第10話 緊迫した空気と厳しい視線

 緊迫した空気の中、イグニカの口から黒煙が滲むように上る。

 対してこの空気の中でも、もはや開き直っているのかニルケルススは煙草をふかしている。


「待ってくれ。イグニカ」

「この者に聞かせて良い話とは思えません」

「だが、そんな物騒な話じゃ……」

「隙を見せれば寝首をかかれる。自分の身は自分で守らなければなりません」

「だとしても、ニルケルススが敵だというわけじゃ……」


 ニルケルススはパイプを口の端に咥えたまま、懐に手を突っ込む。


「動くなッ!」

「まあ待て。待て。竜のお嬢さんよ」


 彼は懐から複雑な文様が書かれた本を取り出して、カウンターの上に放った。

 続けて、別の本を取り出してまたカウンターの上に放る。

 更に、腰に下げていた短剣も外してがちゃりと置く。


「寸鉄も本一冊も帯びておらんぞ。生きて帰さんつもりなら煮るなり焼くなり好きにするがいい」

「お、おい。ニルケルスス」

「まあ、話してみろ。ここで殺すにしても、話すだけで楽になることもあろう」


 石狂いのヘンテコエルフは、今までのちゃらんぽらんな雰囲気を潜め、真剣な顔でこちらを見ている。

 その迫力に気圧された俺とイグニカは、互いに顔を見合わせる。

 この沈黙の中、口火を切ったのはニルケルススだった。


「お前さんらがどんな過去を辿ってきたのかは私にはわからん。しかし、エルフでありながら楽器を知らず、竜人でなく竜がエルフに従っている。それなりの理由があるのだろう?」


 先ほど違和感を覚えた、エルフと楽器の話がここでまた出てきたことに俺は困惑した。

 楽器の話がどうつながるんだ?


「楽器が……何か関係あるんだろうか?」

「エルフにとって楽器とは、親が子に必ず教える身を守る術だ。それを知らんということは、お前さんは親がおらんのではないか? それか、エルフ以外に育てられたか」

「あー……」

「それが竜を従えて、宝物に囲まれている。だが、お前さんらの顔にあるのは不安と困惑だ。見たところ、お前さんらふたりとも若いと見える。年寄りを加えてみれば見えかたが違うこともあるだろう。──まあ、話してみろ」

「俺達も……まだまとまっていないのだが……」

「まとまった話ができるようなら行動も自ずと定まっているだろう。それなら悩みにはなっておらん。そう思わんか?」

「主……」


 イグニカは警戒を促すようにこちらに声をかけてくれる。

 しかし、それにはちょっと賛成しがたい。これ以上警戒し続けていても今の状況が変わるようには思えないからだ。


「イグニカ、その……──いいんじゃないか? 俺は話を聞いてみたい」

「なあ、竜の嬢ちゃんよ。渦中の人間だけでは見えんこともあろう。そう思わんかね」

「……わかりました。主の身の上のことを主が決めるのは道理ですから」

「ありがとう」


 渋々と引き下がってくれたイグニカに礼を言う。

 それから、昨日までの出来事のうち俺の身に起こったことをまとまらないながらも説明していく。


 つい先日までいた世界のこと。

 最後に覚えている記憶。

 落下していくときに見えた風景。

 目覚めてから身体が変わっていたこと。

 インフィニティ・オンラインのこと。

 何故かできるようになっていた技術。

 夢中のまま作り上げた装備のこと。


 倉庫に眠っている大量の武具や宝物、在庫や素材のことまでは話していないが、身に起きたことはとにかく順番に話していく。

 それにニルケルススは静かに耳を傾け、時に色々と質問を挟んでくれる。


 結局のところ、話せることは大して多くはなかった。

 原因も理由もわからないことばかりで、困惑しきりのことばかりだ。

 しかし、話しているうちになんとなくは整理できてくる。


「つまり、お前さんは異世界からの渡来人で、そこの竜の嬢ちゃんはお前さんの……そのなんだ、幻想世界でこの店の店員になったと……しかるのち、お前さんの意識がその幻想世界で操っていた人間に憑依した。そしてその幻想世界はこの世界と似ているが同じではなく、それでいてお前さんは幻想世界と同じように武具を作れる、と」

