第32話 鍛冶屋と銀閃
「主はどうしますか? このまま、どこか遠く。誰も届かないようなどこか遠くに、二人で逃げたいですか? それとも、これらを全て滅ぼしてなかったことにしましょうか?」
イグニカが俺を見つめている。
イグニカのことも、この世界のことも、まだ俺はわからない。
それでも……すべきことは、分かっている気がする。
いや、違う。
したいことは分かっている。
「──イグニカ。これとか言わない。あと、滅ぼすとかそういうのはいいよ。……俺は、誰かの役に立ちながら暮らしたい。イグニカと一緒に誰かの役に立ちたい」
「──それが主の望みならば、私の望みはそれが叶う事です」
ファーレンハイネが銀閃を挟んでこちらに手を差し出してくる。
「そうか。それは実にいい。これからも力を貸してくれ。よろしく。カッツィオ」
俺はその手を取って、イグニカに抱きしめられたまま銀翼のファーレンハイネと改めて握手を交わした。
そして手を離したあと、彼女が銀閃と呼ぶその剣を指さす。
「ハイネ。その剣、見せてくれないか?」
「これか? ああ。いいぞ。持てるか?」
イグニカの体から温かい力が流れ込んでくる。
振り向いて彼女を見ると、彼女は微笑んで俺をもう一度抱きしめてから手を離す。
「持てますよ。主」
手を伸ばすと、腕が軽い。
筋肉痛のような鈍痛はあるが、動かせそうだ。
銀閃を受け取って、その鞘を撫でる。
精巧に合わせられた鞘と、その中にしっかりと収まった刀身。
頭に流れ込んでくる知識と経験がこの剣の詳細を教えてくれる。
「武勇鋼の刀身。相手の動きを鈍らせる呪詛。生命力を奪う力、体力を奪う力、霊力を奪う力、それから高速で敵を切り刻む力」
鞘から引き抜くと、スラッという心地いい音で白銀の刀身が現れる。
「これは趣味で鋼鉄色に戻したんだったっけな──だから銀色」
刀身の柄に近いところに刻まれたTONKACHIという銘。
その裏側に刻まれた漢字。銀閃。
釣り竿みたいな名前だとか言われて凹んだのを思い出す。
「いい剣だろ?」
「あ、ああ」
「これは重戦士が最速で立ち回って敵を貫くために作った、対ボス用の武器。狙う獲物は攻撃が通りにくく、最大限の威力を叩き込み続けないと削りきられる強敵。もちろん、ザコなら必殺だ。一撃で倒しきれる」
「その口ぶりだと、そいつはお前の作だってことか?」
ジェラルドが呆れたような口調で尋ねる。
前は疑問があった。
それもそうだ。この世界にゲーム中のアイテムがあるだなんて、実感が持てるはずがない。
だが、実際に前にすると何故かこれが自分の作だと確信ができてしまう。
素材の選別から鍛造、魔力を込める手順から仕上げの調整、それらをどのように行ってこうなったのかが手に取るように理解できてしまう。
それはこの身体のほうの記憶なのか、それとも他のなにかがそう思わせているのかはわからないが、この感覚を信じるのなら、これは俺が作った剣だ。
ジェラルドに頷いて、剣を鞘に収めてファーレンハイネに返す。
「ああ」
「おい、そんなこと言っちまっていいのかお前。もう少し危機感ってもんをな」
「──約束は守ってくれるんだろう? 俺も信じるよ」
その一言で、ジェラルドは目を丸くする。
「信じるのか」
「信じる」
「あのなあ、裏切られたらてめえ、死ぬかもしれねえだろ。そんなに楽観していられる状況には見えねえぞ?」
「いつまでも信じないくせに、相手に『信じてくれ』と言わせ続けるのか? 信じられるまで、安心できるまで、証拠を出せと迫るのか? だったら最初から信じなきゃいい」
前の世界の出来事が頭をよぎる。
とめどない詰問、期待という皮を被った圧力、信用という名のスコア、それらは全部信じていない事の裏返しだ。
信じてしくじれば困るから、信じて裏切られれば困るから、だから、自分のために必死になって相手を動かそうとする。
