第20話 日暮れの村と酒場の賑い

 夕暮れ。

 日差しが赤みを帯びて、風がほんのり冷たくなってきたころに村長宅の屋根辺りにある鐘楼台からカラーンカラーンという鐘の音が鳴り響いた。


 店じまいの時間だ。

 露店の周囲の人垣は既になくなり、数人が物珍しげに眺めている程度になった。

 鍛冶で物を作っていたときとは違う疲れ方を感じて、あー……と声を漏らしながら伸びをする。


「イグニカ、そろそろ店をたたもうか」

 

 イグニカは頷き、テキパキと片付けに移ってくれる。

 結局、客の対応をした割に数は売れず、包丁に至っては一番数が多いのに一丁も売れなかった。


「来て初めて分かることが多かったな。包丁なんかそうそう買い替えないか……」

「値段も高いという話が多かったですね」

「んー。狩りをする人が解体に使うような短剣というかナタがレイブン銀貨7枚……なら包丁はもっと安いよな。それはそうだ」

 

 持ってきたときと同じように商品を布で包み、まとめ、しまっていく。

 最後に敷布を畳んで丸め、商品を入れた大型バックパックに縛り付ける。


「しかし、研ぎはちょっと考える必要があるな。預かって研ぐんじゃ行商にならないし、回し砥石持ってくるのも……──」


 そこまで呟いてひらめいた。

 店にある回し砥石はハウスアドオンだ。自分が買ったりレンタルした土地に置ける。となると、露店で置けるんじゃないだろうか?

 あとは火花なんかの対策ができれば、刃こぼれを直す研ぎは出来る。

 それにあとは水を使えるなら仕上げ研ぎも可能だろう。村長に相談してみるか。


「税を納めにいかなきゃな……今日の売上はどれくらいかな?」


 イグニカが持っていてくれた革袋を取り出して、数え始める。


「レイブン銀貨に換算して、29枚分ですね」

「……売れたほうなんじゃないかこれ。でも、商品はほぼ余ってるよね?」

「クヌート銅貨2枚でワイン瓶1本でしたから、ワインだと145本分ですね」

「ワイン換算はちょっと……。でも、少なくはないような。やっぱ質はいいけど高いって感じだったんだろうか?」


 物価をまだ把握できてないので売上の実感もうすぼんやりしている。もう少し相場感を勉強しなければ。


「まあ、後でまた考えるか……村長さんのところに税を収めにいこう。研ぎのために井戸か川の水を使ってもいいか確認してみるか……」


 イグニカは片手でひょいと荷物を持ち上げて背負い、もう片手で長物をまとめた包を掴んで持ち上げながら、こちらに頷いてくれた。


◇◆◇


 村長宅のドアをノックすると、朝に挨拶したときと同じように返事があって村長夫人が対応に出てきてくれた。


「朝にご挨拶にあがりました、鍛冶屋のカッツィオです。露店を畳みましたのでご挨拶に伺ったのですが……」

「あらまあ、ええ、ご苦労様でございました。もう畳まれるの? てっきり、数日は出していかれるのかと思ってましたのよ。税なら最後の日にまとめて納めていただければいいのだけれど……」


 夫人がやわらかい口調で教えてくれる。

 衝撃。

 言われてみればそれはそうだ。

 しかし、今回の感触では何日か続けて開いても仕方がないだろう。


「それは、不勉強で申し訳ありません。──しかし、今回はご要望に添えていないようなので、出直してくるつもりです」

「あらまあ。そうですか。遠いところからいらしたのに……あらやだ、立ち話ではいけませんわね、こちらへどうぞ」


 朝に通された部屋に再び通される。

 広い部屋の中にはいくつかのオイルランプが置かれていて、温かい灯りが見える。

 室内には朝に見かけた農夫のおっさんがでーんと腰掛けている。

 何故ここに!?


