第28話 鍛冶屋の窮地と白銀の翼
秋も半ばになり、村の農地が実りの色に変わっている中を行商のための荷物を背負って歩く、俺とイグニカ。
畑一面に実った大麦の穂が風に揺れるのを眺めながら歩いていると、頬に吹き付ける風はだいぶん冷たい。
村の雑貨屋で売られていた毛皮の上着を買っておいてよかったと思う。
買っていなかったら来る前に上空で干し柿になっていた。
民家の間に敷かれた道を通っていき、すっかり見慣れてきた広場を抜ける。
そして、今日も露店を開くために村長宅に声を掛ける。今日もいつもの通り村長夫人が対応に出てくれた。
最近はすっかり顔なじみで、いなかった間の村の様子を世間話で色々と教えてくれるほとだ。おかげさまで今日どんな客が来るか予想ができて助かっている。
夫人に敷料を払って広場に戻り、露店の敷布を広げたあとは、研ぎの準備だ。
「イグニカ、マーサのところから研ぎの道具と試し切り台を取ってきてもらえる?」
「わかりました」
バックパックに入れている砥石を包みから出して並べ、荷物入れ代わりにしていた手提げ桶を持って広場のはずれにある水路に向かう。
水路の水は大体いつでもキンキンに冷えている。今日もキンキンだ。指がッ!
なんでも、森から流れてくる川を分岐させて直接水路に引いているのだそうだ。
しかし、雑貨屋のマーサが言うにはただ引いているわけではないらしい。魔法かなにかで汲み上げているのだろうか。
汲んだ水が入った桶を運んできて、敷布の端に置いて砥石を沈める。
そして、イグニカが先に取ってきてくれていた回し砥石を動かしてみて異常がないかを確かめる。
それから商品を取り出して敷布に並べていくと、準備をはじめた俺達を遠巻きに数人の村人が見ている。
やがて準備が整うと、よく見かける野菜売りの老婆が穏やかな顔でこちらにやってきて、寒くなったのによく来るねえと労ってくれた。
露店の翌日に野菜をよく買うのでこちらとも顔見知りだ。イグニカのことを気に入っていて、髪にいいからとニンジンをやたら勧めてくれる。
ばあちゃん、イグニカちゃんの髪はニンジン色じゃないと思うよォ?
そこにイグニカが巻藁と丸太でできた試し切り台を持ってきてくれて。野菜売りの婆さんと挨拶を交わす。
この試し切り台。
リーフソードや槍を買っていく狩人たちの要望で用意したものだが、正直なところ、余り売れないし試し切りも滅多にない。そのお陰か、試し切り台としては異例の長寿オブジェと化している。
◇◆◇
日差しは夕日に変わり、広場を吹き抜ける風が随分冷たくなった。
研ぎの作業も寒さが厳しいが研いでいる間は集中しているおかげでなんとかなっている。だが、終わった途端に体が冷えてきた。
冬の寒さ対策をもう少し考えないとまずいかもしれない。
ふと周りを見回すと、狩人が三人組で犬を連れて駆けていくのが見える。それも、何組もだ。
手には松明を持ち、弓矢や槍などで武装もしており緊迫した様子が伝わってくる。
村長の家の方を見ると、そこには武装した狩人たちが集まっている。何か起きたのだろうかと疑問に思ってそれを眺めていると、血を流した若者が他の狩人に肩を貸されながらやってきて村長宅に入っていった。
カーンカンカーン、カーンカンカーン……という、いつもと違う鐘の音に首を傾げる。確かに夕方ではあるので一応、店をたたむことにした。
「私はこれを流してきますね」
「ありがとうイグニカ。助かるよ」
イグニカが汚水の入った大桶を持って汚水用水路に向かってくれる。
俺は俺で、看板を畳んで、研ぎに使う他の道具の水気を取って畳む準備を続ける。
売上金を締める前に敷布に並べていた商品を回収しようと手を伸ばしたところ、露店の前に立つ人影があった。
「うちの息子を返せ!! あんたが武器なんか売るからこんな事になったんだ!!」
頭上から怒声を浴びせられ、なんだ!? という驚きと困惑に顔を上げると、怨嗟を込めて俺を睨みつける女性と、女性をなだめながらこちらを睨む男性がいた。
何度か通りで見かけたことがある顔だが、話したことはない。客として来たことはあったかもしれないが特別なにかトラブルや相談があった覚えはない。
相手は怒り心頭というよりも憔悴している様子で、張り裂けんばかりの声で叫ぶ。
「あんたらが半端におだてるからこんなことになったんだ! 責任とって助けに行きなさいよォ! 私の息子を返してェ!!」
叫ぶ女性の肩を抱いて止めてはいるのは夫らしい。
夫は妻を必死になだめているようだが、合間合間に俺を睨みつけている。それを振り払って妻のほうが叫ぶ。
「この鍛冶屋が来なければこんなこと起こらなかった!! こいつの、こいつのせいでしょう!! なんとかしなさいよォ!!!」
「ちょ、ちょっと待ってください。何のお話ですか?」
「とぼけてんじゃないわよ!! あんたのとこで買った剣を持って息子が、息子がゴブリンの巣穴に──」
ゴブリン? 巣穴? 何の話だ一体?
