第3話
「ダメです。あれは」
デインが当主との面談を終え、客室に戻ってくるや否や、の発言であった。
ぷん、と頬を膨らまし、ミライはこれ以上なく分かりやすく怒っていた。父親のデインからしても、随分久しぶりに見る表情である。
「そんなにだったのかい。やっぱり噂は本物だったか……」
正直を言えば、デインはカズラに対しては僅かな希望を抱いていた。それは、門の前で見た彼の瞳に何かを感じた……わけではなく、それ以上に父親である当主がダメダメだったからである。
先の対談にしてもそうだ。もはやこちらの意見を取り入れようともせず、淡々と式の段取りなんかを決めてきた。挙げ句の果てに、娘は成人次第こちらの領地へ、と来た。
百歩譲って結婚させるとしても、婚約は今では無い。学生時代くらいは自由に学ばせるのが当然だ。それを、子供の意思など関係ない。大事なのは親の意見だ……と言った。そんな旧態依然とした思考の持ち主がまだ身近にいるとは考えていなかった。
この世界は非常に合理的に出来ている。親同士だけであらゆる可能性を秘めた子供の将来を決めようとするなら、それに相応しい理由が必要だ。優秀なスキル持ちだから、でもいい。魔力量が多い者同士を掛け合わせるのでもいい。
それは、人類の平和のために必要なことだからだ。
なのに……当主は娘の持っている看板にしか目が行かず、自分の領主としての権力を伸ばすためだけにその才能を使い潰そうとしているようにデインには見えた。
「私もね。この家はダメだと思うよ。正直な所ね……」
「そうでしょう!? お父様、今すぐこんな館からは出ましょう!」
ポロリとデインが本音を漏らすと、猛烈にミライが食いついてきた。ここに来るまでは意思なき婚約も覚悟しています、といった風体でいたのに、この変わりようは一体なんだと思うほどに。
「領地を救ってもらった恩が何ですか。どうせお金でしょう。私があと五年以内に倍額を稼いで顔に叩きつけてやります! それまでうやむやにしておけばいいんです」
「はっは……。相当だね。いやしかし、念のためカズラ君のことは聞いておきたいんだがね。もしやスキルを持っていなかったってわけでもないだろう?」
デインはこの家に関して、ある疑問を持っていた。それは、父親である当主が本気で息子のことを気にかけていないという話しぶりだった点だ。
普通、人の親であるなら少しは意識が向くはずなのだ。デインとて貴族の端くれ。言動からそういったものをくみ取る力に長けていないわけじゃない。
息子を家の汚点としている家も確かにある。だが、そういう家では当たり障りなく話そうだとか、徹底的に嫌おうだとか、そういった意思が見えるものだ。
だが、ユーキルダクト家当主にはそういった風も、自慢しようとする態度もなかった。まるで子供を持っていない男と話しているのか、とデインが錯覚するほどに、だ。
「持っていましたよ。見せてくれました。Gランクの植物化スキルですけどね。指先が。うにょうにょーって。それだけです。なのに、ヒーロニックに行くなんて言い出して……」
「あの学園に? ほう、カズラ君がね……」
「あんなもの、学園を目指す全受験者への冒涜です! 世間が見えていないんですよ。引きこもりだって噂は本当だったみたいですね」
また、デインは娘に対しても同じ視点を持っていた。先ほどからミライの頭にはカズラのことしかないことを察していた。だから興味を持ったのだ。一日にも満たない邂逅で、カズラの何がそこまでさせるのか、と。
(実の親は存在すら忘れている様子だったのに、会ったばかりの娘がカズラ君のことばかりとはね……親としては、なんとも言えない所だ)
「そうですよ。挙げ句の果てに、魔王を殺すだなんて戯言を……」
「……魔王を?」
「ええ。どうせ物語の主人公にでも憧れているのでしょう。格好ばかりつけて。それだけです」
「へえ……。そんな台詞、久しぶりに聞いたな。現魔王の脅威が鳴りを潜めてから千年。それを目標にした勇者がいたなんて記録は残されていない」
「止めて下さい。言うのなんて自由ですよ。それだけであの方が勇者だなんて」
まあそれもそうか、とデインは剃髪をなで上げる。だが、感心してしまうのは止められない。今は目立った悪行をなしていないとはいえ、魔王なのだ。なるべく刺激を与えないようにするのが現代の考え方。しかし、ミライはまだ知らないだろうけれど、その実力だけはあらゆる記録に残っている。
腕の一振りで大陸を沈めて世界を半分にしただとか、そういうおとぎ話のような伝説だ。だが、それを裏付けるような傷跡も近年確認されたとか。だから、勇者界隈では、とても自分達の手に負えないという結論が既に出ている。
