第33話 青年の独白と去来する過去

 翌朝。

 俺が目を覚ました頃には既にイグニカはベッドにはおらず、窓の外には朝日が昇りきっていた。

 なんだか久しぶりに一人になった気がする。

 まあ、2日間くらい殆ど寝ていて意識がそもそもなかったのだからあまり関係はないのだが……。

 身体を起こして、とりあえず立ち上がってみようとするが見事にへたりこむ。


 まだこの調子だ。

 もう二日だ。いくらなんでもこんなに足腰立たなくなるなんて。

 もう──もう、トイレには一人で行かせてくれ!!!


 顔を覆って天を仰いでいた俺だが、深呼吸をして気持ちを落ち着ける。

 しかたない。できることをなにかやって、疲れたらまた寝て、回復を待とう……。

 イグニカが近場に置いてくれていた水桶に手元にあった手拭いを浸して、なんとかおしぼりを作って顔と頭をしっかり拭う。

 さっぱりしたが、家の風呂場が恋しい。

 

 そんなことを考えつつ、手帳を取り出す。

 起こったことをメモに起こすためだ。

 というのも、ここまでの勢いで倒れて身体に異常が起こるのなら、この身体かスキルを使っての仕事は、何かしらデメリットか制限があるのだろう。

 しかし、その全容がハッキリわからないのだから、まずは記録を取らないことには予想ができない。

 そうそう何度も倒れるわけにもいかないし、かといって本当に必要に応じて作るとなった時に倒れるかもと考えて手が止まっては話にならない気がする。


 今回も含めて、作業後の感覚や疲れ方、倒れ方を遡って思い出していきながら、その時に何を作ろうとしていたかも書き出していく。


 そうやってペンを走らせながら頭を捻っているうちに、コンコンとドアがノックされる。


「はい。どうぞ?」


 戸口に立っていたのはイグニカだ。

 どうしてイグニカがノックをするのだろう?

 ここは彼女が泊まる部屋でもあるのに。


「主。謝罪をしたいという者が訪ねてきています」


 イグニカの表情は硬いが、怒ったり不快に思ったりしているわけではなさそうだ。

 謝罪、というとオーファルトが言っていた件がすぐ頭に浮かぶ。

 気が重い。

 別に怒ったりはしていないから、もういいと言って帰してしまいたい……。


「ひとまずは話を伺いたいから、えっと……ごめん、このままで話させてもらってもいいかな。起き上がって下まで行くのはまだ……」

「そうですよね……わかりました。こちらに呼んできますね」


◇◆◇


 部屋に案内されてきたのは、銀翼団の二人とオーファルトだ。今回はマーサは居ないらしい。

 三人に伴われてきたのは、頭に包帯を巻いた、顔面に痛ましい青あざや切り傷が残る青年だ。

 見覚えはもちろんある。あるのだが……どうにも、同一人物には思えないほどの変わりようだ。いきがって荒ぶっていたのが今は見る影もない。


「こいつはレペロ=ベッケル、今回のゴブリン騒ぎで拐われとった村の者だ。お前さんにも謝りたいと言ってきたもんでな……」


オーファルトが紹介してくれたレペロというらしいその青年は、傷で腫らしたままの顔で、深く俺に頭を下げる。


「えっと……──まず、とにかく命が無事でよかったよ……俺が言うのはなんだが……」


 彼に色々落ち度があったとはいえ被害者自身なのだから、そうやって頭を深々と下げられると、正直言って困惑してしまう。

 ましてや俺は原因というか遠因を作ったとも言えなくもない立場だ。筋違いだとしても、多少負い目は感じるところだ。ましてや責める立場では到底ない。それでいて、こうやって頭を下げられるのはなんだかいたたまれない。

 確かにお前のせいだと言われたときはショックだったが……。


 グルグルと渦巻く思考で一通り困惑し、頭を下げる彼から目を逸らしていたが、それも良くないと思い直して彼の方をしっかりと見る。


 しかし、下げていた顔を上げて虚ろにこちらを見る彼の目を見た瞬間。

 俺は思わず目を逸らす。

 先ほど思い直したにも関わらず、動揺で彼をまっすぐ見ることができない。


 あの目だ。

 何もかもうまくいかず、何もかも中途半端な自分を疎ましいと思っている目。

 戦う力も、抗う力もない、そんな降参そのもののような目。

 ああ、知っている。

 毎朝毎晩、鏡で見ていたあの目だ。


「すみませんでした……」


 ぽつりと話し始めるレペロ。


「オレ、見返したくて──でも、俺は……俺は何もできない、迷惑を掛けちまうだけで……」


 散り散りのまとまらない言葉を吐き出す彼を見ていられない。

 あの頃の不安感や不快感が一気に押し寄せ、心臓が軋むような嫌な痛みが走る。


 やめろ。その目をするな。その目をしたら──


 俯いたままのレペロは肩を落として、暗い声で呟く。


「エルトゥル兄ちゃんみたいに強くなれねえし、ツェペロ兄ちゃんみたいに頭も良くない。オレは、オレは……見返したかったんだ。村の連中も、オレのこと馬鹿にしてる。オレは半端者だから……」


