第2話
カズラの名は、カズラ・エーデンファルト・ユーキルダクトという。今は束の間の自由時間を堪能中である。
やや赤みが差した黒髪は清潔感を保ちつつ伸ばされ、大小様々な植物に囲まれた緑の椅子に揺られるように、耳からは旧文明の器具らしきコードが垂れ下がっている。そんな庭園の奥で本などめくる様はまるで病弱な少年そのものだった。そう思わせる横顔はなんとも儚く、今にも崩れてしまいそうだった。
しかして、その体格は並々ならぬ努力によって鍛えられているように見受けられた。
(……案外、努力家さんなのかしら)
アネモアの案内で彼を初めて見たミライはそう思った。この世界では貴族であろうと無い話ではない。ランクAの『筋力倍加』のスキルでも持っていない限り、男も女も体を鍛えるのは普通のことだ。
ミライとて、戦闘においてはスキルの性能上、サポートに徹することになるが、自衛の術くらいは身につけている。弱肉強食の世界ではそれが当然だ。しかし、話に聞けばここの領主は領民にばかり戦闘を任せて私腹を肥やしていると聞いていたから、カズラの筋肉にやや驚いたのだ。
事実、当主であるユーキルダクト家のご主人は、誰がどう見ても弱者だった。魔法主体のミライでも、本気で掌底を噛ませば十メートルは吹き飛ばせるであろう程度の体格だった。
「アネモア、そいつは?」
想像していたより……先ほどの挨拶よりよっぽど穏やかで優しい声での呼びかけに、ミライはドキリとした。そもそもが距離にして数十メートルは離れたままなのだ。本に集中しているかと思われたカズラは、しっかりとミライに意識を向けていたのだった。
「カズラ様。こちらはヒールキラメ家のご令嬢、ミライ様でございます。それと、館外へ姿を見せるのは御当主様に禁じられているはずでございます」
アネモアの小言が始まる前にカズラが手を振ってそれを制する。だから、二人とも『姿を見せるのは禁じられている』という言葉にクエスチョンマークを浮かべたミライには気がつかなかった。
「そうかい。俺はカズラだ」
言葉は、それだけ。もうミライに興味は無いとでも言いたげに、また本をペラリと。
「……では、ミライ様。こちらへ。先日、良い茶葉が手に入りまして……」
「えっ。あの……終わり、ですか?」
ミライは思わず、ややも幼い口調が出てしまった。権力と恩義を笠に着て、どれだけの言葉を並び立てられるだろう、と構えていたのだから意外だったのだ。
「他に何かあるかい? うちの父上がお前の所の領地を金を送った。それだけのことだろう。まさか、本気でそれだけで結婚させられると思ったのか? まだ十歳そこらの俺達が、か? 浅慮にも程がある。双方の領民の反抗心を育てるだけの婚約などできるわけがないだろう。少しは考えろ」
その見下すようなカズラの目を見てミライは心中で憤怒した。
どれだけ。どれだけの思いでミライがこの場を訪れているのか。それをカズラは知りもしない。知ろうともしない。それに、ミライとて全く自分に対して鈍感なわけではない。人の目にどう自分が映るかは理解していたし、事実、これまでそれだけの扱いを受けてきた。……有り体に言えば、相応にちやほやされて生きてきたのだ。
それが……あらゆるカーストの最底辺にいるカズラにこうも無碍にされ、馬鹿にされたのでは、例え大きくなくとも自尊心は傷つけられたと感じても致し方ない。
「いいえっ。お父様が何を言おうが、私はあなたとの婚約なんて破棄するつもりでした!」
「なら問題ない。こっちから断っておこう。面子が心配だと言うなら、後日手紙でも送ってこい。俺がフラれたとして領土のあちこちに立て札にして貼り付けておいてやる。お前の愛想の無さでは絶望的になるであろう、次の縁談の邪魔にならんようにな」
ムカァ、と実際に人の感情が爆発する音を、アネモアは初めて聞いた気がした。その発生源はミライからだ。だが、流石は貴族のご令嬢。それを面に出すことはしなかったが……。されどまだ子供。アネモアの目では、これ以上なくぶち切れているのは簡単に見て取れた。
「カズラ様は随分お忙しそうですね。私の相手をする時間も惜しいのでしょう? 旧文明の本なんかめくっていらっしゃるから、大層お暇だと思っておりました」
「ああ。これが中々面白い。俺の目的にも合致している。旧文明には興味のないクチかい?」
