第24話 村の生活と過去の生活と今すべきこと
「主。おはようございます」
「──おはよう」
窓から差し込む朝日に照らされて、白銀のバレッタに飾られた彼女の炎色の髪と、胸元の金色のペンダント、そして炎色の瞳が輝く。
階段の少し上から俺に微笑む彼女はあまりに綺麗だった。
なんとか挨拶を返した俺に、彼女ははにかみながら笑いかけてくれる。
「よく眠れましたか?」
「ああ。うん」
「お疲れですか?」
「いや、そんなことはないけど──」
俺のほうがもじもじとしてしまう。
光を反射する銀色のバレッタを俺は指をさす。
「それ、前に作ったやつじゃあ……」
「はい。楽しみなので、付けてきました──似合いますか?」
「うん。そうだね」
俺のすぐ横でテーブルに朝食のプレートを置いたリアナの父が俺の背中をこつんとつついて囁く。
「綺麗なら綺麗と、似合うなら似合うと言うといい。言葉にしなければ伝わらないよ」
俺は驚いて振り返ったが、リアナの父は俺達に背を向けて厨房の方に去っていくところだった。
そうだ。俺が言わなきゃ俺の気持ちは伝わらない。
意を決してイグニカに向き直る。
「とても綺麗だ。とても似合ってる。作って良かった。それを付けたイグニカはとても綺麗だ」
朝日を浴びているのに夕日を浴びているように真っ赤になった彼女ははにかんでまた笑って、俺のすぐ隣に腰掛ける。
「今日はいっぱい、いろんなものを見ましょうね」
「ああ。うん」
◇◆◇
朝食をぎこちなく取った俺達は、村を見て回ることを店主に話した。
すると店主は『夕鐘が鳴ったら戻ってきな。それまで荷物は預かっといてやるからね』と言って俺達のことを送り出してくれた。
宿の目の前にある広場。その中心にある井戸は早朝ということもあって数人が水を汲んで水甕に移したり、手桶を使って顔を洗ったりしている。
通りを見ると洗濯物を担いだ女性たちが笑い合って歩き、眠そうに歩く農夫たちがあくびをして仲間と朝の挨拶を交わし、壮年の農夫は腰を叩きながら大きく伸びをしている。
広場を見ると野菜を担いだ老婆が道端に品を広げ、隣で荷物を降ろした果物売りの女性と談笑をしている。その後ろから樽を転がしている男が来て果物売りの女性と老婆に挨拶をしている。その間を小さな子どもたちがわーっと駆け抜けていく。
それらを眺めていると、目の前を弓を肩から斜めに掛けた狩人が犬を伴って歩いて通り過ぎ、すれ違う農夫と朝の挨拶をする。
「賑やかですね」
「ああ──」
自分が知っている朝の光景とは、風景も空気も人の顔つきさえも違っている。
爽やかでのどかな光景と、自分の記憶にある朝の光景が重なり、無性に苛立ちを覚える。
どうしてこんな不便そうな村で、電気もなく、電車や車もなく、こんな朝早くから働きはじめていて、どうしてそんなに爽やかな顔でいられるんだろうか。
いや。
皆がそうというわけではないはずだ。
きっと、暗い顔をして歩いているやつだっているはずだ。
そんなわけが、あってたまるか。
俺がそういう人間じゃない人間を探しているだけかもしれない。
目だけで見回して、農地に向かって歩く背中に一つ、丸まった背中を見つける。
あちらにはしかめっ面でせかせか歩いている若者も数人いる。
憂鬱そうな顔で道具を抱える中年や、ぜいぜいと息を切らしている老人もいる。
そうだ──お前だけじゃない、誰だってそうだと言われた、あれは嘘じゃない。
どこでだって同じなんだ。
薄暗い安心感で肩の力が抜ける。
こんなに爽やかな、のどかな空気なら、誰もが朗らかにでのんびりしているなんてことがないことに。ここも前の世界と同じなんだということに。
あの切羽詰まった気持ちを思い出してくるにつれて、やらなくてはならないんだという気持ちが強くなる。
今の俺は、これをやるしかないんだ。
メモを取る。
村の水路で洗いものをする女性が持つ鍋やフライパンの形。
建物に使われている金具や留め具。
人々が持ち歩いている道具の大きさや形状、予想できる用途。
それらを時々立ち止まりながら書き留めていく。
「主、見てください」
農地に続く道を指さしたイグニカの指を辿って朝日が上りきった農地を見る。
一面に植わった何かの花。それは黄色で、農地いっぱいに咲き誇っている。
どこかで見た気がする。こんな光景を。
