第2話

 曽根崎の目には涙が溢れていた。

 彼女の強い眼差しにはひたすらに心配の心しか浮かんでおらず、冷たく凍った俺の胸に何かを熱く灯してくれた。


「……なんで、俺なんかのために?」


 それが俺の口から出た、かすかな声だった。それしか絞り出せなかったのだ。


 曽根崎は涙を拭いながら、まっすぐ俺を見つめて言った。


「なんで、なんて……。そんなの、目の前でこんな事するクラスメイトがいてさ! それを放っておける訳ないじゃん!」


 彼女の声には、俺の胸を震わせる力強さがあった。


 俺はただ目を見開くしかなかった。誰かが俺のためにこんなに必死になってくれるなんて、夢にも思わなかったからだ。

 だけどその光景が信じられないくらい……とても暖かかった。


「だってさっ花山って頑張り屋じゃん! それに覚えてないかもだけど、私……あんたと話したことあるんだよ! 入学してすぐの頃にさ、花山って本持ってたでしょ?」


「え……?」


 彼女に言われて思い出す。そういえば当時クラスにあまり馴染めずにいた俺は、もっぱら本を読んで休み時間を潰すような人間だった。そんな俺に曽根崎は時々話しかけてくれたことがあったっけ?


 大抵の話題は俺がその時読んでいる本だった。奇特な奴だと思っていたな。

 でもそのおかげで俺は少しずつクラスの奴らとも話せるようになっていったんだ。彼女の優しさのおかげだった。


 そんな日が終わったのはいつから……、そうだ。彼女が出来て、そっちにばかり構うようになってからだ。


 そんな事も気にならなくなるくらいに、俺は奈緒に夢中になっていた……。それ程あいつに騙されていたって証拠か。

 再び孤立した俺を、きっとあの二人はあざ笑っていたんだろう。


(本当に……俺なんかの事を……こんなに考えてくれる奴がいるなんて)


 生まれて初めて受け取る暖かい感情に、俺の頬を涙が伝った。

 俺はお前の事なんて忘れていたのに。


「ぐっ……。すまない、今まで俺がどうかしてたんだ……!」


「大丈夫だって、ほら」


 慰めるような声色と共に、手渡されたのハンカチだった。

 それを申し訳なく受け取ると、涙をぬぐう。


「曽根崎……ありがとう! 俺は……ダメな奴だな……」


 こんなに優しい奴に心配されて、自分のことを心底情けなく感じた。同時に感謝もした。それと同時に自分が恥ずかしすぎて死んでしまいたくなった。


「一体何があってこんなことしたん? 正直に話してみ」


 もう隠す事も出来ないと思い、俺が味わわされた屈辱を話した。それを語るのは男として恥ずかしく思ったが、それでもここまで親身になってくれる彼女を考えると黙ってるのも可笑しいと思ったんだ。


「そう、浮気……っていうのも変かな。騙されてたんだ。それは辛かったよね、うん。とっても辛かったよね」


 不意に頭を温かいものに包まれる。それが曽根崎の腕に包まれていたからだと気づくのに少し時間がかかった。


「お、おい……?」


「でも死んじゃダメじゃん。そんな連中のせいで死ぬなんてあんまりだって。もっとさ、これからの人生と向き合ってみてもいいと思う。私も付き合うから、もっと生きようよ……」


 こんな、お前の事を忘れていた俺の為に……。

 俺はもう自分が恥ずかしくなった。そうだ! これじゃあいけない。


 曽根崎の腕を静かに解きながら、俺は決意を宣言する。


「わかった、……確かに俺が馬鹿だった。こんなんで死んだら惨めが過ぎるぜ。ありがとうっ、もっと生きてみる。……生きていいんだよな?」


「そうだって! こんなんで終わっちゃもったいないって! ……じゃあ、いつまでもこんな所に居ないで家に戻りなよ。私もついて行こうか?」


「いや、それは……。いや、やっぱ一緒に歩こう。お前と楽しくしゃべって帰ってみたいな、俺」


「うん! じゃあ行こ行こ!」


 俺はきっと今日と言う日を忘れないだろう。

 人生のどん底と、そこから救ってくれた人の温かさを同時に知ったこの日を。



 そうだ! 俺はこんなとこで終わっちゃいけないんだ!

 新しく踏み出す為には――今までの人生にケジメを着けなきゃならない!

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