最後まで託す勇気を持ちきれず、未練がましく自分の都合を押し付け、お前が何とかしろと叫び続ける。
そんなことの応酬の先にあった世界は、豊かで安全でも灰色で寒々しかった。
「裏切られるのが怖いなら信じなければいい。裏切られたらそのとき考えればいい。自分の心にある裏切られる不安のために相手を叩いても、打ちのめしても、信じ合えるようになれるとは俺は思えない。冷たい鉄を叩いたら割れるだけだ。鍛えることはできない」
ファーレンハイネ、イグニカ、ジェラルド、マーサ、全員の顔を見渡す。
「不安を相手に押し付けて安心する卑怯者には俺はなりたくない。この不安は俺のものだ。これは俺が抱えていかなければならないものだ。誰かに肩代わりしてもらうものじゃない」
もう、そういう生き方はしたくない。
「──疑ってかかって誰かに与えてもらうものよりも、信じて託して自分たちで作り上げるものの方を俺は見てみたい。だから、信じるよ」
返事はファーレンハイネから上がった。
「見ろ。ジェラルド。私は幸運だろう?」
「ああ」
「カッツィオは勇気を示した。我々も勇気を示してやろうじゃないか」
イグニカは俺を引き寄せて抱き寄せる。
「私も主と一緒にそれを見てみたい。大丈夫。私がついています。何が起きても」
「ああ。だから……。俺はみんなを信じて、もう一回寝る。正直、もう身体しんどくて起きてられそうにない。じゃあ、またあとで……──」
起きてから頭を使いすぎた。体中がふわふわしているようで、意識が……
◇◆◇
次に目を覚ましたときには、周囲の景色はまた別のものだった。
「まーた、知らない天井かァ……」
痛みに顔をしかめながら身体を起こすと、直ぐ側で俺を見ていたらしいイグニカに気づく。
彼女は桶と布巾を手に持っており、身体を回復させるために眠っていた俺を介抱していてくれたようだ。
「えーと、世話を掛けてごめん……ありがとう」
「いいえ、役得です。ふふふふ……」
その返事はちょっと想像してなかったなァ。
「ここはどこ?」
「酒場の二階です。酒場の部屋を用意してもらえたので、そちらで休ませてもらっています」
「そう、かぁ」
息を深く吸おうとすると、みしみしと胸のあたりが痛み、それをこらえるために身をすくめると背中が痛む。
どう考えてもいつもと感覚が違う。
ハルバードを作ったときもそうだが、付呪をするとこうなるんだろうか。
そもそも、鍛冶だけなら段々と作れる量もやれる時間も増えてきたのに、なんだって今回はこんな目に遭っているのか。
いや、こんな目に遭っている、なんておかしな感想か。
自分が鍛錬を積んだわけでもない物を、我が物顔で使えば反動ぐらいあって当然だよな。そうでないと、釣り合いが取れやしない。──そうであっても釣り合いが取れるのかは疑わしいが。
これがもしも幸運だか恩恵だかだとするのなら、感謝すべきだ。
何もしていなかった人間に転がりこむにしては、過ぎた力だ。
「主、下ではファーレンハイネたち銀翼団を囲んで宴会をしていますよ。顔を出しますか?」
「……いや、いいよ。いまうるさくされたら吐きそう……」
俺はゆっくり周囲を見渡して、窓を見る。
イグニカはそれに気付いて窓を開けてくれ、夜風を部屋の中に入れてくれる。
頬に感じる風が気持ちいい。風の匂いはもう冬のそれだ。
「宴会ってことは本当に大成功したみたいだな……よかった」
「主が満足ならそれでいいですが……」
その顔、絶対いいと思ってないよねえ。
「とても心配しました。主、本当に死ぬところだったんですよ」
「うーん……そうらしいから、もうしないようにする。ごめん」
「素直ですね。本当に反省していますか?」
俺のこと信じてるって言ったじゃん! 言ったじゃん! やめてよお!