子どもの頃だったか。学生の頃だったか。
少なくとも、大人に──大人と言われるようになってからじゃないのは、確かだ。
タタタッと駆け出したイグニカが俺の手を引いて笑いかける。
「もっと近くで見てみたいです!」
──俺は手帳にもう一度目を落としてから、頷いた。
◇◆◇
メモする内容は無限にあった。
あの黄色い花はこれから実をつけて、その実が熟したら刈って叩いて落とし、実を集めて炒って油を採るそうだ。それは樽に詰めて売るのだという。
それから村は水路が縦横に張り巡らされていて、それを補修するのに交代で役務をすることや、そこでシャベルのようなものを使うこと。その形。
汚水路の先にあるのはスライムのいる溜池で、スライムが大きくなると叩いて潰して井戸の水で希釈して畑に撒くこと。
秘薬畑は交代で管理をし、薬師が手入れをしていること。
薬師の庵を訪ねたが不在だったが、中にはいくつかの鋏などが見えた。
村の人々の生活は忙しく、作業は膨大で、力仕事ばかりだ。
それでも朝日を浴びて、四季折々の収穫を祝うと、なんとか楽しめるのだそうだ。
暦のことも教わった。暦は王国から発行されていて、一家で一つは持つそうだ。
時々印をつけ忘れるので村長の家に尋ねに行くこともあるらしい。
インク壷が二つ目になろうというころには放牧地についた。
羊だ。見たことがある羊が草を食んでいる。
他にいるのは山羊、それからほんの少しの牛。見たことのある生き物が普通にいることにむしろ驚いてしまう。
乳を絞っているわけではないらしいし、数も少ない。売り物だろうか?
◇◆◇
太陽が高く登るころ、俺達はマーサの雑貨屋を再び訪れて、商品棚を見て回ったりメモした内容についてマーサに質問をしたりしていた。
二日酔いなのか元々なのか気だるげにしているマーサは俺達の、主に俺の質問に知っていることを答えてくれる。
イグニカも雑貨屋の品を見て楽しそうしており、時々俺に気になった物を見せてきたり、俺が使うからといって買うことを勧めてくれる。
「主、主、見てください。これ、いい香りです」
「ああ、そうだね。うん──それで、マーサ。この次に植えるのは小麦なんだな? どれくらいここでは採れるんだ? 子どもも大人も刈り取りに出るのか?」
「主! 主! 見てください、このガラス細工。すごいです。中に何が入っていてこんな光り方を──」
「ごめん、イグニカ。今ちょっと……メモ取りたいから……」
イグニカは一歩離れて、それから俺の視界から外れた。
後ろの方でこと、こと…という音がして、静かになる。
マーサは質問に答えながら、時々手で大きさや形を示してくれる。
二度、三度、さらに質問をしながら、その情報を書き留めていく。
それを見ながら使う様子の想像が頭の中に流れ込む知識と混じり合って構造や材料の想定と結びついていく。
からん…という音が聞こえて、それを聞き流してマーサに質問をしようとしたところで、彼女の冷たい視線に気付く。
聞きすぎて邪魔しただろうか……謝ろうとしたところで、先にマーサが口を開く。
「カッツィオさあ」
「あ、ああ」
「今日ずーっと、そんな感じなの?」
「その、申し訳ない。こちらが聞いてばかりで……。仕事の邪魔か?」
「違うよ。そうじゃなくてさあ?」
マーサは、後ろを指さす。
ガラス細工が輝く棚の前には誰もいない。ポプリの棚の前にも誰もいない。
「ずーっと、仕事のこと考えてたの?」
「あ、ああ」
「それ楽しくてやってんの?」
「……。役に立てるようになって、店をやっていけるくらいには稼がなきゃいけないし、イグニカにも給料を出してやりたい。楽しい部分もあるし……役に立てるのはいいことだろ」
はーっと、大きなため息をつかれる。
そして煙管を咥えて、下から睨みあげるようにマーサは、俺のことを見る。
「じゃあ、稼いで、食べて、暮らして、そんだけで幸せなわけ? そのことしか考えないわけ?」
マーサの言う意味が掴めなくて言葉に詰まる。
「昨日今日会ったのに、真正面からこういうこと言うのもなんだかなー……とは思うけどさ? ……あーしは真面目な奴はすごいなって思うよ? 人のこと大事にしない奴はクソだなって思うよ。──んでもってさ、自分を楽しませようとしてくれる女の子を無視するような奴は、サイテーだと思ってる」