混乱している俺は夫の方を見るが、夫は妻に「やめろ。もういいだろう」とか「彼らが焚き付けたわけでもないだろう」だとか話しかけているばかりで説明をしてくれるわけでもない。
妻のほうはもはや半狂乱といった様子で夫を突き飛ばして俺に向かって叫ぶ。
「この、人殺しィイイイ!!!」
罵声を浴びせられて呆然とする俺に、夫婦の方にやってきて何事か二人に告げた別の男性が、俺の方にも振り向いて苦々しい顔で事態を端的に知らせてくる。
「あんたンとこで買った剣を持ったレペロ──こっちの夫婦の息子が仲間を引き連れてゴブリンの巣穴に行っちまったんだ。仲間は大怪我、本人は行方が知れねえ。連れ去られたらしいところに、そいつが落ちとった」
それを知らせてくれた男性は苦々しい顔を苦痛に染めて、俺に言葉を投げる。
「ウチの息子はさっき救助されたが、ひどいケガだ。あんたらのせいだとは言わんが……。あんたらが売った武器だろう。なんとも思わんのか」
男性はそう言った後に顔を覆って、ため息をついた後に吐き出すように言った。
「悪かった。気が動転しちまって──村の問題だ、あんたには……関係ないよな」
去っていく背中を呆然と見送った俺の目の前に、叫んでいた女性が血痕のついた布切れと革の切れ端を叩きつける。
「人殺しィッ!! あんた、あんたなんとも思わないのか!! 何にもしないで平気だってのかッ!!! この人でなしィイイイ!!」
俺は血の付いた布地と千切れた革の切れ端を見る。
ぐるぐると思考は空回り、何を言うべきか何をすべきかも浮かんでこず、俺は呆然とそれを見ていることしかできない。
武器を売った責任だと言われたら、そうなのだろうか。
危険に立ち向かうための武器は、同時に危険に向かっていく行動を呼ぶものでもある。だから護身用と考えていたが、それはこちらの言い分に過ぎないかもしれない。
俺の責任なんだろうか?
しかし、そんなことを言われても救出なんて俺には──
激怒する夫婦に睨みつけられる中、俺は身動きも取れずに固まっていた。
その後ろにはいつの間にか村人たちが集まってきており、こちらに同情的な視線を向ける者もいれば俺を見てヒソヒソと耳打ちし合う者もいるが、この騒ぎを止めに入る者はいない。
「身の丈に合わない剣を買った青年ですか?」
後ろを振り返る。
イグニカが冷ややかな視線を彼らに向けて立っていた。
彼女は相手を真っ直ぐ見据えて言い放つ。
「警告はしましたよ。そんな心構えでは命を落とすと」
叫び声をあげて突進しようとして夫に羽交い締めにされる女性。
それを冷たい目で見返しているイグニカ。
そんなイグニカを見ていた俺だったが、彼女の腕を見て慌てて飛び付く。
彼女の指から爪が見え隠れしている。どうやら冷静に返事をしたように見えて、怒髪天を衝く勢いで激怒しているらしい。
まずい。
俺に向かって人殺しと叫んだ女性や、その夫が暴れればイグニカはいとも簡単に鎮圧するだろう。しかし、相手が無事とは限らない。
「イグニカ、落ち着──」
「うるせえな。こいつは何の騒ぎだ」
その場に割って入る低く落ち着いた、しかし荒々しい声。
「バカが見栄はって下手こいただけじゃねーか。他人に文句言う前に、てめーのバカ息子の不出来を詫びろ。それか、武器持っててめえで助けに行きゃあいいだろ──ったく、邪魔だろうが……。道開けろ。こっちは剣を見に来てんだ。店の前でやるんじゃねえよ」
赤い夕日が差す広場に、見上げるほどの背丈をした男が立っているのが、人だかりの向こうに見える。
男に散らされるように人だかりが割れ、やがて男の姿がハッキリと見えてきた。
傷跡だらけの顔に散切り頭。四白眼の凶相に鋭い眼光。巌のような体躯。
戦闘用以外に用途が考えられない武装の塊のような黒銀色の鎧。
荒んだ口調と相まって不吉にすら思える気配。
そんな、荒くれ傭兵そのものな男が、心底呆れたという表情で立っている。
ガシャ…ガシャ…という足音を鳴らして、彼は村人の間を歩き、店の前に立つ。
そして屈み込んで露店の武具を品定めしはじめた。
背負っているのは、文字通りの大剣。
史実寄りな武器が多いインフィニティ・オンラインにはなかった、それこそダークファンタジーの武器のような大剣だ。