(それを知ってもなお、魔王を殺すと言っているのなら……。その勇気と正義があるのなら。彼はきっと勇者なんだろうと思うけどねえ)
これだけ憤慨している娘の前では言えないが。デインはロクに話もしたこともない少年に、同じ男として握手したい気分だった。
だが、ミライの八つ当たりにも似た愚痴は終わらない。
「きっと今の生活に飽き飽きしてるんですよ。そりゃそうでしょうね。領民からの支持もなく、どうせ親にも期待されていないんでしょう? それであんなに歪んでしまったんです。そうに違いありません」
「ミライ……」
「ここの奥方も、そんな男二人に嫌気が差して出て行ってしまわれたに……」
「ミライ」
その瞬間だけ。デインは貴族の仮面を脱ぎ去り親としての顔を見せた。それはミライからすれば、懐かしい鬼の形相である。
「ユーキルダクト家の奥方は……亡くなられている。まだカズラ君も小さかった頃の話だ」
「……そう、なんですか?」
「詳細は分かっていないがね。魔物に食われたとも暗殺されたとも言われている。だけど、どちらにしてもカズラ君には酷な話だったはずだ。そんな風にだけは、言っちゃいけないよ。それは、ミライ。君自身の尊厳のためにもね」
「……はい。すみませんでした」
理屈さえあれば、素直になれる。この子はやはり上物だと、デインは今度は親として普通に喜んだ。さあ、と空気を切り替えるように手を叩いて、すっかり暗くなってしまった窓の外を眺める。
「まあ、いい。確認できたのはここの領民の異常なタフネスくらいだったねえ」
「……? どういうことですか?」
「いやなに、偶然だとは思うけどね……。魔物との戦闘ともなれば、それなりに怪我人は出るものさ。領主が戦闘を放棄しているのなら、尚更ね。だけど、当主が言うにはここ数年は被害報告すら届いていないという。まあ、目を通さず燃やしてしまったか何かだとは思うんだけどね」
本当に、得たものはそれくらいだ。そもそも何を期待していたのだという話だ。この地に訪れたのは支援金と薬を融通してもらった礼のためだけ。交流する価値も侵略する価値もなかった。それだけの話。
「……夜の間に、こっそり抜け出してしまおうか」
「え、お父様。いいんですか?」
「もう会うことも無いだろうしね。何か言ってくればまた対応するよ。ミライがそれだけ居たくないと言うなら、一晩の時間すら惜しいだろう?」
「え、ええ……まあ……」
ミライはどこかもじもじと。しかし、それ以上は何も言わなかった。
「なら行こう。なに、ここから我がホムラ領までなら、そう大した魔物も……」
その時だった。すぐ目の前の森が、やけに明るく光っているのにデインは気がついた。炎の様子がただの小火ではない。炭すら残さぬ灼熱である。察しの良さだけは自信のあるデインだ。客人であることも思わず忘れ、廊下に飛び出して、勤めていた兵士に向かって叫んだ。
「魔族が出た! すぐに領民を非難させなさい!」
人類が何より恐れる魔物を、さらに高みから統べる種族。その通称が、魔族である。
◇
「……随分と辺鄙な場所に下りてしまったな。ブライカンの奴はこんな所に我を行かせて、何を考えている?」
その襲撃……森を一つ焼き払った魔族は、ぽつりと呟いた。予定ではそうではなかった。もっと王都なり人の多い場所まで飛んで、全てを闇に沈める気でいたのだ。
「千年もの眠りはやはり長すぎたか……。いやしかし、人間の寝具が上等すぎるのが悪いな。寝心地が良くてついつい寝過ごしてしまった。しかし、しばらく勇者も攻めてこないし、ようやく人間も我に支配される準備ができたと見える」
魔族は知らない。人間の寝具と呼んだそれが、数百人の勇者が魔力を込めて、伝説の勇者と呼ばれる者が生命と引き換えに施した封印であることを。
魔族は知らない。人間などという下等生物が自分のことをなんと呼んでいるかを。大陸を沈め、野に魔物を放ち、人間への最大の脅威となった自身の名を。
「ちっぽけな村だが、まあ……身体をほぐすには十分か」
魔族は知らない。彼にとって準備運動にすらならないその行動を、人間は悪夢と称することを。
「さて、我を楽しませるほどの勇者は、この千年で現れたか……?」
魔族は知っている。自分だけが強者たり得ることを。その孤独を知っている。だというのに、人間はいつまでも五十歩百歩の争いをしている。その退屈を知っている。
そして……今この場において、ある少年だけがその魔力を知っていた。
魔王が現れたのだと、気がついたのだ――。
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