第8話主人公とメインヒロイン
朝起きて、俺はまず確認した。
やはりここは、零宮零二の部屋に間違いなかった。
やはり――夢ではなかったのだ。
俺は次に起き上がり、ひとつベッドの上で背伸びをして、枕元に置いてあるテレビのチャンネルを手に取った。
電源を入れ、固唾を飲んでいると――すぐに女性レポーターの悲鳴が聞こえてきた。
『本日、東京スカイツリーが忽然と姿を消してから、早くも七時間が経過しました。全長634mにも達するあの東京スカイツリーは一夜にして何処へと消えてしまったのでしょうか――』
テレビの中で、神経質そうな顔立ちの女性レポーターが、東京のどこかの町並みを背にして大声で捲し立てていた。
その遥か後ろ、東京の、そして日本のシンボルとして聳え立っていたのだろう東京スカイツリーが、一夜にして忽然と消失した事実。
その事実だけで、俺がそうと確信するには十分だった。
間違いない。
零宮零二に転生した今も、俺は原作者、この世界の創造主として、この世界を意のままに操作できるのだ。
俺がそう執筆すれば、アメリカ大陸を地上から消し去ることも、全世界の戦争を一瞬でやめさせることも、何なら今この瞬間に地球を反対に回すことだって――十分可能なのだ。
ハァ、と俺はため息をつき、テレビをつけたままパソコンを立ち上げた。
昨日、あらかじめブックマークに入れておいたカクヨムにアクセスし、昨日執筆した26話を開いた。
そこで俺は、「東京スカイツリーが消失した」というくだりを消そうとして――待てよ、と手を止めた。
ここで俺が東京スカイツリーが消失した、という事実を消し、この小説を更新してしまったら、この世界はどうなるのだろう。
今、テレビの中で、忽然と消失した東京スカイツリー跡地を背景に大声を張り上げている女性リポーターはどうなるのだろう。
一瞬にして消えるのだろうか。それとも、自分がその朝するはずだった通常の業務に戻るのだろうか。
俺が、この世界の「原作者」である俺が不用意に世界を改変してしまったら――この世界は、人々は、三津島クロエたちは、そして俺は――どうなってしまうのだろう。
俺は自分のしていることが恐ろしくなり、バッとキーボードから手を離した。
しばらく考え、俺は結局、26話を編集することを諦めた。
こんなことをしなくとも、次の27話の冒頭で、何故か再び東京スカイツリーが戻ってきたことにすればいい。
俺がそうやって自分を安心させていると、スマホがピロリンと音を立てた。
俺がベッドの上のスマホを見ると、零宮零二の親友である八百原那由太からのLINEだった。
『悪い。朝、登校を一緒してくれないか』
俺が『どうした?』と返信すると、すぐに返信が返ってきた。
『三津島に一緒に登校しようって誘われてる。昨日いろいろあったから断るための理由がほしいんだ』
ほほう、これでまた、ひとつわかったことがある。
俺は昨日、普段は一緒に登校していない俺と八百原那由太が一緒に登校する理由を、特別描写しなかった。
だが、この世界は俺の描写に対して、勝手に辻褄を合わせるらしいのだ。
この場合、「普段は別に登校している俺と八百原那由太は、三津島クロエの行動によってそうすることになる」と、イレギュラーに変化している。
これは――正直、面白いことになったぞ。
俺はLINEを手早く返信した。
『そういうことなら仕方がない。準備が出来たら俺の家を尋ねてくれ』
『ありがとう、恩に切る』
『もちろんタダじゃない。学食奢れ』
『1000円以内で頼む』
『了解』
なんだか、こういうやり取りも久しぶりだなぁ――。
学生時代はそこそこいた友達も、ブラック企業に就職してからは疎遠になっている。
俺はもう一度、青春をやり直す事が出来るのだ。それも、自分の創ったキャラクターたちと。
なんだかその事実が嬉しいような気恥ずかしいようなで、俺は少し照れながら、登校の準備を始めた。
◆
「いやぁ悪い悪い、わざわざお願い聞いてもらっちゃって。やっぱり持つべきものは友達だよなぁ……!」
昨日はじっくりと観察できなかったが、俺が創った主人公である八百原那由太という青年。
コイツ、外見から言えば、あの美少女どもがどこにそんなに惚れ抜いているのかわからないような、平々凡々とした青年であった。
腐ってもラブコメ主人公、顔の造作自体は割と整っているという設定はあったが、こうして隣に立っていても、オスとしてのたくましさや頼り甲斐は全く感じることができない。
背は零宮零二である俺の方が高いし、成績などは比べるべくもない。
