第25話 鍛冶と行商の日々とくすぶる若者
はじめて喧嘩のようなものをした俺達は、それからもう一度村を見て回り、マーサの雑貨屋に謝りに行き……俺はしこたまマーサに説教を食らった。
イグニカが止めてくれなかったら床に正座させられていたかもしれない。
そして夕鐘がなるより早く俺達は村を発ち、だいぶん離れたところまで道を進んでから家まで一直線に翔んで帰った。
その日の夜はもう本当に泥のように眠ったなと今でも覚えている。
精神的にかなり疲れた日だった。だが、それ以上に楽しかった。
そうやって最初の行商を終えてからは俺達はそこそこに忙しくなった。
行商と買い物をする日を暦で決めて、それ以外の日は朝に起きたら二人で食事をしてから、その日の予定を話し合う。
鍛冶をするのか、今日は休みとしてゆっくり過ごすのか、暦に書き込んだ予定を見ながら何をするかを二人で決める。
それから俺は鍛冶場に入って商品を用意したり、イグニカは用意した商品を在庫として管理したりして行商の準備をする。
休みには二人で森の小川に出かけたり、少し足を伸ばして昔イグニカが水浴び場にしていた湖に行ったり、各々が好きなようにすごしたりして過ごしている。
それが今の俺達の生活ルーティンだ。
行商のやり方も時々に応じて変えていった。
いまは回し砥石を使っての粗研ぎ、水を使っての仕上げ研ぎ、これらが主力商品だ。
回し砥石が最初のハードルになったが、これは結局正攻法で解決した。
ハウスアドオン証書で出す回し砥石は露店には設置できなかったので、部品をそれぞれ作ってその場で組み立てることにしたのだ。証書で作れるのだから、部品だけの状態で作れないもんかと頭を捻っているうちに構造への理解が進み、現物を作れるようになったらしい。
そういうわけで、重要機材になった回し砥石はいちいち持ち運びしているわけにはいかないためマーサに相談したところの店の敷地内置かせてもらっている。
他にも研ぎで使ういくつかの桶や、巻藁と丸太で作った試し切り台まで置かせてもらっているのだから、うちの露店の最大の支援者は間違いなくマーサだ。
ここ最近では、釘や金属部品の注文も受け付けるようになった。
特に樽に使う金具は発注量が多い。貯蔵にも醸造にも運搬にも使うのだから需要が多いらしい。
新しい商売に必ずしもつながるわけではないが、露店で受ける要望への対応もそれなりにこなしている。
俺達だけで対応できないものでも、マーサや村長に相談をしてみたり、村の人々を紹介してもらったりしていると意外と対応できたりするものだ。
そうやって過ごしていると、いまでは月に二回・一泊二日で村に行商に来るのが当たり前という空気になってきている。
村の一員とまではいかないだろうが、それなりに馴染めているように感じる。
頑張ってきたかいがあるというものだ。
そういえば、俺達が村を訪れたのは、つまり俺がこの世界にやってきたのは春頃だったらしい。行商を始めて二ヶ月ほど経ち、夏になると村は搾油用の菜種の収穫と搾油作業で忙しくなった。
この頃になると隊商を組んだ行商人たちが菜種油を買い付けるために村にやってくる。なんでも、辺境伯城下町での需要が大きく、この時期は稼ぎ時なんだそうだ。
これらの隊商は買付に来ると露店を開いて、装飾品や布製品、化粧品などを商い、買付けた分の油が揃うと露店を畳んで次の売り先に出かけていく。
こういう隊商が複数集まると村の広場は結構賑わい、ちょっとしたお祭りのようになってくる。
そういうときには、俺達は早めに店を切り上げて、他の行商が開く店を見て回ったりしている。
思ってもみないものが売られていたり、ちょっと欲しくなる変わったものがあったりして、露店を見て回るのは本当に楽しい。
そうした充実した日々を過ごしている中で、不穏な出来事が起こったのは秋に差し掛かった頃のことだった。
◇◆◇
「おい。武器売ってんだろ? 見せろよ買ってやるからさあ」
数人が並んで研ぎや道具の新調に関する相談を待っている列を無視して、わざと舌を巻いたような、苛立たせるために出しているような、そんな声が飛んできた。
いまねえ、この中年のお嬢さんがしゃべってるでしょうが!
