出発
夜が明け洞穴の外が明るくなる。いつも決まった時間に目が覚めるメルティスは、岩を削りだして作った器の中に、魔法で水を生み出す。その水で顔を洗い、寝ぼけた意識をはっきりさせる。その後洞穴の外へ出て、深呼吸する。肺に入れた新たな空気は、決してきれいなものではないが、洞穴の中のそれよりかは幾分かマシである。
天気はどんよりとした曇り空。新たな場所へ出発するにはあいにくな天気ではあるが、雨よりはいいかと自分に言い聞かす。頬にあたる風は少し冷たく、どこか不吉な予感を感じさせるものだった。
(これから新しい地へ向かうのにそんな気持ちでいてどうする!)
メルティスは両頬をパチンと叩き、気持ちを入れ直し洞穴へと戻る。
起床後の流れを終えた後、朝ごはんの支度をする。石と泥を組み合わせて作った小さなかまどの中に、枯れ枝を入れて魔法で火をつけ、その火を割った木に移す。その上に薄い石を乗せて熱していく。
石が十分に温まるのを待つ間に、野菜、少量の肉を切り分けていく。石が十分に温まったのを確認したところで、切り分けたものを熱していく。香辛料や自家製の調味料なんかを加え、食材に十分火が通ったのを確認したら、木を削りだして作った器に盛っていく。切って焼いただけのとても質素な料理だが、その味と匂いは空きっ腹にはたまらないものである。
三人分の朝食が用意できたタイミングで、匂いにつられるようにして、小さな少女が大きなあくびをしながらゆったり歩いてくる。
「……おかあさん……。おはよぉ……」
朝食の匂いで起きたリアニは寝ぼけながら、用意された朝食の前まで来て椅子に座る。まだしっかりと目覚めていないため、その体はゆらゆらと揺れている。
メルティスは先ほどの水で濡らした布切れで、その顔を優しく拭いていく。
拭き終わったころ、もう一人がよたよたと歩いてきて椅子に座った。
「める~……わたしのかおも……ふいて~……」
「まったくもう……しょうがないわね……」
布切れを再び水に濡らし、しっかりと絞る。そして寝ぼけたストラの顔もリアニと同じように拭いてやる。さっぱりしたのか二人とも顔を拭き終わったら眠気から解放されていた。
布切れと水を片付けた後、メルティスも席に着く。
三人は顔を見合わせ、右手で握りこぶしを作り、左手でそれを覆いかぶせる。目を瞑り神に祈るように、食材に感謝の気持ちを伝える。メルティスとリアニは食事前に必ずこれを行い、ストラも二人を見習って一緒に始めるようになった。
深く息を吸い、そして吐き出す。余計な考えを頭の中から排除し、ただ食材への感謝の気持ちに上書きする。後、目を開け再び三人で顔を合わせた後、そろってこの言葉を口にする。
「「いただきます!」」
「ごちそうさま、おいしかったよメル。やっぱりメルのご飯が一番好きだわ」
ストラは幸せそうに椅子にもたれかかり、朝食で膨れた腹をポンポンと叩く。メルティスはそんな彼女の言葉に微笑み「それはよかった」と言いながら、片づけを進める。
ご飯を食べ、少し休憩した後、机の上に地図を広げて今後の動きを確認する。
「まず今日ゴスミアへ向けて出発するわけだけど、ここからかなり距離があるし、海も渡らくちゃいけないの。だからここからフェリステアの海辺までを今日一日で移動して、海辺で夜を明かす。次の日に魔法で海を渡ってゴスミアへ上陸して、上陸先で休む。その次の日に湖の近くにある、私の小屋まで行くっていう旅になるの」
「全部魔法で行くのはできないの?」
リアニはストラの飛行魔法を体験している。そのためこの旅をすべて彼女の魔法で飛んでいけば、三日に分ける必要はないのではと考えるのは当然のことであった。陸路でエンデ襲われる心配がなくなり、早く移動できるため道中の消耗を考える必要もない。リアニには、すべてを魔法で解決する方が良いことずくめのように思えるが、そこには意外な落とし穴があることをストラが話す。
「確かにそうできるのが一番だけど、問題もいくつかあるの。まずエンデの脅威から完全に逃れることができないの。陸には陸の、空には空のエンデがいる。さらに空のエンデって、五感が鋭いから少しでも離れたほうが安全なの。それに魔力の消耗が激しくてエンデに注意が割けなくなるから、逆に危険になるの」
