第31話 目覚めた朝は──
目を開けて、眩しさと身体の重さでぼんやりとしていたが、見慣れない風景に気付いて意識がハッキリしてくる。見知らぬ天井だ。
あの、木の梁の上からぶら下がっているのはドライフラワーか何かだろうか? 家ではないのは分かる……ここはどこだ。
周囲を見回そうとするが体が動かない。仕方がないので視線だけで周囲を見回すと、青い光を放つアーケインフォージが目に入る。
そうか……。ここ、マーサの店の……。
そして安心する匂いがして、温かい。
顔に当たる日差しよりも、もっと温かい。
温かさを感じる方向に視線を移すと、窓から差し込む光が俺の胸に覆いかぶさっているイグニカの炎色の髪をきらきらと照らしていた。
声を出そうとして、口の中の血の味に顔をしかめる。
「目が覚めましたか? 主」
俺の胸にぴったり顔をつけたままイグニカがこちらを見る。
深く赤い瞳をしたその目から、涙がぽろぽろと溢れてくる。
「どうしたの、イグニカ。大丈夫か……?」
「大丈夫なわけないじゃないですか……」
「どこか、痛いのか」
どん、と胸を叩かれて咳き込む。
「痛い……怒ってる?」
「怒ってます」
これはまずい。
でも怒られてるのは、なんでだ。
回らない頭で怒られる理由を探すが直前に何をしていたのか頭がぼんやりしていてうまくまとまって思い出せない。
ただ安らかに眠れたという気分だけが頭の中に残っている。疲れ果てて、もう大丈夫だという気持ちになって眠ったような気がするのだが……。
「ごめん」
「何が悪かったのか分かって謝ってるんですか」
「ごめん。わからなかった。ごめん」
今度はさっきより強めに叩かれた。呼吸が止まって目がチカチカする。
そこで扉が開く音がして、誰かが入ってきた。
「あ! カッツィオ! 目が覚めたの? やー、死んだかと思ったよ。イグニカちゃんに感謝しなよ? ずーっとあんたを守ってたんだから」
マーサが頭上から覗き込んできて、呆れたという顔をしている。
イグニカに守られていた、ということは今の状況でもわかるのだが何をしたのかがどうにも曖昧で返答に詰まってしまう。
「ありがとう、イグニカ」
「はい」
「起きられないんだけど……」
イグニカが身体を起こして俺の胸からどいてくれる。
そのまま身体を起こそうとしたが、全身の筋肉が悲鳴を上げたような痛みでブルブル震える。
「ああああ痛い痛い痛い…! なんかめっちゃ身体痛いんだけどなにこれ」
「カッツィオ、あんた覚えてないの? 血反吐はきながら付呪みたいなのをやって、それで倒れたんだよ。あーしもびっくりしたよ。死人みたいに身体冷たくなってるしさあ」
動けないまま天井を凝視して、付呪というキーワードで色々思い出せてくる。
ああ、そうだ付呪をやった。かなりの強度のを連発したような……腕輪作ったんだっけ。あと、剣だ。
思い出したぞ……なんか、めっちゃ痛かったなあ……交通事故で轢かれたときより痛かったなあ……。
そこで、その一連の出来事をする理由にようやく思い当たった。
「……あ、どうなった? 救出。間に合ったのか?」
どんっ!と胸を叩かれて、思わず咳き込む
「本当に死ぬところだったんですよ。他人の心配している場合ですか」
「い、いまは痛くない……叩かれたら痛い、バラバラになりそう」
「本当にバラバラになるところだったんですよ。もうしないでください」
バラバラになりそうな痛みのところを叩かれたらバラバラになるやろがい。
そうか、付呪をやりすぎて確か血が出て、倒れたんだ。
いやあ、倒れるくらい今更……前も倒れたことあったし……?
「そんなさあ、大げさな……」
「大げさじゃありません。約束してください。もう、命を捨ててもいいとか、思うのは、やめてください」
イグニカの大きな瞳からぽろぽろと大粒な涙が溢れる。
その様子から、前にもあったレベルのことではなかったらしいのは分かった。
そんな限界を超えるみたいなマネを俺がやるだろうか。精神が肉体を凌駕するみたいな過酷な修行なんて、俺は積んでいない──ただの鍛冶屋……もどきだ。
しかし、イグニカが泣いているのはいたたまれない。そんなに心配させたのか。
なんとか涙を拭いてやろうと手を伸ばそうとしても、手が動かないので手の甲で頬を撫でる。
「ごめん」
「許しません。許しませんから……」
イグニカは俺の手を取って涙をぽろぽろと零し続けている。
どうしよう。
そばで腕組みして立っているマーサに助けを求める。
「マーサ。これはまずい感じだ。なんとかしてくれ」
「バカなことするからでしょ。あーしはイグニカちゃんの味方だから」
なんてこった。怪我人? にやさしくしてくれる人はいないんか。
そこでまた扉が開く音がして、今度は髭面が視界の端に現れる。マーサの叔父さん、オーファルトだ。
「おう。カッツィオ。起きたよったか」
「……オーファルトさん」
助けになりそうな男手が来たぞ。
俺の弁護をしてくれ! わかってくれるだろ!
