第29話 鍛冶屋と”伝説”の代償

「私は銀翼のファーレンハイネ。傭兵、銀翼団を率いる首領、銀閃の主だ。店の主人を含め……皆、私に詳しい話を聞かせてくれないか?」

「息子が、ここで武器を買ってゴブリンの巣に行き、帰ってこなかった。それで、畑にそれが……」


 半狂乱で叫んでいた女性の夫が、ファーレンハイネに事態を告げる。


「いつ出かけたかわかるか? 巣の位置は?」

「今日の昼に、家からいなくなっていて……巣は、知らない……」

「昼だな? ジェラルド」

「──おい地図持って来い!」

 

 人垣の後ろから、彼の部下らしい小柄な傭兵が駆けてきて背嚢から大きな地図を取り出してその場で広げる。


「ありがとう。そのままこちらに向けて広げて持っていてくれ」

「お前ら! ゴブリンの巣の位置を片っ端から聞いてまわれ! 酒場と村長んとこにも行け!」


 ジェラルドの号令で、人混みに紛れていた傭兵たちが一斉に散開して駆けていく。

 それを見送ったファーレンハイネは俺達に振り向いて尋ねる。


「ここにはゴブリンの巣が分かるものはいないか?」


 俺の肩を、温かく大きな手のひらが軽く叩いた。

 そこには武装をしたオーファルトが立っており、彼は俺達に頷いてみせてからファーレンハイネに答える。


「俺が知ってる」

「貴方は狩人頭だね。詳しく話を聞きたい」

「ほう、なんでわかる?」

「猟犬たちが貴方に挨拶をしてから走っていくからな。群れのことをよく分かったいい犬たちだ」

「気に入った。──巣の入口で、でけえのはここだ。んで、こことここにも出入り口がある。中で繋がってやがる」


 狩人頭オーファルトが地図を見て迷わず指をさすと、ファーレンハイネが地図に木炭で印を付けていき、ジェラルドが地図の印を指さしながら言う。 


「森と農地の境目ってとこか。村に近いのにどうして潰さなかった」

「夏の前に潰した。が、湧いてやがったか移ってきたかだな」

「なるほど。中の案内を頼んでも構わないか?」

「村の事で手を煩わせてすまねえ。もちろんそうさせてもらう。──ちょっと待ってろ。巣穴に入る準備をせにゃならん」

 

 オーファルトが準備のためにその場を離れようとしたところで、ファーレンハイネが呼び止める。

 