「いきなり現れて何よアンタはぁッ!! この村はこんな訳分かんないエルフが来るまで平和で身の丈に合った生活してたのよ!! こいつが悪いに決まってるでしょ!!」
傭兵の背中に向かって叫ぶ半狂乱の女性。
彼は振り返りもせず、商品の武具を眺めながら面倒くさそうな声で返事をする。
「身の丈わきまえてりゃ勝てねえ怪物の巣穴に近づかねえだろ。寝言は寝て言いやがれ。──おい鍛冶屋、こっからここまでの短剣と槍を全部くれ。そっちに積んである長剣は?」
「ブロードソードは展示用ですが、レイブン銀貨20枚でなら」
頭が回らない俺に代わって、冷静さを取り戻したイグニカが店頭に立ってくれる。
「見せてくれ」
「どうぞ」
ブロードソードを受け取った傭兵が、スラッという滑らかな音とともに鞘から白刃を抜き放った。刀身はギラリと光を照り返し、周囲を威圧しているかのようだ。
本職が持つ剣の迫力に気圧され、人混みにもどよめきが走った。
「試し斬りは?」
「そちらの試し切り台でどうぞ」
「じゃあ遠慮なく──」
男は鎧を鳴らして立ち上がり、抜き身の剣を片手に提げて、周囲の人間を鬱陶しそうに手で追い払う。
そして、構えもせずに試し切り台に向かって剣を振り抜いた。
シンッ…! という金属音が鳴り、切り落とされた藁束と丸太が地面に転がる。
「いいじゃねえか……こいつも買う。両方くれ」
「〆てレイブン銀貨で130枚です」
「両替賃込みで聖堂金貨7枚」
「結構です。まいどお買い上げありがとうございます」
「こいつにいれてくれ」
肩に掛けていた空の革袋をイグニカに渡した男は、鎧の革帯から金貨を取り出して代金を支払う。
「また来る。──もうここに来ねえんなら雑貨屋か酒場にでも、次どこに行くか知らせといてくれ」
革袋を片手で担いだ男が俺達に背を向ける。
その場に、ハリのある美しい抑揚をしたアルトの声が響いた。
「ジェラルド。それでは困るじゃないか」
皆が声の主を振り返り──皆がその銀色に輝く存在に心を奪われた。
すらりとした長身を飾る、滑らかな曲線をした美麗な銀鎧。
純白のマントをたなびかせる堂々とした立ち姿。
風になびく長い銀色の癖毛に彩られた青年のようにも乙女のようにも見える美貌。
彼女は悠然と俺とイグニカに微笑みかけながら言葉を続ける。
「彼が愛想を尽かして国を出たら困る。──主人。もしも、もうこの村に来ないなら次はギヨーム伯の城下街で店を開いてくれないか?」
俺はその存在感に呑まれて返事も出来ずに立ち尽くしてしまった。
彼女は、夕日に白銀の鎧を輝かせながら、今度は少年のように無邪気にニコッと笑いかけてくる。
「私はファーレンハイネ。銀翼団という傭兵部隊を率いている。次は他の武器も、それも大口で買いたい」
「ハイネ、拠点で店開かれてもいちいち前線まで運ばなきゃいけねえだろ」
ジェラルドと呼ばれた傭兵が、呆れ口調でファーレンハイネに言うが、彼女はそんなことかという口調で返事をする。
「そのくらいの手間は構わない。お前が納得する武器が買えるんだから、場所が決まっていれば別働隊を出してでも取りに行かせるさ──ところで、そこの御婦人。先ほどのゴブリンの話。聞かせてくれないか? 力になろう」
「おいハイネ。 厄介事に首突っ込むな」
「お前だって喜々として割って入ったろう? 嫌か? 私とゴブリンを狩るのは」
「んなこと言ってねえだろうが。カネにならねえ厄介事はごめんだって言ってんだ」
ファーレンハイネが白銀の髪をなびかせ、マントを翻して剣を抜く。
天高く掲げられる白銀の剣と、夕日に煌めく銀鎧。
勇ましさと美しさを覚えさせるその見事な仕草に、人々は見惚れている。
「この御婦人と村人が不運に見舞われた。そこに私とお前が通りかかった。つまり、私の強運とお前の力でその不運を斬り捨てろということだ。」
見覚えのある形だ。
あの形。インフィニティ・オンラインのロングソードそのままだ。
瞬く間にこの場の主人公になったファーレンハイネが、関係者たち全員に向かって語りかける。
「私は銀翼のファーレンハイネ。傭兵、銀翼団を率いる首領。銀閃の主だ。店の主人を含め……皆、私に詳しい話を聞かせてくれないか?」
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