第6話 何はともあれ、食べて寝ることが幸せを作る
「ドラゴノイドのベンダードール……」
「はい。イグニカです。はじめまして、主。──そして、おかえりなさい」
倉庫のようになっている作業場の奥。
この灰色の人生で、こんなに美しいものを見た記憶はない気がする。
白銀色に輝くバレッタを抱いて涙目で微笑む彼女はとても、とても美しかった。
「では、主。あらためてなんですが……」
「あ、うん」
「こちらで暮らす、ということでいいんですよねっ?」
「あー……──」
良く考えたら状況が変わったというわけでもない。
肝心なこと……そう、これからどうするかが決まっていない。
「そうなる、と思う。向こうに帰る方法がわからないし……」
「帰る、ですか……。前にいらっしゃってた頃は、主は大体ベッドのある寝室に行って出てこないか、その場に立ったままだったかと思うと目を離したら消える感じでした。これって、帰るというのとは違うのでしょうか?」
「……多分、違うと思う。あれは、あの時だからできていたことで、今この状態だと、ここで食べて寝て起きてということになるかな。ここで生きている人と変わらないんだと思う。腹も減るし、喉も渇くしなあ」
「では、何はともあれ食べて寝ることが幸せを作る、ですよ。そうだ、主? しばらくは暮らすわけですから家の中を見て回りますか?」
「ああ。そうしようかな」
◇◆◇
彼女に連れられて作業場を出て、カウンターのある店側とは反対の戸を開く。
そこには釜戸やオーブン、水場とシンク、まな板に包丁、それから4人掛けのダイニングセットが置かれており、テーブルの端には木の箱が置かれている。
「こちらがキッチンと居間ですね。よくここで主はご友人たちとお酒を飲んでましたよ」
「確かにここに座ってたこともあったなぁ……ん? この箱は?」
箱を開けてみるとパン、ハム・チーズ、ぶどう、りんご、梨などが底が見えないほどにわちゃわちゃと詰め込まれていた。
「うわっ、なんかすごい詰まってる!!」
「不思議な箱ですよね。そこに入っているもの、なぜか腐らないんです。主がいたころのものですから、200年は経っているはずなんですけどねえ」
パンを一つ手に取ってみると、確かにそこそこに柔らかい。
焼き立てとはいかないが、昨日買ってきましたくらいの雰囲気だ。
「これもセキュアのアイテムか……。食べ物なんか入れてたっけ……?」
「それ、主が魔法を詠唱して呼び出していたものですよ。その姿ではないですが、別の姿で延々と何日も唱え続けて箱に放り込んでました」
クリエイト・フードじゃないかそれ?
そうだ。新キャラを作るたびにマナの値を調整するのに延々と唱えてたし、それをオート操作でこの箱に突っ込んでいた。
「イグニカは、ここに入っていたものを食べてたの? それとも他のところ?」
「いえ。店の中のものに勝手に手をつけるわけにはいかないので、狩りをして食べてましたよ?」
「狩り」
さぞ迫力のある狩りが展開されていたのだろう。
確かに、街から離れたところに建てた土地だからなあ。
鹿や羊なんかもその辺を歩いてたから、彼女くらい強いなら食べるものには困らなかったかもしれない。
「そっか。捌いて料理して食べたりって感じか」
「心臓と肝臓はすぐに頂いて、あとの内臓は近場の狼に与えて、それから肉は川に浸しておいて、取られないうちに食べてました! この付近の川は私の縄張りですからね」
ワ、ワイルド。
「料理とか、するの?」
「料理……。あの、こういう加工肉を作ることでしょうか? 火を通したりはちょっと……私の炎だと焦げてしまうので。解体ならすぐなんですけどね」
火を通すを通り過ぎるにしても、相当通り過ぎてしまうらしい。
パンとチーズ、ベーコンを取り出して包丁でスライスしながら尋ねる。
「そういえば、これは食べられないとか、そういうのはあるの?」
「いえ。私には毒も呪物も効きませんね」
釜戸を見ると、中にはちゃんと炭も入っている。
「火かあ。どうやって点けるか……」
すると彼女は俺に替わってふわりと釜戸の前にかがむ。
そして、ゴオッと炎を吹き込んだ。
「これで使えますね」
火起こしから熾火まで1秒かい。
フライパンをざっと洗って火にかけ、スライスしたベーコンを並べ、上にチーズを乗せる。じゅわーっという食欲をそそる音と、ベーコンの焼ける匂いが漂い始める。
ベーコンを端に寄せて、パンを焼く。焼き目がついたら裏返してベーコンとチーズを挟んでできあがりだ。
近場にあった皿を取って乗せ、パンを包丁で半分に──力をいれる間も無くスパンと切れた。
幸い、皿は切れていない。
なんだこれ、すごい切れ味。
「すごい切れ味……。ああ、サンドイッチだけど、一緒にどうかな?」
「はいっ!」
ざくっ!!という小気味良い音と、ベーコンから滲む塩気と油。そしてチーズの香り。これはうまいぞ。
