第5話 竜が願った平穏と、願いのバレッタ

◇◆◇◆◇


 私は憧れていた。


 エルフ、ドワーフ、リザードマン、ヒューマン、ワーウルフ、デーモン、インプ、アンツやトレントにさえも。

 彼らには仲間がおり、彼らには家があり、彼らにはつがいや親や子どもがいる。


 生まれ落ちた瞬間に己にできる、ありとあらゆることを知っていた。


 知識はなくとも、己の肉体に宿る力をどう使えば何を破壊できるのか知っていた。


 息を吐けば眼の前のあらゆるものは焼き払える。腕を払えば旋風を巻き起こせる。爪を振るえば大地を切り裂ける。天を仰いで吼えれば雷雲から紫電が降り注ぐ。


 己がすべきことも知っていた。


 灰燼と瓦礫の大地に産み落とされた一個の卵の殻を破り、黒雲と灰の世界に生まれでた瞬間に気付いていた。


 世界を破壊するための存在であると知っていた。


 世界は脆い。

 私が憧れる彼らが相争い、技術を磨いて競争し、そしてそれらを後先なく使って戦をすれば世界は簡単に壊れる。

 世界が壊れる力が現れるたびに、私は天高くから舞い降りて、吐息と爪でありとあらゆるものを破壊し尽くした。


 それが使命だったからだ。


 世界を守るために生まれた、孤高の防衛装置。


 それが竜。原初の神によって創られた破壊の申し子の役割。


 しかしある時、己の吐息で焼け落ちる文明を竜眼で眺めていて憧れてしまった。

 抱き合い震えるつがい。背負われて運ばれる幼体。仲間を庇って逃がす決意に満ちた表情。別れを惜しむ者たちの顔。

 彼らは破壊されるその瞬間まで、守るべきモノや縋るべきモノを持っていた。


 私には何もなかった。


 はじめからなにもなく、はじめからひとりだった。


 私はそれが羨ましく、妬ましく、そして何より悲しかった。


 私の卵は誰が産んだのだろう?

 私の卵は誰が温めたのだろう?

 私は一度だって抱かれて包まれたことがない。

 私は一度だって誰かに手を引いてもらったこともない。

 今際の際でもいい、私を大事だと言ってくれる存在が欲しい。


 私は心の底から、この力と使命が疎ましかった。


 もちろん、竜も一柱だけではない。


 東の峻厳な山から別の竜がやってきたこともある。

 西の渓谷から別の竜がやってきたこともある。

 北の凍てつく地から別の竜がやってきたこともある。

 南の輝く海から別の竜がやってきたこともある。


 だが、そのどれもが破壊を統べる存在として私と争うためにやってきた。


 私が生まれ出た灰燼と瓦礫は争いの跡で、産み落とされたそこは前にいた竜の亡骸の上だった。


 破壊されるまで破壊し続け、やがて破壊されて消える運命。


 それがたまらなく悲しくなった。


 そして懇願した。


 もうこの世界にはいたくない。

 でも消えたくない。

 私も温かい世界で暮らしたい。

 私も誰かに愛されたい。

 私にそれを許してほしいと。


 世界の根幹。

 神の理に近いところにいた私の呻吟はついに神に届いた。


 いくつもの世界を覗き見、そこに自分が混じって関わることに憧れ、戸惑い、そして怯えた。


 だから願った。


 居てほしいと願われ、それでも近づき過ぎず、長い長い時を過ごして心の準備ができる世界を願った。


 神の差配で世界が流転する。

 千里を見渡し、千の的を追う竜眼でも追いきれない目まぐるしい流転。

 