列を無視することで高みを目指す民がこの異世界にもいるんですかねえ!
カッと声の主の方を見ると、女を連れたいかにもな感じにイキがっている青年が列を無視して露店の前に立っている。
「なんだよ、短剣とちっせえ槍じゃん。今日もコレしかねーの? そっちの長いのは?」
「お客さん、他の方も並んでますので、ちょっと……」
「は? そっちの都合だろ知るか。いくらだ」
やっぱり話通じないというか、話を”無視してみせたい”んだよなあ。
尊大というか、イキがっているという言葉がしっくり来る態度。
腹は立たないが困るものは困る。
「イグニカ、お買い上げみたいだから対応をお願いしていいかな」
「かしこまりました。……そちらのブロードソードでしたら──」
対応していた中年のお嬢さんの方は、家に据え付けている釜を修理したいのだそうだ。既に割れているので、今は外で使う大釜を持ってきて使っているとのことだ。
鍋の大きさや、どういう形なのかを説明してもらいながら用途やどのくらい使って壊れたのかなどを聞いて、どういうものがいいかを考えていく。
「──いや、高えだろ。吹っかけてんじゃねーぞ!!」
イグニカが対応しているイキる君のほうから大声が上がる。
振り向くと、イグニカ相手にイキる君が凄んでいる。
おいやめろ! 死にてーのか!
慌てて目の前のお嬢さんに断りを入れると「ああ、ベッケルさんとこのね……」となんだか生暖かい目を向けている。
後ろのお客さんにも断りを入れてから、イグニカの方に駆け寄る。
「イグニカ、何か困ってるかな? 大丈夫?」
「──……いえ、困っていません。主」
「どうした?」
「身の丈に合わない武具を持って、己より強い敵に挑んで死んだら、それは誰の責任だと思いますか」
「え……?」
「主はどう思いますか」
イグニカの瞳は真剣だ。
「──わからない。俺は戦ったことがないし、訓練も積んでない。戦士でも狩人でもない。だから責任がどうとかは答えられない。ただ、最善の努力の助けにはなりたいとは思う」
「つまり、やったこともなければ、やるための積み重ねもしていないことを、やれると見栄を張るのは最善を尽くしていないということですよね」
「……それはそうなると思う」
「わかりました」
炎色の髪を翻して、彼女はイキる君の前に立って堂々と言い放った。
「申し訳ありません。こちらの売値は変えられません。それに、お客様に扱えると思えません。他の武器を選んだ方が身のためです」
「はぁ?! い──いきなりなんだテメェ!!」
イグニカさん!?
「おい!! お前が店主だろ!! 客をバカにすんのがお前の店のやり方かよ!!」
「これは武器です。命を預けるもので背伸びをするべきではない。死にますよ」
「──あんだとテメェ!!!」
イグニカは腕を組んでいる村娘のほうに視線を向けて話し掛ける。
「お止めにならないんですか? 彼、死にますよ。近い内に」
「え、いや……」
「あなた、つがいなんでしょう? なぜ止めないんですか?」
イグニカは真剣そのものだ。
その横顔からは蔑みや侮りなどはないように、少なくとも俺からは見える。
俺は戦ったことがないので分からないが、真剣に、戦う者としての姿勢を問うているように見える。
「もうやめよ? ちょっとさあ、わざわざ剣とか買わなくてもさ、いいじゃん」
「は? うるせえよ。俺がこないだゴブリン倒したの知ってんだろ。腕に合う武器がさあ──」
「いや、だけどさ……なんか、合わないからやめろって言ってるじゃん……」
「くッ……!! クソが!! うるっせえんだよ!! 俺が活躍すりゃお前も自慢できんだろうが!! 止めてんじゃねえよッ!!」
「はあ? 心配して言ってんのになにそれ」
腕を振りほどかれて大声で罵られた娘が、青年の頬に見事な平手打ちを叩きつけて、スタスタと去っていく。
呆然としている俺。
平然としているイグニカ。
そして、屈辱で怒り震える青年。
「そっちの短剣寄越せよ!!」
「いいのですね? それで」