「反省、する。カッとなってやってしまったことも。ニルケルススからやめろと言われたのに、つい昔のことを思い出して……」
「昔のことに囚われるのは──仕方のないことだとは思います。それでも、今のほうが大切だと思ってもらえたほうが私は嬉しいです」
俺は天井を見上げて言葉を探すが、ぐうの音も出てきそうもない。
「前と同じだ。初めて村に来た次の日も同じことで叱られた。俺はいつもそうなんだよな」
「今回は私も反省しています……。それに、相手にいつもこうだと不満を言うのは、自分が対応しなかったことの裏返しのような気がします。わかっているなら手を打てばいいだけですよね」
二人して夜風が吹き込む窓を眺める。
窓から見えるのは星がきらめく夜空と暗闇にぼんやり見える村の家々で、ゴブリン騒ぎなどなかったように静まり返っている。
そこに窓からぬっとリアナが顔を出す。
暗闇に浮かび上がった白い顔に思わず仰け反って痛みに呻く。
「お楽しみかと思ったら反省会。せっかくツインの部屋にしたのに、私が送った塩を返して欲しい。主に銅貨で。金貨でも構わないけど、私は金貨でもなびかない」
出やがったな濃い連中の一味がよぉ! しかし今はありがたいぞ! よく来た! 歓迎す──
イグニカがスパッと窓を閉めた。
そんな迷いなく閉める? 即決即断すぎない?
こつこつこつ、という足音の後に今度はドアがノックされる。
俺は迷わず返事をする。
「入ってます」
『それは知ってるけんど、出し入れに忙しいなら出直すから言ってほしい。あ、手拍子しようか』
「顔が見える位置で文句が言いたいから早く入ってきてくれ」
ガチャ、とドアを開けてリアナが顔を出す。
「もう済んだ? ちょっと早い。もうすこし頑張れるとイグニカさんも喜ぶと思う」
「そういうセンシティブなのは頑張って救われるとはちょっと思えないんですけどねえ!」
「救われない子羊にミルクの粥とお茶を持ってきた。これは奢りだ。ふーふーしてあげるサービスの交渉は銀貨なら応じなくはない」
「結構です」
リアナの手には湯気の立つ粥とポットが握られており、それをテーブルに置くと、彼女は水桶と布巾を回収する。
「彼女にふーふーしてもらう熱い夜を過ごすといい。あーんもしてもらうといい」
「そうでした。その手がありました」
ないよイグニカさん? 俺もう食べれそうだから普通に食べるよ?
「ではごゆっくり。後で皿は回収に来るけど忙しくするなら廊下に置いておいてほしい」
最後まで好き放題言って、リアナはドアを閉めて去っていった。
匙を手にしてこちらを見つめるイグニカ。
もう普通に食べられるアピールをする俺。
そこに容赦のない大音量のノック音が響いて二人して飛び上がる。
ギャアン! というドアからしてはならない音と共に樽を担いだババアが現れ、思わず俺は再び仰け反る。
「おやまあ甲斐甲斐しい。アタシの若い頃そっくりだね。イグニカ! アンタ飲めなくて悔しいだろう。持って来てやったからたんとお飲み!」
ドカッ! という音と共にエールの樽を置いたババアはもう片手で置き台を広げると、樽をその上にひらりと設置する。
……いま片手で樽を持ち上げた気がしたが見間違いだろう。
「いい仕事したらしいじゃないかカッツィオ。アンタの話でもちきりさね……しかし、またイグニカを泣かしたそうじゃないか。仕事言い訳にして女泣かしてんじゃないよこのボンクラ!!」
ババアの鉄拳の予感に歯を食いしばり首と肩の力を抜く俺。しかし鉄拳は来ない。
恐る恐る目を開くとババアはイグニカの頭を優しく撫でている。
「よく頑張ったねイグニカ……。アンタ、本当にアタシの若い頃そっくりだよ。よく頑張った。しっかり呑んで泣きながら説教しておやり。女の武器は涙と愛嬌さね」
どこからツッコんでいいのかわからないけど、いつの間に仲良くなったんだよババア!! うちのイグニカさんになにしやがった!!
「なんだいその顔は。イグニカがあんたのこと姫抱きにして連れてきて、部屋貸してくれってマーサと頼みに来たのさ。 それから甲斐甲斐しく世話して……いい子だよこの子は。また泣かしたら承知しないよ!! ──それじゃあねイグニカ。たんと飲んでアンタも休みな」
「ありがとうございます。エリーゼさん」
「礼儀正しいところもアタシの若い頃そっくりだねえ……。アタシは下にいるから困ったら呼ぶんだよ」
「はい」
呆然とする俺をよそに、ババアはイグニカに特大のウインクをバチィンとぶつけて去っていった。
そしてイグニカはいそいそとさっき運ばれてきたミルク粥を取り、匙を用意する。
「では、主。先にご飯にしましょう。──あーん……」
俺は色んな意味で観念した。乙女は強い。
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