第13話 健康第一即ち、安全第一
イグニカの嗜好の暴露で一気に冷静になり、残念そうな視線に見送られながら風呂に入った俺は、ガッツリと準備を整えてから作業場に籠もっていた。
準備内容は食事と水分補給だ。
バックパックに詰めこんだパン、チーズ、ハム、ポークリブ、ぶどう、リンゴ、洋梨、さらに水瓶3つ分の水。
これで空腹や乾きでひっくり返ることはないだろう。
分かったことがある。鍛冶仕事は、恐ろしいほど汗をかく。本当に。
なに? 当たり前? ごもっともです。
本職の人々からすればツッコミどころか鼻で笑われるところだろう。
そうだ。俺は、火と鉄と鎚のぶつかり合いをナメていたのだ。
塩飴なんて便利なものはないが、持ってるもので水と塩気とエネルギーを補給しながら戦おうというわけだ。
これなら倒れてしまうことを防いだり、風呂に入るくらいの余力を残したりできるかもしれない。
集中モードのような状態をうまく制御できないうちは、手探りで対策を試していくほかない。やれるだけはやるのだ。
作業する予定を頭に思い浮かべ、今日は農具と道具を中心に作っていくことに決めた。数量や材料を想定し、素材や加工法を考え始める。
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ハッと気がついて顔を上げると、窓の外は既に日はとっぷりと暮れていた。
くらっとする頭を支えて、椅子に腰掛けるとやはり疲れがドッと押し寄せてくる。
しかし、反省を活かした準備はきちんと効果を発揮してくれ、作業場のテーブルに並ぶ完成品を見れば予定の作業は終えられたことがわかる。
疲れた。もはや足元もおぼつかない。
正直に言って、立ち上がるのも億劫だ。
全身のだるさと、不思議な爽快感に包まれながら、並べた農具や道具を見回す。
作業場のテーブルにならんでいるのは手斧が5丁、鍬が5本にピッチフォークが5本、〆て15個の商品だ。
鍛冶をする部分が少なかったお陰なのか、随分数を伸ばせた。並べて見るとわかるが結構な数になったもんだ。
俺の作業速度自体も上がってきたのだろうか?
それとも作るものがある程度簡単だったとかいう理由なんだろうか?
改めて、並んでいる物を検品していく。
夢中で作っていたとはいえ、最初に想定した通りに出来上がっているようだ。
すべて高品質かつ耐久性が良いものにすることだけはこだわったが、インフィニティオンラインで言うノーマル鉄を使って作ったし、補強の雫も使っていない。
満足した気分で深呼吸をする。
実に充実した作業だった。しかし、もう限界だ。
気力も尽き果て、かくなる上は己の限界を受け入れ、この場で立って眠りたい。
ふらり、ふらり、と頭が左右に揺れるのを感じながら、作業場から這うように出ていく。
イグニカのいる店のほうへ移動し、椅子を引き寄せてカウンターにもたれかかるように座り、充実した疲れに身を任せる。
店の番をしていたイグニカはふわりと笑顔を見せてくれ、ねぎらいの言葉を掛けてくれる。
「お疲れ様です。主」
「あ~りがとう。……汗だくのままごめん……風呂は、後で入るから……」
「いえ、ご褒美です」
なんとか反応しようとして、うまくいかなかったので何も考えずに応じる。
「こんな匂いで良ければ、どうぞ存分に……」
「では! いただきまぁす♪」
「!? 待った! いただかないで! シャワー浴びせてェエエ!!」
◇◆◇
風呂に湯を張って、掛け湯を浴び、疲れ切った身体を浸す。
熱い湯で全身の筋肉がほぐれ、疲れが流れ出ていく。
もはや一緒に身体まで流れ出してしまいそうだ。俺がスライムなら溶けている。
シャワーを浴びながら布で身体をこすりつつ、鉄粉や煤を落としていくがどうにも落ちが悪い。石鹸がないのだからさもありなんだ。
「麓の村に石鹸があることを祈るばかりだなあ」
身体を洗う石鹸もそうだが、洗濯に使う石鹸なども問題だ。
初期装備を剥がしてその辺に放り込んでいたシャツやズボン、色染めのテストで置いていたシャツなどを着回してはいるが、そのうち洗濯もきちんとしなくてはならない。
風呂場の窓から外を眺めると、夕闇の中にうっすらと緑の草地がみえる。
ふと、炎色の髪をなびかせて籠を抱えて微笑むイグニカの姿が頭に浮かぶ。
それに陽の光を浴びて乾いた洗濯物を取り込んでいき、渡していく自分。
森の木漏れ日と爽やかな風、清潔なせっけんの香り。
「いやいや……。イグニカは店員だ。奥さんみたいな、そういうそんな……メイドでもないしな。──あ、というか給料とかどうしよう……」
すっかり頭から抜け落ちていた。
当然のように付き従ってくれるイグニカだが、彼女を店員として雇っている以上は給与をしっかり支払わなくてはならない。
同居している状態で雇用だのなんだのというのも、なんだか不思議な気分だが、それはそれだ。彼女にだって欲しいものはきっとあるだろう。
「……イグニカに自由に使ってもらえるお金を渡してやらねば」
彼女だって年頃の女性だ。おしゃれしたり、出かけたりしたい日だってあるかもしれない。もしかしたら、この先に誰かと出会って──……出会って……
いやいや。勝手に先走って何考えてるんだ俺は。
バシャッ!と顔を湯船で洗ってから立ち上がる。
給与をしっかり支払うには、売上が必要だ。
包丁や農具が必ずしも売れるとは限らないし、もう少し護身用の武具なんかも並べたほうがいいだろう。
◇◆◇
風呂からあがり、手ぬぐいで身体を拭きながら考える。
護身用の武器というのはどういうものがいいんだろうか?