「こいつにゲンコツ落としたらいかんか? イグニカ嬢ちゃん」
「いいですよ」
なんで! イタイッ!
ゴッ! という音がするほどの勢いでゲンコツを落とされる。そして大きくてゴツゴツした手で髪の毛をくっしゃくっしゃと掻き回されて撫でられる。
俺は犬かなにかじゃないぞ! 何すんだおっさん。やめろ!
──なんか、ちょっと照れるだろ。もう三十路前なんだぞ俺は!
「カッツィオ。お前さんは役に立ったぞ。十分役に立っとる。だからもう命を削るようなことをするな。お前がいないと泣く人間がいる。よーく覚えとけよ。……いいな」
「オーファルトさん、ゴブリンの巣に入った人は」
「ハァ……。ちゃあんと助けたぞ。無事だ。運が良かったなありゃあ。食う前に痛めつけようとして内輪揉めしとったのを、銀翼団の連中がなぎ倒しよったわ」
「無事か。……よかった」
「よかないわ。お前さんが一番重症だぞ」
イグニカが背中を支えてくれてようやく起き上がれた。
頭が重すぎる……肩も腕も重いし真っ直ぐしているのもやっとだ。
そんな俺を呆れたという表情で見ながらオーファルトは話を続ける。
「ファーレンハイネに説教された連中がお前さんに謝りたいと来とったが、またにしろと言っておいた。──まあ、来たら話くらいは聞いてやってくれ」
「いや、あれは……俺達が武器を売ったから……」
俺の反応に、オーファルトは厳しい顔で首を横に振る。
「そいつは違う。武器ってのは危険なもんだ。握るんなら死を覚悟しなきゃならん。そいつを理解して備えんかったのが悪い。訓練を積んで正しく使えば役に立つ。俺の武器のようにな。──さて、この腕輪とコイツはお前さんに返そう」
「いや、それはオーファルトさんの物で……」
オーファルトは大きなため息をついて、どっかと俺の前に腰をおろした。
そして俺の目をしっかり見ながら言う。
「腕輪は返す。こんなもの一介の狩人が持てば命を狙われる。そして、この剣は俺には過ぎたる武器だ」
オーファルトは腕輪をイグニカに渡すと、イグニカは頷いてそれを受け取る。
そして彼は続けて腰に帯びていたリーフソードを抜いて俺の前に置く。
「それは買ったものじゃないですか。俺が渡したわけじゃなく……」
「では、俺はコイツを使って、必要なときは人を助ける。そうした時にふと死ぬかもしれんが、それでもいいか」
「──……それは」
「いいならこれは貰う。いかんと思うなら鋳潰して鍬にでもしてくれ」
「……誰かを助けるんでしょう。じゃあ、死なないように助けてください」
「わかってんじゃねえか。カッツィオ。お前、自分でもそうしろよ? 何事であれな、命あっての物種だ。──いい剣だ。大事にする」
ジャカッとリーフソードを鞘に収めたオーファルトは、髭面をくしゃくしゃにして笑う。
それから俺達を見守っていたマーサの方を振り向く。
「マーサ。コイツに早いとこメシを食わせてやれ。食わにゃ治るものも治らん。しっかり食わせてやれ」
「あいあい」
彼は腰にリーフソードをしっかり帯びたままスタスタと部屋を出ていく。
それと入れ替わりに、今度は銀色の鎧と黒い鎧の二人が入ってきた。
ファーレンハイネとジェラルドだ。
「ファーレンハイネさんと、ジェラルドさん」
「ハイネでいいよ。カッツィオ」
「俺もジェラルドでいい。身体はどうだ」
「あー、動けないです。身体が重くて痛くて……お恥ずかしい話ですが……」
「なんだ他人行儀じゃねえか。同じ鉄火場で血に塗れた仲だ。もっとラクに話せよ」
「カッツィオ──腕輪を返しに来たんだ」
「いえ、それはお二人に……」
ファーレンハイネは俺の顔を手で挟んで、やたら整った人間離れしたきれいな顔でこちらを覗き込んでくる。
「これを貰い受けるなら、お前達を私達は守らねばならない。お前が抱える秘密も。──それでいいんだね?」
「……なんか、話が大きくなったというか、変なことになってないですか……?」
「なってねえよ。お前、こいつがいくらすんのか知ってんのか?」
「作った本人が俺なら、値段決めるのも俺でしょう?」
「てめえもっぺん寝かすぞ」
怖っ!! その顔で凄むのやめろよ!!
