第35話 突拍子もない相談と鍛冶屋の狼狽
翌朝の目覚めはおおむね快調と言っていい。
何しろ、起き抜けにすぐ起き上がることもできたし、首や肩をばきばきと鳴らしても痛くて動けないなんてことはない。
ベッドから身体を起こしたままぽつりと呟く。
「健康って大事だなァ」
「──? どうしました?」
その一言に反応したイグニカは既に着替えて街歩きの格好だ。
「ううん。改めて思ったことを呟いてみただけ……よいっせ」
ちょっとふらつくがもう歩くのに支障はなさそうだ。
財布を取ってイグニカを伴って1階に降りる。
1階は既に営業を始めており、ちらほらと朝食を摂っている姿がある。
「おや。やっと朝から起き上がってきたね」
爽やかな声に振り向くと、いつもは厨房に入っているリアナの父が立っている。
白いシャツを腕まくりして茶色の腰エプロンを巻いており、後ろで結った髪がさらっと前に流れている。
相変わらず恐ろしく決まった佇まいだ。ンギィ……眩シイ……。
「心配していたんだよ。朝食、食べていくだろう?」
「ええ、はい」
「イグニカさんもどうかな」
「私もいただきます」
柔らかく微笑んだリアナの父はスタスタと厨房に戻っていく。
なんて決まった後ろ姿だ。ンギィ……イケメン……眩シイ……。
「主、不思議な顔してますね」
「眩しさを表してみた」
そっとしておいてくれ、イグニカ。
「主もああいう格好をすればきっと格好いいと思うのですが……主の仕事だとエプロンが前だけだと不足ですね」
エッ、アタシがイケメンと同じ格好を?
アタシもイケメンになれるの? 眩しい太陽に? ほんとに?
「大体だらしない顔してるから忘れてたがね。カッツィオは若いエルフだから、エルフ似のうちのハニーの格好も似合うさね」
思わずその場をのけぞって振り返ると、ババアが顎に手を当て値踏みするように俺を見ている。
大体なんでこの酒場の女子──まあいいや女子は基本的に背後を取ってくるんだ。前から来いよ! そしたら俺だってビビらねえぞ!
「ふーん──もう少し表情が引き締まってりゃあねえ」
やかましいわ
「主は表情豊かだから可愛いんですよ? エリーゼさん」
イグニカがふふん、という表情でドヤッている。その表情も新鮮で可愛いけど、ドヤるところはそこでいいんだろうか。
俺的にはあんまり良くない。クールでカッコいいと言われる夢を俺はまだ失っていない。
「朝飯は頼んだのかい? 向こうの席が開いてるからそっちに座りな」
「どうもありがとうございます。エリーゼさん」
「ああ、カッツィオ。村長から伝言をあずかってるよ」
席に向かって歩き出していた俺が振り返ると、ババアは伝言を教えてくれる。
「あんたの時間がある時に少し話したいそうだ。あんたに相談があるみたいだがね、まあエイナルのやつ肝が小さいからねえ……あんまり脅かしてやるもんじゃないよ」
「相談……? わかりました」
◇◆◇
朝食を摂ったあと、荷物は夕方に取りに来ることを告げてから買い物用の袋を持って俺達は外に出る。
「相談か……。買い物をしてからってワケにもいかないし、村長の家に行こうか」
「はい。わかりました」
とはいえ、村長の家は酒場のすぐ隣だ。
相変わらず大きな玄関の前に立ちってノッカーを鳴らす。すると程なくして夫人が玄関口に出てきてくれる。
「あら、カッツィオさん。もう身体はいいのかしら? マーサから聞いたわよ。無理したらダメよ?」
「お陰様でもう大丈夫そうです。ご用事があると伺って来たのですが」
「あなたー! カッツィオさん! 鍛冶屋のカッツィオさんが来てくれたわよー!」
奥に向かって声を掛けると、ちょうど村長も声を聞きつけて出てきていたのかすぐに顔を出してくれる。
「これはカッツィオ殿。わざわざお呼び立てしてすみませんな」
「いえ。ご用事と伺いましたが……」
「──こちらでは何ですので、どうぞ奥へ」
税を納めるのにいつも入っている応接間の方に通され、椅子を勧められる。
椅子に腰掛けると、珍しく婦人が温かい飲み物と茶菓子を持ってくる。
これはどうやら、ちょっと長いタイプの話のようだ。
「エレナ。オーファルトとマーサを呼んできてくれるかね」
「はい、はい」
オーファルトとマーサがこの話になんの関係があるんだろう?