「ごちゃごちゃごちゃごちゃ……どいつもこいつも、うるせえんだよぉっ!! 金払うんだ文句ねえだろ!!」
「レイブン銀貨15枚です」
イキる君──いや、青年はイグニカの手からリーフソードを叩き落とし、俺を睨みつけて叫ぶ。
「金稼ぎに来た分際でエラそうなんだよテメェ!!」
そしてやたらゴテゴテした財布を引っ張り出して、中身の銀貨やら銅貨やらを地面にぶち撒け、それを俺たちに蹴り飛ばして剣を持って駆け去っていく。
俺は、地面に散らばる銀貨や銅貨を見回して、それから彼の背中を呆然と見送ることしかできなかった。
金稼ぎにきた分際で、か。そう言われれば返す言葉もない。その通りだ。
ざわめく客たちに気付いて、慌てて頭を下げてとにかく散らばったそれらを拾おうとして、イグニカに腕を掴まれる。
骨が軋みそうなその掴み方に思わず腕を引く。
「あっ……──主。ごめんなさい」
「いや、大丈夫……。──ごめん、なんだか嫌な思いしたよな? 俺が片付けるから大丈夫だよ」
「主が拾う必要はありません」
イグニカの炎色の瞳が怒りに満ちた色で俺を見つめる。
思わず後ずさって困惑してしまう。
なぜ彼女がここまで激怒しているのか分からなくて、うろたえながら頷くことしかできない。
「それは主には相応しくない。主の仕事の対価に相応しくない。それは私がやります」
屈み込んで、銅貨を拾い上げてくちゃりと握り潰すイグニカ。
手の中で折れ曲がった銅クズになったそれを、更に握り込んで砕いた彼女は、ギリギリギリッという聞こえるほどの歯軋りをしてから他の硬貨も拾い集める。
あまりの迫力に何も言えなくなった俺は、ひとまず待たせてしまっていた中年の女性のところに戻って応対をする。
「あー……お待たせしてすみませんでした」
「あ! いいのよいいのよ……あたしはちょっとお尋ねしたかっただけだから! じゃあ、また今度開いてたら覗くわね、じゃあ。どうも……」
断り方と去り方がなんでそんなに日本っぽいんだよ。
あーあー。後ろに並んでるひとも散り始めたっていうか、もういない。
なにしてくれてんだあの野郎。
まあ、いいか……もう品物は売れたし、要望やらも聞けたから次の行商の計画も大丈夫だろう。
俺は並べてあるリーフソードとショートスピアを眺める。
一応扱いやすいものではあるとは思うが、それでも武器だ。土台になる訓練なしでは使いこなせないのはそれもそうだと思う。
「一体なんだったんだ……。でも武器はやっぱり扱えるもの、使いこなせるものっていうのは、間違ってないしな……どんな客層向けとか書いたほうがいいんだろうか……」
「いーんじゃない? 練習した人間なら自分がどの武器使うべきかくらい、ある程度は分かるっしょ」
「あ、マーサ」
「やー。さっきはすごかったねえーイグニカちゃん」
イグニカは拳を握って、彼が走り去った方向に向かって仁王立ちしたままだ。
毛が逆立つような気配で激怒していることがありありと分かる。
「……おぉ……あんなイグニカちゃん初めて見た」
それは俺もだ。
「どうした。閑古鳥が鳴いてんじゃねえか兄ちゃんよ。そっちの嬢ちゃんは何怒ってんだ」
「あ、オーファルトさん」
そこに通りがかったのは、鍬の柄だったらしい棒と壊れた鍬の歯をぶら下げたオーファルトさんだ。
村を初めて訪れたときに出会った、あの農夫のおっさんである。
彼が実はマーサの叔父で、この村の狩人衆だかの頭領をしていることを知ったのは最近のことだ。
しかし、それどころではない。おっさんの話をしている場合ではない。
うちの看板娘が激おこなのだ。
「なんだケンカか? ……早目に謝ったほうがいいぞ? 兄ちゃん」
声を潜めて俺に言うおっさんに、俺は・なにも・してない! とジェスチャーで抗議する。
「分かってないのに謝っても火に油を注ぐよ。おばさんが出てったときもそうだったじゃん」
「……俺のことは今は関係ねえだろマーサ」
おっさんも色々苦労があるらしい。女心というのは難しいものなのだ。
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