四白眼の凶相が鼻面を盛大にしかめて睨みつけてくると迫力がありすぎる。
「カッツィオ……。これはそうそう世に出回ってはいけないような代物だ。使ってみて改めて思い知らされたよ」
俺の顔から手を離して、静かにファーレンハイネが言う。
俺はイグニカを見るがイグニカは否定してくれない。マーサの方を見るが、こちらもだめだ。
「こんな物を作れる職人を野に放っておくわけにはいかない。しかし、身を隠されて敵側に回れば私の部隊の死人が無数に増えるかもしれない。それは困る。だから、君がろくでなしに捕まるのは阻止しなければならない」
ニルケルススに忠告されたことが今更になって思い出されてくる。
……そうだ。見つかったらまずいのに、頭に血がのぼって、やってしまった。
サーッと血の気が引くと同時に、頭もハッキリとしてくる。
「私に出来るのは3つのどれかだ。君を殺すか、君を囲い込んで限界まで武具を作らせるか、この秘密を守りながら君たちを守って力を借りるか」
ゾッとするような冷たい瞳で覗き込まれて、息が止まる。
俺の知る”人間”の目とは違う、微動だにしないがために無機質にすら思える瞳がこちらを覗き込んでいる。
「そして、前の二つをすれば、私達はイグニカに殺されることになる。全力で抗っても無駄なくらには、彼我の実力差は絶望的だ。だから私は3つ目を選ぶ」
イグニカを見るが、イグニカは静かに二人を見つめているだけだ。
こちらも見たこともないような冷たい瞳をしている。
イグニカは強いのだろうが、そんな事を言われるほどなのか俺にはわからない。
だが、否定も肯定もせず静かに見つめるその横顔に気圧されてしまう。
「君たちをそっとしておくことは、悪いが出来ない。私達も部下の命を預かっている。知りうることで出来る限りのことをしてやらなければ、いずれ私達も破滅する」
ファーレンハイネの瞳が、先程の無機質さを潜めて思慮深い光を宿し、部隊の指揮官としての彼女たちの事情を教えてくれる。
「君の武具は素晴らしいものだ。できる限り買い付けて部下にも供給したい。だから、これからも君に武具を注文しに来る。応じてくれなければ諦めるが、その場合は君たちの店に来るものを殺して脅威を除くことも辞さない」
淡々と言われていることの内容は意味はわかっても頭がついていかない。
殺すとか殺されるとか言われても、正直良くわからない。想像すら難しい。
ただひたすら胃の辺りが重たく、息が詰まって胸のあたりが痛い。
ただ……大変なことになってしまったということ。それは分かる。
「だが、そのようなことはしたくない。だから──私は君たちと仲良くしたいと思っている。君たちの秘密を守り、君たちをいずれ必ず庇護下に加えると約束しよう。この剣に誓って、この約束を成してみせよう」
目の前に、彼女の愛剣である銀閃が置かれる。
やっぱり、どう見てもインフィニティ・オンラインのロングソードだ。これは。
「私は──」
口を開いたイグニカに驚いて彼女の顔を見る。
怒りを抑えるような、侮蔑するような、不安を抱えるような、そのどれとも言えない冷たい目をしたまま、彼女は言葉を続ける。
「私は、彼女を信じてみます。──ファーレンハイネ。これは私の慈悲と知りなさい。私の主を脅したこと、私は忘れませんから。約束を違えれば、必ずあなた達を滅ぼします」
イグニカの途方もない言葉に驚くこともできずぽかんとしたまま俺は彼女を見ていることしかできない。
そんな俺をイグニカは強く抱きしめた。
「主が望めば、私は貴方がたに力を貸しましょう。守るというのなら、守られてあげましょう。信じてみます。貴方がたの心を」
「イグニカ……?」
「主はいつも言っています。今できることをやってみるしかないと。だからファーレンハイネを信じてみたいと思います」
イグニカは俺を覗き込む。その赤い赤い瞳には、うっすらと縦型の瞳孔が見える。
竜人じゃなくて、彼女は竜なのだろうか。竜だとしたらどんな竜なのだろう。
俺はまだ、彼女がどんな存在なのか、どれほどの存在なのか、よく知らない。
そして、どうしてここまでの思いを寄せられているのかも良くわからない。
ただ、何か嘘をつかれているとは思えない。
彼女の笑顔や、先程の涙や、初めて出会った日のひたむきな眼差しが、全て嘘だったとするなら、これから何を信じろというのだろうか。
「主はどうしますか? このまま、どこか遠く。誰も届かないようなどこか遠くに、二人で逃げたいですか? それとも、これらを全て滅ぼしてなかったことにしましょうか?」
これは、もしかすると……つい昨日大変な事になったんじゃなくて、もっと前から大変なことになっていたのではないだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます