第27話 森の暮らしと鍛冶屋の試行錯誤
買い物と村散策を楽しんだ行商二日目。
その日の昼過ぎに村を出発した俺達は、しばらくは徒歩で街道付近に続く道を進んでいき、途中から空路に切り替えて家路についた。
こちらに戻ってきて、買ってきた物──主に石鹸や調味料、ソーセージや果物や野菜などをキッチンの戸棚にしまい込むと、その日の予定は終了。あとは風呂に入って寝るだけだ。
生活用品の片付けを一通り終えてから作業場に行くと、イグニカが在庫用の箱に売れ残りを戻してくれていた。
「イグニカ、先にお風呂入る?」
「主、お先にどうぞ。私は後で堪能しますので、大丈夫です」
◇◆◇
お言葉に甘えて先に風呂に向かうことにする。──ところで堪能ってなんだろう。
しかし、このところの上空の風はヤバい。
それこそ干し柿になるんじゃないかと思うくらいヤバい。
イグニカに辛くないか聞いたら、主が背中にいるので気にならないと言っていたので、改めてフィジカルの差というやつを思い知った気分だ。
毎回毎回、俺と荷物を運んで飛んでくれるイグニカには大変感謝している。
ただ、もう少し緩やかに飛んでくれれば……言う事はないのだが。
風呂場は先に張っておいた湯のお陰でそこまで寒くないのが救いだ。
そして今日はなんと……新しい石鹸があるのだ!!
早速使ってみる。
形こそ手作り感溢れるもので、泡立ちはそこまででもない。
だが、普通の汚れを落とすだけの石鹸と比べると、香りがあるだけで圧倒的なさっぱり感と清潔感を覚える。
素晴らしいじゃないか香油入り石鹸。
これを買えただけでもマーサの雑貨店に感謝したい。
バスタブに半分以上沈みながら、全身から疲れが流れ出ていくのに任せてゆったりと身体を温める。
ああ、もう溶けそうだ。
風呂から出たあとは、店舗のカウンターに座ってでろでろに溶けるような格好で突っ伏して火照った身体を冷やす。
石造りの家のひんやりした空気が気持ちいい。
「主、いい香りがしますね。花の匂いです」
「マーサのところの新しい石鹸だよ。これはいいものだぁ」
「いい香りですが……。匂いが薄くなるんですよね……。小憎らしい……。匂いを落とさないならいいのに……」
なんだか残念そうな響きで無茶な事を呟くイグニカ。
──いやだ。俺はいい香りをさせたいんだ。匂いフェチだってクサいだけなのはダメだって、とんかちも大人だから知ってるんだぞ。俺は圧力には屈しない! 俺は清潔な男になりたいんだ!
「では、私も使ってみますね。主の匂いが残っているうちに入ります」
トトトッと歩いていったイグニカを見送って、服の匂いを嗅ぐ。
……俺って、臭うのかな。
デオドラント、もっと考えようかな。
カウンターに頬杖をついてぼんやりしていると意識がふわふわとして……──
おお、いかん……このままだとカウンターで寝そうだ。今寝てた。
ずるずると身体を引きずって脱衣所に行き、歯ブラシで歯を磨く。
歯ブラシなんかあるのかとバカにしちゃいけない。例のホッグだかという獣の毛で作られていて、髪用のブラシも服用のブラシもある。作りが甘いので細工台で作り直したが、いい磨き心地だ。
歯磨き粉が本当に粉で、塩と粘土とハーブをケミカルにミラクルした感じなのが残念だ。油断するとえづくくらい、まずい。エッ!
口をすすいで、涙目になって壁のほうを見ると、籠の中に脱いだ後の洗濯物が入ったままだ。
明日は部屋に溜まった洗濯物を洗うか。今日も明日も石鹸大活躍デーだな。
──そこで、ふと、籠に入った洗濯物をじいっと見つめる。
なんだか、少ない気がする。
前に洗濯したのは3日くらい前だから、普段ならもう少しあるような……?
