第5話

(……えっ。まさか本当にカズラ様は命を……?)


 その可能性にミライが行き着いた時。結論を下したのは、ユーキルダクト家当主だった。がしりと息子の肩を掴み、いつしか震えの無くなった顎を引き締めて一言だけ、問うた。


「……カズラ、お前には分かっているのか」

「ええ、父上。そうでなければとっとと逃げ出しております」

「ならば任せた! 皆の者、いいな。我が息子、カズラに全てを託そう。どうせ、他に手などないのだろう?」


 それに対する反論は、今全てカズラに乱暴に論破されたばかりだ。何より……この場において、最も権力を持っているのは、やはり当主なのだ。誰もその決定には逆らえない。


「……古来から、魔の者に対して人間ができることなど、一つしかないのだよ」

「まさか……ユーキルダクト様。あなたはご自分のご子息を生け贄にするつもりでございますか!?」


 古代においては、そんなこともあったという。見目麗しい娘を生け贄に捧げることで魔族の機嫌を取り、仮初めの平和を保つ村もあったと聞く。だが……この当主。まさかそんな風習を未だ信じているとはこの場の誰も思わなかったのだ。


 唖然とするミライに向かって、カズラは顎をあげて皮肉気に唇をつり上げる。


「この家はもう終わりだ。ならば隠す意味もない。実の所、ユーキルダクト家はそうして成り上がった貴族なんだよ。オリハルコンの鉱山を見つけたのも、魔族から対価としていただいたものだ。代々継がれてきた、ありったけの魔力を捧げることでね。そして、十年前、同じように力を持つ魔族によってこの領地は襲われたことがある。その際、取引していた魔族も死に、今度は母上がこの領土のためにその身を捧げた」

「そんな……」

「力を持たない家が生き残るためにはね……普通の家が魔物との戦闘で出す十倍の犠牲が必要なんだよ。それこそが、力こそが正義のこの時代に、ユーキルダクト家が繁栄していたトリックさ」


 ミライは信じられなかった。カズラの言っていることの意味も、何もかも……。何より。何より何より何より。


 そんなことを悪びれもせず平然と語るその様が。そんな汚泥にまみれながら、今もまだのうのうと生きている、ユーキルダクトの一族が見ていられないほどに醜かったのだ。


「腐っています……。あなたも、この領土も!」

「それがユーキルダクトの血だ。部外者に口を出される謂われはない。これほどの力を持つ魔族だ……。要求は何百の血か永遠の死地か知らないが、まあ、そういうことだ。その被害をなるべく小さく抑えることが、僕ら当主の家の義務だ」

「……領民さえも、差し出すおつもりですか? 西方に固めたというのは、まさか……」


 カズラは答えない。だが、それこそが答えとミライは受け取った。そして……生まれて初めて、全力で人の頬を叩いた。


「はあ……はあっ。無辜の民を、そんなことのために犠牲にさせはしません。これよりヒールキラメ家はユーキルダクト領への侵攻を開始します。あなた方のために死ぬ領民など、決して出さない……!」

「……ああ、そうかい。それなら、そうすればいい。できるものなら、な」


 カズラは打たれた頬をさすることもせず、結界の端……魔王のいる方へと歩み始める。


「いや、これは我が領地の問題。ヒールキラメ家には手出し無用に願おう。アネモア。地下経路より西へ行くぞ。カズラ一人じゃ、彼の魔族様は満足されないかもしれぬ」


 そんな当主の言葉。そうと言われてしまえば、アネモアとしても頷くしかない。


「……はい。御当主様」

「あなた……それでも人の親ですか!?」


 そう猛るミライの肩を、今度はデインが掴んだ。その手は……情けないことに、震えに震えていた。


「頼む、ミライ……。私はやはり、お前には死んで欲しくないのだ……」

「……お父様」


 いついかなる時も見たことのない父親の憔悴した姿を見せられて、ミライも勢いが止まった。棺桶の中よりも冷え切った空気の中、当主だけは迅速だった。


「なに、心配するな。カズラ、すぐに助けを呼んできてやる。すまないがヒールキラメの方々。逃げ帰る道すがらで構わない。我が領民に声をかけてやってはくれないか?」

「……はい。了承しました」


 デインの心は、もう折れていた。かの魔王から目をそらせるのであれば……その程度の頼み。引き受けない理由がなかった。それは、自身の精神安定上のためでもあった。


『……いい加減、耳障りだ。虫けら共』


 魔王を舐めていた。どれほどの脅威に感じていても、人類の作り出した叡智の結晶のような、この結界ならば……と、デインですらそう信じ切っていた。


『我が足下でゴチャゴチャと……死にたいのならばそう言うがよい』


 ぱあん、と風船でも弾けるように結界が解かれる。部屋の壁を幾つぶち抜いたのか、遙か先に巨大な漆黒の角を生やした魔王が立っているのがカズラ達からも見えた。


 人類が数千年を費やして編み出した術法など、魔王からすれば……薄紙一枚にも満たない何かだったのである。


「お、おお。魔族様。違いますよ。御身に捧げる人身御供をご用意いたしました」

「はん。贄だと? ならば、我の欲するものがあるのだろうな」


 その台詞を受けて……常人ならば既に失神してもおかしくないほどの距離から魔王の声を聞いて、カズラはそれでも自然体で前に踏み出した。当主はその背を押して言葉を続ける。


「愚息ではありますが、我がユーキルダクト家の次期当主でございます。僅かばかりにでも腹の足しになることでしょう……」


 ……沈黙、逡巡。いや、違う。魔王は考え込んだのではない。そう……これ以上ないほど、憤怒したのだ。


「我に対する供物が、その干からびた小僧一人だと? 貴様、馬鹿にするのもいい加減にするがよい。魔力の足しどころか肉を食らえども腹すら満たされぬわ」


 魔王が睨んだだけで凄まじい風圧が起こり、当主の体は倒れる。ミライ達も立っていられず、目を閉じて魔の風が去るまで耐えた。


(ここまでか……。せめて……娘だけでも……。神よ……!)