 火山から吹き出すマグマ。

 風が吹き抜ける青々とした広大な草原。

 大海原の先に見える島々。

 鬱蒼とした森と、光の差し込む泉。

 石造りの建物と木造の建物が入り交じる風景。


 目を開けたら、眼の前には獣がいた。

 蒼い銀灰色の髪、痩せ型の体に長い耳。革と布の衣服。

 これまで見た世界のヒトと呼ばれる括りの二足歩行の獣のような姿。

 しかし、彼らのようなころころ変わる表情はなく、動きも少ない。

 それが普通なのか、異常なのかわからないが、今までのように怯えなくて済んだ。


 男は無表情のまま、なにかの文字を書いた本を私に与え、金色の丸いものをジャラジャラといれた袋を手渡してきた。


 そして言った。いや、浮かべたという方が正しいか。

 なぜなら声が出ていなかったからだ。

 彼らは頭の上に文字を浮かべて会話をしていた。


『やっぱりツノありの女子がね、必要だよね。ドラゴン娘が売る武器ってかっこよくない? これなら売れる。売り子が可愛かったら売れる』


 空間に浮かぶ文字。

 呼応するように、別の者の頭からまた浮かぶ文字たち。


「アァー!」


 今度は声を出した。

 素っ頓狂な良くわからない声と動作。

 神代の生き物に与えられた加護である高位者の知恵によって意味はわかる。


 頭を下げるのは礼節の動作。

 だがこの素っ頓狂な叫びの意味はよくわからない。

 興奮、悪巫山戯、冗談、ネタ、キャラ、知識を引き出すほどにわからなくなる。


 この獣は男で、エルフ。頭の上に書かれた文字はとんかち。

 隣にいた別の獣は男、男、女。エルフ、ヒューマン、ヒューマン。

 どれも同じように頭に文字を浮かべて会話している。


『とんかちさんのは売り子の問題じゃなくて価格と需要の問題やろー』

『かちーの武器。ダサい銘入れるからむりwwww』

『ダサくない。俺はカッコいいと思ってつけてる。文句あっか。じゃあ今度お前に作るやつの銘は*規制されました*にしてやろうか!』

『えー、2時間素材集めて作るレリック品にそんなプロパ表示ついてたら引くわ無理だわ。返品不可避』

『お前の銘も厨二にしてやろうかwwwww』

『いらんwwwwww』


 きょろきょろと見回して、文字列を眺める。

 どの世界とも違う、不思議な世界の会話のようなもの。


『これ普通のベンダーと違うよね。髪色にファイアとかあったっけ?』

『ドラゴノイドのベンダードール。高かった!!』

『この娘もこんな厨二病な店に立たされるとか気の毒』


 男は私にローブを被せ、そして布の服と靴を与える。

 上質な縫い目で、製作者の名前が入った衣服。


『メイド服着せたろ』

『ベンダーでメイドすんなしwwwww』

『ん~この娘はぁ~。イグニカ! 名前つけとこ』

『ベンダー名なのにNPCみたいな名付けしてるからややこしい』

『でも可愛くない? 生活感あるほうがいいじゃん。やっぱドラゴノイドのグラかわええなあ』

『ローブ着せてからアバター着替えさせるの芸が細かい』

『うちのイグニカを邪な目で見るのやめてもらえます?』

『女から見てもカワイイものはカワイイ。見せろ』

『そっちの店、ベンダードール全部猫やしなー』

『ねこかふぇあんこ玉は荒くれも冒険者も差別なく、高額で商品を販売しております^^^」

『ぼったくりやんけ』


 そして取り出したのは首飾り。


 いろいろな世界で見た。

 願いを掛けるために提げることもあれば、権力を誇示するために提げることもあり、祝いとして贈ることもある装身具。


『お。それ深淵エリアボス素材のやん。ベンダーに着せるん?』

『見た目装備だから映える。このカワイイベンダーにつけるべきだ』

『オクに出したら5Mくらい?』

『プロパ戦闘向きじゃないから、いくら~! ってつくもんでもないかも。コレクター価格に期待。まーでもウチは実用品の店だから売らね。おー! やっぱドラゴノイドに金と真紅の宝石のこれ、めっちゃ似合う!』


 そっと掛けられた首飾り。細い鎖から首にかかるかすかな重みが、贈られたものの重みを、存在の実感を知らせてくれる。

 私が私になって初めての贈り物。

 焦がれるほど憧れた、思い入れという感情。


『銘入れとこ。イグニカの願いの首飾り』

『意味深』

『なんかNPCにも考えてることがあるかもしれんやろ? なにかこう、なんかアレだアレ』

 

 願い。私の願い。


『着地点なく発言すんなwwwww』

『wwwwww』


 そして彼らは一瞬で消え、そして鎧兜を身に着けて再び現れる。

 虚空から騎獣を召喚して、足音を鳴らして駆けて出ていく。


 それから一ヶ月ほど帰らず、ある日戻ってくるとなにかの液体が入った瓶をぶら下げていた。

 何をするのかと見ていると、無心で積み上げて、天井付近まで積み上がったあとに虚空を見つめたまま固まり、そして消えた。


 それからまた数日ほどしてから現れ、いくつもの武具を並べて値札をつけて去っていく。


 そんな不思議な存在を見守って数十年。

 ある時から、家主は来なくなった。


 何度季節が巡っても、長命な竜の感覚でも長く感じるほど待っても、家主は来なかった。

 

 それでも私は首飾りを捨ててどこかに行ってしまおうとは思えなかった。

 彼が置いていった、いろいろな物を捨てられなかった。


 それをしてしまうと、二度と願いが叶わなくなる気がしたから。


 そして今、願いの続きが始まろうとしている。きっと、そんな気がする。

 だからこのバレッタは、新しい宝物にしよう。

 

 私の願いのバレッタ。


「ドラゴノイドのベンダードール……」


 ハッ、と思い出した表情で彼が呟いた。

 その言葉がたまらなく嬉しい。私はゆっくりと呼吸を整えて、できるだけ震えないようにしながら告げる。


 また会えて嬉しいと伝わるように、心を込めて。


「はい。イグニカです。はじめまして、主。──そして、おかえりなさい」


◇◆◇◆◇

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