俺はそのまま脱衣所のドアを閉じて、部屋に戻りべッドに横になって目を閉じる。
やめよう。
そういうのは明日考えよう。俺はなにも見なかった。それでいいじゃないか。
◇◆◇
翌朝。
窓を開けるとひんやりして潤った秋の風が一気に部屋を駆け巡る。
まだ朝日はのぼりきっておらず、空は群青色を残したままだ。
大きく息を吸い込んで、身体の中の空気を入れ替える。
この深呼吸だけで幸せすら感じる。空気がうまいって素晴らしい。
よし! 朝飯にしよう。
着替えてキッチンに行くと、既にイグニカがいてキッチンの釜戸に火をいれてくれていた。
「おはようございます。主」
「おはよう。イグニカ」
俺は食べ物を収納している棚からソーセージを取り出し、下の段に入れてある根菜をいくつか取る。
カブの葉はみじん切り。皮を剥いたカブはさいの目切りにして、秋口になって出回り始めたニンジンもさいの目切りにする。
これらの野菜の切りクズや生ゴミは庭の隅に作ったコンポストに入れている。別に畑をしたりするわけでもないし、まだ溜まっていないので使い道がないのだが、いずれは何か育ててみようかとも思う。
鍋に水を入れて火にかけ、根菜類を放り込む。
くつくつと煮えてきたらソーセージとカブの葉を加えて蓋をする。
寒くなってくる時期にスープが食べられるのは嬉しい。
朝起きてケトルに急かされて作るスープではなく、コトコト煮るスープが作れるのはまさに贅沢だと思う。
食べているものは質素で、野性味が強いが、手をかければ十分に美味しい。
ついでにだいぶ消費したはずだが……いつまで経っても底が見えないフードダンクボックスからマフィンを取り出す。
インフィニティオンラインの製作者の趣味か、ゲーム舞台の都合か、こいつはお菓子ではなくパンのほうのマフィンだ。これは包丁で半分に割り、フライパンで温めてから食卓に並べる。
イグニカに声を掛け、食卓を囲みながら今日の予定を話し合う。
「十分に在庫があるようなので、私は今日は店番と洗濯をしようかと思っています」
「俺はちょっと試したいことがあるから、作業場にいるよ。──付呪の機材を持っていく準備をしようかなって」
「ああ。マーサさんと話していましたよね」
俺はそれに頷き、回し砥石のときと同じように部品を作ってみようと思っていることを説明すると、イグニカは頷いてから手伝いが必要なら声を掛けてほしいと言ってくれた。
◇◆◇
マーサの店で一番大きなアーケインフォージをだせばマーサの店改め、マーサのアーケインフォージ置き場になってしまうので小型の方にしなくてはならない。
構造は見た感じ簡単だ。
石材の台座に炉の構造材が据え付けられていて炉の中は謎のエネルギーだか液体だかで満たされている。ここの構造が作れれば……。
そうして当たりをつけて数時間後、早くも万策尽きた。俺は転がっている大理石の台座の前で立ち尽くしていた。
詰んでいると言ってもいい。
アーケインフォージの材料は構造材いくつかと付呪に使う魔力結晶各種と、あと一つだ。
問題はその最後の材料。
アーケインフォージのコアだ。
アーケインフォージのコアが何でてきているか? なんて愚問である。
知るかそんなもん。
現実にあったとして工学も素材化学もやってない俺が知る領域にある気がしない。
手元の小型アーケインフォージにも使われているのだろうが、この中身は光る液体に見える……が、コアと言うのだから液体ではなさそうだ。
試しに棒を突っ込んでみたが、燃えるでも冷えるでも朽ちるでも硬くなるでもなく、とりあえずそのまま戻って来る。
「フォージって言うくらいだから、なんか燃やしたりしてんのかなあと思うんだけど……そもそも、素材を溶融とかそういういろいろできるなら別に熱でなくてもいいんだよな」
じゃあ熱以外のナニで溶融とかあれこれするんだよ? って言われたら、俺にはわからない。溶剤で溶かすなどの方法は思い浮かぶが、そんなケミカルな領域は前にいた世界のことでも異世界並に縁遠い。
俺が知っているのはガムがチョコで溶けるくらいだ。知ってたか? ハハッ!