「ああ、待ってくれ──私はファーレンハイネ、こっちはジェラルドだ。背中を預ける仲間だ。名前を知りたい」

「オーファルトだ。──それと、村のド真ん中で喋ってても仕方ねえ。うちの姪が店やってるからそっち行きな。マーサ」


 いつの間にか俺達の隣にいたマーサが俺とイグニカの肩を優しく叩いて微笑みかけ、オーファルトの隣に歩み出る。


「雑貨屋のマーサです。あっちの雑貨屋で続きを──カッツィオ、イグニカちゃん。荷物畳んでうちにおいで」

「あ、ああ」

「ありがとうございます。主は先に。私は荷をまとめてから行きます」

「地図をありがとう。リック。位置は特定できた。村長に村人を外に出すなと伝言を。聞き込みしている者に伝令。命令あるまで広場で待機だ」


 イグニカは俺にそう言って、片付けかけだった荷物をまとめ始める。

 ファーレンハイネは地図を持っていた仲間からそれを受け取り、続けて自分たちの荷物を仲間に預け、新しい指示を伝令するように言うと彼を走らせる。


◇◆◇


 マーサの案内に従って移動した俺達は、雑貨屋の奥の部屋に通される。

 どうやら倉庫のようで、在庫の箱がいくつかと包み紙やペンなどが並ぶ作業台と、やたらクッションが積まれた長椅子がおいてある簡素な部屋だ。


 銀翼団の二人は地図をマーサに渡して壁に貼ってくれるように言い、マーサは地図を受け取って頷く。そして地図を貼る前に夫妻に長椅子を勧めて座らせる。


 それを見ていたファーレンハイネが、顔を真っ青にして座り込む妻を支えている夫に尋ねる。


「巣穴に入った者の名は?」

「ああ、レペロ……レペロ=ベッケルだ」

「背格好と瞳の色は? 髪色は夫妻のどちらに似ている?」

「痩せ型で……背丈は私と同じぐらいだ……瞳は私と妻と同じ鳶色、髪は妻と同じ薄い金色だ……長いのを結って……」

「歯や骨に特徴は」


 ジェラルドの質問に夫妻が凍りつく。マーサが息を呑んで、二人の肩を支える。


「──八重歯、両側に八重歯があります」


 夫妻の答えにジェラルドは静かに頷く。

 そしてファーレンハイネが夫妻に向かって微笑みかける。


「十分だ。あとは巣穴で本人に尋ねるとしよう。──ベッケル夫妻。村長に事情を話して、怪我をして戻ってきたときのために湯と治療薬を集めてくれるか? 可能なら治癒術に長けたものを連れてきておいてくれ」

「あ、ああ……」

「息子を、息子をどうか……」

「なるべく急ぐ。無事を祈っていてあげてくれ。御婦人。貴女も何か飲んで身体を温めるといい。身体が冷えると余計に不安が増す」


 マーサに背中を支えられながら出ていく夫妻を見送って、二人は肩を竦めてから今までよりも低い声で会話を続ける。


「──生きてると思うか。ジェラルド」

「もうじき夜だ。何もなけりゃ奴らの朝飯だな」


 この場にいて何も役に立てないのが歯痒い。

 だが俺には何をしたら良いのか、わからない。


「カッツィオ、そっち持って。壁に貼るよ地図」

「え? あ、ああ」

 

