第12話 一文無し鍛冶屋、露店出店を目指す

 魔女への贈呈品と調べてもらうためのゴールドコインを携えてニルケルススは旅立っていった。その背を見送り、俺達は室内に戻る。


「文無し脱出が目標になったな……。ニルケルススが言ってた露店を出すとして、包丁のほか……あとは何がいいんだろう? 鍬とか鎌だったっけ」


 近場のバックパックをいくつか漁ってみて、本とペンとインクを取り出す。

 ものぐさで放り込んでいたものが、実用的に役立つ日が来るとは……。


 カリカリと品物の予定を書き込む。

 包丁を10丁、鍬を5本、鋤……ピッチフォークでいいか。それを5本。それから手斧を5丁。

 話からすると農村だろうからこれくらいでいいだろうか。

 鍋とかフライパンも必要だろうか?


「でもまあ、持っていけないほど作ってもな……」

「この字。主が頭の上に浮かべていたものと同じ……」

「日本語、と言うんだけど……見たことがあるの?」

「ええ。見たことがあります。これには後ろにこの字を付けないんですか?」


 ペンを渡すと、彼女はWの字を書き並べる。

 ネットスラングだねえそれは!? なんで知ってるのかな!? 


「それは多分忘れていい奴。忘れていいからね? そ、そういえばほら! えーっと、イグニカたちはどんな字を使うんだ?」


 ネットスラングを指摘されて思わず慌ててしまった。まさかそんなものを覚えているなんて……。

 それはそれとして、ワイン瓶に書かれている文字は読めたし、俺もその気になればイグニカたちと同じ文字を書けたりするんだろうか。


「いえ。私が知っている字はこういうものですね」

「……あのラベルの字とは違うな……? 繊細な字だ。あれ? 全く読めない」

「──……。それもそうかも知れません。古い文字ですから」

「ふーん……あれか、ヒエログリフとか……──うわぁ!」


 本を手にとってみると、文字から仄かな光が舞う。

 思わず声を上げて本を取り落としたが、本は床に落ちる寸前に羽根のように浮かび上がり静かに着地する。


「な、なんだ? この本か?」

「ああ、文字の力ですよ」


 字に力? 言霊か何かなのか?

 俺は恐る恐るもう一度、同じページを開いてみる。そこに書かれた文字にイグニカが細くしなやかな指を這わせる。


「文字には力が宿ります。これは羽根を表す文字、そのものの重さで傷つかなくなる守護を刻みます。こちらは石を表す文字、硬さを高める守護を刻みます。そしてこれは火の文字。刃に刻めば傷口を焼き、衣服や防具に刻めば火からの護りを与えます」

「待って、ものすごくない? この世界の文字すごくない?」

「力を持たないのであれば、わざわざ文字を刻む理由がないと思うのですが」


 まさか、あのラベルの文字も同じように力を持っていたりするのだろうか?


「びっくりした……いや、まあ、俺の知っている文字の力ってどちらかと言うと何かを記録したり、大勢に知らせたりすることの影響のほうだからさ」

「うーん……すみません、そちらは私にはあまり……よくわかりません」


 まあ、実際何か記録を取ったり、大勢に知らせたりとかそういうのをしないとしたらピンと来るものでもないか……?


「有象無象に何かを知らせるなら思念か咆哮で良いのではありませんか?」

「うん。なんだろう。その、言葉の使い方がそもそも違うんだね。うん」


 吼えればわかる。その恐怖ってか。

 そうこうしているうちに売り物のリストを書き上げて、本をポケットに入れる。


「もう夕方か……。今日は包丁でも作ってみようかな」

「主。その前に食事を摂ったほうがいいですよ。また倒れてはいけませんから」

「ああ~。そうだった。うん。箱にまだ食事はあるよね? 何食べようか」


 キッチンに入り、食べ物を放り込んである箱を開ける。

 そこからチーズとチキンロースト、それからマフィンをいくつかとりだして、フライパンに放り込んで軽く温める。

 しかし皿がない……と思ったところで、棚の一つに放り込んであった銀色の大皿に目をつけた。

「これ、夏イベの銀皿じゃん。って、でっか……今度、普通の皿も作るかあ……」


 皿の上に温まった食べ物を乗せていき、チキンローストを切り分けようと四苦八苦していたらイグニカがスパンと切り分けてくれた。

 今のはもはや手刀どころか、触れてすらいなかったような気がするのだが……。

 気にしないようにしよう。

 

