め、三津島クロエが言った。




「二階堂さんが八百原と義兄妹だっていうアンタの話、間違いないと思う! だから一葉さんや二階堂さんに負けないぐらいインパクト強めないといけないじゃない! 放課後になったら校門前に集合ね!」




 言うべきことは言った、というように、三津島クロエはそれだけ耳打ちして、自分の席に戻っていった。


 やれやれ、本当に努力家なんだなぁ。俺は三津島クロエという女が持つ熱量にしばし圧倒される気持ちを味わいながら、零宮零二の席に着席した。







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