オタク趣味だし、コミュニケーション能力も高くはない。
だが決して平凡な男というわけではなく、普段はそれとわからないが隠れた才能があり、ヒロインがピンチの際は手を差し伸べ、華麗に解決してみせる、いわゆるやる時はやる男。
それ以上に、常軌を逸して誰にでも優しく親切であるため、その身には不相応なほどにモテまくる――八百原那由太とはそういう男なのだ。
主人公の象徴であるアホ毛をゆさゆさ揺らしながら俺に媚びまくる八百原那由太を見て、俺は曖昧に笑った。
「いいよ、俺とお前の仲だろ? 友達が困ってたら助け舟出すぐらいはするさ」
「零宮、お前ってホントいい奴だわ! そういや聞いたことがなかったけど、なんでお前みたいな男が俺の友達してくれてんだ?」
「お前みたいな友達が欲しくてこの学校に来たからだよ」
「うおお、なんだか嬉しいこと言ってくれるなぁ……! 今回は助かった! あ、あと、昨日のことも……!」
昨日のこと。そう言われて、俺は八百原那由太を見た。
「八百原」
「な、なんだ急に改まって」
「お前さ、三津島クロエのこと、どう思ってんの?」
俺が単刀直入に聞くと、八百原那由太はきまり悪そうな表情になって少し迷う素振りを見せた後――ハァ、とため息を吐いた。
「アイツは――いい友達だと思ってるよ」
「あっちは明らかにそれ以上になりたがってるよな?」
「ま、まぁ、そうかもしれんが――」
「断言する。ぶっちゃけた話お前、将来的に三津島クロエと付き合う気、全く無いだろ?」
俺が断定した口調で言うと、八百原那由太は動揺した表情で俺を見た。
「そ、それは――!」
「いいや、隠さなくていい。俺にはわかる。お前は三津島クロエの事なんて最初から眼中に入ってない。お前が迷ってるのは一葉深雪と二階堂奏、どっちの想いを受け入れるかだけで、アイツはそもそも候補にも挙がってない。……違うか?」
「な、なんでそこで一葉と二階堂さんが……! おっ、俺は別にあのふたりとも……!」
「今更余計なごまかしはいいよ。どうなんだ」
俺がさらに追い詰めると、八百原那由太は沈黙し、明後日の方向を向いてボリボリと頭を掻いた。
「――正直な話、俺みたいなオタクとはつり合わない人だろ。あんな何万人もファンがいるアイドルみたいな奴が俺の彼女とか、どうしても想像できなくて……。どうにか諦めてくれればいいんだけど……」
そう、八百原那由太とは、こういう男なのだ。
常軌を逸して他人に優しい、傷つけたくないが故の優柔不断――彼はこういうところが如何にもラブコメの主人公なのだ。
そして三津島クロエは、その優柔不断な主人公の前に現れる、三番目のお色気担当ヒロイン。
何よりも主人公とのコンタクトの早さが重要であるラブコメにおいて、主人公と出会うのが三番目、しかもお色気担当とくれば――負けヒロインでない方がおかしい。
そう、三津島クロエとは、ある意味ラブコメにおいて典型的とも言える、哀れなお色気担当の負けヒロインでしかないのだ――昨日までは。
俺は八百原那由太を睨むように見た。
「まぁいい。お前の人生は俺がとやかく言うことじゃないからな。だけどお前、今後は覚悟しとけよ」
「えっ?」
「お前、多分だけど――これからどんどん三津島クロエのこと、気になってくと思うぜ。覚悟しとけ。そんで、いよいよの時は、せいぜい悩め。結論はお前に任せる」
「そ、そりゃどういう意味で……!」
俺が早足で歩いて、八百原那由太の追撃を躱した、その瞬間。
「おはよー八百原、昨日はよく眠れた!?」
来たか。俺は背後を振り返り、同時にスマホを取り出して、『シュレディンガーのラブコメ』の16話を注視した。
「なっ――!? もっ、三津島!? どうしてここに!?」
「へん、零宮をダシにして私と登校するのを断ろうなんて百万年早いわよ。アンタがアンタの家からどの道を通れば零宮の家に辿り着くかぐらい、こっちはとっくに調査してっからね!」
そこで俺の描写通り、その豊満な胸の谷間に八百原那由太の埋めた三津島クロエは、俺の方をちょっと見て、昨日はありがとね、というようにウィンクした。
ふふっ、と笑った俺は、再びスマホの画面を注視した。
「あーあ、昨日は惜しかったなぁ、もう少しでアンタと既成事実作れそうだったのに。……昨日あの後よく眠れた? それとも私をオカズにシちゃったりした?」
【「あーあ、昨日は惜しかったなぁ、もう少しでアンタと既成事実作れそうだったのに。……昨日あの後よく眠れた? それとも私をオカズにシちゃったりした?」】