空を飛ぶ魔法は空間魔法力の消費が激しく、十秒も持たずに落ちてしまう。そのため魔法使いの間では、空を飛ぶ魔法は魔力干渉で行うのがセオリーとなっている。ただその魔力干渉も消耗が少ないわけではなく、持って二、三時間と長時間の移動には向かない。常に風による推進力を魔法で生み出し続けなければならないため、必然的に魔力の消耗が激しくなる。
魔力が尽きた際に、術者は強烈な疲労に襲われて立ち上がることすらままならなくなる。強力で有用な力ではあるが、その反面持久力は全く期待できない代物なのだ。
「そういうことなんだ。でもここから海まで遠いけど一日で着けるかな?」
「それなら大丈夫。私が召喚獣を出すからそれに乗って行けば何とか間に合うよ。召喚獣は空を飛ぶ魔法と違って、一度出しちゃえば、それ以降は魔力も魔法力も消費しない優れモノだからね。まあ多少融通の利かないところもあるけどね……」
各々準備を整え、出発の準備をする。物が無くなり、生活の跡が無くなった洞穴には、以前のような温まる空気は感じられなくなってしまった。
ストラは召喚獣を呼び出すため、魔力で魔法陣を構築、具現化する。その魔法陣からまばゆい光が放たれた後、そこには灰色の大きな狼が三匹、静かにたたずんでいた。
リアニは自分の体よりも数倍は大きい獣に少し気圧されたのか、すこし後ずさりしながら、ストラへ問いかける。
「うわぁ……おおきい……。この子に乗って行くの?」
「そうだよ。大丈夫、心配しないで、襲ってきたりしないから。召喚獣は呼び出し主の意思に忠実に従うの。絶対に傷つけたりしないから安心して」
そう言うと、ストラは呼び出した召喚獣の内の一匹に近づき、その肩くらいまである大きな体をゆっくりと撫でる。整えられた毛並みは、その主を満足させるには十分すぎるものであり、その顔には自然と笑みが浮かべられていた。
その様子を見たリアニは、恐る恐る近づき、その獣の体に触れようとする。しかしその動きがじれったかったのか、狼側から顔をリアニへ擦り付ける。
リアニは急に獣が動き、驚いて腰を抜かしてしまう。狼は腰を抜かしてしまった小さな女の子の小さな顔をぺろぺろと舐める。
「ふふ……すっかり気に入られたみたいだね。メルはどう?」
「大丈夫だよ。この子も私のことを気に入ってくれたみたいね」
メルティスはすでに荷物を括り付け、出発する準備は済ませていた。そして狼にまたがるのに苦戦していたリアニの手伝いをしていた。
全員の支度が済んだところで、ストラが召喚獣へ号令をかける。召喚獣は指示を声に出さずとも、その命令を聞いてくれるが、それではいきなり召喚獣が動き始め、二人が驚いてしまう。
しかし細かな指示は意思を共有するだけ、つまり念じるだけで、理解し実行してくれるところは、魔法ならではの便利なところであるだろう。
――ドスン。
鈍い音が耳に響く。
リアニは何が起きたか理解できずにいた。
気づけば、その体は狼の体から離れ、空中に放り出されていた。
――不意に赤い雫が視界に入る。
その正体がわからないまま、放り出された体が地面に接触する。
背中に大きな衝撃が走り、うまく呼吸ができなくなる。
大きく吹っ飛ばされ、地面に強く打ちつけられた小さな体は、石ころのようにゴロゴロと転がり、数メートル転がったところですっかり枯れてしまっていた木に受け止められる。
体のあちこちが軋み、上手く起き上がることができない。
何とか顔を上げて何が起こったかを確認しようとする。
――視界に入ってきたのは信じがたい光景だった。
メルティスの体が大きな氷の槍に狼ごと貫かれていた。
そしてその傍に、もう会いたくないと思っていた相手、終焉の魔女カリスが佇んでいた。
「やぁリアニちゃん、そして師匠。それに……"お母さん"。どこへ行こうとしてたのかな……?」
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