「憑依というよりも私には、器に魂が入ったように見えていますが」


 イグニカも自身が感じたことをそこに付け加えてくれる。


「う~む……」


 ニルケルススはワイン瓶を逆さにして最後の一滴までグラスに移して、グラス半分にも満たなかったそれを一息に呷る。


「ワケがわからん」


 スパッと言い切るニルケルスス。


「しかし、お前さんらは狂っているようにも嘘を言っているようにも見えん。そして、あのハルバードだ……。お前さんが作ったというのだろう? お前さんの言うことは信じがたいが、傍証になるものがある。あのハルバードに刻まれている文字だ」

「あれはアルファベットと言って、俺の母語ではないが……まあ、よく使う文字なんだが……」

「これまで見つかった遺物、アーティファクトには、お前さんが使っている文字と同じ文様が彫られているものがあるぞ。ほれ」


 彼は手を伸ばして、カウンターに並べた本のうちで小さい方を引き寄せ、開いて見せてくれる。

 そこには、見たことがある文字で書かれた文字列がずらりと並んでいた。


「これは、キャラクターの銘……? Hermes、YAHATA、MURAMASA、Oni-Goroshi、NeoN、MIKAGE、IsuruGi、EdgeWorks、Piyoko、ATRAS、Lady Bird……──TONKACHI」


 俺はゾッとしながら口元に手を当てて動けずにいる。


「俺の銘だ。──俺の銘と同じものがある」

「さてさて、こいつは……なんともはや」


 額に手を当てて、ニルケルススは髪を後ろに撫で付ける。

 しかし、TONKACHIというのは普通の名詞のローマ字表記でしかない。

 オリジナリティのない名前なだけに、他にも同じ名前のキャラクターがいても不思議ではない。


「一応、とんかちというのは道具の名前で、ありふれてるから人違いの可能性もある。だけど…他の銘のいくつかを俺も向こうで見たことがあるんだ。じゃあ、この人たちも俺と同じようにこの世界に……?」

「それはわからんが……仮にお前さんがアーティファクトを作った名工ということなら、素性を隠さねばならん。昨今の情勢ではのんびりしていられる立場ではないからな」


 まさか、捕縛されたりするのだろうか。

 それはそれで嫌ではあるが、だが少なくとも五里霧中の今よりも状況がわかるようになる可能性は0じゃない。

 しかしそれを見透かしたようにニルケルススは釘を差してきた。


「おい。もしも庇護を求めるのなら、相手は選んだほうがいいぞ。ロクでもない業突く張りに囚われれば死ぬまで武具を作らされる」

「そうなのか……? 有益なら大事にしてくれたりとかしないだろうか……」

「武具の必要性が高まっている今、いくら技術があるとはいえ、後ろ盾もない流民モドキに悠々自適に仕事をさせてくれて、あまつさえ異世界とやらに帰る手伝いをしてくれると思うか?」

「……。それは、そうかもしれない」

「限度を知っている相手でも傘下に下れば、お前さんは半ば奴隷のように武具を作り続けにゃならん。それでは元の身の上と大差ないではないか」


 はじめ疑ってかかっていたニルケルススから出た言葉は、真摯にこちらを思いやりつつも、厳しい現実を踏まえたものだ。

 

「竜の嬢ちゃんが言ったように、お前さんらはお前さんらを自分で守らにゃならん。安易に庇護もらおうとするのは得策ではない。少なくとも、お前さんが作れる代物は人心を惑わす魔剣のたぐいだということを忘れてはいかん」

「だけど、俺が来るまでに200年もイグニカが店番をしていたんだろう? そこまで警戒しなくても、もう知られていたりするんじゃないのか?」

「ここに店があることなぞ、麓の者でも知らんかったぞ。この店を知っていて、それらのアーティファクトを探しに来た者がいれば、何かあるらしいことくらいは勘付くものだ」


 そこで言葉を切ったニルケルススは眉根を寄せて考え込みながら話を続ける。


「可能性は3つ。本当にただの偶然で見つかっていないか、招かれなければ辿りつけないか、これまではここになかったか」

「まるでこの店に結界だか魔法だか何かがあるみたいな言い方をするじゃないか」

「そうでなくては説明がつかん。竜のお嬢ちゃんが結界でも張っていたのなら……まあ、話は早いな」


 俺とニルケルススが視線を向けると、イグニカはふるふると首を横に振る。


「店に結界はありません。私は侵入者への対処ができますし、客を拒んでは店員の意味がありませんし……」

「そうだよなあ……」

 

 店を誇らしく思っているイグニカがそういうことをする理由もない。

 ふさわしくない客を追い返すとしても、彼女なら爪を振るうだけで済みそうだ。


「その200年、ここに店があったとは限らんのではないか?」

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