狂気

 辺りに血の匂いが漂う。


 小さな少女は目の前に光景、匂いに耐え切れず吐き出してしまう。


 その顔は、傷からの出血と涙、そして絶望の表情でボロボロになっていた。


 「……ぉ……おか……ぁ……さん……。……ぃや……」


 「あぁ……もう一度見たいと思っていたの。リアニちゃんのそのかわいいお顔。ホントに堪らないわ……。見てるとゾクゾクしちゃう……」


 カリスは両頬に手を当て、嬉しそうに体を震わせると、別の方向に吹っ飛ばされたストラを一瞥し不気味な笑みを浮かべる。




 彼女が手を前にかざすと黒い光が集まり、禍々しく不気味な、枯れ枝のような片手杖が現れる。


 それをひょいと一振りした瞬間、周囲一帯が凍り付く。


 一瞬で様変わりした光景に、リアニのトラウマが呼び起され体が全く動かなくなる。


 一方でストラも吹っ飛ばされた際の衝撃による痛みと、カリスが呼び出した氷で体が全くいうことを聞かず、身動きが取れない様子だった。




 「フフッ、さぁてお母さん。これで二人でお話しできますね。ずっと探してたんですよ? いっぱいお話したいことあるんですから……まだ死んじゃだめですよ?」


 カリスは辛うじて息のあるメルティスの青白い顔に触れる。その指には温かさなど微塵もなく、あるのは非情な冷たさのみ。


 メルティスは遠のく意識を必死につなぎとめようと、カラカラになった喉を震わせ声を絞り出す。


 「……カ、リス。……あ、な……た……、いつ……か、ら……」


 「いつから? 最初からですよ。リアニちゃんと師匠と別れてから、ず~っと見てました。いいなぁ……。私は一人置いて行かれたのに、お母さんたちはワイワイ楽しくしてましたね。混ざりたかったなぁ……。私も仲良くお話したり、リアニちゃんに魔法を教えたり、お母さんのご飯を食べたかったなぁ……」


 カリスはそう言いながら、メルティスの周りを彼女を舐めまわすようにゆっくりと回る。


 その様子を、二人はただ見ていることしかできなかった。


 何とか注意を引こうとするも、少し体を動かそうとするたびに、カリスが片手杖をひょいと振る。そのたびに辺りの気温がどんどん下がり、体を動かすどころか、まぶたを開くことすらままならなくなる。


 その様子に満足したのか、カリスはさらに饒舌になる。


 「アハハ! 動けないんですかぁ、師匠? あの時みたいに私の魔法を消してみてくださいよぉ! ほら! 早くしないと、せっかく仲良くなったお友達が死んじゃうよぉ? あぁ、そっか! 前と違って今度は自分が奇襲されちゃって、動けないのかぁ! あぁあぁ、残念。体痛いねぇ冷たいねぇ動けないねぇ! アハハハハ!」


 段々とヒートアップしていく彼女の魔法は留まるところを知らず、三人をさらに苦しめる。


 「か、り……す。……やめ……な……さい……」


 「えぇ? なんだって? 聞こえないよ師匠! 人にものを頼むときは、もっと大きな声で伝えないとぉ! 伝わらないよぉ?」


 カリスは追い打ちをかけるように冷気を強めていく。


 その影響はストラだけでなく、リアニとメルティスにももたらされる。


 流れ出た血は凍り、二人の顔からは生気が失われていく。


 「……ぉか……ぁさん。……しな……ない……で……ぇ……」


 「ウフフフフ、かわいいねぇリアニちゃん。お母さん助けてほしい? ねぇ、お母さんのこと助けてほしい? 残念だねぇ、あなたの、いや私たちのお母さんは私を置いてどっか行っちゃったからねぇ、昔私が味わった苦しみを受けなきゃいけないの。わかる? 人を苦しめて自分は楽しいだけなんておかしいよね? こんなにかわいい子と一緒にニコニコ楽しく暮らしちゃってさぁ! 師匠もお母さんと同じなの。私を見捨てた挙句、殺そうとまでしてきたんだよぉ? どれだけ悲しかったか、どれだけ怖かったか、どれだけ憎かったか、リアニちゃんにはわかるかなぁ? わかんないよねぇ? 今までお母さんが守ってくれて、お姉さんに優しく魔法を教えてもらえてぇ! わかんないよねぇ? 独りがどれだけ寂しいか。独りがどれだけ辛いか。独りがどれだけ恐ろしいかぁ!」