嫌味のつもりが、妙に素直に返されてミライは呆然とする。
「だって……スキルも魔物もなかった世界だなんて。おとぎ話にしか聞こえませんわ。かつてあったとしても、それは昔のお話。今を生きる私達が、敢えて調べる必要もないでしょう」
スキルの発現と共に滅びたという旧文明。カガクという魔法を誰もが平等に扱い、人間同士で殺し合っていたり、はたまた姿形も違う種族が仲良く暮らしていたりと、今の常識からは考えられない世界だ。
「……まあ、そうだ。それで? 俺が旧文明が好きで、お前に何の関係がある?」
「別に。関係なんてありませんけれど。そうですよね。あなたくらいのスキルでしたら……」
と、続く言葉が至極残酷なことにミライは気がついて、押し黙った。
――あなた程度のGランクスキルでは、それは懐古まがいの無い物ねだりになっても仕方ありませんね。
それは差別だ。市民が酒場で笑い話にすることはあれど、ミライ程の立場にいる人間が口にしていいことではない。
スキルとは、生まれ持った才能だ。究極、生まれた瞬間からその先の全てが確定してしまっているとも言える。
万能な者はいかなる道へも。強力な者は魔物退治の冒険者に、便利な者は生活を支える仕事に、特別な者はそれに応じた道に……。だが、底辺の者は底辺の暮らししかできない。それが悲しいかな、今の世界の常識的な感覚だった。
だから、それを口に出して言うのは。それも恩義ある家の貴族様に向かって言うのは、とんでもないことなのだ。
「まあ、そんなところか。さすがのSランクスキル、『聖女』様から言われれば、何も言い返せない」
「いえ、その……私は、そんなつもりでは」
「……ふうん?」
じゃあどんなつもりだい、とカズラが目で問うてくる。ミライは何も答えられず、ただ謝罪の言葉を口にした。
「……ごめんなさい」
「案外素直だねえ。Gランクスキル、『蔓』のカズラに向かって聖女が頭を下げるなんて、これで俺の下らない人生にも箔が付いたってもんだ」
「つる……?」
咄嗟に言われて、ミライは聞き間違いだろうかと耳を疑った。ツル。弦……だとすれば、職人向けの良いスキルだ。吊る、だとすれば応用がいくらでも利く、例えば魔族を狙って仕事をする暗殺者なんかにでもなれば一流となる。鶴だとするなら、領主としてカリスマ性を高めてくれることだろう。
以上の思考から、カズラのスキルは『蔓』であると、遅ればせながら理解した。理解して、仰天した。
「しょ、植物系スキル……それも、形態変更のスキルですか。それも、最低ランクってことは……」
「ああ。指先が蔓に変化する。ある程度は自由に操れる。それだけさ」
ミライは思わず品格も忘れてあんぐりと。
「……さ、最弱のスキルではないですか。何の役にも立たない……」
体を変化させるスキルは多岐に及ぶ。例えば獣人という種族には天性的に現れやすい。腕の一振りをクマのかぎ爪にする。足を馬より強力にする。体を霧に変え惑わす。伝説の神獣に変化することができれば、神様並みの扱いを受けることになる。
……が、その中でも特に必要とされていないのが植物系の変化能力だ。大樹となるならまだしも、ただの草とは。収穫して食べることができるわけでもなければ、魔物への対抗手段となるわけでもない。変化した部分は植物の特性を持つらしく、光合成ができるから腹持ちがいいとかなんとか聞くが……。
「だからどうした? 何事もやってみなければ分からない。やる前から臆病風に吹かれていては敗者以下だ」
「……口だけならば、なんとでも言えます。私とて、領民を持つ身として、人類の平和にこの身を捧げる覚悟は出来ていますとも」
実際の所、ミライからすればカズラの物言いは強がり以外の何者にも思えなかった。
「カズラ様。ご自身のスキルを明かすことは御当主様に禁じられております」
「相変わらず保身が大好きなようだな。我が父上は。まあ、見逃してくれよ、アネモア。そこのお嬢さんにも誰にも言わないよう言いつけておいてくれ」
アネモアの冷えた視線も気にせず、カズラは再び読書に戻る。
ここでようやく、ミライはかねてから疑問に感じていたことを訊くことが出来た。
「あの、禁止、って……」
「……」
だが、カズラはもうそれ以上ミライと口を利くつもりはないようで、無言を返す。背後から、やれやれ、とアネモアが周囲を目で探りながら説明した。