「おう。 エルフの兄ちゃんじゃねえか。店畳むのかい」

「あ、ああ。朝はどうもありがとうございました。──ええ、今回は要望に添えていないなと思いましたので、出直そうとおもいまして」

「あん? 往復もタダじゃねえだろうに……大丈夫かお前さん。まあ、俺が言う事じゃあねえか。そいじゃあヘレナさん、俺は出るからよ。おじ貴ー! 俺ァ、もう行くぞー!」


 奥に声を掛ける農夫のおっさん。

 奥の部屋から現れた村長は、帳簿と木皿と天秤を持っており、それを机に置いておっさんに話しかける。


「オーファルト、わざわざすまなかったねえ。ありがとう」

「いい、いい。気にすんな。しかしエイナルのおじ貴よ、もうちょっと危機感ってもんをな──」

「わしだって元は狩人衆なんだから、そんなに心配せんでもだなあ」

「引退してもう5年だぞ。本職に太刀打ちできるわけねえだろうが」

「お前、だんだんレベッカに似てくるなあ」

「やめてくれよ。まったく、マーサもエイナルおじ貴も事あるごとに……──おお、すまねえな兄ちゃん。じゃあな」


 のしのしと部屋を出ていく農夫のおっさんあらためオーファルト氏。

 本職だの太刀打ちだの……ずいぶん物騒だな。

 何があったのだろうか。


「さっ、カッツィオ殿お掛けになってください。エレナ、会計帳簿」

「はいはい。では、お伺いしましょうか。売上は締めておいくらでした?」

「レイブン銀貨で29枚です」

「あらまあ、結構な売り上げで! では2割をレイブン銀貨5枚とクヌート銅貨8枚で納めていただく。これでよろしいかしら」


 言われたとおりに銀貨と銅貨を取り出して、木皿に置く。婦人は銀貨と銅貨の重さを量ると、それを帳簿に書き込んでいる。


「はい。確かに。次はいつごろお越しになるのかしら?」

「まだ決めておりませんが、近い内にまたお伺いしようかと思っています」

「あらまあ、また早いうちに来てくださると助かるわあ。村の者も楽しんでいたみたいだから」

「そう仰っていただけて何よりです」

「今夜は酒場の宿に泊まっていかれるの?」


 ……野宿かイグニカに乗せてもらって帰るつもりだった。そうか、酒場には宿があるのか……! 空きはあるだろうか。

 夕方はマーサと酒場で待ち合わせのはずだ。そこで考えるか。


「ええ、空きがあればそうしようかと」

「そうですのね。夜道出発だなんて言いだしたらどうしようかと」

「これヘレナ、失礼じゃないか」

「あらやだ。ごめんなさいね。では、これで。またお越しくださいね」

「どうも、ありがとうございました」

「ではカッツィオ殿。またお越しいただくのを楽しみにしておりますからな」

「ああ、それなんですが……少しお尋ねしてもよろしいですか?」


 村長はこちらに手振りで話を促してくれる。


「実は、研ぎの要望を多くいただいておりまして。回し砥石を使わせていただければと思うのですが……それと研ぎ作業用に水も」

「なるほど。井戸の水は煮炊きに使っておりますでな、そういうことなら水路の水をお使いになるといい。敷料をいただいておりますからな。汚水は広場の脇にある汚水用の水路に流してくだされば結構です」

「汚水用に水路があるのですか」


 上水と下水みたいなもんか。

 こちらの世界では浄水はどうやっているのだろうか。


「ええ、溜池に通じておりましてな。そこで肥料しております」


 肥料? 汚水で? 大丈夫なのかそれは。 金属粉だぞ?


「──金属粉や石粉も混じりますが……問題はありませんか?」

「ああ。スライム共なら気にはせんでしょう。しかし、金属粉……メタルスライムにでもなりますかな。いやあ楽しみですなあ! はっはっ!」


 そう言えばここがモンスターがいる異世界だということを忘れかけてた。というか楽しみとかそういう扱いなのか。

 経験値とか……?そういうのあるの……?


「これは失礼失礼……他に気になることはありますかな?」

「いえ、今のところは。また来ますのでその時はぜひご贔屓に」

「ええ、楽しみにしております。またぜひお越しください」


 差し出してくれた手と握手して挨拶し、村長宅を後にする。

 むしろもう一日滞在して村の中をぶらぶら見て回ったほうがいい気がしてきた。世間知らずすぎて会話中に焦る場面が多すぎる……。


◇◆◇


 酒場らしき看板の店に入るとワアッとした賑わいに気圧される。

 店の者らしいのは木製の樽のようなジョッキを6つ掴んで運んでいる若い女性、出来上がった料理の皿を次々にカウンターに並べて去っていく男性、そしてカウンター奥に並んだ樽から飲み物を注いでいる恰幅のいい……というかやたら迫力がある女性。

 客だと思われるのはテーブルを囲んで笑い合っているいくつかのグループ、カウンターに横並びになって酒を飲んでいる老人たちだ。

 その賑わいの中で「おーいー」と聞き覚えのある声がして、そちらを向くとマーサが待っていた。

 ジョッキと野菜料理の皿が乗ったテーブルに座っており、手招かれてそちらに行くと席を勧められる。


「やー。露店は盛り上がってたねえ」

「マーサさん。見ていらしたんですか? 今朝はどうもありがとうございました」


 マーサはほんのり赤くなった顔の前で手のひらを振って笑う。


「やーだー。カッツィオ他人行儀ー。イグニカちゃんこんばんはー!」

「マーサさん。こんばんは」


 炎色の髪の毛をきらきらとなびかせてあどけなく笑いかけるイグニカ。

 さっきまでビシッとしてたのにいきなりゆるくなってないか!?


