第34話 くすぶりを炎にするのは

 謝罪に来たレペロが吐き出した独白を最後まで聞いて、俺は今できることを心に決めて眉根に力をいれて怯えと迷いを振り払う。


 視線の先でうずくまっていたレペロが、ゆっくりを身じろぎをして嗚咽を漏らす。


「俺、帰ります……勝手なことばっかで、本当に、すみません……すみません……」

「レペロ」


 身体を引きずって立ち上がりドアに手をかけていたレペロが、丸めた背のままこちらを振り返る。


「一緒に働かないか」


 その場に残っていたファーレンハイネと、イグニカが目を丸くしてこちらを見ているのが視界の端に見える。

 だが、俺は意を決してレペロをしっかりと見つめ続ける。

 レペロはしばらくその言葉に反応を見せなかったが、やがてぼろぼろと涙を零して首を振る。


「俺なんかなにもできねえ。また、また足を引っ張っちまう。また、迷惑かけちまう……」

「それが、それがどうしたんだよ!!」


 今度はレペロが目を丸くする。

 胸の痛みや、言うことを聞かない身体を無視して言葉を吐く。


「足を引っ張っていいじゃないか……。足を引っ張っても、前に進もうとしてるならいいじゃないか……。 お前はもう謝ったじゃないか。それでみんながみんな許してくれるわけじゃないかもしれないが、それでもお前は謝れたじゃないか……!」

「謝ったって、もう俺は……」

「いまからやればいい。一緒にやろう。俺が──俺が教えるから、俺の知ってることなら、ちゃんと教えるから……!」


 レペロは子どもみたいに鼻水を垂らして泣きながらうなだれる。


「俺は、半端者で、邪魔者だ……」

「鍛冶は、きらいか? 物を作るのは、きらいか? やったことがあってきらいになったのか?」


 レペロは首を振る。


「やったことないんだろ? だったら、一緒に……」

「もう、迷惑かけらんねえよ……! これ以上、誰の迷惑にも……もう誰の迷惑にもなりたくねえ……!」

「迷惑かけていいだろ!! 迷惑かけて、迷惑かけられて……!! それで……!! それでいいじゃないか!! 少しずつでも前に進んで、迷惑掛けないようになればいいじゃないか!!」


 レペロは腕で涙を拭きながら嗚咽を漏らして泣きじゃくる。 

 俺は立ち上がって大きくよろけ、壁に肩をぶつける。動け、動けよ!

 今、へたれるわけにはいかないんだ。

 無理矢理に動いたせいで感じるバラバラになりそうな体中の痛みを無視して、声を振り絞って叫ぶ。


「そうじゃなきゃ、誰も生きていけないじゃないか! うまくやれなかったらダメなのか! 失敗したらダメなのか! いっぺんダメになったらもう全部終わりなのか! 反省してやりなおすのも許されないなんて、そんなの──」


 ここがそんな世界だなんて思いたくないじゃないか。


「──そんなの、あんまりじゃないか……!」


 あそこが、そんな世界だったなんて思いたくないじゃないか。


「あんまりだ……そんなのいやだろう……。認めたくないじゃないか」


 俺の目からも涙が溢れる。

 あの時あの世界でやりなおせるなら、いつからやりなおせばよかったんだろう。

 いや、俺はもう知っている。

 やりなおせないんだ。

 だから今からやるしかないんだ。

 それが、俺達にできるやりなおしなんだ。


「だからさ、いつかわかってもらえるように、これからがんばろう。レベロ。やりなおそう。ここで」

「うっ……ううぅ……」


 レペロは泣きながらうずくまり、床に頭をごつりとぶつけて俺に頭を下げる。


「……やらせてください……オレ、頑張りますから……」

「──頑張ろう。俺も頑張るから、みんなでやろう。な」


 ファーレンハイネがすくっと立ち上がって俺を見る。

 彼女はひどく優しく微笑んで、それから俺に言う。


「私はオーファルトと話してくる。それから村長にも。──カッツィオ、レペロ。君たちが作るものを楽しみにしている」


 白いマントを翻して、彼女は去っていった。

 俺はイグニカを振り返り、勝手に決めたことを謝ろうと言葉を選んだが何も出てこなかった。

 そして結局、いつも口にしていたことを改めて口にするしかなかった。


「ごめん。イグニカ。勝手に決めて……。でも、いまできることをやるしかない。──これがいまできることだと、思うんだ」

「いまからできることを、ですよね」


 俺はゆっくりと身体を引きずりながらレペロに歩み寄って、涙を拭っている彼の肩に手を添える。


「きみが働けるように準備を整える。賃金の話とかは、今度店を開くときにゆっくりやろう。──今日は家に帰って。ゆっくり寝て、無事に帰ってきたんだって話をして、それで明日の朝からまた始めよう。そうしよう。な?」


