行路

 心も体もボロボロになりながらたどり着いた海辺には、海から出てきたエンデが点々としていた。


 エンデ達は互いを敵視しているようで、一定の距離にまで近づくと急に襲い掛かり、捕食しあっている。


 その絵面はまさに地獄であり、どこへ向かっても、どんな姿をしていても、この世界を蹂躙する化け物であり、その凶暴性、残酷性を証明するものでもあった。




 そんな奴らから少し距離をおいたところの岩場に、ちょうどエンデの視界を遮れる場所があったため、そこへ腰を下ろして一息つく。


 魔力も尽きかけ、疲労もかなり溜まっているが、何とか体に鞭を打って、この場へたどり着く道中に集めた渇いた木を組み上げ焚火の用意をする。


 その下に乾燥した草を敷き、そこへ魔法で火をつける。


 火は草から木へと燃え移り、パチパチと音を立てて燃え上がる。


 召喚獣にもたれかかり、未だ泣き止まない少女を抱き寄せ、その頭をさすりながら目の前の燃える火を見つめながらも、その意識はどこか遠く、手の届かない場所へと溶け込んでいるようだった。






 気づけば寝てしまっていたようで、目覚めたときには空が明るくなっていた。


 ただそこに晴れやかな青い天井は見えず、薄暗い灰色の天井に覆われ、冷たい風が頬にあたる。


 ゴロゴロと空が鳴き、今にも冷たい雨が降り出しそうだった。


 ストラは傍らに眠るリアニを起こさないように、そっと起き上がると召喚獣に見張りを任せ、新しい木片を集めに行く。


 岩場の裏手がちょうど元々雑木林だったところで、枯れ枝や枯れ木にばかりで薪にはそう困らなかった。


 ある程度集め終わり、岩場に戻るとリアニも起きたようで、目の前の海をぼんやりと眺めていた。


 その目の周りは泣きすぎて少し赤く腫れあがっており、目やにもたまっており、瞳には一切光がなかった。


 ストラは辛うじて持ち出すことのできた荷物の中から、渇いた布を取り出し、魔力で濡らしてよく絞る。


 昨日メルティスが二人にやってくれたように、優しくその涙でボロボロになった顔を拭いてやる。


 灰を掻き出し、集めた木を組み上げて火をつける。


 その火は風で冷えた体を温めてはくれたが、大切な人を失ったショックで冷え切ってしまった心までは温めることができなかった。


 ストラはなんとかリアニの気を紛らわせてやろうと、あれこれ話題を考えるが、自分も彼女と同じようにメルティスを失ったショックで、全く考えがまとまらず、これといった話題も見つからない。


