第11話 大きな石を退けるのなら小石から退けよ

「その200年、ここに店があったとは限らんのではないか?」


 石狂いのエルフから、知恵者のエルフに表情を変えたニルケルススはとんでもないことを言い出した。

 転移してきたのは俺だけという前提が誤りかもしれないとは思いもよらなかった。

 その指摘にハッとしたように、イグニカも考え込んで確かにと小声で呟く。

 俺の記憶は数日前からしかない。このことはイグニカにしかわからないはずだ。


「竜の嬢ちゃんが過ごした世界とこの世界が同じとは限らんだろう。なにか変化はなかったのか」

「確かに、客層が変わったような気が……」

「そういえば、近頃来る客では数打ち一つ買えないってイグニカは言ってたね」

「ええ……金貨をかき集めて500枚くらいでしたから……。大層な自信で出してきましたが──」


 カウンター下のバックパックから、金貨をひとすくい取り出したイグニカがテーブルにそれをジャラッと置く。


「樽で何個かいただかないとお話にならないです」

「ウチの商品って大体は1Mからだから、100万枚以上……樽単位か」

「バカも休みやすみ言え。そんなもの、持ち歩くどころの話ではないぞ」

「私なら運べますが、持ち歩くとはちょっと違いますねえ」

「あっちでは金貨7枚でワイン1本だったからなあ……」


 インフィニティ・オンラインのNPCベンダーでの価格を思い出しながら俺がボヤくと、ニルケルススは眉根を寄せて首をひねる。

 そして顎をさすりながらとんでもないことを言い出した。


「うん? こちらではワインなんぞ銅貨2枚だぞ。で、あればその金貨は銅貨以下の価値だったのか」

「え。じゃあ、こっちの金貨だと……?」

「まず、この金貨はこの銀貨10枚、この銀貨は1枚で銅貨20枚。つまり、お前さんらの金貨が700枚あれば、この金貨と同じ価値ということになるな。あくまでワインの話だけで判断すればだがな」


 なんて酷いレートだ。暴落なんてもんじゃないぞ。


「保管してる金貨……ゴールドコインはこっちの銅貨くらいの価値……? イグニカ、いまって売上金はどれくらいあるんだろう?」

「2億5865万8206枚ですね」

「なんて? いや待って──それって、どこにしまわれてるの?」

「金貨を収めるセキュアがあるので、そこに入っていますよ。主なら魔法で引き出せるはずです」

「ああ。金庫アドオンのコマンド……」


 ということは、あの金庫にその枚数が……? 時空が歪むとかそういうレベルなんじゃあ……


「と、とりあえず結構な量だ……700で割れば、えっと……」


 皮算用する俺を見ながら、ニルケルススはワインをすすりながら気まずそうな顔で口を開く。


「あ〜……その、お前さんらの転移のことやら魔法技術やら、わからんことばかりだが……ひとつわかったことがあるな」

「身の安全のために隠れた方がいい…ということだっけ?」

「皮算用しておるところに言うのもなんだが、お前さんら一文無しではないか?」


 ん?


「流通しとらん貨幣で物は買えんぞ」

「いや、酷いレートとはいえさ? 文無しだなんてそんな……ご無体な……ああ、でも、使えないなら文無し……?」

「そいつが金だとしたら鋳潰して金として使えばよかろうが、本当に金なのかそれは。さっきの話からすると、価値に差がありすぎるではないか」


 確かに……!


「そのままでも物々交換に応じる好事家もいるだろうが……出所を尋ねられるのも都合が悪い。鋳潰してみてはどうだ」


 食べ物や酒はあるにはあるが、一文無しでいいわけがない。

 衣食住揃ってはいても、ランニングコストがゼロのままではいられない。

 ゴールドコインが金製かどうかで、俺達が一文無しかどうかが決まる……!!

 鋳潰さなければ……!!鋳潰さなければ……!!


「ちょ、ちょっとニルケルススはここで待っててくれ。イグニカ! 作業場に来て!」

「あっ! 主っー!?」

 


◇◆◇


 結論から言うと、一文無し確定である。

 鋳潰せなかった。なにしろ、いくら熱しても叩いても溶けも変形もしなかった。

 イグニカのドラゴン・ブレスでもビクともせず、あの爪でも傷すらつかなかった。

 もっと大規模にやれば結果は違うかも知れないが、その気力もない。

 