 レペロの嗚咽が大きくなって、それから声を上げてしっかりと泣き始めた。

 その声が響いて少ししてからドアが開いて、オーファルトさんが戻って来た。


 口を結んで俯いていたオーファルトは俺の肩を力強く、温かく、何度か叩いてからレペロに肩を貸して立ち上がらせる。


「帰るぞ。レペロ。家に帰ったら、腹いっぱいメシを食って、そんでゆっくり寝ろ。話は全部それからだ。全部全部、それからだ。もういい。泣くんじゃねえ──カッツィオ、ありがとうな。またな」


 そうして彼らを見送り、立っているのが限界だった俺は床にうずくまる。

 イグニカが駆け寄ってきて、俺の肩に手を添えてくれた。

 その手を掴んで、握りしめる。


 俺はこの世界のこの状況では、おそらく一人では行きていけない。

 彼女がいなければこの生活自体がそもそも成り立たないくらいだ。

 俺が今、やりなおせているのは彼女の存在があってこそだ。

 それに、彼女が長い年月耐えていてくれていなければ俺がこの世界に来た時には廃墟か更地に放り出されていたかもしれない。

 そうなれば生きていられた自信はない。

 

 今、俺は彼女に恩返しできているのだろうか?

 そんな俺があたかも何か成したかのように他人に関わっていていいのだろうか。

 いや、その前に──言うべきことがあるんじゃないだろうか。


「イグニカ」

「主、大丈夫ですか? どこか辛いですか?」

「君がいてくれてよかった──いっしょにいてくれてありがとう」

「主……」

「いつも、そばにいてくれてありがとう」

「──き、急にどうしたんですか、主」


 振り返って彼女を見ると、真っ赤な顔をしていて、つい笑ってしまう。


「言わなきゃ伝わらない。そうだろ? ──よっこいしょ……」


 うまく立ち上がれずに、すぐにベッドにへたり込んでしまう。

 本当に身体が鉛のようだ。


「しっかり休んでください。もうすぐ良くなりますから」

「うん。良くなってもらわなきゃ困るってもんだ」


 毛布を掛けられながら脱力する。

 額に乗せられた布巾をひょいと目に当てて、冷たさを心地よく感じながら小さくため息をついた。


「明日、これからのことについて話し合ったら家に帰ろう。マーサの雑貨屋でなにか甘いものも買って帰って、ゆっくりお茶でもしよう」

「はい」

「家に帰るために、寝る!」

「ふふふ。はい。おやすみなさい。主」


 彼女が笑っている気配を心地よく感じながら、目を閉じて痛みを覚える身体を静かに横たえる。

 眠気がやってくるまでの間、彼女は俺の手をやさしく握っていてくれた。


◇◆◇


 目を覚まして、近場においてあったポットに手を伸ばして持ち上げられるか試してみる。いけそうだ。

 ぐっと力をいれて持ち上げ、身体を起こして一気に水を喉に流し込んでいく。

 ごくごくと喉を鳴らして水を飲み干し、息をついて小さく咳き込む。


「あー、ようやく力が入るようになってきたか」


 身体を起こして、ベッドに腰掛ける。イグニカは外に出ているのか、この場には居ないようだ。食事でも取りに行ったのだろうか。

 足が動くかを確かめてゆっくり立ち上がり、転ばないようにしつつ窓を開ける。

 すると、冬の気配を感じる夕暮れの風が部屋の中に舞い込んでくる。


「おおぉ……冷たいけど気持ちいい」


 思いっきり息を吸い込んで、思いっきりむせる。

 げっほげっほと咳き込みながら肋骨辺りの痛みでよろけてベッドに座り込んでため息をついた。


「煙草、吸いてぇ~……おぉ~……」


 煙草の味は思い出せないが、こういう時こそ煙草というものは吸いたいものだ。

 もちろん、身体には良くないだろうが。


 周囲を見渡すと窓辺の小机に俺の服が畳んで置いてある。

 イグニカが洗濯してくれたのだろうか。ありがたい。

 身体を気遣いつつ着替えに袖を通して、数日寝込んで固まった関節をほぐしていく。

 筋肉痛のような痛みは残っているものの動かす事自体にはもう支障はないようだ。


 近場に置いてある鞄から買い物用に分けてある財布を取り出して身に着け、軽く身支度を整えてゆっくり1階に降りていく。


 壁に手をつきながらえっちらおっちら歩いていって1階に降りると、酒場は今日も盛り上がっている様子だ。