着替えを終えて、疲れてはいるがまだ頭が動くようなので風呂場から出て店のカウンターの方に向かう。
店内は既に暗くされ、窓のカーテンも閉まっていてカウンター周りのランタンだけが灯った状態だ。
……──良く考えたら、このランタンの燃料ってどうなってるんだろう。いつ見ても点いてるよな。
いや、いまはいい。その疑問は脇に一旦置いておく。商品のことを考えよう。
手帳を取り出してカウンターに置き、分かることからひとまず書き出してみる。
ロングソード。論外。バトルアックス。これも論外。レイピア。論外。
インフィニティオンラインの経験だが……スイングスピードが遅い、つまり重たい剣をガンガン振り回すのは護身用の範囲を超えている。そして細剣みたいな扱いに訓練が必要なものもダメだ。
ショートソード。あり。なら同じ速度帯のカットラスもありだろう。リーフソードなんかは見た目も悪くないからありだ。ああいう軽くて小回りが効く剣ならきっと使い道も──
まてよ? ここらへん、ワイバーンとか出没してたよな。
ニルケルススの反応からワイバーンはクマかそれ以上にヤバそうだったな。
眉根を寄せて考え込む。
この世界の……いや、麓の村での護身用とは、一体どんな相手を想定したものになるのだろう?
異世界のようだし、ゴブリンとか、オークとか、亜人種? みたいなのもいるんだろうか。
それとも、現実のように鹿や猪、いるなら狼なんかが相手だろうか? となると、槍のほうがいいのではないか?
ゲームの序盤にしょっぱい武器で倒すのはスケルトンやゾンビ、スライムが定番だが、そんなもん倒すのを護身用というのも変だし、そもそも村の近くにいていいのかそんなもんが。
「主。どうかしました? なにを悩んでいるんです?」
頭を捻っていると、風呂を浴びたあとらしいイグニカが顔を出す。
上気した頬に、少し濡れたままの髪が艶めかしい。
改めて見ると美人だよなあ……と、ランタンの灯りによるライトアップ効果込みで可愛く見える。
いかん。落ち着け。
「ああ。露店には護身用の武器も並べようと思ってるんだけど、どういうものがいいのかなあと……」
「護身用ですか。相手がなんであれ、短槍と短剣ですね」
即答。それも、なんだかイメージよりも先を行くハッキリした答えだ。
「そうなのか……! どうしてか教えてくれないか」
「距離は恐怖を薄れさせます。長物を持って牽制をしていれば逃げる余裕も出るでしょう。護身ならば距離と退路の確保が最優先です。しかし長すぎると扱えませんので、短槍を」
「おお……」
「対して短剣は最後の手段です。これは道具ではなく武器なので、刀身に厚みがあるものがいいです。組み伏せられた場合、脚を一撃すれば逃げられる可能性が増えます。よしんば勝てたなら、トドメをさすのにも使えますしね」
じ、実戦的すぎる。
「俺、刃の形とか振る速さとかの方を考えてた……」
「それは攻撃する側の考えですね……。身を守る側なら、相手を牽制しつつ機があれば逃げ、機がなければ殺すというほうが、護身としての理に適っていると思います」
目からウロコが落ちる思いだった。
人に相談するというのはやっぱり大切だ。体験したこともない世界のことを想像や他の経験で補えるなんてのは驕りというものだろう。
右も左もわからない環境で親身に教えてくれる相手がいるのだ。
ありがたい話だ。
もっと質問や相談をして、教わったことをしっかり覚えていくようにしよう。
「イグニカに相談してよかった。ありがとう。それなら、短槍と短剣をいくつか作って持って行くことにするよ」
「はい♪ お役に立てたなら、私も嬉しいです──ああ、短剣はなるべく真っ直ぐなもので先端が潰れることを想定した作りにしてくださいね?」
「え?」
「下手な使い手は切っ先をまず潰します」
な、なるほど……。ドラゴノイドというだけあって、ベンダーになる前には戦いに身を投じていたなんてことがあるんだろうか……。
「主、仕事のことばかり考えていては取れる疲れも取れませんよ。ほら、ワインでもいかがですか? 今日は、チーズも持ってきました♪」
「晩酌かあ。いいなあ。憧れだったんだ。酒を楽しめる身体っていいなあ~」
「バンシャク? それは主の世界の言葉ですよね? どんなものか教えて下さい」
「えっと……──」
そうして、イグニカの実戦的なアドバイスを元に明日つくる物を決めた俺は、仕事の事を考えるのを終わりにして手帳をしまう。
もう仕事は終わりだ。
ランタンに照らされながら、俺がいた世界での余暇の過ごし方や、酒にまつわる話、麓の村で買いたいものや、見てみたいもの、そんなありふれたことについて話していると、なんだか疲れた身体に温かさが染み渡る気がする。
生きている実感のなかった灰色の生活から、生きている実感のある温かい火の色の生活に変わったような、そんな気分だ。
明日も頑張ってみよう。
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