第36話 旅の鍛冶屋から村の鍛冶屋に

 頼み事という話で村長の家に来た俺は、突拍子もない報酬交渉に目を白黒させていた。しかも途方もない金額に関する話が俺の頭上で展開されようとしている。

 まさに空中戦というやつだ。金貨が袋単位で飛び交う話になんて単位がわからないのでそもそもついていけない。

 ──というか、そういう話なら知らせておいて欲しかった。

 それならこの場を逃れる言い訳の一つくらい考えてきたというのにッ!

 前の世界の仕事でもMだのKだので予算達成について話したことはあったが、あんなもの正直言って数字でしかなかった。意識が低い事この上ない恥ずかしい話だが……。

 しかし、こっちの話はもっとぼんやりしている。そもそも、見たことがない金貨の話まで飛び出してきてしまった。


 そして今、村長の顔は青を通り越して紫色になっている。


 水! 誰か! エイナル村長に水を!! 水ーッ!!


「あなた、お水。はいどうぞ」

「ああ、ああ……」

「あなた。ヘイムダル大王金貨200枚なんてとんでもない金額なわけないでしょう。お二人、多分わかってないわよ。落ち着いてお話しなさいな」


 村長夫人!! そうなんです!! この人たち俺らのこと置いてけぼりにして話してるんです!! 俺の話っぽいのはわかるんです!!

 

「そんなお金、うちの村にあるわけないじゃないですか」

「ふぅ……それもそうか。ハハハ! あればこうして慌てておらんな」


 もはやヤバい通り越して落ち着いて来ちゃってるじゃん。村長の笑顔がなんか怖え。

 そろそろ誰か収拾付けてくれよォ……。


「聖堂金貨で200枚近くでしょう? それなら──あらやだ。金貨でお支払いしたら村の今年の税金を支払えなくなるわねえ。困ったわねえ」

「──……ゴボッ!!」


 村長!? 村長ーーーッ!!


「物で支払わせでいただくしかないわね。それか、分割ねえ。まずは物で提案させていただいていいかしら?」


 村長夫人は人差し指を立てて俺の前に掲げて、理路整然とした調子で話し始めた。


「すべて聖堂金貨相当で、鍛冶屋の建物と土地が金貨100枚。出店権の永年が金貨20枚。水利権が一年あたり金貨1枚。出店権の20枚の半分は税の先払いとして扱いますからね、10枚は10年以内に店を畳めば戻って来るお金よ? お店はやらないとしたら報酬に上乗せさせていただくわ」

「はあ」

「もう、カッツィオさん。貴方、商店主になるのよ。ぽけーとして聞いてちゃダメでしょう。奥さん困るわよぉ」

「は、はい」

「銀翼団さんのお話から考えると、本来なら請求は聖堂金貨1袋と半分いかないところでしょうねえ。角が立たないよう3割増近くとして金貨で180枚でいかがかしら? それで言いますとね。よろしいこと? 現物と権利で聖堂金貨120枚がまずあって、そこに水利権で10年支払い無しとして10枚。残り50枚ね。ただ、うちとしても50枚となるとちょっとすぐには難しいわねえ」

「あーいや、金貨は別に……ものだけで……」

「あらやだわあ、無欲ねえ……でも金貨一枚すらお渡してないとなれば、それも困ってしまいますのよ? ──では交渉で、30枚でどうかしら」


 夫人がギラッと底光りする目をこちらに向けてきて、生前の事務の女傑を思い出して背筋が伸びる。あの会社で珍しい嫌味や愚痴を言わないほんわかした女性だったが、言うべき時は上役だろうと誰だろうと言う人だった。

 この人にも逆らってはいけないと、俺の本能が言っている。


「そ、それで」

「あらあらまあまあ。30枚で本当によろしいの? カッツィオさんのお言葉に甘えましょうあなた。気が変わらないうちに物件と出店権と水利権20年の証書出しますからね。それでいいかしらあなた?」