 いつも見かける老人達は並んでカウンターで呑んでいるし、数人組の狩人達が歓声を上げながらジョッキを傾けている。

 その間でするすると給仕しているリアナはマイペースに押し込んで注文をもぎ取っている様子で、慌てる客とそれを見て大笑いする客がちらほら。


「おや、あんた起き上がれるようになったのかい」


 振り向くとババアが樽からエールを注ぎながらこちらを見ている。


「イグニカなら食事の注文をしに向こうに行ってるよ。降りてきて食べれるんなら席につきな!」

「ああ、どうも──」


 えっちらおっちら歩き出そうとしたところでババアから肩を掴まれる。


「ったく危なっかしいたらないさね。イグニカー! あんたの恋人があんたが恋しくて降りてきてるよ!」

「──!?」


 いきなり何言いやがるババア!? う、動けねえ!?

 驚愕の顔を向けている俺を見下ろしながらババアは質問してくる。


「なんだい違うのかい」

「はい」

「聞こえなかったが、違うのかい」

「はい」

「聞こえなかったが、違うのかい」

「は──」

「聞こえなかったが、違うって言うつもりかい」

「──いいえ」

「よし、さあ行きな。イグニカ! こっちだよ! おーい、リアナ! そっちに席を用意してやんな! 壁のとこだ!」


 たたたっと駆けてきたイグニカが俺の肩に手を添えて支えてくれる。


「食事なら持っていくつもりだったんですよ? 起きていて大丈夫ですか? 主」

「ああ、うん。だいぶ良くなったみたいで……」

「もう……。寂しがり屋さんですね」

 

 イグニカは夕日のように赤い頬でこちらを見ている。とても可愛い。

 可愛いが、誤解は一応解いて──

 

「なんだい。なにか言いたいことでもあるのかい」

「──起きたら居なくて寂しかったから」


 俺はッ! 臆病ものですッ! 圧に屈してしまったッ!!


「もう、主は仕方ないですね。……ふふふっ♪ 向こうの席に行きましょう。エリーゼさん、ありがとうございます」

「いいんだよぉイグニカ。ほらお行き。 リアナー! 粥出してやんな!」


 イグニカが腕を組んでくれて、俺はゆっくり歩き出す。

 ヒューッ!という口笛を聞いて驚くと、狩人の一人がリアナに耳打ちされながら口笛を吹いている。

 それに便乗するほかの狩人もヒュー!と鳴らしだす。

 エールのジョッキを片手にした老人達もババアに頭をはたかれてダカダカとジョッキを打ち付けて囃し立ててくる。


「お熱いねえ! 鍛冶屋の兄ちゃん!」

「なんだよー兄ちゃん護衛の姉ちゃんとデキてんのかー!」

「デキてるに決まっとるじゃろう? 夫婦でやってるって聞いたぞ、わしは」

「あいやぁ、そうじゃったか? 夫婦じゃったか? そうじゃったかあ」

「そう。さあ、エール4杯追加でいい?」

「おうよ。若いの二人いて夫婦じゃないならなんだってんだよ?」

「知るかよォーそんなの俺がよー! あれ? エール来たぞー?」

「ペルト銅貨8枚。ツケもオーケー」

「おーいエール来たぞー! 頼んだの誰だー! ほいリアナ! 8枚な!」

「毎度。サービスにウインクしてあげる」

「両目閉じるのはウインクじゃねえだろ!」

「倍にしたからサービス過多。もう一杯いっとく? そしたら微笑みもプラス。ああ、もう飲めない? フッ」

「──もう2杯! いけらァ!」


 すごい注文の取り方だ。差し込むわ煽るわなんでもありだ。何ていう酒場だ。

 起き抜けにつっこめるカオスじゃねえ、俺はもう行かせてもらうぜ。


 テーブルに着くと、リアナがすいっと水とエールを出してくれる。


「カッツィオはミルク粥。イグニカさんは次のお酒とグリルでいい? いいよね? カッツィオもお酒飲む?」

「ああ、いや。まだいいや」

「弱っている今が狙い目。イグニカさんはたくさん呑んで色気をだしていくべき。もう二杯」

「もちろん!」


 いい返事!? なんか仲良くなってない!? どういうこと!?


 結局その後は粥を出してもらい、イグニカがぐいぐいと呑んでいくのをワァーと思いつつ見守り、冬の始まりを告げる酒場の夜は更けていった。

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