「え、やだ。なんかめちゃ可愛くない? オフだから? オフだからなの? 推せる。尊いんだけど」


 これ翻訳の都合で俺がこんな風に認識してるのか? それともこの世界にもオフとか推しとか尊いとかの概念があるのか? 時空超えてないよなこのゆるダル女子。


「あっ──いえ、えっと。こんばんは。失礼しました」

「え、全然いい。むしろさっきのでいい。お酒進んじゃう。リーアーナー!!お酒ーーー!!」


 マーサに呼ばれた店員がスタスタと歩いてきて、こちらに笑いかける。

 こちらはマーサとは対照的なスラッとしたスタイルが目を引くロングヘアの美人だ。眠そうな目つきが独特の雰囲気を醸し出している。


「いらっしゃい。エルフの鍛冶屋さんってあなたのこと? マーサから聞いてる」

「ト・カッツィオです。どうも。こちらは連れのイグニカです」


 紹介したところでイグニカを見ると、マーサから勧められたお酒に身を乗り出している。

 そういえば酒に目がなかったんだった。というかもう酒しか目に入ってない!!


「お連れさん早く飲みたいみたい。 エールでいいよね? 2つ?」

「──4つで。私とマーサさんに1つずつ、連れに2つ」

「はい。あとは何食べる? 今日のオススメは鳥とカブのグリル、ソーセージ。それからカブとキャベツの酢漬け」

「え? こちらにもカブとキャベツがあるんですか」

「え? あるよ。オイルシードの仲間だし。エルフさんとこでは採れないの?」

「ああいえ、昔はなかったらしいところに住んだことが……」

「へえ。そういうところではどんなものを食べてるの?」

「白くて長くて大きな根の野菜で……ダイコンだとか、赤い根菜のニンジンだとか……あとは、キノコとかですね」

「へーえ。白い根のデイ……ダイ……なんとかっていうのはカブみたいなの? 食べられるキノコはそっちにもあるんだ。意外と変わらないんだね。ニンジンはこっちでも夏過ぎたら出回るし」


 ニンジンもあるんかーい!! しかもニンジンで通じるんだ!?


「じゃあ、オススメ全部ということで」

「えっ」

「えっ? いやなの? オススメきらい? 鳥がダメとか?」


 何この圧! 美人の真顔怖いだけど!?


「いえそんな事は」

「父さーん! グリルとソーセージ皿と野菜酢漬けーー! 3人前ねーー!」


 厨房に続くところから、スッと腕が出てきてヒラヒラと手を振る。あ、注文通っちまってるし!!


「カッツィオ、商売するのにすごい流されるよねえー。気をつけなよー? こういう女にどんどん買わされるよー」

「大丈夫。使ってって。そうしたら私がうれしい」


 え、なに? そういうスタイルで押してくる看板娘だったの? 

 そういうのはねえ先に言ってもらわないとねえ!! こちらにも心の準備ってものがあるんですよ!!


「鳥は骨が噛み応えあるから好きです! 中が血の味がして美味しいんですよね!」

「骨のほう……? 血の味……? あ、レバーとかね。そうね」


 イグニカさん、ゆるゆるじゃあないの! フィジカルがすごいこと隠して隠して!


「ところで、宿はこちらにあるんですか?」

「あるよ。2階。一部屋でいい? ベッド1つでいいよね? 男女がペアならベッドは1つ。母さ──」

「部屋2つ! 1泊で!」

「なんてこと。なるほど。お楽しみはこれからか。後で鍵持ってくるから連れ込むときはカウンターのあのオバサンに」

「誰がオバサンだいこの貧乳娘! 看板娘にオバサンたあ、いい度胸だ! 色気つけて出直してきな! お客のアンタ! その荷物2階に入れときな! こっち来て代金払ったら鍵渡してやるよ!」


 途端にカウンターの方から酒焼けした大声で呼びかけられ、驚いてそちらを見ると飲み物を注いでいたやたら迫力のある女性が、大きな身振りで手招いている。


 どう見ても看板娘にしては迫力と威勢がありすぎる。看板というよりも看板を振り回して戦いそうな見た目だ。


「なにしてんだい! 早くしな!」


 客だよね俺!? え、これそういう設定のお店かなにか!?

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