第30話 妄執の鍛冶屋と命の器
◇◆◇◆◇
意地だけで立っていた主の体から力が抜け、私に体重を預けてくる。
血塗れになった真っ青な顔を見ると胸がどうしようもなく締め付けられて痛い。
冷たくなりそうな主の身体を抱きしめて、生命力をゆっくりと分け与える。
いつか見た、子どもに匙で乳粥を与える母親のように。
できる限り、やさしく、丁寧に、私としてはほんの少しずつ生命力を注いでいく。
「何がおきた……コイツは、どうしたことだ」
「剣を見てみるんだ。オーファルト」
「……なんだコイツは、魔剣の類か? いまなにをしたんだカッツィオは」
狩人頭、オーファルトが呆然として呟く。
薬箱を持ってきてくれたマーサさんが、綿布で主の顔を拭い、私の肩を叩いた。
「そんなこといいでしょ! イグニカちゃん。私の部屋で寝かせて、ほら早く」
「いえ、ここにいないといけません」
「どうして。この血の量見たでしょ。このままじゃ死ぬよカッツィオ」
「ここに主の生命力がこぼれたままなんです。今は動かせません」
そう、問題は生命力だ。
主のこの身体が形作られる時に与えられた条件が、あの異様な技術の源だ。
この身体が”持つ”とされた能力を使って主が何かをすれば、それに見合うだけの結果が出せる。
しかし、その結果を出すのに必要な知識と経験は主の魂にはない。だから、齟齬を埋め合わせるために知識と経験が無理矢理に流し込まれる。
無理矢理に流し込まれたものは主が使うために魂に詰め込まれる。そうすると、流し込まれた分だけ膨れ上がった魂のせいで生命力が吐き出される。
それは、ただのエルフの肉体にとって耐え難い負荷が掛かるものだ。
自身の知識や経験を遥かに超える高度なものを作れば極度の疲労に襲われるし、度がすぎれば昏倒する。
疲労したり昏倒したりするのは魂が自身を守るための防衛反応だ。
主は鍛冶を終えて休むことで注ぎ込まれた物を消化し、吐き出された生命力を都度回収していた。
これまでは生命力を削りすぎる前に体力のほうが尽きてくれるので無事だった。
けれど、今回は違う。
元から入るわけがない量の物を、無理矢理に、容れ物が壊れるのも構わない速さと勢いで注ぎ込んでしまった。いや、引き込んでしまった。
だから大量の生命力が行き場を失ってこの場に吐き出されてしまったのだ。
その上、自身の生命力を魔力に変え、装備品に込めてしまった。
生命力は血と骨肉に宿る生命の力。それを魔力に変えるということは血肉を削り取ることに等しい。
今はまだ私の魔力で包みこまれているから器が割れるのをかろうじて防げている。
だが、魔力で包み込んだ仮の器の隙間から、魂が漏れ出すのは防げない。
早急に、この仮の器の中に主の生命力を回収し、主自身の生命力で器を修復しなければならない。
この場には、主から吐き出された生命力が今も揺蕩っている。
だから、今はここから一步も動かせない。
「文字通り血反吐はきながら作りやがった……。だが、それで──言っちまえばそれだけで、こんな代物が作れんのか。一体どういうことだこいつは」
鎧の男、ジェラルドは呆れと驚きが入り混じった顔で主を覗き込む。
「ジェラルド。オーファルト。マーサ。このことは知られてはいけない類のことだ──他言無用。漏れたと知ったら、私が斬りに来ると思ってくれ。いや、その前に……そこのイグニカが殺しにくるだろうな」
銀色の女。ファーレンハイネが言う。
そのとおりだ。
あのエルフ、ニルケルススの懸念は過労で倒れることだったが、私の懸念は違う。
限界を超えて作れば、死ぬほど疲れるのではなく、文字通りに死ぬのだ。
そんなことはさせない。
そんな事を企むやつが出てきたら──この世界ごと、全て、灼き尽くしてやる。
「人払いをしたほうがいい予感が当たったな。さすが私だ」
「こんな時に言う事かよ。バカが起こしたゴブリン騒ぎよりよっぽどこっちのほうが厄介じゃねえか」
「厄介なものか。イグニカはきっと主人、カッツィオがどんな物をどうやって作ればこうなるのか知っている。そうならない範囲内でなら、これからも力を貸してくれるかもしれない。これは驚くべき力だ。幸運だよ」
「私は何よりも主が大事です。お前たちがもしも、私の主の命と引き換えに魔剣を望んだとしても、そんなことは絶対に許さない──」
竜の目が抑えきれず力が漏れ出す。
ジェラルドがバッと腕を広げてファーレンハイネの前に立ち、ファーレンハイネは身動ぎせずにこちらを見ている。あとの二人はその場から数歩後ずさった。
「安心してくれ。──私の夫はジェラルドだ。ヨソの夫を取るつもりはない」
「おい何言い出してんだお前は。その話は断ったろうが」
「断られたからなんだ? それは私には関係ない」
「まーた始まった……」
ジェラルドは額と目を覆って天を仰ぎ、私達に背を向ける。
「私はね、イグニカ。最強にも最大にも最高にも興味はない。私の理想を作るために必要な分を、できるだけ多くの者から無理のない範囲で借り受けて、それを成そうと思っている」
銀色の女が私の前に屈み込んで微笑みかける。
気に食わない。気に食わない。たまらなく、癪に障る女だ。
こんなに祝福を身に受けて”何かを成すために存在する”なんて。
妬ましくて、腹立たしくて、自分が──どうしようもなく惨めな気持ちになる。
「だから、貴方のつがいを殺すほど奪うつもりはない。ただ、力を借りたいと思っている。私も当然、力を貸そう。だから、安心してほしい」
「……信じられるものか。わたしたちは、自分で自分を守らねばならない」
「それはそう。誰もがそう。だから、自分たちで自分たちを守るようにしようと呼びかけるの」
自分たちで、自分たちを?
意味がわからない。
「だから今は私を信じて。私が何かを成す者なら、貴方に信じてと言ったことも成してみせる」
わからなくても今やれることをやるしかない。
主はよく、そう言って鍛冶仕事をしている。私はそれを見てきた。
それを見てきたのは、まだほんの少しの間でしかないが、私は主を信じている。
だから、わからなくても今やれることをやってみる。
だからこの妬ましくて気に食わない女を──輝きを、信じてみる。
「……わかりました。目が覚めたら、いい報告をしてあげてください。どうか──主のために、お願いします」
「最善を尽くすと約束する」
ファーレンハイネは決然と立ち上がり、全員を見回す。
「これから私とジェラルドとオーファルトの三人で突入する。作戦は、人質最優先だが、見敵必殺。見かけた小鬼は一匹たりとも生かしておくな。逃げたものの追撃は後詰の者にやらせるが、私は私の翼に汚い返り血を浴びせるつもりはない」
「了解。指揮官殿。」
「おうよ」
この憎らしくて輝かしい女は私達に微笑む。
「戻ったら祝杯だ。マーサ、イグニカ。準備を頼む。──では行こうか戦士諸君。部下たちに指示を出したら突入だ。小鬼どもに、奪えば奪われることを教えてやろう」
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