「恐れながら、領地を持つ当主なら当然のことですよ。ミライ様。あなたのように優れたスキルを有しているのであれば、公表しさらなる力とすることができるでしょう。しかし、一般にはBランク以下のスキル保持者が領主を継ぐ場合、口外厳禁とすることはよくあることなのです。領民の不安、他貴族からの矛先が向くことにも繋がりかねませんから」
「でも、そんなのって……」
ミライにとってスキルとは、言わば自分の存在を表してくれる後ろ盾だった。言い換えれば、彼女にとっての生きる意味だった。まだ十数年しか生きていない彼女には、その最大の生命線が恥になるなんてこと、想像もつかなかったのだ。
いかなるスキルにも使い道がある。とは遙か昔の伝説の勇者の言葉である。それは、どんな人間にも生きる価値はある、という意味だ。
だが、しかし。金しか持たない領主の息子として生まれ、誰の理解も得ること叶わず人の目から隠され、それでも周囲から蔑まれ、そうしてこの先もこの小さな庭で生きていくであろうカズラに、一体どんな価値を見出せというのだろうか。
「……カズラ様の、目的、って……」
もはやミライは、このユーキルダクト領に来る時の心境のままではなかった。嫌味な成り上がりの息子と強制的に婚約させられる、という屈辱ではなく、今やカズラに対して哀れみの感情さえ覚えていた。
だから、彼なりの目的があって、もしスキルに恵まれた自分にできることがあるならば……そう思っての問いだった。
「魔王を殺す」
端的に、一言。それ以上をカズラは述べなかった。
「魔王……って、数千年もこの大陸に君臨している、歴代最強とも言われる、あの魔王ですか……?」
再びミライは呆然とした。というかもはや途方に暮れた。
魔王退治。それこそが勇者の本質だというロマンチストはいる。だがそれは絵本の中の物語のことであって、現実のものではない。
ただでさえ、あらゆる土地で発生している魔物の対処に人間は後れを取っているのだ。その全てを統べる魔王になど……それが、今を生きている人間の常識。
だから当然、ミライは冗談だと思った。そして、失望した。なんのことはない。カズラは逃げているのだ。自分の弱さから目をそらし。蔑視ばかりの周囲の世界から抜けだそうと。だから、そんな夢物語でごまかそうとしているのだろうと。
カズラは、普通に幸せになりたいだとか、家族が欲しいだとか、そういった願いを述べるべきだった。それなら、ミライにも手伝いのしようが……。
(って! そもそも、それを拒否するためにここに来たはずでしょうに!)
ぶんぶん、とミライは髪が乱れるのも構わず、大きく首を横に振った。
「……できるといいですね。影ながら、応援しております」
「やるさ。領土の当主ならば最強でなければならない。そのための学校にも行く」
「それってもしかして……ヒーロニック学園ですか? まさか、あのお噂は事実で?」
ヒーロニック学園とは、数居る冒険者の中でも対魔物戦に特化した勇者を育てるためのエリート学校である。年齢制限さえ無ければ、倍率にして一千倍。偏差値にして七十九はあるとも言われる、超難関校なのである。
そこでは家柄も何も関係ない。ただ人々を守るための力を培う、由緒正しき名門校なのである。そこに集うスキルたるや、領主でもひけらかすと聞いたばかりのBランクスキルですら底辺とされる基準にある。
もちろんミライも志願者の一人である。領主令嬢としての立場などもちろん関係ない。きちんと実力で入学を勝ち取りにいくつもりだ。Sランクスキル保持者で、幼い頃から訓練を受けているそのミライですらも受かるかどうか曖昧な所なのだ。
(それを、Gランクスキルしか持ち合わせていないのに受験しようなんて……。無謀なんてものじゃない。命を捨てに行くようなものです)
ミライは軽くめまいを覚えて、カズラについに背を向けた。もう振り返ることもないだろう、と確信を得て。
「それでは。カズラ様のご武運をお祈りしていますよ」
「……はは。そんな風に言われたの、初めてだ」
アネモアに連れられて庭園を去るまで……彼がどんな表情で笑っていたのか。それを確かめなかったことだけが、少しだけ惜しく感じられた。
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