「さて、カッツィオ殿。先日のゴブリン退治では陰ながら支援していただけていたとのことで……」
「ああ……いえ、支援という程のことでは。ちょっとした──装備の調整を……」
マジックアイテムをその場で作って渡しました、という話はまずいだろう。一旦はお茶を濁しておいたほうが良さそうだ。
「そっ──それはその、随分掛かったということですかな……?」
村長の顔が引き攣っている。
え、何? その顔何? 俺ちょっとわかんないよ。待てよ。考えろ。
掛かった金を請求する気はないが、この場合どういう話になる?
「私共としては──」
慎重に言葉を選んだほうが良さそうだ。
「依頼されたものを仕上げたというだけですので。この件の支援かと言われますと、ちょっと意味合いは違うと思っておりますが……」
正確には依頼されてないです……ッ!!俺の暴走です……ッ!!
村長の額に汗が滲んでいる。俺の額にも汗が滲んでいる。
いやいやいや、なんだこの空気。
何がどうなって村長も汗をかく場面になってんだ! 誰か説明してくれ!
「ということは、そのー……そのご請求はいかほどで……」
「いえ、うちから村へ請求するようなことは特には……ご依頼はあくまでも銀翼団のお二人からでしたから」
「……それは、その。銀翼団の二人の分ということでよろしいのですかな?」
「……えっと、何か、請求するような話になっておりましたか?」
お互いに沈黙して見つめ合う。目と目が合う。瞬間、額から汗が流れる。
「銀翼団のお二方からは、彼らが動いた費用については私費で賄うのでいいと言われましてな、その代わりにカッツィオ殿からの請求をそちらに回すと。──ただ、高いのは鍛冶屋からの方だから、命あっての物種だと思って……覚悟しろと」
ハイネェエエエ!!! 何言ってんだコラァアア!!!
待て、ここで金を貰うのは困る。恩は売れるならいいってもんじゃない。今で十分な関係なんだからバランスが崩れるのもやりづらいッ!!
「いえその、突入用に施した調整でして──」
「突入用をッ……あの、あの2人分……ッ」
やべえ!! ミスった!?
エイナル村長の顔が青くなる。
「エイナルのおじ貴。わかりやすく話してやったらどうだ」
「オーファルト! 来とったか!」
オーファルトのおじ貴!! 助かった!! わかりやすく教えてくれ!! こいつは一体どうなってんだよォ!!
「オーファルト。いやあ、よく来た。座れ座れ。こっちだ。ほれ」
村長は明らかにほっとしたという動きで、狩人頭のオーファルトを俺とイグニカの前に座らせる。ここ数日何度も顔を合わせているのでこうやって向き合うとなんだか変な気分だ。
「あー、なんだ。ひとまず銀翼団からの請求はないもんでな。その条件が、鍛冶屋に相応の報酬を支払えということだ。あの銀翼団からの請求なら、一日の報酬は金貨を袋でどうこうという世界だが……今回は私費でいいと。代わりに……ぶふっ……お前さんにしっかり払ってやれと。分割くらいは聞いてくれるだろうと言ってな」
オーファルトのおじ貴! ちょっと笑ってんだろ! 今ちょっと笑っただろ!!