 マーサはファーレンハイネから受け取った地図を俺に広げるように促す。

 壁に向かって地図を貼り付けていると、すぐ隣で細釘を使って固定しはじめたマーサが俺に身体を寄せて耳元で優しく言う。


「あんたのせいじゃない。買ったものをどう使うかは本人次第。そんな顔するのも、そんなこと考えるのも。もうやめなさい」

「……──でも」

「これは村の問題。遅かれ早かれこんなことが別の形で起きたかもしれない。いまこうやって助けてもらえるだけ幸運」

「そうだ。幸運だ」


 二人で話していたところに、ふわっとファーレンハイネが割り込んで笑いかける。


「いま皆が思っている最悪の想定は当たらない。私はそんなことを想定していない。だからそんなことは起こらない」

「ファーレンハイネ様かっこいい~」

「そうだろう? 私は可憐で勇ましいんだ。だから安心しろ。鍛冶屋の主人」

「お前も災難だな」


 ファーレンハイネに励まされるのも驚いたが、荒くれ傭兵そのものなジェラルドに励まされるのにも驚いた。


「頭に血がのぼった他力本願な連中なんざ、殴り倒してもいいところだ。何かを武器持って殺すんなら、てめえも殺される覚悟はしておけってな」


 そうかもしれない。

 だがそのことで、こんな気持ちになっているわけじゃない。

 俺は──

 俺にいまできることは──


 一歩前に出て、マーサの腕を引く。


「マーサ、頼みたいことがある。これを使ってみてくれ。頼む」


 俺が鞄から取り出した証書を見て、怪訝な顔をするマーサ。


「え、何これ? マジックアイテム?」

「ああ」

「使うって言っても、どうすんの」


 俺はマーサの手を掴んで、証書を広げる。


「ここに置く、と念じてくれ」

「ここに置く」


 ゴトッという音とともに、青い光をその中から溢れさせる古めかしい石造りの炉がそこに現れる。ソウルフォージだ。

 俺は毛皮のコートを荷物の上に脱ぎ捨ててファーレンハイネに向き直る。


「ファーレンハイネさん」

「──ハイネでいい。何だい」


 ファーレンハイネを見る俺の目に力が宿る。

 流れ込む、知るはずのない知識。

 起こるはずのない脳裏での閃き。

 激痛。

 それらが頭の中で結びついて弾けるたびに、眼球の後ろから突き刺されるような痛みが走る。

 鼻から血が滴っていくのを感じて腕でそれを雑に拭う。


「え、ちょっとカッツィオ!?」

「ハイネ。高速の剣技で相手を切り裂く戦い方をするんだな?」

「──ああ。そうだ」

「松明を持つと手が塞がる。突きの連続で倒せるほうが都合がいい。ゴブリンは魔法は使わないが毒の武器を使う」

「そのとおりだ」

「マーサ。これを同じように使ってくれ」


 マーサは俺から突き出された細工台の証書を使う。するとやはり、隣に細工台が現れる。

 

 細工台の鎚と鋏を持つ。

 三つ。腕輪がいい。材質は鉄で問題ない。

 問題は込めるものが、どんなものかだ。


 自分の手ではないような速さで熱したインゴットを切り分けて、叩き、鋏と鎚で腕輪へと仕上げていく。一つ、二つ、三つ。


 頭が痛い。痛みで、手が震える。

 視界がゆがむほどの激痛だ。今すぐ座り込んでのたうち回りたい。しかし、役に立てずにいるのは嫌だ。

 ──俺はもう役立たずでいたくない。


 背中に温かい手のひらが触れたのを、かろうじて感じとる。


「主。持ってきた材料の袋です。私が背中をささえます」


 イグニカが俺の背中を支えてくれると、それだけで肩から注がれる不思議な温かさで痛みが和らいでいく。

 三つの腕輪をまとめて掴んでソウルフォージの光に放り込む。

 