「ふっ、ふざけんな、誰がお前なんかオカズにスるかよ! ……全く、あの時零二が助けてくれなかったら大変なことになってたぜ……」
【「ふっ、ふざけんな、誰がお前なんかオカズにスるかよ! ……全く、あの時零二が助けてくれなかったら大変なことになってたぜ……」】
――やはり、と俺はスマホと八百原那由太たちを交互に見比べながら、確信を深めた。
俺は原作者として、『シュレディンガーのラブコメ』を更新することで、ある程度こいつらの行動を支配できるらしい。
それが事実、俺が昨日書いた16話とほぼ相違ない会話を、今こいつらは目の前でしているのだ。
と、なると、後は――。
ギャーギャー喚いている二人を放っといて俺が空を見上げると、カァ、と鳴いたカラスが、俺たちの頭上を飛んでゆくのが見えた。
瞬間、そのカラスから射出されたものが正確に八百原那由太に向かって降り注ぎ――八百原那由太がうわっと悲鳴を上げた。
「な、なんだこりゃ……!? カラスの糞!?」
八百原那由太が素っ頓狂な悲鳴を上げると、クロエがけたたましい声で笑った。
「あははははは、ウケんだけど! 朝からめっちゃウンがついとるわコイツ!」
――よし、完璧だ。俺はスマホを握り締めながらほくそ笑んだ。
俺はキャラクターだけではなく、カラスや、その糞が降り注ぐタイミングまで、小説に書けば全てを支配できる。
「ほら、ただでさえパッとしない見た目がウンコのせいで更に台無しだよ? これで拭けって」
と、そこで、三津島クロエが制服の胸ポケットからポケットティッシュを取り出し、八百原那由太の頭に降り注いだ糞を丁寧に拭ってやる。
おお、ここから先は俺は昨日、小説として書いていない。当然のことながら、この世界では俺が書いていないことも起こり得るのだ。
「おっ、おう、悪いな三津島。お前、意外に女子力高いんだな……」
八百原那由太が、少し赤面しながら言う。
はっ、と、その表情を見た三津島クロエが、ちょっと驚いたように目を見開いた。
「な、何よ――顔なんか赤くして。女子だもん、ポケットティッシュぐらい常備してるでしょ?」
「い、いや、そりゃそうなんだけど……普段のお前とのギャップを感じたというか。ま、まぁ、お前もちゃんと女の子だったんだなって……」
「あーっ! 何よ最後の一言!? 今まであんなにおっぱい触らせてあげてたのに私をメスだと認識してなかったってこと!? ふざけんなよ!」
八百原那由太にポカポカと殴りかかる三津島クロエを見ながら、俺は深く満足した。
よしよし、いい感じではないか。作中では徹頭徹尾、誘惑に靡かなかった主人公が、三津島クロエをヒロインとして意識し始めている。
主人公と将来を誓い合った幼馴染、そして主人公の義妹である他のヒロインと比べて不遇だった三津島クロエだけど、これから少しずつ、それは変わってゆくことになるだろう。
まさに主人公を巡る三国志、燃えるなぁ……と感慨深げに俺が三津島クロエたちを眺めていた、その時だった。
「あら、寄って集って子猫を突き回していじめてるカラスのような騒がしい連中がいると思ったらクラスメイトじゃないの。朝から最悪の心境だわ」
――その辛辣で迂遠な言い回しに、ピクリ、と俺は肩を揺らした。
この落ち着き払った声、何よりも親しい他人に向けて放ったとは思えない、凍てついた声は。
俺は半ば確信を持って背後を振り返った。
振り返って――俺はしばし、呼吸を忘れた。
背中まで伸ばされた艶やかな黒髪。
本人が持ち得る知性の高さを忍ばせつつ、徹底して他者を睥睨し軽蔑する黒い瞳。
すっきりと、そしてピシッと一本、筋が通ったかのような凛々しい立ち姿。
これまた三津島クロエとは違う意味で、その容姿に圧倒されるような、とんでもない美少女が、俺の目の前に立っていた。
この外見、そして口調。
俺が執筆中、何度も繰り返し繰り返し夢想した彼女の姿そのもの。
その魔性のものともいえる美貌とカリスマ性とを校内外に広く知られ、その人生において男子に告白された回数は数しれず。
だがそのあまりにも取り付く島のない冷酷な態度と舌鋒の厳しさを持ってその想いをことごとく斬って捨て、ドブに叩き込んできた鋼鉄の女。
そしてそれ故についたあだ名が「青藍の雪女」――。
間違いない。コイツが――コイツこそが、この小説のメインヒロイン。
最終的にこのラブコメの勝ちヒロインとなるキャラクター――一葉深雪が、俺たちを絶対零度の視線で見つめていた。
◆
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