 とてつもなく大きな怒り、悲しみ、憎しみが冷気となって襲い掛かる。


 リアニはその強大な力を前に絶望し、重くなるまぶたを開くことができなくなってしまった。


 彼女の経験した寂しさ、悲しみ、憎しみ、怒りはリアニには全く想像できない。


 確かに二人に囲まれて、この残酷な世界の凶悪な面を忘れて楽しく過ごすことができていた。




 なぜカリスは二人から離れなければならなかったのだろう。


 あの優しい二人が何の理由もなく、突き放すとは思えなかった。




 彼女のこの大きな負の感情は、もうどうすることもできないのだろうか。


 彼女はこの場で三人を殺した後、その感情は解消されるのだろうか。


 彼女はこの大きな負の感情を抱えたまま、生きていくのだろうか。




 (私は、カリスお姉さんにも仲良くしてもらいたい……!)




 ――そう強く思った瞬間、リアニの中から魔力が溢れ出す。




 その溢れ出た魔力は周囲の凍った地面を溶かし、カリスから発せられる冷気の効果を打ち消していく。


 「チッ! やっぱあの時感じた魔力はこいつのものだったのかよ」


 「リアニちゃん……!」


 小さな女の子から突然発せられた絶大な魔力にカリスは気を取られる。


 「はぁ!」


 ストラはその隙を見逃さずに魔力で作ったこぶし大の火球を、カリスめがけて放つ。


 「がぁっ……!」


 その火球は目にもとまらぬ速さで飛んでいくが、カリスにあたるすれすれのところで、彼女の展開した魔力壁に阻まれる。


 しかし完璧に防がれたわけではなく、その手にやけどを負わせ、また火球と魔力壁が接触した衝撃で、カリスは大きく吹き飛ばされた。




 何とか窮地を脱したが、まだ終わりではなかった。


 空からものすごい勢いで何かが降ってきた。それを認識する間もなく衝撃で吹き飛ばされる。


 「うわぁ……ぁあ……」


 小さな女の子は思い切り地面にたたきつけられ、その小さな腕から、バキッという音がする。




 目の前が真っ白になり、嫌な汗が止まらなくなる。


 腕からは鋭い痛みを感じ、とてつもない吐き気に襲われる。




 「リアニちゃん!」




 不意に体が軽くなる。


 そして先ほどまで感じていたあらゆる痛みが消え去る。


 前にも同じ経験をした。


 目を開けると、少女は魔女に抱きかかえられて、空中を飛んでいた。


 「お姉さん、お姉さん! 怖かった、怖かったよぉ……」


 「守ってあげられなくてごめんなさい。もう大丈夫だから……」


 泣きじゃくる少女の頭を撫でて落ち着かせてやる。




 「お母さん、お母さんは?」


 リアニの問いかけにストラは言葉が詰まる。


 なかなか返事が返ってこないことに、嫌な予感を覚え、ストラの顔を見る。


 その眼には涙が溜まり、溢れ出す寸前になっていた。




 リアニは下を見下ろす。


 三人がいたであろう地点には、遠目から見てもわかるほど大きなクレーターができていた。


 その中心には、鳥のような化け物が突き刺さり、その下には血だまりができていた。


 その事実は、小さな女の子の理性を破壊するには十分すぎるものだった。




 「あぁ……あぁ……ああああああああ!」




 目から大粒の涙を流し、周囲一帯に響く悲鳴を上げる。


 彼女を抱える魔女にできることは、なぜか急にこの一帯に現れだした化け物の脅威から逃れ、発狂する女の子この場から早急に連れ出すことだった。


 彼女たちの身に着けたものに染み付いた血の匂いを嗅ぎつけ、鳥型のエンデが流星のようになって襲い掛かる。


 全てを全力の速度で振り切ると、地上の安全を空から確認してから降り、新たな召喚獣を呼び出す。


 その召喚獣に少女を抱えたまままたがり、荒れた土地をひたすらに進んでいく。


 潮の香りがする地点にたどり着くころには、辺りはすっかり暗闇に包まれていた。

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