「闇を見通す力、狙いを定める力、攻撃を避ける力、刃への守り、毒への守り……」


 必要な素材と魔力量を計算する思考を走らせると、鼻と目から血が垂れ落ちて胸元を汚していくのを感じる。

 込める魔力の強度を計算する。頭が割れるように痛み、視界が赤く染まる。

 首筋を流れる何か。汗のように感じるのは汗なのか耳から出た血なのか。


 ──まだ倒れるわけにはいかない。俺にできることはこれしかない。


 震えてうまく動かない手を宝石袋に突っ込み、零しながら魔力の結晶と宝石を炉に投げ込み、炉に掲げる手に力を込める。

 魔力を呑んだ炉が青い燐光を溢れさせ、中に放り込んだ宝石が融解して燐光になって舞い散る。

 この場にない素材の分を補って何処かから出ていく何かをなげうって、アーケインフォージに力を注ぎ込む。


 ゴオッという音を鳴らして光の奔流が吹き上がるたびに腕輪は強化される。

 付呪を一つ付けるごとに鼻と目からの流血が増え、ぼたっぼたたっと言う音を立てて地面にこぼれていく。

 たまらない苦しさに咳き込み、口にせり上がってきた血を吐き出す。足元の血溜まりは俺のものなのか。


 ──だからそれがどうした。


 震える身体を無理矢理に動かして炉に腕を突っ込んで三つの腕輪を引きずり出す。

 俺はそれをファーレンハイネに突き出す。 

 彼女は静かに俺を見つめ、それを受け取る。


「着ければ闇を見通せ、戦いを助け、身を守る。持っていってくれ。だから頼む」

「──ありがたく借り受けよう」


 彼女は迷うことなく腕輪を嵌め、腕を眺めて握ったり開いたりして何かを確かめる。

 そして残る腕輪をジェラルドに投げ渡す。


「あ、おい! どうなるかわかんねぇモンをお前!」

「ジェラルド。見ろ」


 ファーレンハイネは迷わず銀閃を抜き、それ放って手の上に落とす。


「馬鹿野郎!!」


 銀閃がストンと手のひらに落ちて、それを掴むファーレンハイネ。


「てめえ指が落ちるぞ!!戦いの前に何やって──」

「薄皮一枚切れていない。つまり、この腕輪は”ホンモノ”だ」

「──そんなもんこの場で作ったってのか。バカ言ってんじゃねえぞ」

「目の前の事を信じろ」


 沈黙したジェラルドも腕輪を嵌める。


「目を覆ってみろ」

「あ? ……これは……」

「夜目が効く。これなら両手も空くな。それに──」


 音もなく腕を振り、彼女は手に持っていた木炭をジェラルドに投げる。

 ジェラルドは目を隠したままそれを避けた。


「ッ! っぶねぇな! なに投げてきてんだお前!」

「そちらに飛んでくると、わかったんだな? 音もないのに?」

「……──そういうことか。矢避けの加護か? いや、違うなこれは」

「おそらく刃での不意打ちにも気づくし、避ける機が与えられるんだろう」 

「きっと、きっと……それなら役に立つはずだ」

「感謝する。だから、もう休め。その血の量はまずい」


 ゴボッ……と口から血の固まりが出たのを感じ、脚から力が抜けて肩を支えてくれるイグニカに体重を預ける。


「主。もうやめてください。血がこんなに──」

「まだだ……」

「だめです! 死ぬんですよ! 生き物は血を失うと!!」

「俺は役立たずじゃないッ!! 俺は役に立ちたいッ!! 役立たずのままでいたくないッ!! そんな目で、そんな目で……俺を、見るな……ッ!!」


 血を撒き散らしながら叫んで、顔を覆う。

 前の世界の記憶や責め立てられた先ほどの光景がぐちゃぐちゃに混ざったまま、どす黒い感情を呼び起こして、体の中で駆け巡る。

 腹の底が煮えくり返る。


「おい兄ちゃんなんだその面は! マーサ、血ィ止めろ! このままだと死ぬぞ!」

「あ、あ……薬箱っ! いま持ってくる!!」


 松明の山を背負って戻ってきたオーファルトが俺を見て、目を丸くしてマーサに手当を言いつける。


「オーファルト……!」


 それを無視して、彼の腰にあるリーフソードを指さし、俺は手を突き出す。

 

「剣、剣を」

「喋るんじゃねえ、まず横に──」

「剣を俺にッ!! そんな半端な剣じゃだめだ……ッ!!」

「これか、これがどうしたんだお前。ああおい、いいから座れ。座れカッツィオ──おいマーサ! 布だ!! 早くしろ!!」


 腰からリーフソードを外したオーファルトからそれを奪い取り、肩を掴まれているのを振り払って震える足元に血を吐き捨てた。

 袋の中身がこぼれるのも構わずに宝石と魔力の結晶を炉に放り込む。

 倒れ込むようにアーケインフォージに覆いかぶさって、炉心に剣を突っ込む。


「触れる物を切り裂け、隼より早く剣を閃かせろ、血を吸い精を啜れ、持ち主を守れ……ッ!! 俺の銘が付いてるんなら、それぐらいやってみせろッ……!!」


 青い光が吹き上がり、俺の身体を包み込むように燐光を撒き散らす。溢れる魔力の光は確かな力を剣に宿す。

 全身から流れ出ていく何かを無視して、炉から身体を無理やり引き剥がす。そしてリーフソードを突き出してオーファルトに迫り、それを手に取らせる。


「これなら、殺しきれる。役に立つ。──だから、頼む。つれていってくれ」


 膝から力が抜ける。

 がくん、と床に膝をついて炉に手をついて無意識に彼女を呼ぶ。


「あとは──イグニカ……頼む」

「はい。主。私が貴方を守ります」


 その優しい声だけが俺の頭に響いて、真っ赤な視野が反転して暗闇になった。

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