「おいしい!」
「イグニカ、頬についてる」
「これは、失礼を」
頬に指を当ててチーズを取り、ぱくぱくと残りを食べていくイグニカ。
「はぁ~。温かくて美味しい。料理ってこんなにいいものだったんですね」
「料理というほどのものでもないけれど……」
「誰かと食事をするのって、憧れでした」
「そうか、200年もここで一人……」
「いえ、ここに来てからより、その前のほうが長かったですから……」
微笑む顔はどこか寂しげだ。かくいう俺も、大学を出てからは大体一人飯だった。
イグニカとは比べ物にはならないが、寂しさみたいなものはなんとなくわかる。
一応は仕事で複数人と食べることはあったが、それは違うだろう。
いまは、二人で食べることが心地いい。
◇◆◇
イグニカが用意してくれたワインを飲んでひと心地ついたあと、当分寝泊まりするだろう自分の部屋を教えてもらう。
目が覚めたばかりの時にいたあの部屋だ。その隣にもベッドルームを作っていたが、そこはいまイグニカが使っているらしい。
中を軽く見せてもらうが、部屋の隅に山のようにワインやエールの瓶が積み上がっていたり、謎の素材や見覚えがあるようなないようなアイテムが積み上げられている以外は小綺麗で生活感もあまりない。
「そういえばこんなふうに作ったなあ……」
ベンダーが暮らしているようにしたいとかなんとか考えて、家具一式にクローゼットに、アクセサリ入れやらなにやらまで作ったっけ。
──そういえばトイレと風呂は? 作ったけど、あれ動くのか?
トイレに来てみると、確かにトイレがある。花も飾ってあり、トイレの中は謎の暗渠になっている。匂いもしない。
──理解を超えた何かがそこに込められている気がする。追求するのはやめよう。
風呂はどうなってるんだろうか? たしか作った覚えはあるのだけれど。
トイレの隣についているドアを開けて中に入ると、シャワーヘッドがついたバスタブと棚が置いてある。
「あー! お前かあ!」
記念パッケージ品として高額取引されていた”舶来品の白磁バスタブ”だ。中に入る事ができ、シャワーモーションが取れる新作アイテムだった。
シャワーヘッドのの付け根についている蛇口をひねるとお湯が出てきた。
左がお湯で、右が水。
「……──こ、混合水栓」
マジか。まさかの文明の利器が登場だ。
床や壁を見てみるとタイル張りになっており、床には排水溝まで備えてある。
どうなってんだ。まるでちゃんとしたお風呂場だ。
ハウジングでここまでつくれたっけなあ。バスタブがあることでこうなったのか?
頭を捻るが、不思議現象はもはや今更だ。
「ここはどういうものなんです?」
「あれ? イグニカは使わないの? お風呂。身体を洗ったり」
「オフロ? 水浴びは泉でしていますが……」
思わずイグニカを凝視してしまう。
森の奥にある泉で水浴びする竜人の女性。ファンタジーすぎる。
「えっと、お湯で身体を洗うのも気持ちいいよ。身体を洗ったあとにお湯を張ったバスタブに入るのでもいいし……お湯をためながら中で身体を洗ってもいいし……」
「オフロ……ああ! あのお湯に浸かるあれですね! 背中を洗ってあげるあれですね!」
「そうそう! それだ!」
「じゃあ、主の背中は私が洗ってあげますね。舌のほうがいいですか?」
「ん? なにか違う方向にすすんでるね?」
「獣たちの毛づくろいのようなものですよね」
イグニカにどう説明したものかと思ったが、とりあえず大人は特別な相手以外とは一緒に入らないものだと説明すると、渋々ながら了承したらしかった。
◇◆◇
「ではおやすみなさい。主」
「おやすみ。また明日」
一通り案内をしてもらったあと、とりあえずひとっ風呂浴びてから部屋に戻る。
手ぬぐいで頭をぐしぐしと拭きながら窓の外を眺めると、木々の向こうに見える空は夕暮れを過ぎてもう夜だ。
遠くに見える空の下は全て森で、人家の灯りも何も見えない。
見事な星空が見えるが、見覚えのある星の並びもない見たことのない星空だ。
風呂から上がってスッキリした身体でベッドに横たわる。
長年悩まされた肩の痛みもないし、寝る前に感じていた嫌な不安感や焦燥感もない。ただただ、解放感だけがある。
前の世界に戻らければ、と焦る気持ちも薄れつつある。
そもそも来た方法がわからないのだから、戻る方法もいまはわからない。
たった一日でここまで順応するのもどうかと思うが、衣食住が既に揃っていてここはお前の家だと言われると……。
なんだかこれはこれで大丈夫なんじゃないかという気がしてくる。
「明日のことは明日。どうにもならないんだから、寝るか」
横になって毛布をかぶるとあっという間に眠気がやってきた。
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