第14話 頑張ることと根を詰めることは違う
朝だ。
目が覚めて、すぐに目に入るこの煤けた天井や漆喰の壁もなんだか見慣れてきた気がする。
むしろ、前に住んでいたアパートの部屋のほうが他人事のように思える。
まだこちらに来て一週間も経っていないはずなのだが、不思議なものだ。
見慣れなかったデザインの服もさっさと着れるようになり、ザ・ファンタジー世界の住人、といった格好なのも気にならなくなってきた。
最初はゴワゴワだと思っていた厚手の服もこれはこれで暖かいし、革と木でできた靴にも足が馴染んできた。
会社勤めだったころは、朝起きるなり目覚ましに八つ当たりしそうになるのを堪えて起き上がり、コーヒーで胃薬などいくつかの薬を流し込み、大人買いした栄養菓子をもそもそと齧るのが朝の日課だった。
それから、頭痛を耳鳴りを振り払いながらドアを開け、鉛の靴でも履いた気分で駅まで歩いていたものだ。満員電車に乗る頃にはもはや感情など皆無だ。
窓を開けて、森の空気を部屋に入れる。
ひんやりとして潤いをたっぷり含んだ風が部屋に入ってくる。
それを肺いっぱいに吸い込んで、ため息をつく。木や草の香りがする。
人工物ではない自然の香りがあることも忘れていた気がする。
ポケットを漁りながら煙草を探す仕草をして、そういえばと思い出す。
「煙草、ないよな。そりゃ」
煙草もないしライターもない。吸いたいかと言われれば、なんだかあの渇望感も思い出せなくて返事に困ってしまう。
「まさかの超強制的禁煙とは……」
《喫煙は──危険性を高めます。》というお決まりの文言を見るたびに、やってくれるなら是非よろしく頼みたいもんだと思ったものだ。
「今日は……──」
すっかりメモ帳から手帳に変わった本を取り出して、イグニカのアドバイスを書き留めていた部分を見る。
短槍と短剣。短剣の形は真っ直ぐで、先が潰れることを想定したもの。
両方とも3本ずつ。それから、一応デモンストレーションがわりにブロードソードくらい並べておけば格好もつくだろう。
廊下に出てから、キッチンに向かう。
ドアを開けると、既に起きていたイグニカが、毎朝料理をする俺のために釜戸に火を入れてくれていた。
しなやかな指先に唇を当て、ごおっ!と火を吹き込む姿は勇ましいが、炎色の髪から覗く透き通るようでうっすらと桃色がかった肌の横顔は、とても綺麗だ。
くるっと振り返ったイグニカが、いつものベンダー衣装をふわりとなびかせてこちらを向き、笑顔で挨拶してくれる。
「おはようございます♪ 主」
なんかちょっと、これは幸せかもしれない。
無一文だけど。
「おはようイグニカ。釜戸の火、ありがとう」
「お安い御用です。今朝のご飯はどうしましょうか!」
クリエイトフードダンクボックスこと、スキル上げ副産物箱を開けてみると、マフィンとチーズとハムがやたら目立つ。
「……そういえば、このへんってやたら数が出てたんだよなぁ。確率分布が違ったのかなあ」
「カクリツブンプ……?ああ、数に偏りがあると」
「まあ、システムの乱数の話だしそんなに大した話じゃないんだけどね」
乱数調整の理由は簡単だ。ゲームサーバーに負担が掛かるほど永遠に唱え続けて超重力地帯を作り出すBOTによる自動換金マクロへの対策だったはずだ。
フライパンを熱し、スライスしたチーズの上にハム、それから半分に切ったマフィン。じゅうじゅうと焼ける音がしたらナイフでうまくひっくり返して焼けたチーズの上にもう半分のマフィンを乗せて完成。
イベントアイテムの銀の皿にぽんぽんと乗せていって、二人で食卓を囲む。
「主。今日はちょっと外に出てみませんか? こちらに来てから、結局外には殆どでていませんよね?」
もふもふとマフィンを頬張りながら頷く。
「それに保存食ばかりですし、そろそろ野の物を摂ったほうがいい気がします」
ごくん、と飲み込んでそのまま手をあげて賛成の意を示す。
「決まりですね♪ お弁当にいくつか詰めていきましょう?」
「そうしよう。このまま籠もってばかりってのも良くないしね」
◇◆◇
バックパックを一つ肩にかけて、ナイフにランタン、布と鋏などが入った裁縫道具。そして物入れ用の革袋を中に入れる。
危険地帯に行くわけではないが、一応帯に短剣を挟み込んでおく。
パタパタ…とドアの向こうで歩く音が聞こえる。
イグニカもなにやら準備があるようだ。
「この辺ってひたすら森…なのかなあ」
自室を出て店の方に行くと、まだイグニカは準備をしているようだった。
自分のものだと言われたが結局まだ大してしっかり見ていなかった店の中をあらためて見て回る。
カウンターの内側にはセキュアコンテナ、いわゆる物入れがずらりと並んでいる。