近くに置いてある椅子に座り込んで、証書を前に頭を抱える。
ハハッ! じゃねーよ……。
証書を広げると時代がかった文字でアーケインフォージの詳細が書き込まれており、これがどういうものなのかを説明している。
まあ、要するにアイテム欄の説明書きがそのままここに書いてあるのだ。
証書を机に広げて頭を抱える。
「図面とかさァ……詳細な素材とかさァ……無いのォ? そういうの……」
しかし図面が分かったところで根幹技術がわからなければ、できる手段で加工したガワが出来上がるだけだ。
図面もないなら現物しかない。見て、触って、調べてカンでやるしかない。
結果として、この有り様だ。
作業場を出てキッチンを抜け、テラスにおいてある手頃な椅子に腰掛ける。
午後の日差しが心地よく、シューシュー言うほど考えたせいで火照った頭を冷やしてくれる。
できないものはできないんだから、しかたない。
そう結論して、ポケットを探る。
そういえば煙草はもう持ってないんだった。こちらで吸おうとも思っていなかったので買ってもいない。
口寂しいというか、こういう時こそ吸いたいものだ。
「しゃーないなぁー。できることをやるしかないよな」
今はできないのか、そもそもできないのかは別として、とりあえず小型アーケインフォージの証書と付呪材料、それから付呪対象を作るための細工台の証書とインゴットを持って次の行商に行くことにする。
ハウスアドオン証書だって広義でいえばマジックアイテムみたいなものなのだから、マーサ自身に使ってもらえば使えるかもしれない。
一つ使えれば二つ使えるだろうということで、使う設備は二つとも証書で持って行く。ダメならまた考えればいい。そこまでかさばるものでもない。
それから頭の中で、夜目の加護つまりナイトサイトの付呪材料や、狩人に役立つであろう能力に目星とその付呪材料の目星を付けていく。
能力によって価値の高低があるのはこちらの世界でも同じらしい。
それなら素材は最低限でいいだろう。とんでもないものを取り出したと騒がれるわけにもいかない。
それらをメモしながら再び作業場に戻って、木箱を開けて付呪用素材を集めていた箱を探し、その中から金色のバッグを取り出す。
インフィニティオンラインで他ゲームに追随する流れで導入された付呪スキルは、正式には錬成スキルと言う。
だが、覇権コンテンツであった他ゲーの勢いに押されてエンチャエンチャそれエンチャエンチャと呼ばれてしまい、しまいには本邦公式すら付呪と訳してしまったもんだから、付呪がもはや通称になっていた。
この金色のバッグは錬成術士のバッグ。
スキル最大値の限界突破に使うスキルスクロール以外では唯一と言ってもいい、錬成術という名前のついたアイテムだ。
効果は簡単。
使用量に比して、やたら重たい魔力結晶の重量を50%OFFしてくれる代物だ。
まあ──付呪はごく初期を除いて大抵は拠点でやるものだから、重量が減ったところでそれがどうした? ってところなのだが……。
見た目がいい、入手時に素材も手に入る、副産物に出る装備品が高価で売れる、という理由から入手クエストを回しまくったお陰で、ハズレとして俺もいっぱい持っている。
まさか、本当に重さの意味で役に立つ日が来るとは……。
「っていうか……なんで、重量とかいう一番ごまかしが効かないもんがいじれるんだこの袋。これ自体がヤバイんじゃないのか……?」
とはいえ、この効果はこっちの世界では反映されていないかもしれない。
中身を用意して一旦別の袋にいれる。こいつは結構ずっしり来るぞ。これをこっちにざらーっと。色とりどりの宝石と赤・緑・白に輝く魔力結晶が流れ込む様子は綺麗だ。わあ、まるで天の川みたァい。
そして持ってみる。──明らかに、軽い。
俺はそっと行商用の鞄に金色のバッグを入れて、蓋を閉じる。
深く考えるのは、やめておこう。
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