俺を睨み据えるマーサが、火花を指先からチリチリと出しながら俺の顔を指さす。
「おしゃれしてきて、あんなに楽しそうなイグニカちゃんより大事なわけ? あんたが言う役に立つってのはさ。それさえやってりゃいいわけ? あんたいつもこうなの? ずーっとそうやってきたの?」
「──イグニカのためでもある。これは……」
「へーえ、それ。頼まれたわけ?」
返す言葉もなく俺は沈黙する。
「頼んでもないこと意気込んでさあ、一緒にいても笑い掛けてもくれないし、楽しませようとしてもつまんなそうにしてさあ。それで誰の役に立つのさ? 誰を喜ばせたいのさ? 他人なんて二の次じゃん。あんた、他人優先に見られたいだけの自分勝手なの?」
そうかもしれない。
でも──仕方ないじゃないか。
「過去に何があったか知らないけどさ、イグニカちゃんを巻き込むな」
「役に立てなきゃ、食っていくこともできないだろ! 俺達の何が──」
「知るか。あーしの推しに謝れ。このサイテー野郎」
頭に血が昇りそうになって、ぐっと堪えて歯を食いしばってうつむくと、イグニカが持ってきた手拭いが目に入る。
「──……これ」
主はいっぱい汗をかくから、と持ってきてくれたものだ。
手にとると、やわらかい布地が手のひらをくすぐる。
それを握りしめてマーサを見る。
「これいくらだ」
「サービスしてやるから! さっさと行く! 次来たときイグニカちゃんいなかったら井戸に叩き込むよ!」
「必ず払う」
手拭いを掴んだまま、ドアを開けて外に駆け出す。
広場にはいない。炎色の髪はどこにもいない。
どこだ──? どこにいった──?
「なんだいあんた。ボサっとしてんじゃないよ。なに突っ立ってんだい」
振り返るとやたらでかい樽を担いだ酒場の店主が立っていた。
ババアは樽を担いでいない方の手で、俺に邪魔だからどけと伝えてくる。
「炎色の髪の、俺の連れを……銀のバレッタを付けた女の子を知りませんか!?」
「あぁね──……女泣かしてんじゃないよこのボンクラ小僧!!」
頬に拳を叩き込まれて世界がぐるんと回り、地面にしこたま頭をぶつける。
いきなり何しやがる! このババア!!
空が目に入り、雑貨屋の屋根が目に入り、そして白い脚と革の靴が見えた。
「あの娘だろ。昨日からあんたのことをずーっと見てる綺麗な子。あたしの若い頃にそっくりだよ。あんた置いてどっか行くわけないさね」
雑貨屋の屋根の上。角を水平線に向けて空を見ているイグニカがいた。
「イグニカ!」
立ち上がって雑貨屋の屋根に叫ぶ。
見下ろす炎色の瞳。
風になびく炎色の髪。
白い頬に光る何か。
「ごめん──イグニカ……」
「聞こえません」
「だから、ごめん……」
「聞こえません」
聞こえてんじゃねーか!
立ち上がって叫ぶ。
「ごめん! イグニカ! これから一緒に──」
一緒に何をするんだろう。
俺たちはなんなのだろう。
「一緒に、考えてくれ……。何をしたらいいのか、どうやって──いや、いまなにをすべきなのか」
スタッという軽やかな音で着地したイグニカは、俺の手から手拭いを取って、俺の唇から流れる血を拭ってくれる。
「口をゆすいで、それから私と美味しくご飯を食べたらいいと思います。それから買い物に行って、花畑を見るんです。きれいだな、楽しいなって、私と一緒に楽しんでください。200年ぶりの──初めての景色を」
「ごめん」
「わかって謝ってるんですか?」
「わかったつもりだ。言ってもらえて、助かったと思ってる」
「仕方ないですねえ、主は」
イグニカの手が光り、俺の頬に手が添えられると傷の痛みと腫れが引いていく。
手のひらを口で覆う。
痛くない。
舌先で触ると口の中の傷跡もない。
ああ。この世界は、俺の知っている世界と似ているが確かに違う世界らしい。
そして、どうやら俺は安心したかったらしい。
あの頃のあの生活は仕方がなかった、ああするしかなかった、どこでも誰でもそうなのだからと、安心したかったのだ。
もうやめよう。そんなことに今を費やすのは。
いますべきことはいまここにあって、そこから考えれば、それでいいんだ。
◇◆◇
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