 謝りに来たにも関わらず何を言ってるんだという顔をしている周囲にも俺は思わず目を背けてしまう。

 違うのだ。

 彼らには、わからないのかもしれない。いや、わかるとしても”彼ら”は俺や彼のようにはならないのかもしれない。

 しかし俺は、わかってしまう。吐き出してしまわなければ正しい言葉すら出てこない、あのどうしようもない状態が。


「本当は知ってたんだ。クラッドもゲッペルもオレのこと馬鹿にしてんの……オレが、二人の足を引っ張ってるのも……父ちゃんと兄ちゃんたちがスゴいから、それ使って言う事聞かせてさ……仕方ないからオレといるんだって……」


 暗い声は床に落ちることもできずに、その場に消え入っていく。


「オレがいないほうがあいつらはやれるんだ。ウチだって、オレさえいなきゃ、うまくいくんだ──それは、オレだってわかってた」


 俺は沈黙して、彼が言葉を吐き出す姿を静かに見守ることしかできない。


「だから、見返してやろうと思って、オレが前に立ってゴブリン倒して、そんで名をあげてやろうって、皆を見返してやろうって──でもダメだった。おれはなんにもできない、半端者だから……また迷惑かけちまった」


 見ていられなくて、掛ける言葉もなくて、目を逸らす。

 胸を掴まれて引きずられるような痛み。

 脳に、首に、染み渡る鈍い痛み。

 怒り狂えない情けなさ。がむしゃらにもなれない情けなさ。

 自己嫌悪。


 その苦しさを思い出してただただ、胸が痛い。


 大きな、とても大きなため息をレペロは吐いて、それから胸の中に留まり続けて毎日毎日その身を責め苛んできた尖った鉄くずを吐き出すように言う。


「あんたが羨ましかったんだ。若くて、技もあって、村の皆に色々頼まれて。よそ者なのに、オレのほうが村にいるのに、オレは邪魔者で、あんたは大事な仲間みたいだった。それが、悔しくて、情けなくて、羨ましくて……」


 顔を上げるレペロ。

 鼻水を流しながら、それでも最後まで我慢していたらしい涙が、とうとうその目から溢れる。


「なんなら死んだって、死んだって、いいと思ってた。覚悟決まって死ねればまだマシになれると思った」


 死ならドラマになれる。主人公になれる。

 死はずっとずっと高いところにあって、輝かしいから。

 その情けない最後の意地すら、身に覚えがあって──


「でもいざとなってから分かった。俺は死ぬ覚悟なんてできない……。だって、覚悟なんてできたこと、一回もなかったから、やっぱりできやしないんだ……それでどうしようもないまま死ぬかもって時になって、物凄く後悔したんだ……。怖くて……情けなくて……こんなことになっても俺、死にたくないんだなって……」


 溢れる涙と鼻水で汚れた顔がうつむく。

 その涙は何も洗い流してくれない。

 それは涙ではなく情けない血だから。

 自分を傷つけることも奮い立たせることもできない情けない人間でも流せる、どうしようもない血の味を、俺も知っている。


「オレ、村を出ていきます。──今まで、すみませんでした。オレがいないほうがアイツラもうまくやれる。親父にもおふくろにも兄貴たちにも迷惑もかけずに済む。村のみんなにも、あんたにも……迷惑かけなくて済む」


 思わず俺は尋ねる。


「村を出て、どうするんだ」

「城下町か港か……どっか、俺でも働けるとこ探します。そんで──そんで、迷惑掛けねえようにします……」


 ああ──そうだよな。そうとしか、言えなかったよな。


「本当に、すみませんでした。……俺も、あんたみたいになってみたかった」


 諦めるなよ。


「頭領。すみませんでした。オヤジたちに話して、村を出ていきます。迷惑かけてばっかりで、本当に、すみませんでした」

「レペロ、今からでもよ……やり直しゃあいい。練習からでも、年下の連中に混ざっても、ちゃんと一生懸命にやりゃあ──」

「オレみたいなの──いないほうがいい……」


 諦めたくもなるよな。


「……何も、出ていくこたぁ……」

「おっさん」


 オーファルトさんを止めたのは意外な事にジェラルドだった。


「やめてやれ」


 オーファルトは口を引き結んで、腕を組む。

 ジェラルドは真っ直ぐにレペロを見下ろして、しかし何も言わない。


「ありがとうございます。すんません。助けてもらったのに、また迷惑かけちまった。本当にオレは……ダメなやつだ。情けねえ……情けねえ……」


 ぽろ、ぽろ、と涙を零してうつむくレペロ。

 ジェラルドは背を向け、ちらりとオーファルトさんを見る。ジェラルドが出ていくと、オーファルトさんもまた部屋を出ていく。


「あんたが救出を支援してくれたって聞いて……その、本当にありがとうございました。それから──すみませんでした。迷惑かけて本当に、ごめんなさい」


 ぽたぽたと涙と鼻水を流しながら、レペロが深々と頭を下げる。


 謝れるだけ、すごいじゃないか。まだマシなんだよ。

 俺は、謝ることすらできなかった。


 ずっとくすぶって、毎日毎日やれるだけやったと思い込もうとして、結局何もしなかった。謝らなきゃいけないことを謝ることすらできなかった。

 その分、レペロはまだちゃんとしてる。俺よりも、ずっとマシだ。


 俺はどこの誰に与えられたかわからない力で再スタートできただけで、本当は俺は彼と同じですらなかった。運がよくて、恵まれただけだった。


 だから──もしも今できることがあるとするなら……

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