たしか、この列はアクセサリ。こっちはマジック武器系。こっちは作成した在庫品。こっちは売り出し用素材。こっちは防具か。
どう考えても100個以上も鉄の鎧なんか入らねえだろ!と思うが、がちゃがちゃと避けると中を漁れるのは不思議以外の何者でもない。
一つのプレートガントレットを取り出して、どんなもんだったかをじっと見てみる。ゲームのときはプロパティ表示だったんだよな。
…………見えんぞ。
「なんにもわかりませんなあ! ハッハッハ」
思わず乾いた笑いをあげながら、またそれをじぃっと見つめる。
ぱちり、と頭の中というか、胸の中というか、とにかくどこかでピースが合ったような……そんな閃きが走った。
「……──重心は骨と同期していて、ブレがないように装着できる。指先は繊細に動き、指の可動域を邪魔しないように調整されている……。吹き込まれた力により、衝撃と斬撃は薄れる。熱せられても灼けず、毒を弾き、凍てつく冷気は和らげられる。雷の通りは妨げられないらしい……。静かなゆらぎ。魔法を呼ぶための力にそれが加わる……」
うわ言のように自分の口から流れ出た言葉。
ゾッとする感覚に、思わず ガチャン! とカウンターにガントレットを起き、頭をぼりぼりと掻く。
「いまのはなんだ? これがプロパティ?」
そこに、いつの間にかドアの直ぐそばに立っていたイグニカが声をかけてくる。
「主? どうしたんですか。商品の入れ替えですか?」
「ああ、いや……俺って、この身体になってから防具とか触ったことがなかったから。前に見てたものが、今はどう見えるのかなーって……──」
きょとん、としていたイグニカだったが、すぐに意味するところに思い当たったらしく、頷いたり首を捻ったりしながら彼女なりの考えを述べてくれた。
「言われてみれば、主はそのインフィニティとかいう世界のときは、この世界を物語か何かのように見ていたわけですもんね」
「あー、物語……かなあ。こう、数字や文字で書かれてた感じで、体感してたわけじゃなかったから」
「となると、今は身体で感じるようになるわけですね。言葉だと結局どれくらいか~というのはわからないわけですし……もしかすると、今の主は直感こそもっとも当てになるのかもしれないですね」
直感が当てになる……つまり、それは長年のカンだとかそういう類のものだろうか?
「例えば、物を投げるとして練習を積んだ者と素人では、どこに落ちるだろうという目測が変わってきませんか? お料理のときも、これくらいの音でこれくらい焼けばこうなるだろう、という風にしてますよね。そんな感じです」
「ああ、それってなんかしっくり来る気がする。根拠があるわけでもスケールがあるわけでもないけど、なんだか確信しているというか、こうだと感じるというか……」
「でも、主? きょうは鍛冶のことでなく、外のことを考えましょうね?」
ハッとしてイグニカの荷物を見る。バスケットにワインが二本。布で包まれた朝のマフィンの残り。それから何故か石、いや、アレは……?
「ん? それ、岩塩?」
「そうです!」
「岩塩かぁ~、そうか。調味料とかないなって思ってたけど、そう言えばあったな岩塩。一回コンテナを見て回ったほうがいいだろうなあ。俺」
◇◆◇
イグニカに連れられて店の玄関から外にでると、朝の澄んだ日差しが眩しい。
木々の隙間から吹いてくる風は、緑の気配を強く感じさせる匂いに満ちていて、子供の頃に野山を駆け回っていたころを思い出させる。
「これが、異世界の森……──」
「あの木から向こうに進んでいくと、渓流があるんです。遡っていくと滝とかもあるんでしょうね。ひとまず、川まで足を伸ばしませんか?」
「案内は頼むよ。……あと、迷子にならないように気をつける」
きゅっと彼女が手を握ってくれる。
「主がどこに居ても私はすぐに分かりますが、森は危険ですからね。ちゃんとそばにいますよ」
……なんだか逆じゃないか? エスコートされているような気がする。
気恥ずかしくなって思わず顔をそらしてしまった。
木々は俺が知るよりも巨大で、根は大きく盛り上がってうねっていたり、そこらに生えているシダみたいな植物ですら俺の腰ほどの丈がある。
そこを踏みしめてかき分けながら、奥へと足を運んでいく。
イグニカからすれば悪路でもなんでもないのだろう。俺を軽々と先導しながらいとも簡単に奥へ奥へと歩いていく。
ただ時々、行く手を思い切り塞いでいるような倒木があると、イグニカが片手で粉砕するのがちょっと心臓に悪い。
今さっき粉砕された倒木からは、リスとタヌキの合いの子みたいな何かがすげえ勢いでフッ飛んでいった。
だ、大丈夫か? あれ生きてるのか?
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