「一文無し確定だァ……。っていうか、一体なにでできてるんだこれ……?」

「気にしたこともありませんでした。私の全力でも壊れないとは……敗北感が……」


 奥の作業場からアッツアツのゴールドコインを箱に入れて戻ると、ニルケルススはやっぱり棚に貼り付いてくねくねしていた。


 ちょっと前までの威厳みたいなものはどうした。


「おお。戻ってきたか。どうだった? 金粒にするなら乙女の小指の先より小さくせんといかんぞ。でなければ山程買うか、釣り銭がないかでどちらにせよ困るだけだからな」

「いや、全く溶けないし、壊れもしなかった」

「私の力でもだめです」

「なに? 金がそんなに頑丈なものか。やはり金ではないということか。 どれ、鑑定してやろう──ッツアッ!!」

「あ、ごめん」


 ひょいと手を伸ばしたニルケルススだったが、ゴールドコインから立ち上る熱気で即座に手を引っ込める。

 恨めしそうにこちらを見るニルケルススに思わず謝る。


「割と親身になっているのに灼けた金属を渡そうとするとは……私ニルケルスス、ちょっと裏切られた気分。酒、もう一本くれな」

「あ、ああ」


 とりあえずこのアッツアツの金貨あらためゴールドコインは窓辺に置く。

 もはや窓の外に投げ捨ててやりたくなってきた。

 あ、なんか置いておくとめっちゃあったかい。山ほど積んで熱しておけば冬の暖房にいいかもしれない。それくらいの使い道ならあるか。悪趣味だが。ハハッ。

 呆然自失な気分の俺を気の毒そうに見ていたニルケルススは、別のゴールドコインをイグニカから受け取り、それをじいっと見つめてハルバードの時と同じように鑑定をする。


「ゴールドコインというそうだ」

「そんなことはねぇ、知ってるんですよぼかぁ。それで、鑑定結果は?」

「あー、そうではない。鑑定結果に割り込んできて、こいつが『ゴールドコイン』と認識させてきおる。素材の分析はおろか、何かの付呪がかかっているかすら読めんと来た」

「それってなんか変なのか?」


 新しく開けてもらったワインを飲みながら、呆れ混じりにニルケルススが答える。


「例えば金の立場で考えてみろ。勝手に人間が金貨と呼んでいるだけで、自身は金だか銀混じりだかのままだろうが」


 金の立場なんかねえ、分かるわけないじゃあないの。

 だが、確かに物質からすれば形の変化で呼ばれ方が変わることなんか、知ったことではないというのも道理だ。


「ワケのわからん状況に、ワケのわからん代物、か。これ、一枚借りてよいか? 私ではわからんが、魔女の婆さんなら何か知っておるかもしれん。あやつも好奇心旺盛であるからに、好都合というものよ」

「挨拶もそこそこに頼み事してるみたいで気が引けるな……」

「出所がお前さんだと言えば話も大きくなろうが、私が一枚持っていたとて別に騒ぐことでもないだろう」

「じゃあ、頼むよ。何から何まで頼んでばかりで申し訳がない……」


 ニルケルススは手元のグラスをぐっと呷って飲み干し、そして次を注ぎながら何のことはない、というふうに手をひらひらさせて言う。


「命の恩人に知っていることを話しただけに過ぎん。何より、お前さんらは秘密を打ち明け、信頼を示した。できうる限り応えるのが石に愛される秘訣だ」


 たしかに徳が高い人物像だが、石に愛されるのとは関係があるのだろうか……


「兎にも角にも、無一文を打開するなら商売だな。高級武具ではなく、包丁や鍬のほうがよかろう。くれぐれも、ありふれた素材で作るようにな」

「ああ。わかった……」

「竜の嬢ちゃんは傭兵風にして出かけると良い。ドレス姿の女と若造エルフが森の奥からやってきたとなれば、耳目を引くからな」

「何から何まで知恵が回るエルフですねえ」

「フフン。殺さんでよかっただろうが?」

 

 彼は鼻で笑ったあとにワイングラスを手にもち、ニヤリとした笑みを崩さずにおかわりを要求する。

 イグニカも笑って、ワインのおかわりを勧めた。


 確かにニルケルススのアドバイスは心強い。

 こちらの常識がないまま動いてトラブルになるのを避けられそうだし、何よりも今後の行動の指針を立てることができた。

 これは僥倖だ。


◇◆◇


 結局、ニルケルススとの会話が終わる頃にはもうじきに夕焼けになろうという時間だった。

 せめて一晩の宿や夕食でもと思ったが、ニルケルススはベースキャンプを残したままなので荷物を放っておけないということで、このまま発つことになった。


「色々世話になった。ありがとうニルケルスス」

「いやなに。私も面白いものが見られた。礼には及ばん。そもそもお前たちは命の恩人だからな」

「そういえば、そうなるのか」

「私はこれから魔女の庵へ行く。そこから戻ったら立ち寄ることにしよう。二月か三月ほど先だな。──まあ、冬になる前には来ると思ってくれ」

「冬……季節があるのか」

「その辺の常識がないのも、旅商人だということでうまく誤魔化すのだぞ」

「あ、ああ」


 手土産に渡したワインを軽く掲げて、ニルケルススはイグニカにも挨拶をする。


「竜の嬢ちゃん、酒をありがとう。旦那にあまり心配をかけてやるなよ。見たところこいつは荒事の経験がなさそうだからな」

「言われるまでもありません。主の身は私が守ります」

「むやみに戦うなと言うておるのだ。──お前さん、手綱はしっかり握っておけよ。夜で負けとるからと言って昼まで負けねばならん道理はないぞ」

「夜?」


 半目でこちらを見るニルケルススは、ため息をついたあと俺の肩をぽん、と叩く。

 そして荷物を担ぎ直してこちらに軽く手を挙げる。


「ではな、また会おう」





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