「ああ、わかった──」


 結局、全部夫人が持っていった。

 ぽかーんとしたまま話が進むのに任せていたが、夫人は奥からドデカい天秤を持って歩いてきてそれを机にゴトッと置く。

 なにこの天秤。でっけぇ。なんか小豆とか量ってるの見たことあるぞこれ。

 そして、奥からよいしょ、よいしょ、と箱を持ってきて机にドカッ!という音を立てて置く。


「あなた、もう、手伝ってくださいな」

「あ、ああ」


 夫人は手で掴んで容赦なく金貨を天秤の片方に乗せていく。

 ジャラッ、ジャラッ、ジャラッという音とともに積み上げられる金貨。

 そして夫人が拳より大きい分銅をドサドサと片方に乗せると、天秤はゆらゆらと揺れながら最終的に釣り合いを示す。


「はい。これで30枚ね」


 夫人は持っていた袋に金貨をザラーッと砂糖菓子か何かのように流し込んで、俺に渡してくる。

 渡されるままにそれを受け取ってその重さに取り落としそうになる。大したサイズでもないのにやたら重い。


「あらやだわあ、お気を付けなさって? 金貨は見た目より重いから」

「あ、ハイ」

「これでよろしいかしら?」

「大丈夫です」


 夫人はよいっしょという掛け声で箱を持ち上げる。箱の中身はつまり、ぎっしりと金貨銀貨が詰まっているということなのだろう。

 この袋でこれだ。あの箱、一体何キロあるんだろう……。


「マーサちゃん、天秤を持ってきてくださるー?」

「あいあーい」

「ありがとうねえ。もうー、男の人はいざという時怯んでいけないわあ。お金なんて無ければ稼げばいいのにねえ」

「あーし、エレナおばちゃんのそういうとこカッコイイと思うなー」

「やだわあ。おいしいお茶菓子あるから、食べていきなさいな」

「はーい」


 箱の重たさでよたよたとした調子だが、ハッキリしっかりとした足取りで夫人とマーサは奥の部屋に去っていった。

 俺は村長と顔を見合わせる。


「村長夫人は、その──動じないお方のようで……」

「ええ、まあ……あれは気の強い女でしてな」

「女ってのは土壇場になると肝が据わるからなァ……」


 残された俺達男三人は顔を見合わせてから、ふとイグニカに視線を向ける。

 イグニカも平然とした顔で座っていてこちらを不思議そうに見返している。


「カッツィオ殿。嫁は、強い女に限りますぞ」

「え、あ。はい」

「男は領分から出ると急に弱りますが、女には領分を身に纏って戦いますからな……──着飾った女は強い」


 よくわからないが、滲み出る迫力で頷くしかない俺は首をこくこくと上下するしか無かった。


◇◆◇


 オーファルトは本当にこのためだけに呼ばれていたらしく、俺達の話がまとまるとそのまま用事があると言って帰って行った。

 やがて村長も書面の確認のために呼ばれてしまったので、俺達は夫人から改めて出されたお茶を飲みながら待っている。

 それからお茶数杯分経った頃。

 それぞれ二枚ずつ発行された書面が机に並べられる。


「では、気を取り直して……。まずこちらが鍛冶屋の建物と土地の証書です。前の持ち主が出ていってからは村で買い取っていたのですがね。掃除と片付けはしてありますからな、すぐに住めますぞ」

「はあ……でも、俺とイグニカは別に住まいがありますが……」

「それであれば、店舗としてだけお使いになるのもいいでしょう。家部分は誰かに貸してもいいでしょうな」


 書面の下には署名という項目があり、線が引いてある。

 いや、待てよ。──字を書くって、書けるのか? 現地の言葉で書かないとまずいんじゃないのかこの場合。


 とんでもない場面で気づいてしまった。もっと早く気づく場面もあったろう!

 クソッ、どうする? ト=カッツィオというのはこっちでどういう文字だ?

 いや、日本語のカタカナをそれっぽく崩せばエルフ語だと言えないか?


「ああ、お名前はエルフ語でも現地語でも結構ですよ。音の転写はニコラ方式で」


 ──音の転写まであるだと……!?

 待てよ、ローマ字じゃなきゃいいんじゃないのか?

 TONKACHIにつながるのはローマ字だけだ。大文字も小文字もまずいが、カタカナかひらがなならさすがに、待てよ。漢字はどうだ。


「どうしました?」


 どうもこうもあるかっ!! 印鑑じゃダメなんですかっ!? 印鑑なんてないねえ!? それなら拇印はどうなんですかねえ!?

 そんな事をぐるぐると考えているとインクとペンをすっと手元に持ってこられる。

 漢字だ。漢字にしよう。漢字が一番難解でバレない気がする。

 とんかち、とんかち……なんて書くんだッ! いや本名でも……


「ええ。そこです。こちらとこちらにお願いします。──ええ。ではこちらの出店権の証書にも。ええ。最後はこちらの水利権です」


 ──そういえば読めたんだから……書けるか。

 なんだろうこの取り越し苦労感。なんかめっちゃ疲れたんだけど。

 もう早く帰りたい。お家帰りたい。


 署名の後すぐに証書を革筒に入れて渡される。それと同時に鍵束を2つ手渡された。


「こちらが建物の鍵となりますでな。こちらの小さい鍵が住居用、この大きな鍵が店用となっとります」

「どうも、ありがとうございます」

「いえいえ。これで手続きはおしまいとなります。いやあ、新たな鍛冶屋となりますなあ! 鍛えて、売って、大儲けですなあ! はっはっは!」

「そうですねえ! 商売繁盛祈願でもいたしましょうか! はっはっは!」


 お互いに半ばヤケクソな笑いを漏らしてから、ため息をつく。

 村長も疲れたらしい。この数十分くらいで年を取った感じがする。


「いやはや……。おお、そうだ。これでカッツィオ殿も村の一員ですな。いやはや。お会いしてから随分経ったような、あっという間だったような……。これからも、どうぞよろしく頼みます」

「──あ、はい。こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します」


 そう言われれば、そうなる……のか?


「主、良かったですね?」

「あーうん。良かった……。あ、これであれか。大荷物をあちこち持って歩かなくてもある程度は置いておけるのか」

「早速、マーサさんのところで預かってもらっている道具も移せますね」


 今日移すのォ……? とんかち、もう疲れちゃって……全然重たいの持てそうになくてェ……お酒とか飲みたいよォ。


「そうかあ。……とりあえず、中を見ようかな……」

「はっはっは。まあ、急な話でしたからな。ひとまず見に行って一息いれるとよろしいでしょう」

「ええ、そうしようかと思います……。村長、ありがとうございました」

「いえいえ。こちらこそ──本当に、助かりました……」


 そ、その助かりましたは重いなぁ……。


◇◆◇


 村長と村長夫人に挨拶をしてからドアを締め、数歩歩いてから広場に出て、気疲れした身体をぐーっと伸ばす。


「あぁー。もうめっちゃ疲れた。もう疲れた。あー疲れた」

「主、まだ日も高いですよ?」

「それはね、そうなんだろうけどね? それはそれとして疲れちゃったよォ」

「主は仕方ないですねえ……」


 そう言ってイグニカは手を繋いでくれる。


「では、さっそく鍛冶屋を見に行きましょう? あ! その前にマーサさんのお店でお酒とグラスも買っていきましょう?

「ああ~。いいね。いいねえ。そうしよう。それでちょっと落ち着いてから用事をすませよう」


 そう言って、俺達は教えられた鍛冶屋の方へ足を向けて歩き出した。

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