 温めたらだいぶ柔らかくなったマフィンをかじり、チーズを挟んでかぶりつく。

 それから、真っ二つになったチキンローストを齧る。

 味はいい。焼き加減だって悪くない。ただ、ポツリとぼやいてしまう。


「そろそろ野菜とか食べたいなあ……」

「野菜……野草の類いとは違うのですか?」

「ん~……野草は作物だからなあ……野草も野菜にはなるけれど、食べられる野草か……見分けられないな」

「では、村での楽しみということになりますね」


◇◆◇


 穏やかに食事をしてから作業場に入る。

 腹は満タン。体力もきっちり回復している。

 これなら夢中になって作ったとしても何本かは作れるはずだ。


 鍛冶場の火の前で腕を組んで考える。

 材質は鉄。道具というなら耐久重視だろうが、シャドウスチール……黒鋼というわけにもいかないよなあ。

 こちらの世界で流通している素材がどんなものかわかれば、無難な選択肢も浮かびやすいんだけどなあ。ニルケルススに聞いておくべきだった。

 あとは頭の中に流れ込む、製法や鉄の扱いの知識と腕が覚えている動きに身を任せていく。


 ハッと顔を上げる。

 汗みずくになっていた顔を布で拭って、近場に置いておいた水瓶の中身をごくごくと飲み干す。

 ドッと疲れが押し寄せる身体をなんとかもたせながら、完成した包丁を手にとってじっと見つめる。

 高品質で切れ味も悪くない。耐久もそこそこ。そして何より、美しい。

 実用的な直線。優美な切っ先。理想的な万能包丁だ。柄は木製で手にも馴染む。

 俺もリアルでこういう包丁使いたかったなあ。


「だが……数打ち、だよなあ。何にも付与してないし、素材もノーマル鉄」

 

 納得がいかん。俺だって大人の遊びとして鍛冶屋プレイを大マジでやっていた人間だ。遊びだからこそ、マジだったのだ。

 中途半端なものを売るのは、なんか気に食わない。納得がいかん!


 近場の木箱を開けて、金色に光る液体の入った小瓶を取り出す。

 資産をバンバン注ぎ込んで山のように買い込んだ補強の雫。これが、この縦に積んだ箱の全てに、ぎっしりと詰まっている。

 フフフフ…フフフ…残弾はいくらでもあるのだよ。

 口元から漏れる笑いをそのままに、ふらつく身体のまま瓶を開けて雫をふりかけようとして手を止める。

 10チャージで10万ゴールド。今の耐久は最大255とすれば100くらい。最大にするには15回以上使わなければならないだろう。


 10万ゴールド以下で売っては採算が取れない。 顔を覆って懊悩する。


「いやだァ……いやだァ……中途半端はいやだァ……でも、採算が取れないのはもっと嫌だァ……」


 近くにニルケルススがいたら呆れながら頭の一つでもはたくかもしれない。

 アホか! と。

 結局、包丁に補強の雫を振るのは断腸の思いで取りやめにし、近場の空いている木箱にそれをしまい込む。


 ふう、と顔を上げた瞬間、目眩がする。

 くらくらとする頭を支え、近場の椅子を引き寄せて座り込む。


「危ない……。鍛冶道具も刃物もあるところでフラフラしてたら怪我するぞ俺」


 簡単に作業場を片付け、炉に蓋をして引火防止だけはする。

 そしてふらふらと廊下に出てから部屋になだれ込み、服を脱ぎ散らかしてベッドに横たわる。


「あ~……もう、動け……ない……」


 泥に沈むような感覚とともに、意識が途絶える。


◇◆◇


 翌朝、目を覚ますと酷い有様だった。

 髪は蓬髪。身体からはむせ返るような汗と鉄の匂い。手は黒い煤まみれで、顔も同じようなものだろう。

 なにはともあれ、風呂だ。このままだとイグニカもドン引きに違いない。

 ばきばきと腕と首を鳴らしながら廊下を歩いていって、風呂場の前で大きく背伸びをする。


「あ~……風呂、作っといてよかったァ~」


 ガチャッと風呂場の戸を開ける。


 眩しい太陽の光が差し込むタイル張りの部屋。透き通った朝日を照り返す炎色と白く眩い肌。


 肌。


 ひゅっ、と息を吸い込んで。

 その場に固まる。 


 優雅に振り返った彼女は、炎色の髪から雫を落としながら微笑む。


「主、おはようございます」

「おはようございましたッ!!」


 バァン! と扉を閉じて身体を震わせる。

 野菜を食う前に死ぬかもしれない。


「主ーー? 主ーー??」


 トントントンと扉を叩く音と、イグニカの声が聞こえる。


「ごめん! 悪かった! 命ばかりは!! 命ばかりはァッ!!」

「いっしょに浴びますか? 気持ちいいですよ」

「いやいやいやいや! 問題ない! 上がったら声掛けてくれたらいいから!」

「でも、主も汗と鉄の匂いですごいですよ?」

「ぼくってそんな臭うのかなあ!? そぉんなにかなあ?!」


 ドア越しに絶望的な一言を告げられて膝から崩れ落ちる。

 うら若い美女に、臭いと言われるのは堪える。主に精神的に堪える。

 灰色人生がいきなり薔薇色なんて都合のいいことを考えていたわけじゃないが、とはいえ、こんなの、あ、あんまりだァ~!!


「はぁ……すぅ~……はぁ……感じます。うふっふふふふ……♪ 主の香り、海の潮のようで、雄大な山のようで、この香り……たまりません。い、一緒に入りましょう? ねっ? 主? 主~??」


 くずおれた格好のまま、急に冷静になって顔を上げる。

 あっ、これなんか、ちょっとニッチな反応されてるみたい。

 すくっと立ち上がって、コンコンと扉を叩く。


「はいっ! ただいま! た・だ・い・まぁ~♪」

「イグニカさん。ゆっくり入ってもらって大丈夫です。じゃあ、そういうことで」

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