 ぐちゃぐちゃな頭の中を必死に整理しようとしていたとき、不意にリアニが口を開く。




 「……おねえさん。わたし、もうやだ。……いなくなりたい」




 ストラはその言葉を聞いて、胸が張り裂けそうになり、その小さな体を抱きしめる。


 大切な友人を守り切ることができず、さらに言葉はオブラートに包まれていたが、小さな子に死んでしまいたいと口にさせてしまった。


 自分の無力さが悔しくて涙が零れ落ちる。


 「……ごめんね。……ごめんね、リアニちゃん。ほんとうに……ごめんね……」


 どれだけ気の利いた言葉も、どれだけ優しい態度も、どれだけ愛ある抱擁も、その子の心を真に癒すことは叶わない。


 それらは家族というものには遠く及ばないのだ。


 ストラはただ謝ることしかできなかった。




 しばらくして、落ち着いてきた後、ストラは手を前にかざして法器を魔力で生み出す。


 それにまたがり、すっかり生気を失ってしまったリアニを抱きかかえ、空を駆けだす。




 潮の冷たい風が彼女の罪悪感と共に襲い掛かる。


 その寒さはまるで鋭い刃のように、体へ冷気を突き刺してくる。


 その刃は心の奥底にまで向けられて、自己嫌悪という荒波となってストラをかき乱す。


 それでも、どれだけ苦しくても彼女は前に進まなければならない。


 大切な友人の子を守るために。


 もう二度とこの子に辛い思いをさせないために。




 しかし潮風の冷たさは、彼女だけでなくそのか弱い女の子にも牙をむいていた。


 ストラに抱きかかえられたその子は、彼女の腕の中でぶるぶると震えていた。


 その冷たさは、ストラには罪悪感を、リアニには大きな不安と共に襲い掛かってたのだ。


 その刃からリアニを守るため、飛行で魔力の消費が激しいにも関わらず、彼女を覆うように魔力で温かい壁を作ってやる。


 寒さで体を壊してしまわないように。


 少しでもその不安をぬぐえるように。




 全速力で飛ぶことおよそ一時間、段々と温かくなっていき、さらに新たな大陸の影が見えてきた。


 目的の地、”ゴスミア”の大陸である。


 北側の砂で覆われたこの地は、フェリステアよりも気温が高く、立っているだけでも体力を奪われる。


 当初は、上陸した後一晩休み、万全の状態でこの砂の地を抜ける計画であった。


 しかし、一刻も早くリアニを安心できるところへ移動させたいと考えたストラは、上陸した後すぐに馬の召喚獣を呼び出し、フード付きのローブを身にまとい、魔力が尽きかけの中、全力で砂の地を走らせる。


 途中途中で休憩を挟みつつ、砂の地を駆ること六時間。


 魔力も体力も底が見え、限界ギリギリで意識も朦朧としかける中、目的地であるゴスミアの湖が見えてくる。


 フェリステアの厚い雲に覆われた薄暗い空と違い、ゴスミアの地は晴れて澄み渡っている。


 その空が段々と橙色に染まっていく。


 (なんとかたどり着ける……!)


 ――そう思った矢先だった。




 ――ドスッ。




 何かが背中に突き刺さる。


 「ぐぅ……!」


 不意の衝撃に耐え切れず、リアニを抱きかかえたまま落馬する。


 朦朧としていた中、急に背中に鋭い痛みを感じたため、上手く呼吸ができなくなる。


 (エンデじゃない……。これは、人間の仕業だ……!)


 何とかその場から離れようとするが、体はとうに限界を迎えており、立ち上がろうにもめまいがして立ち上がれない。




 そこへ足音が近づいてくる。


 それは一人だけものではないというのはわかるが、視覚だけでなく聴覚もはっきりせず、それがどれだけのものか判断がつかない。


 囲まれてしまったのか、周りから男の声が聞こえてくる。


 「おい、金目……もの……るか?」


 「馬の……はなにも。食……水が少しと……あとは布切……だ」


 「チッ、しけて……る。おい、こい……身ぐる……剥げ。金にな……んもって……。矢は……かり抜い……よ」


 そう近くで男の声がした瞬間、身にまとっていたローブが思いっきり引っ張られる。


 「こいつ、ガキを抱き……えてやがる! 売れば……金にな……!」


 そう聞こえた後、抱えていたリアニが奪われそうになる。




 その瞬間、いくつもの光景がフラッシュバックする。




 カリスに襲われて見たあの不気味な笑顔。


 氷に貫かれたメルティスの真っ白な顔。


 エンデに襲われて吹き飛ばされた瞬間。


 周りに集まる様々なエンデ。


 いなくなりたいと泣き出すリアニの顔。




 「この子に……触るな!」




 自分の中にある何かが爆発する。


 次の瞬間、男たちの悲鳴が上がる。


 その体は黒い岩に刺し貫かれ、沈みゆく日がそれを禍々しい影を映し出す。


 群生した岩の中央には、小さな子供をしっかりと抱きかかえた魔女の姿があった。




 ストラは背中に刺された矢をそのままに、再び馬にまたがると、目的の小屋へ走らせる。


 しかし、彼女に意識はなく、少女を抱きかかえたまま馬に倒れこむ。


 その馬は、魔力でストラに刺さった矢を抜き、その傷を癒しながら、二人が落ちないように魔力で支えて走っていく。




 目的の小屋にたどり着いた時には、辺りはすっかり暗くなっていた。


 馬は魔力でストラに刺激を与えて、意識を覚醒させる。


 「あ……。着いたの……? んん……。あれ? 痛みが……。そうか、お前が治してくれたんだね。ありがとう。ゆっくり休んで」


 ストラは馬から降り、その馬を消滅させると、古びた小屋の戸を開ける。


 中はしばらく使われていなかったせいで、埃っぽかった。


 リアニをベッドに寝かせると、緊張の糸が切れたのか、ストラは再び意識を失ってしまった。

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