「しかしだな、オーファルト。あの銀翼団に依頼したのより高い請求だと聞いとるのだが、さすがにそんな金額は……。今年の搾油分からごっそり出すことになる。他の買い付けが……」
「物で払うしかないだろうおじ貴。これでカッツィオが要らんと言っても、払ったのかと言われて払っておらんとなると銀翼団から『面子の問題だがどうなってる』と話が来ることになる。本職の傭兵なんぞ、狩人の手に負えんぞ」
「──え? 面子の問題だとどうなるんだ?」
「そりゃおめえ、傭兵団が攻めてくるに決まっとるだろうが」
半ば呆れた顔でこちらを見られているが、知らないものは知らない。
そんな極道みたいな奴らなのあいつら。
「いやいや攻めてきたら誰に弓引いとんねん傭兵コラ! って言えるんちゃうんか? ギヨーム伯のお膝元やぞって!」
「なんだその喋り方は──まあ、普通の傭兵なら袋叩きだが、やつらは頭ひとつもふたつも抜けとる。戦に出れば連戦連勝、叙勲を騎士が結託して反対するほどの戦達者だぞ。──んで、伯の名を出しての事となれば、相手をするのは伯ではなく子飼いの騎士だ。この場合は代官だな」
「じゃあサッ! 御代官様がいるからさッ! もう帰ろうねッッ! ッて、なるんじゃないのかなッ?」
なんか残念なものを見る目でこちらを見てくる村長とオーファルト。
「代官では勝負にならんので銀翼団は引かん。だが伯が直接来る大事にすれば騎士達こそ面子が丸潰れだ。だったら、面子を潰すかもしれねえ強敵とわざわざぶつかるよりは、原因を作った村と話せと言ったほうがマシとなるだろうが。そうなりゃ村は守るものナシで銀翼団から睨まれることになる」
「もうそれ傭兵じゃなくて軍閥かなんかだろおかしいよ……」
オーファルトは頭を掻きながらこれは予想だがと前置きして続ける。
「騎士連中が面子を捨てて伯を呼んで騒ぎにすれば、ギヨーム伯は面白そうだから頭同士で決闘して白黒付けろとでもいいかねん。騎士連中からすればそれが一番恐ろしかろうな。まあ、その場合は最後にはギヨーム伯が出てくるもんで、銀翼団も逃げるだろうが……」
「……場合によっては村が戦場になる。ギヨーム伯が軍を出してくるなぞ……それだけはッ……それだけは避けねばならんッ……」
その話だとギヨーム伯が一番ヤバいヤツってことにならないですかね?
ますます遭遇したくない……。絶対城下町には行かないようにしよう……。
「遅れてごめーん。村長なーにー?」
「ああ、マーサ。マーサ。ちょっとそこに座っておくれ。お前、ちょっと知恵をかしてくれんか」
もう村長堂々と助けてみたいに言ってるじゃん! 何この状況! マーサ! 助けて! 俺もうこんなヤバい話関わりたくないよォ!
「まー、エレナさんからちょっと聞いたけどさあ。銀翼団でしょ。あーしも知ってるけど、依頼料はもう村で払える値段じゃないよ。金貨50枚が最低なんだからさあ。今回の件、首領と切り込み隊長が出てきてんだから、下手したら2袋くらいは本当なら請求来たんじゃないの? 直に請求してこなくてよかったよね。してきたら必死で交渉するしかないじゃん」
「2袋ッ……!」
「2袋……?」
袋単位が何かもわかんないからなんとも言えないですねえ。
もしかしてイグニカならわかるのだろうか? と思ってイグニカを見るが、彼女は窓の外を見ている。
だよねえ。俺達にはわかんないよねえ。
「しかしエイナルのおじ貴よ、ベッケルんとこに払えというわけにもいかんだろう。ゆくゆくは一部負担せいとは言えるが……」
「いくらベッケルでも家財売り払ったとしても足らん……! 家の取り潰しみたいなものではないか……! あそこは油の大農家だぞ……あそこを潰すと税収が……」
「まー、物で払うしかないでしょ」
マーサさん!? マーサさん!?
マーサ──ちょっとなんかその顔やめてもらえませんかねえ!? ほら村長の顔見て! すごい汗だよ!?
「ともかく、こっちから出せるのも限られる。そっちからは何か提示はないのか」
オーファルトのおじ貴ぃいい!! 俺がこういう場面で適切なもん提示できると思ってんのかァアアア!!
「提示───」
頭真っ白になってきた。
あ、おしっこ行きたい。
村長は俺の顔を固唾を呑んで見ている。
いやそんな顔されても出てきませんて。
「はーい」
そこにマーサのゆるーっとした声が上がる。
どうぞどうぞどうぞ、という感じで村長がマーサに話を促す。
「空きになってる鍛冶屋の建物と土地、水利権と、出店権とか?」
鍛冶屋の建物と土地はわかるけど後がわかんねえ。水使っていいし店やっていいってこと?
「おお、おお! それなら問題ない! むしろいい! すごくいい!」
「でもそれでも金貨2袋には届かないからさ。1袋と半分くらいっしょ?」
「1袋と半ぶぅん……?」
俺はとりあえず単位がわからない事をアピールする。
しかし、マーサは片眉を上げて唇を尖らせる。
「足んない? いや、さすがに足んないと言われたら……」
「え、いや」
「すみません。それはヘイムダル大王金貨なんですか?」
その場の空気がイグニカの言葉で凍りつく。
「へ、ヘイムダル大王金貨……200枚……!?」
村長の驚愕の声が、静まり帰った部屋に重々しく響く。
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