 デインはそう心中で叫び、呆然と何かを見ているミライの体を抱きかかえ、死の宣告を待った。


 その時、デインはふと肩口に痛みを感じた。風によって切り裂かれたか……いや、違う。当主が刺したナイフから魔力が流れ出ている。まるで鉛のようなそれは、デインとミライを包み込み、身動きを奪った。


「そ、そうでしょうとも。こんな愚図だけではありません。Sランクの指定を受ける、慧眼のデイン・ヒールキラメ殿と未来の『聖女』もここに捕らえました。西には我が領民が何千も生き延びて、待たせております。ですからどうか、どうか……私だけはお助けをおおおぉぉ!」


 当主、心の底からの叫び。そこで、ようやくデインは理解した。ミライとの結婚……いや、身柄の確保をああも急いだ理由を。


(この男っ……! 最初から私達を贄の候補として手にしたかっただけなのか……! 一体どこまでのクズだ!)


 デインの腹の奥底からどす黒い怒りがこみ上げる。しかし、自分達にはもうどうしようもない。自由の身であるのはもはや、ユーキルダクトの家の者しかいないのだ。


 その子息、カズラがどこか冷たいものを含んだ声を発する。


「……父上。それは本気で申されているので?」

「黙れっ! この出来損ないが! 貴様がもっと魔力を持って生まれれば事は済んだのだ! 何をしているアネモア。さっさといくぞ! 道中、私の身を守れ! この三人の魔力を合わせれば私が逃げる程度の時間稼ぎはできるだろう。私は、私は犠牲を出しつつも魔族の襲撃を生き延びたと、帝国から勲章をもらうのだ……!」


 アネモアの目に映るのは、自己愛の権化。他の栄養を吸い尽くしのうのうと花を咲かせる蔓そのものであった。


(……それでも、私のご主人……。なんて、呪われた因果でしょうか。私はいつまで、こんなクズに仕えなければならないのか……)


「……はい。こちらへ。御当主様」


 アネモアは感情を押し殺し、床の一部に魔力を流して隠し通路を表した。そして、当主が我先にと飛び込んでいく。その背を……十数年を共にしても敬意など一切芽生えなかった影を見送り、ミライ達の元へ歩き出す。


(ならば、死に様くらいは選ばせていただきます。さようなら。ユーキルダクト家)


「申し訳ありません。ヒールキラメ家の方々……。もはや、これまでのようです。せめて、天に昇るまで、お供させていただきます」

「アネ、モアさん……」


 もう全てを諦めたといった風のアネモアが、硬直したデインの腕の中で震えるミライに向かって、初対面の時と同じ笑みを浮かべた。それが、アネモアにできる精一杯であった。


「……。やはり、人間など滅ぼすに限るな。ランク? スキル……? いつまでそんな餌を食い合う獣のようなことをしているのだ。武の最頂点ならば魔族。我の目から見れば、どの人間も等しく虫でしかないというのに。我の眠りを穏やかにする音楽も奏でずゴミ同士で武を競い合うとは、正気の沙汰か?」


 そんな、魔王の呆れ。そこに含まれた嫌悪の感情に、デイン達は今度こそ死を感じた。


「……では、贄は必要なしということでよろしいか?」


 しかし。まだそこには無事な者がいた。いつの間にか傷も癒え、悠然とした態度で。幽鬼のような表情にただ憎しみの炎だけを燃やし立っている者が一人だけいた。


 その名はカズラ・エーデンファルト・ユーキルダクト。蔓の紋章を受け継ぐ、最弱の少年であった。誰より力がないために、魔王の視界にすら存在していなかった弱者である。その場に残された誰もが、そこに期待などしようはずもない。


「当たり前だ。起き抜けにこんな茶番を見せられるとは……。不愉快だ。死ぬがよい」


 魔王が慈悲もなく腕を振り下ろす。そこには、一個の存在が持っているとは信じたくないほどの魔力が込められていた。やがて、視界は灼熱の色に染まる。


「ミライ……すまないっ!」

「……お父様」


 ミライ達が初めて目にする死の光景は……白、これまで見た何よりも純潔な白銀色であった……。



「……え?」


 誰がもらした声だったか。しかして、世界は続いていた。


「どんな気分だい?」

「……なんだと?」

「虫けら程度にこんな魔法を打ち込んで、まるで無傷な様を見た感想はどうだって訊いているんだよ。魔王」


 結界は……いや、館は、そこにあったはずの丘は、灰すら残さず消え去っていた。しかし、その声の主を中心にした十メートルほどだけは……つまりは、その場にいた人間を包み込むほどの領域のみは、まるで何事もなかったかのように依然として無事なままなのであった。


「……契約は破棄された。ならば、俺がお前を殺してしまっても、構わないということだな? 魔王――!」


 魔王の魔法を全てその身で受け止めたカズラが猛る。これまで誰も見たことが無いほど不遜に、嬉々として、唇が裂けるほどの笑みを浮かべて、カズラは嗤った。


「こ、の……虫けら如きがあ!」


 この物語は、最弱と謳われた勇者の物語。陰湿な邪悪である『蔓』の紋章を受け継ぐ勇者の物語。花を切り葉を刻もうとも大樹に巻き付いた蔓は離れず。かつて、齢万を越える世界樹を枯らしたのは、何を隠そう、ただ一本の名も無き蔓だったという……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る